ピリオド

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 サンダルフォンは可愛げがないと自負している。ガラガラとなる玩具のなにが楽しいのかわからない。おむつを替えられる屈辱ったらない。乳房ではなく哺乳瓶での食事だったことはサンダルフォンにとってこの上ない幸いであった。
 だから美麗な幼馴染三人が、なぜ自分に構うのか不思議でならない。
 常人が聞けば頭がおかしいと思われるような所謂、前世という記憶を持つサンダルフォンにとっては三人が三人に因縁があって、物心ついたときには記憶が戻っていたサンダルフォンは居た堪れない気持ちであった。幼少期は幸いなことに三兄弟に記憶が戻ることはなかった。だからサンダルフォンはちょっとだけ気まずいと思いながらも手間のかからない隣の家の子ども、として接していた。
「サンダルフォン、ほんをよんでやる」「だめだ、サンダルフォンはわたしといっしょにちゃをするのだから」「なに言っているんですか。サンちゃんはこれからおひるねのじかんですよ」
 記憶がないくせに、元来の強烈な性質はそのまま引き継いでいるらしい三兄弟によるサンダルフォンの取り合いは日常であった。それを彼らの母とサンダルフォンの母は微笑ましそうにみているだけだ。実際に、サンダルフォンの心情を除けば微笑ましい光景である。
 本を読んでやると尊大な物言いのルシファーは次男でありサンダルフォンにとっては諸悪の根源ともいう男であった。お茶をすると言っている末っ子のルシフェルとはしがらみもなくなったもののサンダルフォンにとっては敬愛してやまない存在であることに変わりはない。お昼寝の時間と言いながら、ちゃっかり自分のブランケットを手にしている長男のルシオとは騎空艇に身を寄せてから、そして騎空団が解体をしてからも散々に付きまとわれて、結局、生きていた時間の中で最も長く過ごした男である。そしてサンダルフォンはルシオは記憶を所持しているのではないかと疑っていた。幼少時に散々に三兄弟に甘やかされたものの、サンダルフォンは彼らに対して余所余所しく対応してしまう。彼らはそんなサンダルフォンの態度に、隠そうとしているものの、ショックを隠せないようだから、申し訳なくなるのだ。
 だけど無理なものは無理だった。
 まずルシファーの読み聞かせなんておそろしいったらない。たとえ手にしているものが有名な絵本だとしてもだ。ルシフェルに記憶がないとは分かっていながら、膝に抱えられるなんて不敬と羞恥で消え去りたくなる。ルシオに子守歌とおなかをぽんぽんされながら寝かしつけられる屈辱は計り知れない。決して素直ではなく可愛くない対応をしていたというのに、三兄弟はサンダルフォンを可愛がることを止めなかった。サンダルフォンが教育機関に通う年齢になってから更に過保護に拍車がかかった気がしてならない。
 真新しい制服に身を包み、体よりも大きく見える通学鞄を背負ったサンダルフォンに三兄弟は口酸っぱく繰り返した。
「友人は選べよ、いやつくることはない。不用だ」「ひどいことをされたら私に言うんだよ」「サンちゃんいっしょに帰りましょうね!」
 ルシファーはサンダルフォンが自分たち以外に心を砕くことを不愉快に感じている。というよりも、自分たち以外に必要か? と真面目に思っている。サンダルフォンの交友関係に口をはさんでは相応しくないだとか、アレと交友関係を築いてメリットはあるのかだとか言ってサンダルフォンの交友関係を破綻させる。縄張り意識の強さに昔の記憶がつい呼び起こされてしまう。何より不用という言葉に、サンダルフォンは苦い記憶しかなくて、その言葉が無意識に出ているのであろうルシファーに、今の彼に記憶はないとわかっていながら、魂の奥底に染みついた恐怖が呼び起こされる。