「オープンキャンパス、ですか?」
「うん」
黒子に窺いを立てているようで、茜の中では既に決定していた。学校にも連絡をしていると言うのだから、事後承諾も良いところである。黒子は息子の行動に、どうして少しの相談もしてくれないのかと思いながらも話しを聞く。
「バスを借りて、何校か見て回るタイプの説明会なんだ」
「そうですか・・・其の日は出勤日ですね」
「休まないでね」
「う」
黒子は酷く残念そうにしょんぼりとしてしまった。そんな様子に茜は苦笑を洩らす。一緒に来られては意味が無いのだ。
説明会も見学会も全部ウソだ。其の日は土曜日で私学の学校の多くはオープンキャンパスを実施していたので、都合がいいだけだ。それにバスを借りてという説明会は本当に実施される。
土曜日に茜は黒子よりも先に家を出た。黒子には遠くの学校から行くのだと説明をした。
自宅から約1時間を掛けて来たのは帝光中学校からほど近いマジバだ。注文したバニラシェイクを啜りながら道行く人を観察する。
親子の生活圏外である其処に、茜は勿論初めて来た。
早い時間帯であり、土曜日ということもあり店員も客も疎らだ。店内に掛けられた時計を見ると手紙で告げた時間まで30分はある。
有名人である赤司征十郎に手紙を出したのは2週間前だ。本人の手に渡らない恐れがあるけれど、それ以外に接触する方法は無い。自分のことは伏せて、ただ黒子テツヤの存在を臭わせる文面の其れは怪しいだけのものだろう。住所だって調べてみれば嘘っぱちのものだと分かるだろう。もし来なくても其れは赤司には何の落ち度も無いと茜は自身に言い聞かせる。
今更ながら、緊張が湧きあがる。
一方的な約束を取り付けたのだから来なくても仕方は無い。むしろ来ないのが当然であると考えるべきである。だというのに、茜は来てほしいという期待をしていた。
どれ程時間が経ったのか分からない。けれども約束の時間は刻々と近付く。
「キミが、手紙をくれた子かい?」
声を掛けられ顔を上げた茜に、驚いたように眼を見張るのは、自身と酷似した、おそらく10数年後はこうなるであろう姿だった。
「初めまして」
何か言いたげな赤司に茜は緊張で爆発してしまいそうな心臓を叱咤し、もつれそうになる舌を動かす。
「黒子茜と申します」
「黒子、というと」
「黒子テツヤの息子です」
傷付いたような納得したような複雑な色をした眼を伏せて赤司はコーヒーを啜る。茜の想像ではもっと驚くかと思っていただけに、拍子抜けする。尤も赤司が驚かなかったのは数週間前に緑間からそのことを聞かされたからだ。これが事前無しであればもっと驚きを露わにしていただろう。
「来ていただいてありがとうございます」
「あんな手紙を貰ってしまってはね」
「それでも、不気味な手紙だと思ったでしょう? だから、ありがとうございます」
自分と同じ顔の造りに其処まで言われてしまうと、あの赤司もついどうしたものかと思ってしまう。それを押しとどめて、赤司は言いだしにくいように、それでも決意したように本題である事を口を開いた。
「テツヤは、元気かい?」
「はい。俺の知る限りでは病気らしい病気をしていません」
「・・・良かった」
安堵の息を吐き出す赤司の表情がふと和らぐ。茜はそれを見てこの人も緊張していたのかと思う。
たった十数分の出会いであるけれど、赤司がその子どもが黒子の息子と名乗るにはやや大きいと思うのは仕方ないことだ。小学校の高学年になりそうな子どもと黒子の年齢を考えると、10代の時の子だと赤司は考える。しかしそれを考えると黒子は自分と付き合っている間にも、誰かと関係を持っていたのかという結論に至ってしまう。考えても埒があかないそれを切り出す。
「君の母親は、どうしてる?」
「いません。父は結婚も一度だってしていません」
「亡くなったのか」
「いえ、そう言う訳ではありません」
意味が分からないような赤司は、訝しがるように茜を見る。
「俺を産み育てたのは、黒子テツヤただ1人です」
赤司の中で一つの可能性が浮かび上がる。けれどもそれは、限りなく低いものだ。それに構わず茜は続ける。
「父は・・・黒子テツヤは、男性妊娠体です」
「・・・そうか」
そうだったのか。
一つの蟠りがほどけた。そして赤司はたった一度の行為を思い出す。自分と酷似している姿を考えれば仕方無いことだ。確証も何もないその推測で、赤司征十郎を知るものが見れば驚くべき予測だ。けれどもどうして黒子茜が赤司を訪ねたのかについては納得のいく考えだ。
「此処に来てくださったということは、赤司さんは少なからず父のことを想っていてくれているんですよね」
茜の今更な問いに、赤司は苦笑する。自身と似た容姿とその落ち着きや口調、仕草からああそうだったのかと胸に落ちた。
