ピリオド

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 喫茶室が設置されているグランサイファーは、特異点率いる騎空団が有する騎空艇である。ルシフェルとサンダルフォン、背景は人ならざるものであるが、グランサイファーに同乗している身は一団員に過ぎない。天司だ、星晶獣だ、王族や貴族騎士侍、果てには盗賊とその立場地位は騎空艇に身を寄せている間は一切関係がない。よって団長に声を掛けられれば依頼に赴くし、意見を求められれば応え、持ち回りの掃除当番や洗濯当番に文句を言ってはならない。とはいえ、二人の境遇を知る団長も気を利かせており、依頼に赴くときにはルシフェルとサンダルフォンを同時に編成していた。その編成に対して他の団員からは贔屓だ、何だと言う意見は上がらなかった。約束を守るためにという一心であったサンダルフォンを間近で見てきたのだ。団員たちはなんだかんだで、身内に甘くなってしまう。団長に敵意をむき出していたことを知って猶、サンダルフォンに甘い。だから、少しでも一緒に居させたいという、親切心でもあった。しかし、他でもない当事者であるルシフェルとサンダルフォンが異議を唱えた。
「きみの気遣いは有難いが、そこまで気を遣うことはない」
「バレていないと思っていたのか? ナンセンスだ」
 悪戯がばれたみたいな情けない顔で頬をかいた団長に対して、二人は微苦笑を浮かべる。団長や団員たちの気遣いが嬉しいと思うが、その親切に応えることはできない。見守られている気恥ずかしさのようなものを感じるが、有難いと思う。それでも、効率性を考えれば愚策である。
 団長が気遣うよりも、当然というべきか、二人は成熟をしている。
 かつてであれば空回り、絡み縺れていた信頼は真っすぐに、交互に伸びている。
「俺とルシフェルさまが同時に不在となれば、喫茶室が開けられないだろう」
 言われてしまえば仕方ない。
 ごめんと口にすれば咎められる。謝ってほしい訳ではないのだ。彼らなりの気遣いであることを承知の上で受け取れないに過ぎない。誰が悪い訳でもない。
 それからは状況によって声を掛けることになった。
 ルシフェルだけに声を掛けることもあれば、サンダルフォンにだけ声を掛けることもある。
 新たな肉体を得て、役割も何もない命となったルシフェルにとって、空の世界に直に触れられる絶好の機会であるから、サンダルフォン曰く、喜んでいるのだという。また、天司長の力を失い絶対的な存在でなくなったことに一切微塵たりとも後悔はないものの、ただ守られるという立ち位置にあることはルシフェルの矜持が許されないらしい。肉体のスペックは以前のものと何ら変わらない。足りないものは経験だけだった。その意を汲み取ってか、団長が声を掛ける頻度はルシフェルの方がやや多い傾向にあった。
 元より喫茶室はサンダルフォンの小さな夢を叶えるための足掛かりとして、修行の一環として始めたことだった。団員からの評判も中々で、空の長旅の新たなリラックス施設として受け入れられている。今でこそ、ルシフェルと二人であるが、一人で始めたことであった。一人でも、慣れている。ルシフェルが不在の間も大きな問題はない。
 ただ、ルシフェルだけが気をもんでいるに過ぎないのだ。
「サンダルフォンを、ただか弱いだけの存在と思っているわけではない」
 言いながらも気が気でならない。臆病と笑われても、しつこいと言われても仕方のない、繰り返しである。サンダルフォンの強さを知っている。強く、気高い彼を、誰よりも知っている。故に、これはルシフェルただ一人の杞憂であり、苦悩であり、理解されない憂慮である。
 ルシフェルのいない騎空艇に残るサンダルフォンと、そして。ちらりと思い浮かべる団員。
 穏やか微笑を常に浮かべた姿。自分と同じ顔の存在。創造主であり友であった存在とは異なる存在。未知なる存在。とはいえ、彼のことを、害を成す存在として、排除すべき存在とは認識していない。団員たちからも信頼をされている。彼とは一切の面識が無かったと記憶しているが、ルシフェル自身も彼からは妙に歓迎をされている。彼自身がサンダルフォンに対して危害を加えたという知らせを聞いたことはなく、サンダルフォンからも聞いていない。それどころか、サンダルフォン自身が彼に対して苦手意識のような、不快な素振りを見せている。件の団員といえばそんなサンダルフォンの素振りなんて微塵も気にした様子もなくサンダルフォンに話しかけ、あまつさえサンちゃんなどと呼び──。
