ピリオド

  • since 12/06/19
 全国各地を回っている展覧会は、タイアップしている作品のお陰か終日、大盛況のまま最終日である今日を迎えた。最終日、ということに加えて、天候に恵まれたこともあって朝早くに来たにも関わらず、既に列が作られていた。
 サンダルフォンはどこまで続いているのか分からない長蛇の列に、一瞬だけ尻込みをした。けれども隣では楽しみで仕方ない、と子どものようにわくわくとした感情をちっとも隠そうとしないルシフェルがニコニコ顔で、あそこが最後尾のようだ、なんて言うものだから、帰るという選択肢は早々に消え失せてしまった。
 係員にこちらですと案内をされ、列に並ぶ。並んだ傍から、後ろに列が伸びていた。サンダルフォンはその列を見て、自分たちを棚に上げて他に行くところはないのだろうかと疑問が浮かんだ。
 有名なテーマパークの乗り物の待ち時間を思い出す。そういったテーマパークに興味を持たないサンダルフォンですら、レジャーシーズンになるたびに、番組で頻繁に待ち時間の長さが取り上げられるものだから、情報として認識している。

「今からだと3時間ほどかかるみたいですね」
「その程度の時間はあっという間だ」
「どういった基準なのかは聞きませんけど……」

 ルシフェルは真面目な顔で、冗談を言うから、サンダルフォンは受け取り方に戸惑う。
 天司としてなのか、人としてなのか──。確かに天司としてならば、3時間程度はあっという間だ。けれども人としては別だろう、と云うのは野暮だった。
 有限の時間をただぼんやりと並ぶというのはサンダルフォンにとってはナンセンスに尽きる。待ったお陰でありつけた、という価値に理解は示すものの、サンダルフォンにとって、今回の展覧会にはそこまでの価値を見出せない。
 何が楽しみなのか、分からない。正直なところ、ルシフェルの誘いでなければサンダルフォンは遠慮なく、一刀両断に断っていた。事実、友人からの誘いを「行くわけないだろ」と鼻で笑った。面白おかしくサンダルフォンを誘ってきた知り合い一同からの「なんだよ結局行くんじゃないか」「ルシフェル贔屓だ!」なんて野次を煩い! と一喝したものの、当日になっても、サンダルフォンは乗り気ではない。何が悲しくて、楽しくて、面白おかしく取り上げられる過去の自分を見に行く必要があるというのか。
 今回の展覧会の大目玉は手記である。誰が書いたのか不明ながらも、克明な記録によって、それまで荒唐無稽とされ何らかの比喩とされてきた事件や事故が事実として裏付けられたのだ。そしてその手記を基にした映画がヒットしたものだから、注目を浴び、大盛況に繋がっている。サンダルフォンとしては、非常に複雑だった。──なんせ、手記はサンダルフォンが書いたものである。

「君が嫌ならば、止めておこうか」
「別に、嫌、という訳ではないです」
「本当に?」
「はい。俺も、まあ……どんな風に展示されてるのか、気にはなりますからね。一応。それよりも、本当に、良いんですか? ……折角の休みでしょう?」
「うん。頑張れたのは、今日のためだからね」

 心配してしょぼくれた様子から一転して、ぱっと顔を明るくするルシフェルに、サンダルフォンは内心で狙っていないのだから性質が悪いと独りごちた。
 本当は、嫌で嫌で仕方ない。けれども前々からルシフェルが楽しみにしていたことを知っているし、水を差すのも申し訳ないと思ってしまう。サンダルフォンは、天司長だったルシフェルの顔色を窺っているわけではない。愛しい人がこの日の休みのために、ただでさえ忙しい仕事を無理して詰め込んでいたことを知っているからである。だからこそ、あんな日記のために無茶をしたりだとか、折角の休みに列に並んで時間を無駄にする、なんて勿体ない使い方をしてほしくないのだが、それはサンダルフォンの我儘だとも、十分に、納得している。

