ピリオド

  • since 12/06/19
 麾下からの報告を整理する。細々とではあるが各地で異変は起きているものの、カナンの地にで起こったような、大がかりなものはない。寧ろ堕天司が手引きしたのか判断しかねるものも混合している。
 ルシフェルがまとめあげた資料に対して、手つかずのものは倍以上である。
 回復の兆しが見えない肉体に、足取りのつかめない堕天司たちの行方──ルシフェルは一息つこうと部屋を出ると、ふらりと甲板に立ち寄った。心地の良い風が頬を撫でる。澄み切った空気はひやりとしているが、塞ぎこんでいた身には爽やかに感じた。
 団員たちの多くは昼食を取っている時間だった。いつもは鍛錬や稽古であったりと、賑やかな甲板に人の気配はない。ただ一人、舳先に人影を確認したルシフェルは、声を掛けようとして、言葉が思いつかなかった。何を言うべきか分からないままであったルシフェルに、声が掛けられる。

「具合は良いのですか」
「うん」
「そう、ですか」

 ちらっとルシフェルを見たサンダルフォンは、それ以上の言葉をかける理由も無ければ意味もないと言わんばかりに、姿を消した。ルシフェルは、儘ならぬ状況に歎息を零しかけて、飲み込む。
 サンダルフォンの姿を見かけたのは、随分と久しぶりだった。その間に、話したいことは幾らでもあったのだ。それこそ、サンダルフォン自身に関して心配は尽きない。

──体調に不具合は起きていないのか。騎空団で不自由はないのか。それから、珈琲をともにどうだろうか……。

 掛ける言葉はあったはずだというのに、いざ目の前にすると何を言えばいいのか分からなくなってしまう。
 サンダルフォンが飲食をしていないと、ぼやいたのは特異点だった。ナンセンスだと言って断るのだと云う。ルシフェルに真実か問いかけるものだから、曖昧に首肯した。
 ルシフェルはその状況すら、特異点から知ったのだ。サンダルフォン本人に確認できていない。
 天司は飲食物からエネルギーを補充することは決して、必要不可欠な行為ではない。天司にとって飲食とはいわば娯楽に過ぎない。それでも、ルシフェルにとっては、とりわけ珈琲は唯一といってもよい嗜好品であったし、何よりサンダルフォンとの間での共通言語でもあったのだ。
 今でもルシフェルは、作業の合間に珈琲を淹れる。
 ルシフェルが珈琲を好んでいるということは、騎空団の中ではとっくに認識されていた。
 状況が状況なだけに、サンダルフォンと共にいることを喜んではならないと分かっていても、珈琲を共にすることは許されるのではないかと、ルシフェルは思いながらも、サンダルフォンを誘うことが出来ないでいた。
 サンダルフォンはどうやら飲食物を口にしない、出来ないと、団員の中では認識されている。そんなことはない、とルシフェルは訂正することが、出来なかった。

〇 〇 〇


 カナンで起こった前例のない、世界の崩壊ともすらあった事件の中で、ルシフェルはかろうじて命を取り留めた。死を覚悟したルシフェルの元に駆けつけたのは、サンダルフォンであった。そして居合わせた特異点と共に、サンダルフォンの手によって一時的にとはいえ、事件は収束されたのだ。
 堕天司の筆頭ともいうべきベリアルやルシフェルを襲ったベルゼバブ、そしてその背後にいるのであろうルシファーの存在や行方──考え出すときりがない。けれども、ルシフェルには彼等に対抗するだけの力が無かった。
 一命を取り留めたとはいえ、重症であることに変わりはない。肉体は万全とは言い難く、天司長としての力を振るうことも困難であった。