過保護筆頭といえばやはりルシフェルなのだろうなとサンダルフォンは今更になって彼の愛情深さを知ることになる。今に考えてみれば研究所時代から不可解な出来事はあった。それまでサンダルフォンにきつい当たりをしていた研究員の姿を見かけなくなったり、肉体に負荷のかかる実験の声掛けがぴたりと止んだりと、今にしてみたらまさかな、と思うのだ。どのような報復をされてしまうのかわからず、ありがとうと言って流すことしか出来ない。けれどサンダルフォンが口を噤んだところで、ルシフェルはどこから話を聞いたのか「きみは心配することはないよ」と言ってサンダルフォンにちょっとした意地悪をしたクラスメイトや、気を引こうとした同級生になにをしたのか、意地悪に二回目はなかった。なにをしたんですか、とは聞けずにサンダルフォンは曖昧に笑って何も知らないふりをした。一緒に帰りましょうねという一見害がないように見えてサンダルフォンが同級生と遊ぶことを許さない緩やかな束縛は狡猾としか言いようがなく、やっぱり記憶があるんじゃないかとサンダルフォンはルシオに繋がれた手をほどけず胡乱な目で見上げるしかできなかった。そんなサンダルフォンの視線をルシオは穏やかな顔で、気にした素振りを見せることなく受け入れていた。
「きっと、こうして新たな生として生まれたのは主の思し召しなのでしょう」
 初等部に入学したばかりの生徒に出された、最上級生にとっては簡単な宿題を見ていたルシオが口にした言葉に、サンダルフォンは驚くことはなかった。寧ろ、やはりなと程度の感想しか抱かなかった。そんなサンダルフォンの反応はルシオにとって肩透かしであったようだった。
「驚かないのですか」
「……なんとなくだが、きみは思い出すだろなと、思っていたんだ。むしろ、今まできおくはなかったことに、おどろいている」
「そうですか。思い出した、というよりはやっと理解した、というほうがしっくりくるかもしれませんね」
 デジャブ。既視感。違和。ふとした瞬間にルシオは、昔から知っているような感覚を覚えていたという。聞いたことも無ければ触れたこともない、用途も分からぬ器具の使い方を知っていた。教わったことのない数式がすらすらと解けた。まるで見聞きしたかのように鮮明に思い描ける歴史。不思議であったがルシオはそれを気持ち悪いと思うことは無かった。ルシオにとっては何もかも、当たり前のことだった。知っていることが当然。常識。その記憶を紐解く度に、ルシオは伽藍洞だった肉体にエネルギーがいきわたり自分がルシオであると改めて感じていた。そしてああ、私はルシオなのだということを理解したのだ。預言者として作り出された自分を、思い出したのだ。
「サンちゃんはいつから?」
「……いつからだろうな。ものごころついたときには、思い出していた」
 ルシオの思い出し方をほんの少しだけ羨ましく思いながらサンダルフォンはオレンジジュースを啜った。何も知らないまま、手を差し伸べられていれば、サンダルフォンは素直に、三兄弟の好意を受け入れていただろう。しかしまあ、結局、思い出した途端に羞恥でいっそ殺せと喚く姿しか我ながら思い描けない。そんなしょっぱい顔をしたサンダルフォンにルシオはふふふと笑う。笑われる理由が分からずサンダルフォンが顔を怪訝に歪めたのは決して責められることではない。
「いえ、ね。今の私とサンちゃんにはふたりだけの秘密があるのが嬉しくて」
 心底嬉しそうに言うルシオが、どうしてそこまで嬉しがっているのか分からず、サンダルフォンは相変わらず怪訝に歪めたままずずずとオレンジジュースを行儀悪く啜った。ガチャガチャと玄関先が騒がしい。クラブ活動で一緒に帰ることが出来なかった二人が帰ってきた騒々しさだった。ルシオを見れば彼は長男としての顔に戻っていた。先ほどまで、サンダルフォンが懐かしいと思っていたのは、騎空艇でサンダルフォンをからかうように、サンダルフォンの心を乱してばかりの姿だったらしい。元役者というのは確かに伊達ではないなと少々の見直しながら、サンダルフォンは空になったグラスをことんと机に置きなおした。
