ピリオド

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 長閑な昼下がり。なだらかな空域に入り、穏やかに飛行を続ける騎空艇の喫茶室の扉には、準備中の札が掛けられていた。室内には部屋の主であるサンダルフォンとルシフェルの二人だけであった。サンダルフォンはきまずそうに佇み、ルシフェルは穏やかに座り、その目はきらきらと輝いている。
 室内には甘い香りが立ち込めていた。
 それは、二人の雰囲気によるものではない。物理的なものである。テーブルの上に所狭しと並ぶアップルパイやワッフル、シフォンケーキ、などなど。サンダルフォンお手製の大量のスイーツから発せられていた。
 頭が痛くなるほどの甘い香りと、果物の酸っぱい薫り。
 メニューに加える軽食は決まっていた。サンドイッチだ。レタスとトマトを挟んだものと、卵をマヨネーズであえたものにチーズを挟んだもの。シンプルでオーソドックスだからこそ、珈琲に合うし、何より人を選ばない。作る手間がそれほど掛からないことも大きい。団員からの注文もまずまずであるから、反応も悪くはない。
 軽食を作ることにも手慣れてきたところで、持ち掛けられたのだ。
「喫茶店なら、もう少し軽食を加えてもいいんじゃないかしら?」
「ならやっぱり甘いものよね!!」
「ふふ……そうね、甘いものだったら珈琲が苦手な子たちでも手を出しやすいんじゃない?」
 もぐもぐとサンドイッチを食べているイオとその様子を微笑ましそうに見つめていたロゼッタの提案にサンダルフォンも一考する。いずれは、喫茶店を開きたいという夢がある。珈琲とサンドイッチだけ、というのは聊か難しいものであるということは、降り立った島で喫茶店を研究がてらに覗いてから、実感しつつあった。
 サンダルフォン自身は珈琲牛乳を作ることに抵抗が無くなったとはいえ、やはり、珈琲本来の味わいを楽しんでもらいたいと思っている。甘いものと一緒であるならば苦手にされがちな苦味もマイルドになるだろう。珈琲本来の味に興味を持つ一歩になる可能性を感じられた。
 甘いものと苦いものの組み合わせは鉄板である。
 甘すぎを引き締める、あるいは苦味を緩和させる。
「…………甘いもの、か」
 サンダルフォンは甘いものをそれほど好まない。好む前に、珈琲の苦味に慣れてしまったこともあり、どちらかといえば、苦手な部類になる。空の民の文化としてハロウィンやバレンタイン、というイベントを経験して甘味を口にする頻度も増えたが、やはり、自ら好んで摂取することは多くはない。
 今まで立ち寄った島の喫茶店には確かに甘いものがメニューにあったな、ということを思い出す。足を運んだ喫茶店で、サンダルフォンは珈琲ばかりを飲んでいたが同行者である彼は色々と注文をしていたなと思い出す。肉体を得てからなのか、ただ単純な興味なのか食事という行為を楽しんでいるようだった。サンダルフォンは彼の人が、今生を謳歌しているならば何よりであり、至上であった。
「たとえば、どのようなものがある?」
「うーん……アップルパイとか、パンケーキとか?」
「あとはワッフルやシフォンケーキあたりかしら」
 具体例を求められたものの二人もあやふやだった。喫茶店ならではの甘いもの、というカテゴライズは難しいらしい。ただキラキラと何かを期待している視線のイオと、その彼女を見守っているロゼッタの視線に、サンダルフォンは仕方ないと言わんばかりに
「あまり、期待はしないでくれ」
 とは言ったもののやるからにはと、サンダルフォンはレシピを片手にキッチンに籠り、彼女たちがリストアップしたものを作り出した。アップルパイにパンケーキ、ワッフル、シフォンケーキ。それから、確かあの店にはと思い出す限りのものを作り上げていく。フレンチトーストやチョコレートパフェ、イチゴのケーキ、チョコレートケーキ。サンダルフォンは料理が嫌いではない。だからどんどんと、作っていくうちに火がついていった。珈琲の研究を趣味とするほどに、元来真面目で凝り性な性質である。ある種の研究者気質でもある。ただレシピを見て砂糖の量にたまげた。こんなに入れたら、体に悪い上にいくら何でも甘すぎるだろうと、加減をして作り出していく。
「……作りすぎた」