 面白くはないのだ。
 幼稚な妬みであり、羨望であると理解をしている。理解をして猶、寛容出来ない己の狭量に遣る瀬無くなる。
 決して排除すべき存在ではないのだ。ただ、ルシフェル個人の悩みである。その言動は理解できないものの、決して悪ではないのだ。どうしたものかと、思案する。持ち込まれる依頼への同行を断らず、そしてサンダルフォンの身辺を守る。手っ取り早いのはサンダルフォンを私室に留まらせることだが、ルシフェルにはその権利はない。サンダルフォンもルシフェルの言葉に、首肯することはない。ルシフェル様と呼び、敬愛の情を向けられていることは感じても、ルシフェルはかつてのように命じる立場にない。対等な関係である。そもそも、喫茶室を開けるために、依頼への同行を分けたのだ。元も子もない。
 思案を浮かべながら、すれ違いに頭を下げられるのを御する。もはやその立場にないのだから、頭を下げられる存在ではない。腕にちろちろと舌を出す白蛇を巻き付けた青年。かつて副官であったミカエルの使徒であり、ルシフェルが凶刃に斃れてから特異点たちが縁を結んだのだと伝え聞いている。私的な交流はないものの、ミカエルによく似た真面目で実直な性質ということを知っている。ふと、閃く。件の団員のパーソナルデータ。中々に、名案ではないだろうか。自画自賛。
「きみに頼みがあるのだが……」
 我に可能であるならばと仰々しく断りを入れるシヴァに、ルシフェルはひどく真剣な面持ちで口を開いた。その言葉にシヴァは一瞬ばかり驚いた顔をしながら我に任されよと強く、応える。そうかとルシフェルはまた真剣に頷き任せることを決意する。

   * * *

 喫茶室では数人の利用者が寛いでいた。サンダルフォンは島に降りないのだろうかと考えながら、それは自分も同じことかと口にせずに胸に留める。物資の補給のために寄り付けた島で、団長はといえばシェロカルテ経由から回ってきた依頼に赴き、ルシフェルも同行をした。行ってくるよと不安をのぞかせながら言ったルシフェルに気を付けてくださいねと見送ったのは朝のことである。
 何を不安がっているのか察することはできない。
 彼が不安を抱くような事件や問題は起きていない。サンダルフォンの知らないところで何かがあったのだろうかと、団長に尋ねても首をかしげていた。
「サンダルフォンが知らないことを知るわけないじゃん」
 笑って言った団長に、苦い気持ちになる。
 ルシフェルから向けられる感情を受け止めている。彼から与えられる想いはサンダルフォンを満たす。必要とされ、求められている。サンダルフォンが乞い、焦がれた願いをルシフェルは変わらずに、サンダルフォンに注ぎ続けていた。サンダルフォンは時間が掛かってしまったが、受け止めている。だから、ルシフェルに疑りを向けることはない。隠し事というものではないのだろう。
ただただ、分からない。
 団長曰く、討伐における戦闘において、問題はないとのことである。サンダルフォン自身も、今生のルシフェルの戦闘に幾度となく同行したが不安を抱くような問題点は一切見られなかった。もっともサンダルフォン自身は本来の、かつて天司長であったルシフェルの戦闘を一度として目にしたことは無いために彼の、かつてとの差異に対する苦悩に共感は出来ない。
 ならば騎空艇の生活に思うところがあるのだろうか。サンダルフォンも、共同生活というものに不慣れで、慣れるのには時間を費やした。研究所にいた頃にはルシフェルとしか接することは無かった。研究者を除けば、他者との接触は禁じられていた。サンダルフォンという存在を秘匿するための措置であったのだろうと、今でこそ思うのだ。また、共闘を持ち掛けた身であるから口にはしなかったものの、そもそも本来空を飛べる身でありながら、騎空艇という乗り物に身を寄せることも屈辱に感じたのだ。ぐらぐらと揺れる床に内蔵が浮き上がる不快感で何度も薬箱の世話になったものだ。薬箱の偉大さをサンダルフォンも認めている。今でこそ騎空艇の旅には慣れた。とはいえ、悪天候であったり、気流の激しい空域であったりを飛行する際には寝たきりになってしまう。