 サンダルフォンが中等部に入学したとき、三兄弟は高等部に席を置いていた。留年ということばをぼそりと漏らしながらも、どうにか進学をした末っ子の姿に、サンダルフォンはやはり記憶は戻っていないのだと安堵の息を吐き出した。最も、サンダルフォンが危惧したのは、彼が記憶を取り戻さないことに対して良かったことなのか、悪かったことなのかは分からない。ただ彼に関しては記憶が戻ったあとも戻らなかったときとも変わらぬ対応であったから、サンダルフォンは戸惑う。
「……まあまあだな」
 及第点、であるらしい。進学コース学年主席の言葉にサンダルフォンは詰めていた息を吐き出してぐぐぐと伸びをする。ルシファーは眼鏡越しに、サンダルフォンの答案用紙に書き込みをしていた。前世の記憶というハンデがあるとはいえ、生きていた時代から気が遠くなる時間を経た現在の科学技術の進歩にはついていけない。魔法、という手段なんて幻想でしかない。火の元素を、なんてとち狂った回答でしかない。平たく言えばサンダルフォンは化学といった理数系が苦手であったのだ。劣等生でないとはいえ、平均点をうろうろとしているサンダルフォンに勉強を見てやると言い出したのはルシファーからだった。
 サンダルフォンは固辞した。
 ルシファーの時間が勿体ないから、大丈夫だからと言ってもルシファーは聞く耳を持たない。自分の意見の正当性を信じて止まない。こういうところなんだよな、とサンダルフォンはルシファーお手製の問題をもくもくと解くのが日課だった。日課である。サンダルフォンは毎日、ルシファーと顔を見合わせ、そしてもくもくと夕飯までの2時間弱、勉強を見てもらっている。サンダルフォンが驚いたのは、ルシファーが教えることが上手だったということだ。教師よりも分かりやすい。そしてサンダルフォンが数学や化学を苦手だということを馬鹿にすることはない。てっきり馬鹿にされて、何がわからないのかすら理解されないと思っていたサンダルフォンにとって意外であった。
「俺のこと嫌いじゃないのか」
「……面倒くさいことをいうな」
 馬鹿にしたように言うルシファーにサンダルフォンはどのような言葉にするべきだったのか分からないのだから、仕方ないだろと口を尖らせる。
「整理をしただけだ」
 ルシファーが差し出した解答用紙を見る。赤字で訂正がされており解説も添えられている。幼馴染でなければ解読できない、ルシオ曰くいっそ芸術的で、ルシフェル曰く個性的な、すなわち悪筆であることだけが唯一にして最大の欠点であることを除けば、サンダルフォン専属の赤ペン先生はわかりやすい。
「なあ、ルシフェルも記憶が戻るのか?」
「戻ってほしいのか?」
「わからない」
 考えたことがある。記憶が戻ったら、記憶があればと、考えたことがある。だけど想像が出来ない。ルシフェルの優しさをサンダルフォンは疑わない。今際の言葉を聞いたから、ルシフェルの心に触れたから、ルシフェルの想いを受け入れたから。だから、ルシフェルはきっと、どのようなサンダルフォンであっても、安寧と呼び、慈しむだろうと自意識過剰ではなく、確信をしている。そんなルシフェルにサンダルフォンはどのように向き合えばいいのか、分からない。ルシフェルを慕う気持ちは変わらず、ルシフェルは永遠の存在である。恋とも愛とも、最早境界が曖昧な感情は燻り、色も形も分からなくなった。
「あの人があの人なら、それでいいのかもしれない」
 サンダルフォンの呟きのような答えに、ルシファーは呆れた歎息を零した。
