ピリオド

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 時代錯誤の巻物から絢爛豪華な装飾が施された異国語の本、はたまた何時だったかに寺小屋で読んでいたようなもの、と黒子テツヤの仕事部屋には所狭しと本が散乱していた。一応、彼なりに本の並びには規則性があるようにも思われるのだけれど「締め切り間近」らしい黒子センセイにはそれらを戻す余力も無い程に追われているらしい。だからこそ、同郷の好である青峰が共通の友人である桃井から「テツ、キケン」などという心臓を停止させるのではないかという電報を飛ばされたのだ。


「テツ、メシは?」
「はい」
「何日ぶりに食う?」
「はい」

 まるで会話出来るような状態ではない。恐らく2、3日程度は食事を忘れているだろうし、風呂も忘れているだろう。青峰は思わずため息をついてすっかり手慣れたように黒子宅の調理場で粥を作り始めた。
 その体躯に似合わず、青峰という男は細かな作業は得意だった。というより、人並みに出来ていた。幼少時に毎日のようにつるんでいた同郷の幼馴染のうち方や女だと言うのにどういうわけでか作るものは有毒料理になる桃井に男子厨房に入るべからずという精神でもなくただの面倒くさがりな黒子を相手にして、青峰がその作業を請け負うほかなかったのだ。それが思う存分発揮されているのが現状だった。
 黒子テツヤは翻訳家としての才能が見出されてからというものあらゆる言語の書物を任されるようになっていた。心配した青峰や桃井も、黒子自身が翻訳とは言え好物ともいえる書物の世界に関われることを嬉しく思っていたため、強く止めろとは言えなかった。

 簡素な粥を作り終え梅干しを乗せると部屋まで持っていく。一度ばかり黒子に嫁でも娶るか、金はそこそこにあるらしいのだからお手伝いの一人でも雇えと言ってやったことがあった。けれども黒子といえば「今は女性に興味がありません」と「そもそも親しくも無い人に僕の生活を乱されるのは嫌ですし、僕が死んでいるということにも気付いてもらえそうにないと思います」と言われてしまい、ああもうコイツは本当にダメだと思ってしまったのだ。

「黒子っちー?生きてますか―・・・って」

 ガラリと無遠慮に開いた玄関からは、聴き覚えの無い声がした。それは当たり前のように黒子の屋敷を上がり込んだらしく声は段々と黒子の仕事部屋に近付いてきていた。青峰はガラが悪く濁音で威嚇のように応える。

「誰だお前」
「え、いや、コッチの科白っていうか、え」

 部屋の前で大柄な男が二人が混乱しているのを余所に、室内からは「終わった・・・」というか細い声がやけに大きく聞こえドサリと何かが倒れるような音がした。

※ ※ ※


 黄瀬涼太といえば、今や若い女性から多大な支持を受けている売れっ子の役者だ。基は歌舞伎出身ということもあり顔は売れていたのだけれど、彼が着こなす洋装が若い女性の注目を浴びていた。
 一見軟派そうに見える黄瀬だが、自身の外見と内面との食い違いに思い悩んでいた。歌舞伎役者としての道を究めたいという思いと、自身の見てくれだけが評価されているのではないかということだった。
 黄瀬は自身の見てくれを十分に理解していた。役者にとって見てくれは「華」になる。しかし自身はその華があまりにも大きすぎているのではないかと思い悩んでいた。そんな時だった。黒子に出会ったのは。

「役者なんて見てくれがナンボじゃないですか。貴方の其れ、どれだけの業界人間に喧嘩売っていると思っているんですか」

 その一言で黄瀬は黒子に「漢」を見た。
 黒子と黄瀬との出会いは、お互いに良い印象ではなかった。黄瀬は黒子を紛れ込んでしまった子どもだと勘違いしてしまうし黒子はそんな黄瀬に喧嘩を売る、なんて顔合わせに居合わせた関係者の胃をキリキリとさせた。
 仕事だからとお互いに割り切ってみると存外、相性が悪くないということに気付いた時には黄瀬は黒子を認めるようになっていた。
 彼の仕事に対する姿勢は自身と似た部分があると思ったのだ。