 サンダルフォンは項垂れる。飛行中で食料に限りがあるというのに、何をしているのか。何より、これらはどうやって処理をしようかと頭が痛くなる。自分で処理をするしかないと腹をくくる。なんせ、味見は必要である。
 アップルパイを手に取る。つやつやと輝く表面から、リンゴの甘酸っぱい香りとシナモンの特徴的な香りがした。包丁を入れ込んだ。切り方が正しくなかったのか、ざくりとひび割れて、不格好になってしまった。まだ、試作段階だからと言い訳をしながら、切り分けたアップルパイを一口頬張る。自分で食べる分には、問題がないように感じる。しかし、果たして提供をするものとしては及第点なのだろうかと不安になる。味覚音痴ではないと自負しているつもりであるが、甘いものが苦手であることも自覚済みである。しかし、求められているものは甘いものである……。
「良い香りがするね。きみがつくったのかい?」
 団長に声を掛けられ、席を外していたルシフェルが帰ってきたことに、サンダルフォンは慌てて口に含んでいたものを呑み込みお帰りなさいと声を掛けた。それから、事情を説明する。
「新しくメニューに加えようかと思って作ったんですけど……自信がなくて」
 テーブルの上に所狭しと並べられた皿の上。ふっくらと焼きあがっているパンケーキにはバターとメープルシロップが掛けられている。ワッフルはこんがりと焼き上げられてバターの甘い香りが立ち込めていた。切り分けられていたアップルパイはさくさくとしていて、どれも、美味しそうに映る。
 きゅうと胃の臓腑が空腹を訴える。
 昼食を取ってから時間は経っていない。団長と話をしている間も空腹を感じることはなかったというのに、テーブルに並べられている数々の甘味を認識すると、きゅうと腹の虫が鳴いて仕方ない。自分はこんなにも食い意地が張っていたのだろかと不思議に思いながら、つい口にだしていた。
「私も食べていいだろうか?」
 サンダルフォンは躊躇う。
 まだ試作段階である。そんなものをルシフェル様に? いやいやダメだと頑なであったサンダルフォンだったが、期待を込めた眼差しが注がれては、首を振ることは出来ない。だめです、なんて言えない。
「……試食をしていただいて、良いでしょうか?」
 ルシフェルが華やかに笑う。眩しさにくらくらとした。
 サンダルフォンはトレイを手に抱えながら居た堪れなさに逃げ出したくなる気持ちを堪えながら、もぐもぐぱくぱくとブラックホールのようにカロリーの塊を吸い込んでいくルシフェルを見つめていた。パンケーキとワッフルをぺろりと平らげてからも、シフォンケーキを手に取り食べるスピートは一切落ちていない。やがて綺麗に皿は片付けられて、カチャリと、行儀良い所作でナイフとフォークを置いたルシフェルは口元をナプキンで拭う。所狭しと並べられていたスイーツは全てルシフェルの胃に収められてしまった。
 最後の一口をじっくりと味わったルシフェルが不安におろおろとしているサンダルフォンに微笑を送る。
「うん、美味しいよ」
「良かった……」
 ほっと胸を撫でおろしてから、サンダルフォンは次の言葉を待つ。綺麗に平らげられた皿に満足をした様子のルシフェルは優雅に珈琲を口にしている。本当に、美味しいと思ってくれているのだと察することができた。それはとても良いことである。サンダルフォンはルシフェルを見詰めて言葉を待つ。ルシフェルはといえば、サンダルフォンの視線を受けながらにこにことしているだけである。
「……?」
「いえ。何でもないです」
 美味しかったのなら良かったと思いながら、もやもやとした薄暗い不満が込み上がるのを感じた。醜い感情であり、なぜそんなものがと自身でも理解できない。
 アップルパイも、パンケーキも、ワッフルも何もまだメニューには加えられていない。試食をしていただいたルシフェルの、美味しいという感想を疑っているわけではない。彼の言葉は真実であり絶対である。美味しかったのだろう。嬉しくないわけではない。なのに、喫茶室のメニューとしては未だ加える気になれない。
「これどうしたの?」
「とっても美味しそうです!! これ全部、サンダルフォンさんが作ったんですか?」
「君たちさえよければだが……試食をしてもらっても?」
「試食ってことはメニューに出すの?」
「いや、まだ迷ってる」