「肉体が回復するまでの間──サンダルフォンに天司長としての力を譲渡する」

 その決定を下したのはルシフェルが特異点率いる騎空団に身を寄せてから暫くしてのことだった。
 サンダルフォンはかつて世界を壊そうとした。特異点を手に掛けようとした。蒼の少女を害した。赤き竜を取り込もうとした。何より、四大天司に実害を加えたのはそれほど過去のことではない。そんなサンダルフォンに、天司長の力を譲渡するとは──四大天司とはいえ、副官とはいえ、簡単に首肯することは出来なかった。けれども、首肯せざるを得ない状況であることは冷静に、判断せざるを得ない。
 天司の中で、天司長の力に耐えうる器は、サンダルフォン以外にいないことは、理解出来ていた。それでも、心が追いつかないでいた。
 また、かつてのように暴走をすれば、それも天司長の力を使ってならば最早誰にも留められないのではないか。不安が過るのだ。それは、サンダルフォンも同様だった。なぜ、その力を自分に譲渡しようとするのか、理解できない。

「俺が仕出かしたことを、忘れたのですか」
「忘れていない。けれども、今はこれが最善だと考えた結果だ」

 どうか、サンダルフォンを支えてやってくれ。
 ルシフェルに命じられたら拒絶することなんて出来やしないのだ。四大天司たちは困惑やら戸惑いやらを浮かべて首肯した。首肯せざるを得ない状況であったに、過ぎないのだ。サンダルフォンは少しだけ、四大天司に同情を寄せた。

〇 〇 〇


 力を失ったルシフェルが身を寄せたのは、特異点率いる騎空団だった。
 事件の収束に居合わせたこともあり、また特異点、蒼の少女、赤き竜の存在をルシファーが看過するとは思えず、彼等と共にいることこそが、ルシファーへと繋がる道筋でもある、というルシフェルの考えのもと、騎空艇に乗り合わせている。また、ルシフェルの肉体を回復させるには、とりわけ天才錬金術師の才能が不可欠であったのだ。
 当初、サンダルフォンは騎空艇に同乗することを拒否した。
 なんせ自分は特異点を手に掛けようとした。蒼の少女に危害を加えようとした。赤き竜を取り込もうとした。そんな自分が、同乗すれば心理的にも負担になることは理解していた。けれどもルシフェルの回復やルシファーの動向に関してならば、特異点たちを頼らざる得おないという状況も致し方ないと、理解していたのだ。

──今更、なことか。

 サンダルフォンは仕方ないと、諦める。諦めて、身を任せる。自分が抗ったところで、意思を示したところで意味はないとようやっと、二千年の命の果てに、理解したのだ。
 本意ではないとはいえ、同乗するにあたり、回復に専念するルシフェルは別としてサンダルフォンにも依頼や日常生活の当番が回って来る。王侯貴族や騎士であろうと、子供であろうと誰であろうと、騎空艇に乗るからに、集団生活を共にするにあたっての決まり事でもある。サンダルフォンは不満を覚えたものの、自分が何を言っても無駄だととっくに諦めを覚えてしまっていたから、赤き竜の揶揄いの言葉を鬱陶しく思いながらも掃除も洗濯も淡々と言われた通りに、見よう見真似で当番としての仕事は果たした。赤き竜は張り合いがないと不満を口にして、特異点は苦笑する。蒼の少女はサンダルフォンをすごいと褒める。サンダルフォンには彼等が理解出来なかったし、しようとも思わなかった。所詮──考えて、止めた。

──どうせ、俺は。

 サンダルフォンは彼等と距離を取る。
 賑やかな場所は苦手だった。明るい場所には慣れなかった。独りが、心地よかった。
 騎空艇は気配が多すぎる。
 その内に、別に自分がいなくても問題はない。むしろその方が良いのだろうと至ってからは、姿を保つことをせずに騎空艇の内部をさ迷うことが増えた。

「サンダルフォンさーん」

 蒼の少女の呼び掛けにサンダルフォンは応えない。彼女の用事を知っているからだ。その用事は、サンダルフォンでなくとも問題はない。だから、放置をする。
 蒼の少女がきょときょとと小首をかしげながらも部屋を覗いたりしている姿に、どうかしたのか、と声を掛けたのはルシフェルだ。

「あ! ルシフェルさん、サンダルフォンさんを知りませんか?」
「見かけていないが……何かあったのか?」
「何か、というわけじゃないんですけど……美味しいクッキーを貰ったから一緒に食べたいなって思ったんです」

