ピリオド

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 カナンの神殿には、荘厳な雰囲気が張りつめられている。サンダルフォンは長く、其処に滞在することを赦されている。ルシフェルが不在の際には留守を任されていた。とはいえ、馴染むことは出来ない。何時まで経っても、居心地が悪いような、すわりの悪さを覚えている。神殿を抜け出た小さな中庭は、自然の赴くままといえば聞こえは良いが、手つかずであった。その光景は天司長のおひざ元では違和感を覚えるが、サンダルフォンにはいっそ居心地が良い。
 ルシフェルが不在である時には、その中庭でぼんやりと過ごしていた。留守を任されている、といっても、カナンの神殿に辿り着く存在は皆無であるし、ルシフェルが強靭な結界を施していることを知っていたのだ。さらに言えば、時折ルシフェルの気配は感じることがある。ああ、其処におられるのだなとサンダルフォンは不思議な感慨深さを覚えるのだ。

──使い捨てられる命であったはずが、どういう訳だか使徒という形で生き永らえている。

○ ○ ○


 サンダルフォンは星の民が作り出した兵器の一つである。
 本来であれば、一方的に終わるだろうと想定されていた戦争が長引いたことにより、サンダルフォンは作られた。星晶獣の原型ともいえる天司──とりわけ、天司長によく似せて作ろう、としたのがサンダルフォンであった。
 天司に関する記述や論文は極僅かであった。星の民の研究所でありながら、その存在は微々たるものであったために、正しく表現するならば──想像上の天司長ルシフェルという存在を基にして作られたのだ。だから、サンダルフォンとルシフェルが全く似ていなくとも頷けるものである。
 サンダルフォンは自身の熟しすぎた林檎のような瞳を見つめる。水面は、映るサンダルフォンなんて知ったこっちゃないとでもいうように、ゆらゆらと揺らめいた。不細工に揺らいだ顔に嘆息を零す。
 仕方ないとはいえ、恥ずかしいったらない。
 圧倒的な存在である天司長ルシフェル。その姿に憧れた研究者たちによって作られたサンダルフォン。作られたルーツを知っているからこその、途方もない羞恥でいっぱいになる。
 烏滸がましい。恥ずかしい。
 何もかもが正反対であることが、少なからずの幸いであった。
 ルシフェルは美しくさらりと癖のないプラチナブロンドである。対してサンダルフォンの髪はといえば、黒髪、とまではいかないものの焦げた茶色で光に透かせば少しばかり赤くなる癖っ毛であった。容姿に関して追及するならば、ルシフェルは不変の美しさを持っている。大衆の好みが文化や時代の流れにおいて変遷するなかで、絶対的な美しさを究めたのがルシフェルといっても過言ではない。一方でサンダルフォンといえば、容姿は整っているものの煌びやかとは言い難い。それには悲しい研究所の事情が反映されていた。
 なんせサンダルフォンが作られたのは戦争末期である。続々と星晶獣が戦火に投入される中で、ひしひしと研究所における資金も圧迫されていた。空の民に較べては豊富とはいえ、それまでの潤沢な資金とは比較できない。その中で、作られたサンダルフォンの比重は勿論のこと能力に注がれた。容姿はいわばおざなりであったのだ。それでも、ルシフェルと比べなければサンダルフォンの容姿は整っている。煌びやかな同族に較べたら、多少、色味は褪せているが。
 そして何よりも恥ずべきなのは能力であった。
 比重を重く置かれた──確かに、戦争に投入された星晶獣の中においてはサンダルフォンはトップクラスでありアジ・ダハーカと遜色ないスペックで作られていた。しかしながらサンダルフォンはそのスペックを持て余す肉体の脆弱さを抱えていた。戦争の長期化に伴う影響である。あれもこれもと詰め込んだ結果、サンダルフォンの肉体は星晶獣にしてはあり得ざる欠陥品であったのだ。それでもサンダルフォンは星の民によって戦場に投入された。自身の歪な造りに関しては、理解していた。つまりこれは、放棄であったのだ。星の民は空の民の抵抗に、儘ならぬ状況に、自棄になっていた。

〇 ○ ○


 呻く兵士は空の民。落ちた獣は星の獣。草木は消失して禿げた大地にぼこぼことクレーターが出来ていた。場違いなほどの青空を、サンダルフォンは見上げる。──それは、あまりにも一方的で、理不尽な、蹂躙であった。
 最初はどうにか制御しようと試みていた。あれは空の民。あれは同胞。あれは敵。あれは味方。あれは殺しても良い。あれは壊してはいけない。あれは生きている。あれは死んでいる。あれは生きている。あれも生きている。あれは敵。あれは殺して良い。あれは死んでいない。あれは殺さなければならない。制御は徐々にできなくなり、やがて意識が朦朧として敵味方関係なしの殺戮兵器と化した。味方であった星晶獣たちが異変に気付いたときには既に遅かったのだ。
 荒廃した土地にぽつりと取り残されたサンダルフォンは力を使い果たした。それでも、生きていることが不思議だった。脆弱なはずであった肉体は、戦闘に耐え切っていたのだ。とはいえ、時間の問題だ。
 サンダルフォンの行動を星の民が許すわけがない。処分されるのは目に見えている。かといって、逃げることは出来ない。体が酷く重かった。思考回路は焼け切れておらず、理性が戻って来た。だからこその、自身の末路について考えてしまった。自分の仕出かした行動を思い出してしまった。見上げた青空が酷く遠いものであるから、サンダルフォンは哀しい気持ちを覚えた。何も見たくないと眼を瞑る。