「10年間、テツヤ以外を想ったことなんて一度だって無いよ」
「そうですか」
少しばかりの複雑さを見せてそれに嬉しさが勝った。一息ついたようにシェイクをすする茜に赤司は懐かしさを感じる。外見は酷似ているけれど、中身や醸し出す雰囲気は10年前に記憶している黒子と同じなのだ。
「テツヤは、今もシェイクが好きなのか」
「ええ。頻繁には飲めませんけれど、好きなようです」
「あのテツヤが?頻繁に飲めないって、どうして」
「男性妊娠体の産後はホルモン調整が難しくなるんです。父の場合はそれが体温に出るようで、今でも冷え性気味なんです。無理して飲もうとするから、俺が制限をしているんです」
「そう、か」
息子に面倒を見てもらっている黒子に苦笑をしながら、知らない黒子がいることに少しの嫉妬と、そんな嫉妬をしている自己嫌悪を抱く。
「赤司さんは、父の事を」
言いずらそうに視線を彷徨わせる茜に、赤司は言葉を拾う。
「今でも愛しているよ」
自分を産み育てた人に恋愛感情を抱いていると聞けば茜も気まずくもなる。それに暫定父親である赤司の言葉だ。恥ずかしくもなる。
「今でも父に会いたいと、思ってくれますか」
「もちろん」
何の迷いも無く10年の歳月すら視野に入れずに言いきった赤司に茜は、今更ながらこの人本当に父さんのこと好きなんだなと思った。
土曜日の事務所での仕事は殆どが事務作業に費やされる。平日は取り引き先との連絡や貨物の受け取りについてと動き回っているため昼食の時間が曖昧であるけれど、土曜に限っては定まっている。茜も其れを知っているため稀に電話がかかってくることがある。
持参の弁当を広げていると、首から下げている携帯が振動した。携帯の番号を知っているのはごく一部の人で、その中でこの時間帯に電話を掛けてくるのは只一人だ。
「茜?見学会は終わったんですか?」
『うん。父さん、一緒に帰ろうよ』
「良いですよ」
『なら、駅で待ってる』
「分かりました。会社を出たらメールしますね」
『わかった』
「気を付けてくださいね」
『ありがと、仕事頑張ってね』
プツリと切られた電話に黒子は久々に一緒に帰ることができるなと喜ぶ。弁当を食べながら、そういえば茜は昼食に何を食べたのかと気になった。
会社を出る時にメールをすれば、茜から返信があった。茜はとっくに駅についているようで黒子は焦燥感にかられる。
階段を駆け上り赤髪が眼に入る。
「あか、しくん」
「久しぶりだね」
待ち合わせ場所に赴き見知った赤髪に声を掛けてから、それが息子ではない彼だと気付いた。驚いて見開かれる眼に赤司は苦笑を洩らす。
うろたえた黒子が挙動不審に周囲に助けを求めても意味は無い。顔を青白くさせる黒子に赤司は手を伸ばす。黒子はその伸ばされた手にびくりと震えた。目敏くそれに気付いた赤司は手を引っ込める。
「ごめん」
それが何に対してなのか、黒子には見当がつかない。だって黒子にとって赤司から与えられた全ては謝られるべきことじゃないのだ。
言いたかったことは山のようにあるけれど、赤司はそれらを飲み込む。ちくちくと痛みを訴える胸を押しこむ。
「謝って済むべきことじゃないな」
「何のことですか」
1人自己完結している赤司に黒子はついていけない。それどころか、現実逃避のように此れは白昼夢では無いのか幻覚ではないのかと考えていた。
触れようとして引っ込めた手をコートのポケットに入れて赤司は綺麗に笑う。
「テツヤのことを、これからも想うことは許してほしい」
返事も聞かずに、雑踏に溶け込む赤司の後ろ姿を、口をぎゅっと引き締めて見つめる黒子にひょっこりと現れた茜は声を掛ける。
「父さん」
「あかね」
黒子は、現れた姿に安堵しながらも、その姿に動揺をした。10年前を錯覚しそうになる。
「父さんは何時だって俺に後悔だけはしないでほしいって言うよね」
「ええ」
「でも、本当に後悔をし続けているのは父さんでしょう」
茜の言葉に黒子は言葉を失う。
まさに茜の言う通りだった。家を追い出されたことも、両親に勘当されたことも、茜を産んだことも、何も後悔はしていない。けれどもたった一つ、胸にしこりを残しているのは赤司のことだった。
見透かしたように、茜は続ける。
「父さんが俺の幸せを願ってくれているように、俺だって父さんの幸せを願っているよ。父さん、今赤司さんを追いかけなくちゃ一生後悔するよ」
じわりと涙を滲ませる黒子に、茜は苦笑を洩らす。
「追いかけて、父さん」
その言葉を背に黒子は駈け出した。
10年間、殆ど運動らしい運動をしていない。引きつりそうになる喉を絞り出すように叫ぶ。
「赤司くん!」
どうか、振り向いて。