「そんなに見てくれだけで判断されるのが嫌なら、その見てくれを判断した奴を魅了できる演技をしたらいいじゃないですか」
「簡単に言うけどね・・・」
「君の演技を知っているから言うんです」

 黒子の何を考えているのかよく分からない目は真っすぐに、射抜くように黄瀬を見ている。その目がまるで黄瀬の本心まで見抜いているようで黄瀬はまるでばつが悪いとでもいうように目をそらす。

「黒子っちの目力って半端ないっすね」
「目力・・・ていうか、黒子っち・・・」

 何やら言いたげだった黒子を余所に、黄瀬はそれはもう、歓喜に震えた。それは自身が求めていた答えのようだった。なんとも呆気ないものなのだと、自身でも思ったのけれど八方ふさがりを作り上げてきた自身にはその答えを導く余裕など見失っていたのだ。
 其処からの黄瀬は恐ろしく行動力があった。今まであまりしてこなかった所謂「ファンサービス」を行い、大小問わず舞台があると知れば見にゆき勉強をしていった。そんな黄瀬の行動が実を結んだのか、黄瀬は世間からしっかりと、役者としての実力が認められていた。
 そんな人生を謳歌している黄瀬なのだが、彼の目下の目標は、筆が遅いと言われつつも仕事を常時何本も抱えている黒子の描き下ろした脚本の舞台であった。

※ ※ ※


 黒子テツヤという男は極めて凡夫な人間だった。農家の末子に生まれながらあまりにも非力で病弱すぎて農作業も手伝うことが出来ず、奉公に出した先では、彼自身にそのつもりはなくただ生来の影の薄さが原因だったのだけれど、失踪騒ぎを起こすというある種の問題児でもあった。
 そんな黒子だが、文才に関しては少しばかり突出していた。奉公先で暇を出され、それを持て余して趣味で書いていた小説がとある編集者の目を引いたのだ。ただ彼にはアイディアを練るということに時間がかかり、受賞した小説も随分と長い時間をかけて書いたものだった。それゆえに彼の文才を惜しんだ編集者は翻訳という彼にとっては未知なる分野を奨めた。
 未知というと少しばかり尻込みしたが、黒子は自力だったり編集の伝手で紹介された教師の力を借りたりで何とか翻訳家として、業界で地位を確立しつつあった。

「お前が黒子か」
「はあ、僕が黒子ですが・・・・」

 黒子の前に、幼馴染の青峰と同格程度と思われる長身の男がぬっと現れる。その男はつい最近、よく見掛けられるようになった種類の「眼鏡」をかけ、着物に鼠色のマントを纏っていた。
 男は眉間にギュッと皴を寄せており、黒子は何処かで彼と出会っているのだろうかだとか何か粗相をしでかしたのだろうかと表面上は分からずとも内心では冷や冷やしていた。

「真ちゃーんっと、此処にいたのかよ・・・って先生もいるし。あれ、二人って知り合いだっけ」

 黒子は助かったと言わんばかりの視線をお喋りな男に向けた。そのお喋りな男は、黒子が世話になっている編集を通じて知り合っていた高尾だった。

「いや、知り合いではないのだよ」
「ああやっぱりそうですよね。今、思い出そうとしても思い出せませんでした」

 一先ず自分は真ちゃんと言われる彼に何か粗相をしたわけでもなく、初対面らしいことが分かりほっとする。

「真ちゃん、先生は困ってるみたいなんだけどさあ・・・自己紹介とかしてねえんじゃねーの?」

 高尾の言葉に、男はくいと眼鏡のブリッジを上げてつかつかと黒子の近寄った。ちなみに今黒子は縁側で翻訳する本を片手に胡坐をかいているなんともだらしない姿だった。男は体勢の所為もあり、黒子に影を落とすほどに近付き見下ろしながら

