ピリオド

  • since 12/06/19
 雲一つない青空の下、手をつなぎ歩く美麗な男と愛らしい少女の姿があった。小さな町でよそ者はめずらしい。親子だろうか、それとも兄妹だろうか。なんせ、仲が良く、幸せそうな姿で、すれ違う人に幸せをおすそ分けしているようであった。
 ふんふんと上機嫌な様子を見せていた少女が、男の手を引く。首をかしげる男に少女はとある店へとずんずんと足を進める。
 甘い香りが店いっぱいに広がっている。
「いらっしゃいませ」
 ガラスケースの中にはチョコレートや生クリームで、飾られたケーキが並んでいる。へばりつくようにケースを見ている姿に笑みを浮かべて、男もその横に並ぶようにしゃがみこんだ。
「どれがいい?」
「……ショートケーキ!」
 むむむと口を窄めて、真剣な顔でガラスケースを吟味する。真剣に悩んでから、少女はこれだと言わんばかりにショートケーキを選んだ。
「注文を良いだろうか」
「はい、ショートケーキね。お兄さんは?」
「私は……そうだな……あまり、甘くないものが好ましいのだが……」
「そうだねえ、甘さ控えめとなると……ティラミスはどうだい?」
「なら、それで」
 ラッピングをする間、少女は興味深そうにきょろきょろと店内を見渡していた。男は触れてはいけないよと注意をすることはなく、微笑ましそうな顔で少女を見守っていた。保護者としての責任を放棄しているわけではなく、少女が悪戯に商品に触れることはないとわかっているからだ。
「可愛らしいお嬢ちゃんだね」
 はっと、声を掛けられたことに驚いたらしい少女が子猫のようにびくりと飛び跳ねるように、青年の足にしがみついた。青年は少女の柔らかなねこっけを撫でながら、
「サンダルフォン……すまない、人見知りなんだ」
「いいのよ。お兄ちゃんと旅行? いいわねえ」
 店員のがうふふと笑うが少女はぎゅっと、青年の服を掴みながら否定する。
「お兄ちゃんじゃない!」
「お父さんだった?」
「ちがう! 旦那さんなの! ルシフェルは、俺の、旦那さん!」
 癇癪を起したようなサンダルフォンの声に、店員はあらあらと言って笑う。どうやらそういったごっこ遊びと思ったようだった。ほっと、ルシフェルは胸を撫でおろす。
「仲がいいわねえ。そうだわ、これおまけよ」
「ありがとう、サンダルフォンいこうか」
 ルシフェルがサンダルフォンを片手に抱き上げる。きゃあと喜ぶ姿がよりいっそう、稚い様子を演出するのだが、サンダルフォンのそれは意図したものではない無意識の産物だった。
「サンダルフォン、両手が塞がってしまった。悪いがきみが受け取ってくれないか?」
 サンダルフォンがケーキとおまけの入った袋を受け取る。
「……ありがと」
「お礼を言えてえらいわね。旦那さんと食べてね」
「うん、ばいばい……」
 悪戯っぽくいう店員に、袋を大事に抱えながら、サンダルフォンは小さく手をふった。

 月明りが静謐な世界を照らす。小さな町で訪れる人なんてめったにいない、と言われていたように町には宿が一軒しかなかった。訪れた二人は驚かれたように案内をされたから、それほど、よそ者とは珍しいのだろう。
 サンダルフォンベッドに寝そべり、ふんふんと上機嫌に鼻歌をうたっていた。数日前に立ち寄った国で、ストリートミュージシャンが歌っていた曲であった。気に入っていたのかと、ルシフェルは風呂上りでぽたぽたと落ちる水滴をタオルでふき取りながらその鼻歌に聞き入る。
 サンダルフォンはご機嫌な様子で、昼間にケーキ屋でおまけとして貰ったクッキーを眺めている。ショートケーキとティラミスは帰って早々に胃に収めている。サンダルフォンはルシフェルの飲む珈琲を羨ましそうに見ながら、頬張ったショートケーキに瞳を輝かせていた。クッキーのラッピングはまだ解いていない。明日のおやつにでもするのだろう。
 先に入浴を済ませたサンダルフォンは、シャツ一枚を着ただけの無防備な姿で、気まぐれに足を上下にぱたぱたと泳がせている。
 その手足はすらりと長く、昼間の稚い姿とはかけ離れていた。
 幼女と言うような年齢にはあてはまらない。かといって大人というほど成熟しきっていない。
 大人のような艶やかさと、少女らしい可憐なサンダルフォンに、ルシフェルをくらりとさせる。ごくりと生唾を飲み込む。そんなルシフェルに気付くこともなく、サンダルフォンは華奢な肢体を惜しむことなく曝け出していた。気を許しているのか、それともルシフェルに限ってという信頼であるのか。
 ルシフェルは苦く笑い、少し擡げた下心をしまい込み、その肢体にシーツをかける。冷たいシーツの感触に、サンダルフォンは少しだけびくりと体を震わせる。
「風邪をひいてしまうよ」
「それだけですか?」
 サンダルフォンの言葉にルシフェルは苦笑する。
「俺は、あなたの娘でも、妹でもありません」
「わかっているとも。きみは私の妻なのだから」
 むっとしていたサンダルフォンの眦に唇を落とす。サンダルフォンは口を窄めてじっとりとした目でルシフェルを見上げる。
「わかってますか? 本当に?」
「勿論だとも」
「……誤魔化されたりなんてしませんからね」
 言いながら、サンダルフォンは羞恥に耐えられなかったようで、シーツをがばりと被り芋虫のようになってしまった。齢を数えると気が遠くなる歳月を生きていても初心なサンダルフォンに、ルシフェルは零れそうになる笑いを押し込めてぽんぽん、とあやす。そのしぐさは子ども扱いに他ならないのだが今のサンダルフォンにそれを指摘する余裕はなかった。

