ピリオド

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 落ちていく堕天司が本音を零した。
「くそ、マジかよ」
 堕天司すら予想していなかった事態であった。
 目を覚ました其れに、理性はなかった。意識はなかった。認識はなかった。堕天司の目論見は外れた。目覚めたのは世界に反旗を翻した星の民ではない。狡知が崇拝した研究者ではない。かといって、純真な──復讐の天司が追い求めた姿でもない。その肉体を満たしているものは嚇怒。怨嗟。絶望。愁嘆。かつて滅びるはずだった運命の世界。今の彼にとってはどうしようもなく醜い。見るに堪えない。故に、破壊する。破壊しなければならない。この世界は残酷だ。この世界に■■■■■■■はいない。どこだ、■■■■■■■はどこだ。なぜこの世界を守らねばならない。私はなぜ守ろうとした。■■■■■■■のいない世界。■■■■■■■は、私が、守らなければならない。無垢で純真で、柔らかな■■■■■■■を、残酷なこの世界から守ることが出来るのは、私以外にいない。行かなければならない。堕天司を片腕で薙ぎ払った男はゆらりと立ち上がる。「■■■■■さま!」耳障り。不愉快。鬱陶しい。呼びかける声に不快感を隠し切れない男は翼を広げた。黒い翼に、はっと息を呑んだ姿に目も呉れず、■■■■■■■を求めて男は姿を消した。
「サンダルフォン、」
 不安を隠し切れない声音にサンダルフォンは気丈に、笑って見せた。全然、笑えない。ちっとも愉快ではない。楽しくはない。心配させまいとした笑みは、歪に、泣き出しそうだった。
「俺は、あの人を追う。追わなければならない。あの人を、止めなければならない」
「なら私たちも!」
「だめだ。きみたちは来るな」
「そんなっ」
「仲間じゃないか!」
「だからだ」
 サンダルフォンは言葉を区切り、特異点を、青の少女を、仲間を見詰める。不安に、サンダルフォンを案じてゆらいでいる。サンダルフォンは言葉を補う。
「連れていけない。これは、人の領分じゃない。ここまで、巻き込んでいて言うのもなんだが、これ以上は、きみたちが耐えきれるものではない」
「……絶対に、帰ってきてください」
「ああ、約束する」
「できるだけ、怪我しないでください」
「ああ、努力はするよ」
 長い葛藤の末に特異点が頷いた。青の少女がいってらっしゃいと、泣きそうな顔で見送るのでサンダルフォンは行ってくる。そう言って翼を広げて、彼を追いかける。音を超える。光を超える。空間を超える。時間を超える。サンダルフォンは、かつて敬愛した姿を追いかける。

 ルシファーは目の前で繰り広げられる戦闘を、他人事のように観戦していた。方や自身と酷似した禍々しい黒翼の男。方や清廉な純白の翼を持つ青年。眦は吊り上がっているものの、その瞳はゆらゆらとさ迷っている。
 突然だった。ピシリと亀裂が走る音が聞こえたかと思えば黒翼の男がゆらりと現れた。どこからともなく現れた男にルシファーは勿論、警戒をした。男は濁った眼でルシファーを見てその刃を振り下ろした。ああ、これが死というものか。命を狙われることは、珍しいことではなかったのだ。ただ、今日に限って、今に限って、護衛は席を外していた。そして、ルシファーの護身術程度では、どうにかできる力量の相手ではないということを察してしまった。叶わない。どうしたものかと振り下ろされる刃を見詰めながらルシファーは諦めることはしない。ただぼんやりと死を受け入れることはできない。死んでやるものか。こんなところで。無意味に死んでやるものか。まだ何もしていない。残せていない。見返していない。この空虚さを抱えたまま、死んでなるものか。ルシファーは思考を巡らせる。回転させる。世界が秒刻み、スローモーションで流れる。瞬間。ルシファーの視界は暴力的な白に包まれる。ルシファーの天才的な思考回路を以てしてもな急展開に、目を回す。目まぐるしい展開に、脳は処理落ちしたように、真っ白になった。世界が塗りつぶされる。ふと引き寄せられて、その勢いでルシファーは再び状況を把握した。白い世界は、ルシファーを守ろうとしている。ふたりは、同等の力量ではない。白い翼の青年はルシファーを守ろうとしているのもあるだろうが、それでも、力負けしていた。騒ぎを聞きつけたらしい、ばたばたと忙しない音が近づいてきた。黒い翼の男は苛立たし気に青年の腹に膝を入れて、姿をくらました。青年はかふっと咳き込みながら倒れることはなく、口元をぬぐった。
 ルシファーは感謝を口にすることは無い。それを咎めることもなく、ただ吐き捨てる。
「あんたは、ここで死ぬ運命じゃない」
「運命だと?」
 陳腐な言葉にルシファーは顔を歪ませる。

 サンダルフォンはルシファーに対して、好ましい感情を抱いたことは一度としてない。未来永劫に無い。サンダルフォンにとって、ルシファーは、恐ろしい、おぞましい、後悔と恐怖が具現したともいうべき怪物だ。そんな男を守るために存在している今の自分が、現状が、不思議でならないでいる。
「研究棟にいく」
「わかった」
 ルシファーの三歩後ろに、サンダルフォンは続く。サンダルフォンを捕えようとした研究員にまったをかけたのはルシファーだった。ルシファーの護衛として、サンダルフォンは研究所内にてある程度の自由を許されている。とはいえ、ルシファーは四六時中狙われていて、サンダルフォンの自由なんてあってないようなものだった。殆どルシファーに付きっ切りである。ルシファーもサンダルフォンを鬱陶しがる素振りはない。なんせルシファーにとってサンダルフォンは空気のような存在だ。あって当然。なくて不便。ルシファーにとっては都合の良い存在であった。
 ルシファーの研究にサンダルフォンは口をはさむことはない。咎めることはない。だって仕方のないことだ。ルシファーを守るということは、そういうことだ。
 サンダルフォンは理解していた。
 なぜ、彼が過去に渡ったのだ。
 執拗にルシファーを狙うのか。
(なかったことになんて、させやしない)
 願ったことだった。もしも。たら。れば。想像しては、馬鹿馬鹿しい、あり得ないと制止をかけた。虚しいからだ。どうしようもないからだ。自分の力があれば、天司長の力があれば出来ると理解していても、実行しなかったのは、してはならないことだと理性があったからだ。悲しみも、苦しみも、後悔も、すべてを抱えると決めたのだ。だけど彼はその理性がない。少しだけ、嬉しいと思った自分に呆れた。今の彼の世界に自分は映っていない。だけど彼の行動の底には自分がいる。だけど、その結果として、世界が壊されることはあってはならない。だって約束をしたのだ。世界を守ると。だってルシファーがいなければ、あの人は存在しない。そんなことって、絶対に、あってはならない。だからサンダルフォンは、ルシファーを守る。

title:酷白。
2019/11/30
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