「きみ、は」

 戸惑いを含んだ声音だった。
 聞き覚えはない。
 気配に覚えはない。
 サンダルフォンは重い瞼を持ち上げる。やはり、見上げるその姿に覚えはない。けれども、きっと彼がという確信があった。根拠のない勘でも、サンダルフォンは得心していた。なるほど、彼がという気持ちが湧きおこる。不思議なことに、嫌悪だとか憎悪、嫉視はなかった。ただ、敵う訳が無いという諦観だった。

「おれは、あなたになれなかった」

 ぽつりと漏らしたのはサンダルフォンのささやかな懺悔である。
 サンダルフォンは兵器だ。星晶獣だ。作られた獣でしかない。稼働期間は僅かでしかない。同胞と比較することができぬ程──目の前の存在にとってみれば微粒子レベルでしかない存在だ。

「君は私ではない」
「ええ。そうです。おれはあなたではない。けれども、あなたになるようにねがわれた」

 戦争の長期化の末に描かれた存在。星の民が注いだのは希望であったし、諦めであった、やけくそであった。きっと、美しいものばかりではなかった。それでも作られたサンダルフォンは応えたかったのだ。あなたの造った獣の成果を捧げたかった。描いた天司長のまま、あるいはそれ以上の存在であると振舞いたかった。
 研究所という小さな世界で生まれ育ったサンダルフォンにとって、星の民に報いることしか、証明できなかった。
 サンダルフォンは、嗚咽を洩らす。

「生きたいか?」
「──いいえ」
「なぜ?」
「俺は、この戦争のために、作られた。俺の存在は、あってはならない。許されない。そうでしょう? 天司長様」

 天司長──ルシフェルは瞼を閉じた。

○ ○ ○


 まだ作られて間もないサンダルフォンの命を摘み取ることは、容易い。
 空の民にとって脅威となる星晶獣といっても、ルシフェルにとってはささやかな羽音のような存在でしかなかった。加えて、ルシフェルが手を下すこともなく、サンダルフォンは機能を停止する。
 サンダルフォンの存在を、ルシフェルは感知していた。光のエーテルがふんだんに注がれた獣が作られた経緯を把握していた。
 ルシフェル自身の手により、あるいは状況を察知していたルシファー自身の手により、天司に関わる文献類は消去されていた。それでも、消去しきれなかった一文であったり、手違いにより存在していた文献を後世の星の民が発掘し、天司長を、天司を再現することは、これまでにも幾度かあった。とはいえ、サンダルフォンのように──ルシファー手製と比較すると粗末であるが、限りなく近しい状態は初めでだった。それまでは作られることはあっても、不完全であった。あるいは作り出すことすら不可能であったのだ。
 ルシフェルはサンダルフォンを見詰める。
 暴虐を尽くした獣は、ただ静かに死を待っている。
 きっとあってはならないことだったのだ。
 何もかも、天司長としての行動として、間違っていた。
 サンダルフォンの存在を感知していながら、見逃したのも、サンダルフォンの暴走を理解しながら、傍観に徹していたのも──何もかも、把握していながらサンダルフォンの前に顕現したのも、過ちであった。天司長として、逸脱する行為であった。
 サンダルフォンの存在を感知した時点で、ルシフェルは介入するべきであったのだ。その存在が命を宿した時点で、摘まねばならなかったのだ。
 だというのに、ルシフェルはそのまま、見過ごした。見逃した。

「私が、君の命を許す」

 ルシフェルがサンダルフォンに触れた。その手先から、暖かな光が零れる。光はサンダルフォンに注がれる。欠落していた箇所が補われるのを感じる。温もりに身をゆだねるサンダルフォンはルシフェルを見上げ、問いかけた。

「どうして?」
きみを失いたくないから

 ルシフェルが応える。けれども、その音をサンダルフォンが聞き取ることは出来なかった。猛烈な眠気が襲い掛かる。その姿に、ルシフェルはいつ以来になるのか、笑みを浮かべて見守る。サンダルフォンの瞼が下がる。無垢な寝顔だと、ルシフェルは思った。回復をしたサンダルフォンが目覚めた数百年は、すべてが今際の幻覚でもなんでもなく現実だということをサンダルフォンに突きつけるタイムリミットでもあった。

Title:誰花
2022/03/07
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