 ルシフェルがルシフェルである限り。記憶がなくても、極悪で凶悪で残酷であっても、いや、ルシフェルだからこそ、そのような外道に奔ることはなく喩えであるのだが、ルシフェルならサンダルフォンはただそれだけで良い。
 ルシファーやルシオは記憶が戻ったところでその後の生活や性格に変化は見られなかった。昔と変わらずにサンダルフォンを過保護に構う。ルシフェルも変わることはない。サンダルフォンにとって、やはり、甘えづらくはあり恐れ多くある存在であるが、サンダルフォンはその優しさを無碍にすることはできず、そして否定することもない。
 ルシフェルの記憶は戻らないようだとサンダルフォンが確信したのは高等部を卒業する間際になってからだった。流石にこれだけの時間があり、ルシオやルシファーが記憶を取り戻して、サンダルフォンはちらりとだけ期待なのか、危惧なのか、もしかしたらと思ったのだ。結果として、どうやら彼は戻らないらしい。そもそも、何を基準にして記憶が戻っているのか分からない。ルシオはだんだんと取り戻したようであったし、ルシファーはふとした瞬間にフラッシュバックしたという。サンダルフォンは最初から自我が芽生えたあたりで記憶を所有していた。共通点は不明だ。
「サンダルフォン、久しぶりだね」
 しんしんと雪が降り積もる中、校門に立っていたのはルシフェルであった。久しぶりに会うとはいえ見間違えることはない。高等部を卒業して、実家を出てから数年が経つ。高等教育機関に通いながら企業もしたという話を親伝いに聞いた。忙しい様子で、夏の長期休暇の間も帰省した気配はない。無茶をしていないだろうかと、自分が心配することも烏滸がましいだろうかともじもじとするサンダルフォンにルシファーは不快な顔を隠さずに、問題用紙を増やした。サンダルフォンは絶望した。ルシファーのお陰で成績はうなぎのぼりで試験結果の順位でいえば上から数えた方が早いとはいえ、理数系の苦手意識は消えていない。
 サンダルフォンは駆け寄り、寒さで赤らんだ鼻と頬にどれだけ長く突っ立っていたんだと怒りたいような泣きたくなるようなまぜこぜの感情が胸を渦巻いた。ルシフェルはサンダルフォンが駆け寄ったことが嬉しいのか頬を緩ませた。
「連絡をいれてくれたら良かったのに」
「どっきり、というものだよ。驚いただろうか?」
「心臓が止まるかと思った」
 サンダルフォンは、悪戯っぽく笑ったルシフェルにポケットに突っ込んでいたカイロを渡す。ルシフェルは遠慮した様子だったから無理矢理に握りしめらせる。掴んだ手は氷のようで、それがふと、あの瞬間を思い出して、生きた心地がしない。サンダルフォンの腕のなかで失われた命の重みは、生まれ変わった今でもサンダルフォンの記憶に残っている。
「すまない、迷惑だったろうか……」
 黙りこんだサンダルフォンを、ルシフェルが気遣う。サンダルフォンは首を振る。言葉にしなければ伝わることはないのだと知っているから。
「迷惑じゃない。久しぶりに会えてうれしい。けど、こんな寒い中で、風邪でもひいたらどうするんだ。あなたはいつだって自分を省みない」
 ぷりぷりと怒るサンダルフォンに、ルシフェルが申し訳なさそうな顔をしているが、口元はふるふると震えていて笑いをこらえているのがまるわかりだ。反省なんてしていない。むっと、不機嫌になったサンダルフォンにいよいよと焦ったルシフェルが今度こそ反省したようだった。
「すまない、変わらない君が嬉しくてね」
「たった数か月で変わるもんか」
 ルシフェルは曖昧に笑った。
 サンダルフォンは詮索をすることはできなくて、ただ繋がれた手の自然なほどき方を考える。
 しんしんと雪化粧が施されたアスファルトの上を、ルシフェルとサンダルフォンの足跡が並びながら、続いてく。

2019/11/25
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