 長らく顕現をすることもなかったルシフェルには無理強いであっただろうかと考える。今でこそ空の民の営みに溶け込んでいるルシフェルであるが、目を覚ました直後はまだ天司であった頃の意識に引きずられるように、飛んだ方が早いだろうと欄干に足を掛けたりと無茶を見せたものである。そういえばそうだった、と何てこともないように口にするルシフェルに肝を冷やした数は数えきれない。思っていたよりも、完璧ではない人なのだろうかとサンダルフォンは思ったのだ。
 何か手助けは出来ないだろうかと考えながら、下げた皿を洗う。
 正午を回りうとうととした微睡む空気が立ち込めていた。開店祝いにと、団長たちに贈られたレコードプレイヤーから流れている穏やかな曲が、より一層と、睡魔に誘おうとしている。主調理室での食事を取り損ねた団員たちも食事を終えて、一服をしてから部屋を後にした。島に降りるなり、趣味に没頭するなりと、各々の時間を過ごすのだろうと、サンダルフォンも新たな珈琲の研究をしようかと考える。しかし、まだ客がいる。一人厳つく、静かに佇むシヴァに何かあったのだろうかと、視線を向けた。
 喫茶室への戸惑いがあるわけでもないはずだ。なんせ、シヴァが喫茶室を利用することは初めてではないからだ。ガブリエルに連れられたミカエルに伴うこともあれば、使徒という繋がりでブローディアやエウロペ、グリームニルとテーブルを囲っている姿も見かけた。個性はそれぞれ突出している。しかしあれでいて4人は仲が良いらしく、その会話はグリームニルがひとりはしゃいでいる様子はあれども、4人共に楽しんでいるようだった。天司として造られたサンダルフォンよりも年若いとはいえ、星晶獣として永く生きている彼らであっても、空の民の生活は驚きと戸惑い、発見の連続であるようだった。
 シヴァの目の前には注文をされた珈琲がある。特別に好んでいる様子は見られないが、嫌悪している風でもない。使用した珈琲豆も、淹れ方も何時もと変わらぬものであると記憶している。しかし、今日に限っては数回、口にしたきり減る様子はない。
「どうかしたのか?」
 珈琲がまずかったのだろうかと問いかけたサンダルフォンに、シヴァが厳めしく言い切る。
「……我は任務を遂行中である」
「そう、か」
 シヴァの腕に巻き付いた白蛇、ナーガラージャがちろちろと舌をだしている。仰々しい物言いと、任務とは一体なんのことだろうか、珈琲に関わることならば力になれるだろうかと、首をかしげるサンダルフォンを前にしても泰然と冷めた珈琲を口にするシヴァはそれ以上の言葉を持たない様子であった。
じりじりと向けられる視線に、ちらりと入口を見る。
 恨みがましそうな視線が、何かを期待しているようにサンダルフォンに注がれる。しかし、その視線に応えるつもりはない。入りたいならば、入ればいい。今更、サンダルフォンとて拒絶をすることはない。喫茶室に踏み入れられない理由に目途はついているものの、サンダルフォン自らが排除する謂われはない。
「……む。ナーガラージャに珈琲は」
「やめておけ」
「そうか」
 ちろちろと舌を出しながら珈琲カップに顔を近づけようとする白蛇を、シヴァは優しい手つきで咎めた。ナーガラージャが自然生物としての蛇ではないにしても、珈琲はあまり体に良いものではないだろう。
 そんなやり取りを、恨みがましく、情けない顔で見つめてくる男の視線に、サンダルフォンは歎息をもらした。あの御方と同じ顔で、なんて情けない顔を晒すのかと詰りたくなるのを耐え、ルシフェルの帰還を心待ちにする。依頼を終えた後、そのまま依頼主に報告をする手順だと聞いていた。帰りに珈琲豆を買ってくるよという言葉に少しだけ心が躍ったのだ。
 喫茶室には客に出すようのコーヒーカップとは別に、私用の揃いのデザインのカップが二つ置かれている。
 待ち遠しさに、そっと口角をあげる横顔を眩しそうに見つめた。しかし、部屋には入れず口惜しむしかない。そんな姿に訝む視線が向けられるものの、声を掛けるものは誰もいなかった。

2020/04/16
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