 そういってラッピングをされたクッキーをはにかみながら見せる。立ち寄った島で受けた依頼の報酬だった。有名な菓子店であったらしい。それなら、余計に自分に構うことなく食べてしまえばいいのにとサンダルフォンは思った。
 だから、サンダルフォンは姿を見せない。蒼の少女が何を考えているのか理解するつもりはないが、そもそも天司であるサンダルフォンには飲食は不必要であるし、慣れあうつもりもない。態々探してまで共有する必要性を感じない。

「見かけたら、教えてもらってもいいですか?」

 そう言った蒼の少女を、ルシフェルは見送った。けれどもルシフェルこそ、サンダルフォンの所在を掴めないでいた。漠然と漂う気配は感じ取るものの、サンダルフォンの姿を見ていない。口にはしないものの、サンダルフォンと顔をあわせる回数で言えば、特異点や団員の方が多いのが現状であるのだ。
 ルシフェルが声を掛ければ、サンダルフォンは姿を見せるという確信はあった。
 けれども、それはルシフェルの本意ではなかった。
 だって、それは、どうしようもなく、サンダルフォンが拒否することが出来ない命令でしかないのだ。
 対等でありたいと願っていながら、その立場を否定するどころか、サンダルフォンにその役割を強いたのは、他でもないルシフェルであったのだ。

〇 〇 〇


 サンダルフォンが自身の肉体の変化に気づいたのは、戦闘の直後だった。
 立ち寄った島で引き受けた依頼は、魔物の討伐だった。
 天司長としての力が一瞬とはいえ揺らぎエーテルの均衡が崩れたためか、パンデモニウムの封印が解けたためか、原因は多様であるにせよ、ここ暫く魔物が活発化しつつあることを、サンダルフォンは依頼に同行するなかで勘付いていた。サンダルフォンですら気付いているのだから、団員の中には勿論のこと、そしてルシフェルですら察している。だというのに、誰もサンダルフォンを責め立てることはない。ならば、自分の後始末は自分でするしかない。だからサンダルフォンは本来であれば万全ではないルシフェルの警護をしなければならない立場と認識しながらも、依頼に同行するのだ。
 魔物とはいえ、サンダルフォンや同行している団員たちにとっては強敵といえる存在ではない。かといって慢心していた訳ではない。なれ合いは御免だと言わんばかりに、スピーディに片を付けたサンダルフォンであったが、キャア! という悲鳴に身を翻す。
 彼女を助けなければ、という正義感でもなかったし殊勝な心掛けでもなかった。きっと彼女が傷つけば、居合わせたサンダルフォンが、ひいてはルシフェルの立場が悪くなると考ええたからだ。魔物の伸ばした触手が頬を掠めた。同時に、光のエーテルで作られた剣が魔物の肉体を穿つ。魔物は悲鳴を上げて、絶命した。
 サンダルフォンは周囲を窺うも、魔物の気配はない。

「あ、りがとう……」

 ぼそりと声を掛けられたサンダルフォンはそれが自分に掛けられた感謝の言葉とは認識できずに、怪訝な顔を浮かべるばかりだった。むっとした少女が、何よその反応はと言わんとした矢先に顔を青ざめさせる。
 忙しい奴だなとサンダルフォンは興味を薄く、その様子を見ていた。

「ちょっと! 怪我してるじゃない!?」

 怪我、と慌てる姿にサンダルフォンは視線の先が自らの頬に注がれているのを確認してから、その箇所に触れた。ぬちゃりとした感触を指先が覚える。べたりと、赤黒い液体が付着していた。
 頬から滴る様子に、確かに怪我をしているようだとやっと認識したものの、戦闘直後の高揚感で痛みが鈍くなっている、といくら考えたとしても、痛みを覚えることはない。サンダルフォンは少しだけ、違和感とも言い切れない不可思議な感覚に、戸惑いを覚えた。

「大丈夫なの……? あの、治すわ」
「いや、必要ない」
「でも、」
「治癒能力は高い。俺なんかよりも、彼等を優先するべきだ」

 血は止め処なく溢れているし、その頬は、喋っているだけでも痛みがあるはずだった。ぱっくりと裂けている。見ているだけでも、同じ個所に痛みを錯覚してしまう程の怪我だった。何を強がりを言っているのだろうと、問い詰めようとした。けれど、サンダルフォンが頬をこするように拭えば、事実、頬には傷跡一つ、残っていなかった。