「緑間真太郎、蘭学の研究をしているのだよ」
「ご丁寧に。僕は黒子テツヤと申します」

 緑間は何か言うことがあるのか、時折視線を彷徨わせながら口をもごもごとしている。しかし黒子には逆光でその様子が見れずはてどうしたものかと視線を、二人の様子が何やら彼の笑いのどつぼに入ったらしく腹を抱えている、高尾に向けた。

※ ※ ※


 久方振りの雨だった。
 傘を玄関戸に立て掛けると黒子はほっとしたかのように息を吐いた。よりにもよってどうして今日に限って降るのだろうかと思ったのだ。どうせ降るなら明日でも昨日でもよいというのに。
 玄関には見知らぬ靴がある。それは革靴で、黒子が知る限りそんなものを履いて家主が留守にしているなか侵入するのはたった一人しか思い浮かばない。黒子は気が重いまま不貞腐れたように家にあがった。

「やあ邪魔をしているよ」

 自室兼仕事部屋で着替えようとすれば、侵入者は悠々と寝転がり本を開いていた。勝手知ったるように上着を掛けて座布団を枕にしている。見た目と彼の立場から想像し辛い(目の前でされれば仕方ないのだが)その脇には小高く積み上げられた本のタワーが出来ている。あまりにもな寛ぎっぷりに黒子はつい言葉を飲み込んでしまった。

「此処はお前の田舎のように安全ではないのだから、鍵くらいかけて出かけろと言っているだろう」
「……はあ」

 黒子はその言葉を聞き流すようによそ行きの着物から普段着へと着替える。黒子は洋装の体に張り付くようなその感覚がどうにも慣れなかった。そんなものだから今時の服装というものがさっぱりだった。
 友人たちの多くは洋装を着ている中で未だ和装を好む、というよりもそればかりな中で黒子は浮いていた。(ただ友人とはいかないものの彼の仕事上の知人はそれなりに高齢である人も多いので和装は好まれていたのは幸いなことだ)

「そんなことより、君仕事はどうしたんですか」
「とっくに終わっているさ」
「はあ、それなら別に良いんですけど」

 いや、良いのだろうか。自身の言葉に首を傾げながら黒子はさて仕事をするかと机に向き合った。引出から原稿用紙と使い慣れたペンを取り出し、依頼された本を開いた。
 ざあざあと滝のような雨音が失せて、ふと顔を上げると日は暮れていた。刺すような夕日が目に飛び込む。延々と同じ姿勢で凝り固まった体を解すように伸びをする。

「ああ、終わったのか?」
「赤司くん、まだ居たんですか」

 伸びをしながら掛けられた声に返事をする。

「何か食べますか」
「……何かあるのか?」
「さあ、何かあったと思いますけど」

 自身の台所事情なんてさっぱり理解していないものだから曖昧な返事である。黒子のそんな性格と生活を理解している赤司はため息を一つ吐いて立ち上がると上着を取る。もう帰るのだろうかと思ったのだが、生憎とその気配は無い。立ち上がった赤司を見ると早くしろと言わんばかりにじっと黒子を見下ろしていた。
 黒子は訳も分からず仕事道具一式を閉じる。

「何か食べたいものはあるか?」

 どうやら食べに出かけるようだ。黒子はそういえば空腹であったことを思い出した。

「うどん、とか・・・」
「そんなもので腹が膨れるもんか。牛鍋で良いな」

 ただたんにキミの嗜好から外れていただけではないか。そう思いながらも空腹である黒子はそれもいいかと思った。小高い本の塔をそのままにして、家を出た。夜通し降るかと思われた雨は止んでいて銭湯帰りの男とすれ違った。くうくうと鳴る腹のお蔭で、黒子の頭にはもう牛鍋のことしかなかった。
 厚い雲間からは僅かながらに星が見えた。

2012/06/22
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