「進みませんね」
「そうだね、ますます、楽しみだ」

 にこやかなルシフェルに対して、同意をしかねるサンダルフォンは、曖昧な微苦笑を浮かべた。
 サンダルフォンは律儀に列に並びながらも、タイミングを見計らって抜け出そうか、なんて考える。今でさえ、自分自身で過去の作文を読み返すだけでも赤面は必至であるというのに、衆人環境に晒された挙句に手記にはこのような意味が、手記によりますとこの事件には、なんてもっともらしく解説をされる。恥の上塗りも良いところである。──こんなことならあんな日記燃やしておけば良かった。どうして今更見つかったのだろうか。
 団長とルリアやビィ──特異点、蒼の少女、赤き竜という空の世界に重要な要素故なのか、彼等との旅路は常にトンチキで非常識で、荒唐無稽な出来事の連続だった。彼等が原因でもなく、ただ巻き込まれた事件もあるのだが、それにしても、そりゃあ、後の歴史家たちは否定したくなるよな、という気持ちが、当事者であるサンダルフォンですら理解出来るというものだった。思い出しただけでも頭が痛くなる。馬鹿馬鹿しくてたまらない。どうしてそのトラブルに至ったのか理解不能。だというのに、サンダルフォンにとっては愛しくてたまらない時間であった。
 天司であったサンダルフォンは、団員たちよりも長く生きることになると、覚悟をしていた。仲間たちがいない時間を生きることになると、ぼんやりと、決意していた。だから、という程でもないにしても、物覚えに自信があるといっても、サンダルフォンは胸の内から込み上がる淋しさを否定することも、上手に飲み干すことも出来ずに、縋るように彼等との思い出をつづったのだ。それが今になって見つかることになろうとは、羞恥でもんどりうつことになるとは、当時、思いもしなかった。
 そもそも──照れた顔で満更でもなさそうにしている団長や、嬉しそうに一緒に見に行きましょうよなんて善意100%で誘ってくるルリア、目で此方を揶揄ってくるビィたちとだって、再び出会うことになるなんて、想像したこともなかったのだ。
 どうしたものかと考えているうちに、すっかり列をさばくことに慣れた係員により順番が巡ってきてしまった。

「ルートに沿ってお進みください」

 チケットをもぎられ、サンダルフォンとルシフェルは展覧スペースへと進む。
 いざとなると、不思議なもので、抜け出すなんてことは抜け落ちて、展示品に囲まれてしまえば何とも言えないノスタルジックな気持ちが込み上がった。その横顔を、ルシフェルは満足に見つめてから、展示品の解説を読む。
 何も「手記」だけが展示されている訳ではない。発掘された日用品から当時の時代背景や使用していた人物像を推測する展示品に、サンダルフォンは惜しいなと思わず思ってしまった。真面目に推論されているのだろうが、微妙にずれているのが気持ち悪い。知っているからこその、もどかしさである。
 順番に見て回るうちに、とうとう、メインが待ち構えてることが伝わってくる。サンダルフォンは足取りが重く、ルシフェルをおずおずと見上げ、口を開いた。

「面白いことなんて、書いてないですよ」
「そうだろうか? きみの手記から歴史的発見も多いだろう?」
「それはいまの人間にとってです。何より俺はそんなつもりで書き留めていたわけじゃないですし……」

 引きかえしの出来ない一本道のルートの真ん中に、今回の展覧会の大目玉はセットされていた。係員が立ち止らないでください。と常に声を掛けているためにどうにかであるものの、入場者は亀の方が早いのではないかと思う程の歩みである。自然と、その一帯だけ、人が混み合っていた。

「聞いても良いだろうか」
「なんでしょうか?」
「きみの記憶容量ならば数千年単位での事象であれば、記憶は可能だったはずだ」
「ええ、勿論です。あなたがそう、作ったのですから」
「なぜ、手記を?──悪いことではないよ。ただ、気になっただけだ」

 ルシフェルの問いかけに、サンダルフォンは視線をさ迷わせて曖昧に笑った。
 タイアップしている映画の作中で使用されていた鎧や剣のレプリカ、登場人物のパネルが立ち並ぶ。一応のメインは手記であり、展覧会と言いつつも、殆どのファンはこれが目当てなのだろうな、ということは明らかであるのだが、それでもサンダルフォンの胸中は複雑に尽きる。
 ルシフェルの目線の先は、当然のように、手記に釘付けである。
 覚えのある字が、古びて色褪せた羊皮紙に、丁寧に綴られていた。中庭で、サンダルフォンから乞われ、不必要であると理解しながらも、教えた記憶がよみがえる。友からは無駄なことだと言われた。無意味なことだと揶揄された。それでも、あの時間、たどたどしい手つきで名前を綴るサンダルフォンとの時間は、何時まで経ってもルシフェルの中で、優しい記憶として、安寧として残っていた。何より、あの時間が無意味でも無用でもなかったのだという事は、この会場に展示されていることで証明されている。
 経年劣化で朽ちた個所が幾つもあるものの、ルシフェルが読む分には問題はない。
 集まっている人々、全員が全員、パネルや作中の小道具が目当てではないのだ。映画関係なく、展覧会に興味があった人もいれば、映画がきっかけで、歴史に興味を持ち、展覧会に参加したという声も多々ある。もっともらしい顔つきで手記と解説を見比べている人々をサンダルフォンは観察した。それから、解説文を読んで、その違和感しかない現代語訳に笑いが漏れるのを堪える。
 いかにもと言わんばかり顔つきで手記を見ている中で、ただ一人、ルシフェルだけは手記を読めているし、そこにぶつけられたサンダルフォンの心境を、理解してしまう。