「なら、良いんだけど……」

 何か言いたげな物言いだと思いながらも、サンダルフォンは追及しない。
 重症ではないにしても、負傷している団員がいる中で回復魔法に長けた少女は貴重だった。
 騎空艇に身を寄せるサンダルフォンは、ルシフェルのおまけだ。何故自分に構うのか分からない。彼等が大切にしている特異点や蒼の少女、赤き竜を手に掛けようとした自分を見張るにしても、と考える。監視のつもりなのかと思えば、そうではないと云う。元よりサンダルフォンには最早世界を壊す理由もなければ、己の状態を誰よりも理解しているために、自暴自棄になることはない。サンダルフォンの中で恨みや憎悪といった感情は燃え尽きていた。
 前を歩く団員達の殿を務めながら、サンダルフォンは自らの肉体の変化について考える。
 回復能力が高いとはいえ、ルシフェルはサンダルフォンを作るにあたり痛覚を遮断することはなかった。何故なのだろう、と疑問を抱いたルシフェルに中庭で珈琲を口にしていたルシフェルは静かに言ったのだ。

「痛みとは危険信号だ。その信号を遮断することは得策ではない。それに、痛みがあるからこそ踏みとどまることが出来、危険回避にも繋がる」
「そういう、ものなのですか?」

 当時のサンダルフォンはといえば、理解はしても、納得は出来なかったものの、ルシフェルを否定することが出来ず曖昧に首肯した。戸惑ったような、困惑を浮かべたサンダルフォンにルシフェルは静かに微笑を向けた。
 しかし、今のサンダルフォンには痛みはない。
 試しに自らの舌を噛み切ってみる。ぬちゅぬちゅよ不快感と、特有の生臭い感覚を覚えたものの、痛みはなかった。
 何かしら、天司長としての力が作用した結果なのだろうか。ならば、あの御方も痛覚は無いのだろうか。過った考えを否定する。
 揺り籠から目覚めたサンダルフォンが、駆けつけた先で、ルシフェルは苦悶の表情を浮かべていた。ルシフェルには、天司長には、痛みがないわけではない。ならば、なぜこのような状態になったのだろうと考えるも、正解は分からない。

──変わりはなかっただろうか。

 不意に、ルシフェルの言葉を思い出した。
 いうべきなのだろうか。けれども、今のルシフェルの状態は万全とは言い難い。その状況の中で、天司長の力を預かる身で告げることは、憚られた。それに、痛覚が無いという程度のことじゃないか。サンダルフォンにとって、寧ろ好都合でもあった。躊躇いが無くなる。悪いことではない。
 考え込んでいるうちに、他の団員と合流した。他の団員にも大きな怪我はなかった。
 依頼を無事に終えた一行は、騎空艇へと戻る。
 賑やかに出迎えられ、サンダルフォンはひっそりと姿を消した。

「特異点、サンダルフォンは?」

 サンダルフォンが不在であることに気づいたのはルシフェルだった。
 声を掛けられた特異点がきょとりと見渡しても、先ほどまでいたサンダルフォンの姿は見えない。誰か見なかったのかなと声を掛けても、さっきまではいたんだけど、と同じような状況だった。
 ルシフェルはひっそりと、眉を寄せた。
 
〇 〇 〇


 季節を僅かに廻った。真夏日のアウギュステで騒動に巻き込まれたりだとか、ハロウィンなんてイベントを楽しむ団員たちに、こんな所で油を売っているわけにはとサンダルフォンがもどかしく思ったところで、ルシフェルの肉体が回復するわけではないし、天司長としての力がサンダルフォンに馴染むわけでもない。それどころか、天司長としての力は日に日に強大に感じつつあった。一方で、サンダルフォンの肉体が脆弱化しているともいえる状況が続いているのだ。