 団長とルリアに見つかってしまった。サンダルフォンは隠すことでもない、出来ないだろうと経緯を告げれば二人はにこにこ元気よくいただきますと言って食べ始める。十代半ばである食欲というものは凄まじい。つい先ほど昼食を取っていたというのに、小さな体のどこに吸収されていくのだろうと人体の神秘をサンダルフォンはひしひしと感じていた。
 もぐもぐと食べ進める二人は小動物のようだった。
「どうだ?」
「美味しいよ! けど、喫茶室のメニューにするならもうちょっと小さい方がいいかも」
「そうか」
 サンダルフォンは団長の言葉を聞いて、嬉しそうにメモを取る。その様子に試食をしていた二人は顔を見合わせる。
「きみはどうだ?」
「え? うーん……美味しいですけど、私はもう少し甘くていいかなって」
「甘味が足りないか……ありがとう、参考にするよ」
「私の意見ですよ!?」
「いや、女性の意見も重要だ。それに甘味に関しては……俺はどうも、な」
「なら試食会でもしちゃう? みんな喜んで参加すると思うよ?」
「簡単に言ってくれるな」
 呆れながら嘆息を吐き出すサンダルフォンを見て団長はけらけらと笑う。
「試食ならルシフェル様がしてくださった。美味しいと、感想も頂いている」
「ならメニューにしちゃえばいいじゃん」
「……そう、なんだがな」
 サンダルフォンは思いつめた、苦い虫を噛んだみたいな顔であやふやに応える。そんなサンダルフォンを見て首をかしげてしまう。実際に食べてみて美味しいと思う。お店の味、というよりも家庭的な味わいに思うが、それも含めて好ましく感じる。
 躊躇う理由がわからない。
「……あっ!!」
 同じく横でぱくぱくとアップルパイを食べていたルリアが何かを発見したように声を上げた。どうかしたのか、とサンダルフォンの困惑交じりの問いかけにルリアはちょっとだけ迷った素振りを見せる。言うか、言うまいかを迷ったようで、うん、と一人納得してから、おずおずと発見したことを告げた。
「これって、多分ですけど、ルシフェルさんが好きな味だなって思ったんです」
 ルリアの言葉にサンダルフォンは目を白黒とさせるが団長はなるほど、と納得をしてしまった。
「きみはどうして納得してるんだ。そもそもどういう意味だ?」
「えっと……ううん、そのままの意味なんですけど……ボリュームとか、味とか、ルシフェルさんサイズでルシフェルさん好みの味付けだなあって……思った、だけなんです」
 意気揚々と名推理と言わんばかりに説明をしていたルリアの言葉は知り窄んでいく。ルリアを見詰めていた団長は、そのルリアが見詰めていたサンダルフォンに視線を向ければ、ああ、これは仕方ないなと思ってしまった。なんせ、顔を真っ赤にして今にも沸騰してしまいそうな天司長がいたもので。
「あ、あの……サンダルフォンさん? 私がそう思っただけですから」
 ルリアが慰めるように言葉を掛けるが、サンダルフォンの耳には入ってこない。茹で上がったような顔に、湯気を錯覚する。
ボリュームにしたって、味にしたって、ルシフェルが好みそうなものだと今更に納得をしてしまった。ルシフェルはああ見えて、なのかよく食べる。加えてサンダルフォンの手料理ならばぺろりと食べてしまう。この量だってぺろりと食べてしまうだろうと、机に広がる試作品を見て思う。二人で食べても半分も食べきれていない。ケーキをワンホール、どてん、と置かれて慄いたのだが、サンダルフォンはきょとりとしていたし、まあ試食だからなと思いながら食べていた。少しだけお腹が苦しいと思ったがまだまだテーブルには試食品が残っている。
項垂れているサンダルフォンにとっては、無自覚であった。
 思えば、最初のレシピからアレンジは加えてしまっていた。砂糖をこんなに……と、甘すぎるだろうと量を加減していた。パンケーキなら、5枚くらいだろうかと重ねた。だって、ルシフェル様は何時だってそのくらいぺろりと平らげる。何もかも、基準となっている人がいた。喫茶室のメニューとして考案しながら、食べてくれる人を想定したときに、何時だって思い浮かぶのは一人だった。
 かっと、一段と、顔に血が上る。
「試食会、する?」
「する」
 項垂れてか細い声で首肯する。だってこのままでは何もかもルシフェルのためだけの喫茶室になってしまう。

2020/04/13
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