「やっぱり、燃やしてしまえばよかった」

 ぽつりと漏らしたサンダルフォンの呟きを拾い上げたルシフェルは目を丸くしてから、ふき出した。サンダルフォンは恨みがましく、口をすぼめてルシフェルを見上げた。すまない。なんて口ばかりの謝罪を口にしたルシフェルは笑みを浮かべる。その笑みを向けられると、毒気が抜けてしまって、どうしたらよいのか分からない無防備に晒されてしまう。

──ずるいなぁ、ルシフェルさまは読めてるんだから。

 さま付けはしないようにしているものの、こうもノスタルジー溢れる空間に放り込まれてしまえば気持ちははるか数千年前に戻されてしまった。
 騎空艇で生活するなかで、喫茶室を営む中で、団員と会話する最中に、ふとした瞬間に、淋しくて堪らなくなった。騎空団はいつも誰かの気配があって、一人になることは難しいくらいに賑やかだったのに、ふと淋しさでいっぱいになって、世界でただ一人になってしまったかのような、どうしようもない孤独を感じた。欲張り、強欲だと自分を御そうとすればするほど、ただ一人を求めて止まなくなった。
 会場自体そのものが手の込んだ一つの展示品であるかのように、古めかしい作りになっていた。だから余計に、懐かしい気持ちが蘇る。胸の奥がツンと痛みを思い出す。覚えのある痛みをやり過ごそう顔が強張る。

「気分が悪いのかい?」
「いえ」

 ルシフェルを見上げるサンダルフォンの目が潤いを帯びて、ルシフェルに応えるサンダルフォンの言葉尻が上擦っていた。そんなことないだろう。サンダルフォンの言葉を、思わず否定しそうになったルシフェルは逡巡、口を開いた。

「……会場を出ようか」
「いえ、良いんです」
「ほんとうに? 無理をしていないかい?」
「はい、ほんとうに大丈夫です」

 サンダルフォンは首を緩やかに振った。その拍子に、鱗のように、ほろりと涙があふれたて零れた。

──どうして、ここにルシフェルさまはいないのだろう。なんてわかり切っていることが、疑問に浮かんで、誰にも打ち明けることが出来ずに、胸の内にしまい込んでいた。ただの一つの命として、あの御方がここにいたなら。ここに、生きていたなら。この出来事をどのように思うのだろうか。自分のように呆れるのだろうか、戸惑うのだろうか。それともあの御方にとっては体験したことのある出来事なのだろうか。聞いたことがなかったけれど。聞こうとも、思わなかったけれど。でも、今は聞けるのだ。漠然と、当たり前のことだというのに、全く、想像にも出来なかったことを、突き付けられた。

 おろおろと、サンダルフォンを心配しているルシフェルを前にして、サンダルフォンは不遜にもおかしくなった。心配をされていることが、今更になって、こそばゆくなった。

「進みましょう、売店で、パンフレットがあるみたいです、ああ……でも、もう売り切れてるのかな」

 矢継ぎ早に取り留めないことを口にしながら、これだけの人込みなのだから──サンダルフォンは言い訳をして、ルシフェルの手におずおずと、触れた。ルシフェルは少しだけぎょっと、驚いた。サンダルフォンは人目を特に気にする。そこまで気を張らなくても、とルシフェルが思う中でも、どうにも、気にして、触れ合うことをやんわりと、けれどもたしかに拒否をするのだ。サンダルフォンに無理強いすることはルシフェルの本意ではないから、残念に思って仕方ないと、サンダルフォンが慣れたらと、ルシフェルは思っていた。思わぬサンダルフォンの行動に、ルシフェルは何食わぬ顔で、その手を握った。おずおずと、返された指先は少しだけ、ひやりと、冷たかった。

Title:エナメル
2022/03/28
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