──天才錬金術師、というのは決して自称ではなかったんだな。

 サンダルフォンは誰に言うでもなく内心で感嘆する。
 ルシファーの所在やベリアルやベルゼバブの動向が中々掴めない現状で、取り巻く状況はやや、好転しつつある。というのも、ルシフェルの肉体が回復傾向にあった。同時に、ルシフェルから一時的にとはいえ譲渡された天司長としての力は徐々に、ではあるがルシフェルへと還元されている。
 サンダルフォンはひとまず、安堵を覚えた。徐々に、とはいえ裏切りものでもある自分が強大な力を有しているという状況も、周囲には懸念材料でしかないし、不用心でもある。そろそろ、お役御免も近い。

 力を込めていなければ肉体を顕現させるのにも苦労をするような、状態になっている。サンダルフォンはみすぼらしい自らを省みて、苦笑を零す。
 これまでに、失ったものは多い。何れは肉体を保つことも困難になるだろうと、サンダルフォンは予感していた。

「スペア、か」

 正しく、サンダルフォンは役割を果たした。使い捨ての、代用品。本来であれば、ルシファーの言う通り、無意味な役割であったはずだというのに、皮肉にも、正しく、役割を果たすことが出来た。
 お役に立てただろうかとちらりと考えたが、そもそもが自分が原因であるのだから烏滸がましいにも程があるというものだった。
 ルシフェルが口にしたことはない。
 サンダルフォンの状況判断でしかない。
 ルシフェルはカナンの神殿にて、何故反撃をすることがなかったのか。──ルシフェル程であれば、不意をつかれたといえ、反撃することなく守りに徹する状況というのは不自然すぎるのだ。
 自身が目覚めた空間に残された血痕を辿り、気配に胸騒ぎを覚えた。二度にわたって裏切り行為を働きながら、まさかあの御方が、ルシフェル様がと、否定をし続けていた。荘厳な神殿に不釣り合いな赤黒い点々とした血痕を辿り、その先にルシフェルと対峙する人影に咄嗟に割り込んだ。その結果として、ルシフェルはどうにか一命を取り留め、駆けつけた特異点の力も合わさって事態は収束した。

 痛みを失ってから、感覚が鈍くなってから、熱を感じなくなってから、味覚を忘れてしまってから──今となっては、詮無いことである。

 団員たちはサンダルフォンが災厄の邪神であるということを忘れたように、馴れ馴れしくなった。その様子をルシフェルが慈しむように微笑んでみているものだから、サンダルフォンは強く拒絶することも出来ない。

〇 〇 〇


 広い騎空艇であるが、今は伽藍としている。
 補給のために立ち寄った島は祭りで賑わっていた。「サンダルフォンさんも行きましょう!」と揚々と誘う蒼の少女に断って、一人部屋に籠もる。
「付き合いが悪いぞ」と煽って来る赤き竜の言葉を鼻で笑った。災厄の邪神がいたらそれこそ場がしらけるだろうと、口に仕掛けて止めた。どういう訳だか、彼等はサンダルフォン自身が認めているにも関わらず、災厄の邪神と称することを嫌悪するのだ。哀しむのだ。お人好しが過ぎるのは、彼等だけではなく、団員たちもだった。
 空の民特有の感性なのだろうかとサンダルフォンは理解しかねるが、星晶獣でもある団員ですら物言いたげであるから、さっぱり、分からなかった。時折、四大天司ですら何か言いたげな顔をするのだから自分のあずかり知らぬところで、何かあったのではないかと考え込む。まあ、近々いなくなる身であると思えば詮無いことだった。

