ピリオド

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 サンダルフォンはひくりと頬が引き攣ってしまうことを自覚した。ルシフェルはその様子に苦く、困り気味に申し訳なさそうな表情を浮かべる。
 異臭のする喫茶室に二人揃って、作ったものを前にしてどうしたものかと頭を抱える。やがて、サンダルフォンはよしと勇ましく、顔を上げた。それをルシフェルは制する。
「無理をして食べるものではない。これはどう見ても失敗作だ」
「い、いえ無理だなんて!! そ、それに、もしかしたら美味しいかもしれません!!」
 とは言いながらもサンダルフォンの両手に握られているナイフとフォークは一向に動く気配はない。さりとて、ルシフェルも咎めるつもりは毛ほどにもない。早く味見を、だなんて口が裂けても言えない。寧ろ、ルシフェル自身は如何にして意固地になっているサンダルフォンから取り上げようかと考えている程である。
 ああどうしてこうなってしまったのか。
 とても、食べられたものではない。食べ物としては見られない。出来上がったそれを見て、製作者であるルシフェルは首をかしげてしまった。どうにか美点を見出そうとしてくれているであろうサンダルフォンには、申し訳ないと思うが、美味しいだなんて可能性は微塵にも感じられない。製作者を以てしても「炭」としか思えない物質Xである。
 ややあとサンダルフォンがナイフとフォークを差し込む。
 こんがりどころか真っ黒こげな表面。サンダルフォンの喉がごくりと上下する。美食を前にしたものではない。まさにこれから戦闘に挑もうとする緊張。そして、震えであった。覚悟を胸に、汗ばむ手でナイフを握りなおした。
 さっくり、ふっくらだなんて正直なところは期待をしていなかったとはいえ、自分は一体何を前にしているのか、何を切っているのか分からなくなる。カツンカツンという音は、とても食べ物を切っている音ではない。自身の履いているショートブーツのヒールで、石畳を歩くときと同じ音である。石だったろうか。否、材料はサンダルフォンが用意をしたものだ。
 小麦粉、砂糖、牛乳、卵。
 使いなれた、パンケーキの材料である。
 喫茶室の食事メニューの調理は現在サンダルフォンが専任となっている。メニューも多くはなく、注文をする団員も限られている。当初は不慣れであったものの、調理には慣れた。現状において、問題は生じていない。しかしルシフェルは常々、サンダルフォン一人の負担になっているのではないかと不安に、心配をしていた。
 喫茶室ではルシフェルもカウンターに入り、珈琲を淹れることは多々ある。ルシフェルの珈琲は団員からも評判である。サンダルフォンが我が事のように嬉しそうにしている姿は微笑ましいものであった。だが、調理に関しては一度も触れたことがなかった。抑々天司として飲食という行為は、本来は不要であり珈琲は嗜好品として好んでいたものであった。食事、という行為も騎空艇に身を寄せるまで恒常的に摂取をすることはなかった。暫くの空の民の営みに身を置いて、味覚にも自信がついた。
 私にも料理を教えてくれないかとサンダルフォンに頼んだのはつい先日のことであった。
「俺がルシフェル様にお教えできることなんて、あるとは思えないのですが……。それに、俺よりもよっぽど料理上手な団員がいますよ?」
「いや、私が知りたいのはサンダルフォンが作る料理の味だ。君以外には務まらない」
 団長がいればすごい口説き文句だと黄色い声を挙げそうな台詞だがルシフェルは真面目に言っている。サンダルフォンはあまり自信がないものの、そこまで言われてしまえば、俺でよければとおずおずと引き受けてから、今日が初めての料理教室であった。
 サンダルフォンにとってルシフェルは万能である。知らないことは何もなくて、何でも出来る。出来ないことなんて何一つないと信じている。否、信じていた。
(調理過程にはなんの問題もなかったはず、だよな。初めからパンケーキは、難易度が高かったのか?)
 団員たちにそれとなく聞いた限りではパンケーキの難易度が低かった。サンダルフォンも、作るのに一番に慣れた料理である。時間もかからない。失敗をしたところで、たかが知れた程度である。はずであった。
 恐れ多くもサンダルフォンが指導をした。分量は説明をしながら一緒に量った。混ぜ方や火の加減、フライパンに落とすタイミング、返すタイミング、全て完璧であったはずだ。サンダルフォンが一人で作業しているときと何ら異なる点は無かった。
 だというのに──。
 過程に一切の間違いはなく、問題は無かった。サンダルフォンも、ルシフェルも何故このような物が出来上がってしまったのか、生まれ出てしまったのか分からない。
 どうにか、一口分を切り取ることが出来たそれをフォークで突き刺す。ぽろぽろと表面が零れたが、また新たな黒面が覗く。果てが無い黒である。
 甘い香りなんてどこからもしない。
 辛うじて、香ばしい──否、焦げ臭い。
「無理をすることはない」
「い、いただきます!!……うっ」
 ルシフェルの制止を振り払い、ええいままよ!! と勢いよく、頬張る。
 まず、口の中に広がるのは苦味だった。慣れ親しんだ香ばしさとはかけ離れた、渋くじっとりとした何かが舌と口内にまとわりつく。ぼそぼそと口の中に広がっていき、唾液なんて無意味といわんばかりに、飲み込めず口の中に居座り続けて、えぐみを巻き散らかす。次いで、焦げ臭さが口いっぱいに広がる。
 サンダルフォンは平気な素振りをして必死に口をもごもごとさせているものの、額と米神からは隠し切れない動揺のように、じんわりと汗が噴き出ていた。ルシフェルはそっと用意をしていた水の入っているコップを差し出す。サンダルフォンは、大丈夫ですいらないです、とはとても対応できずに、申し訳ないと思いながらも有難く受け取り、口の中のものと一緒に、勢いよく流し込んだ。
 居座っていた物質Xが喉を流れていく感覚に咽そうになりながら、必死で飲み込んだ。
 あれほど止められて食べた自分も悪いが、これは決して、食べ物ではない。食べ物と分類してはならない。食べてはならないものではあった。
 まだ口の中に残っているのが不愉快で、サンダルフォンはごくごくと水を飲み、ごほりと咽た。すいませんと、口にしながら水が足りずに立ち上がる。ルシフェルは微苦笑を浮かべながら、やはり自分も責任を取るべきだろうと、サンダルフォンが食べかけていたそれを一口、口に含む。
「うん……これは、ナンセンスな味だね」
 口の中も、胸も苦い。
 頼み、丁寧に教わりながらも出来上がったものがコレとは。
 一時的に肉体を喪ったとはいえ、長い時間を生きてきたというのに全くの未知の味であった。炭ですらない。ルシフェルはどうしてこうなってしまったのだろうと疑問を抱きながら、サンダルフォンが用意をした水を有難く受け取り、口の中でざわざわとしているものを流し込んだ。

2020/04/21
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