 ルシフェルが天司長としての姿を取り戻すのと比例するように、サンダルフォンは自身が希薄になっていくのを感じていた。

──天司長の力、というのは凄いものだった。

 知らなかったわけではないものの、改めて圧倒的な力を見せつけられると、ただ感嘆の吐息しか口から出ない。
 無茶苦茶なことを仕出かしてきたツケが回って来たのだ。結果的には失敗をして三枚しか取り込めなかったとはいえ、四大天司の羽を取り込んだり、立てつづけに天司長としての力を譲渡されたりと、再生能力が優れているとはいえ、相当な負荷をかけて来た。サンダルフォンの肉体は既に崩壊寸前で、顕現も難しいくらいであるのに、それが今の今まで動くことが出来たのは優れた力があったからだ。既にその力は本来の持ち主に還元されたけれど。今のサンダルフォンは、残滓と合わさった辛うじてのサンダルフォン本来の力でおめおめと生きている。今の状態になることが、分からなかったわけではないし、知らなかったわけではない。ただ、言わなかっただけだった。なぜ、と取り乱すことはなく、まあそういうものなのだろうと受け入れて、自己完結していた。だから、部屋を訪ねて来たルシフェルの様子に、戸惑い、邪神として対峙した時にすら感じたことのない怒気に、息苦しさを覚える。

「どういう、ことだ」
「ルシフェル様? なんのことでしょうか?」

 ルシフェルが苛立たし気に端正な顔を歪ませる。感情を露にする様を、サンダルフォンは初めて見る。抑えきれないものがあふれ出した様子に、サンダルフォンは戸惑いを覚えた。
 ルシフェルはともすれば爆発しそうになる感情を、それでも必死に押さえつけていた。
 サンダルフォンに対する怒りと同時に、何も知らずにいた自身に対する嫌気で知らず、険しい顔になる。

「なぜ、黙っていたんだ」
「黙る……?」

 それでも、サンダルフォンにはルシフェルが何を言わんとしているのか、分からなかった。ルシフェルに対する隠し事、なんてない。今となっては、何も企んでいない。そもそも企むだけの未来もない。

「俺は、もう、ルシフェル様に対して裏切るなんて」
「ちがう。私はそのようなことを言っているんじゃない」

 ならば、何のことだとサンダルフォンは思いつかない。
 まさか、自分の状態をルシフェルが知っているとすら想像にもしていないし、何よりその状態に怒りを覚えることも、理解不能であるのだ。ちっとも、自らを省みるこのない姿に、ルシフェルが心配を寄せることも、怒りを表すこともあり得ないことだと思い込んでいるサンダルフォンに、ルシフェルは、今の今まで知らずにいた自己嫌悪、サンダルフォンに頼られることのなかった状況、心配すらも許されなかった関係に、悲しみと怒りが押し寄せた。
 サンダルフォンは自らが叛乱を起したときにすら見せられたことのない、ルシフェルの鬼気迫る様子に、何か不手際があったのか、蒼の少女たちに対してつっけんどんすぎた事を咎められているのかと、見当違いな推測ばかりであった。けれども、現状ルシフェルが不安に抱くとすれば──不意に、サンダルフォンは報告をしていなかったと思い出す。

「問題ありません。天司長としての力はすべて、ルシフェル様にお返しするまでは肉体は維持できます。不都合はありません」

 にこりと、サンダルフォンは中庭で浮かべていたような、無垢な笑みを浮かべたものだから、ルシフェルは怒りよりも情けなさと悲しみでいっぱいになって、「そうじゃないんだ、サンダルフォン」と項垂れた。
 サンダルフォンは、重要なことなのにと思いながら、何が違うのか分からずに困惑を浮かべて、間違ったことを口にしたのかと考えた。けれども、天司長にとって怒りを露にするほどに重要であるのは天司長としての力が正しく還元されるのか、という点に尽きると考えると、間違っていないと結論づく。もっとも、天司長の考えを推し量るだなんて出来っこないのだろうけれどと、内心で苦笑する。
 怒っている理由も、きっと俺なんかには想像もつかないものなのだろう。もしかしたら、俺の存在を惜しんでくれているのだろうか。──すべて、俺の所為だというのに? 深手を負った原因も、そもそもカナンの神殿での襲撃も、何もかもが俺に起因するというのに? そんな、甘くて優しい期待なんてしたところでいつも裏切られるのだから、捨ててしまえと、放棄する。まさしく、その優しい期待通りであることをサンダルフォンは望みもしない。願いもしない。ただ、せめて最期は役に立ちたいと、せめてスペアという役割を果たしたいという、散々に反抗していながらの天司として作られた故の、そして唯一報いる方法であるという、ささやかな願いであった。
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