 それは古くから伝わるおとぎ話、あるいは神話と呼ばれる物語。
 かつてルシフェルという天使がいた。ルシフェルは背中に六枚翼を宿し、多くの天使を率いて神の意思を汲み取り、神の命令のもと裁きを下していた。いわば、神の代行者ともいえる存在だった。
 ルシフェルは神の言葉のままに、サンダルフォンという天使を作った。
 サンダルフォンはルシフェルの番として、女性体として生まれた。サンダルフォンは、美しい少女の姿をしていた。残酷なまでに無垢であり、凶悪なまでに純真な少女の姿をしていた。ルシフェルはサンダルフォンに溺れた。やがてルシフェルは神の代行者としての役目を放棄した。神の命令に背き、裁きをくだすことはなくなり、地上は堕落した人間であふれた。
 神は怒り、自身の代行者であったルシフェルと、ルシフェルを堕落させたサンダルフォンから天使としての力を奪い、天から追放した。
 ルシフェルは、かつて光り輝く純白の六枚羽を宿しながら神に背いた反逆者としてその名を刻まれ、サンダルフォンは天使長を惑わし誑かした悪魔としてその名を刻まれた。
 それが、ルシフェルとサンダルフォンという悲劇の話である。
 移り行く歴史のなかで聊かの改変があったとはいえ大筋は変わらない。受け取る人々の価値観が変わったというだけだ。かつて神を絶対とする時代には二人は、恋に愛に現を抜かした愚者として悪しき教材として取り上げられた。文化運動が盛んな時期には二人の悲劇性に大衆が涙した。当人であるルシフェルとサンダルフォンはその様子を何とも言えない気持ちで静観していた。
 確かにルシフェルは天使の長ともいえる存在であり、神の代行者であった。そしてサンダルフォンはルシフェルに作られた天使である。ここまではあっている。そこからが人間の妄想による補填力のおそろしさである。
 実際はといえば、二人は追放されたわけではないし、天使としての力も宿したままだ。なぜ、追放されたことになっているのか。なぜ力が奪われたことになっているのか。二人は間違えられているのだ。時代が移り行く過程のなかで様々な神話体系が合わさり二人のものではない物語まで注がれてしまった。
 二人の記憶に間違いがなければ、今はただのバカンス中だ。
 神はルシフェルの功績を認めているしサンダルフォンについても、ルシフェルを支えている良き存在と思っている。人々が自立していく中で神はひっそりと手を引いて、人々を見守り、そして時折人々を試さんと試練を与えるようになった。そして、ルシフェルとサンダルフォンに今までご苦労だった。休暇を取ってこいとぽいと地上に投げ出したのだ。二人は神のあんまりな都合に途方に暮れながらも、休暇であるならばと俗世を楽しんでいる。もっとも、サンダルフォンにとっては当初のところ楽しむところではなかったのだが。
 天界生まれ天界育ち天界以外を知らぬサンダルフォンにとって、地上の空気は合わなかった。兵士として作られたわけではないサンダルフォンは、地上に降りることもなかった。地上の空気にならされないままぽいと放り投げられたのだ。幸いというべきか、ルシフェルの番というポテンシャルの高さを考えれば当然というべきか、命に別状はない。
 ただ、肉体が大きく変化した。
 すらりとした華奢な手足はふくふく小さく柔らかく、ほんのりと色付いた頬はまろい。くりくりとした丸い目。サンダルフォンの外見は幼女といって差し支えないものになり果ててしまった。「なんだこれは!?」と慌てふためいたサンダルフォンに対してルシフェルは冷静だった。
「幼い姿も愛らしいね」
 毒気を抜かれたサンダルフォンは肩を落とした。そしてこの姿になると精神も引きずられることに気づいたのは、太陽が沈み、夜になり、慣れ親しんでいる姿に戻ってからだった。サンダルフォン自身の本来の思考は出来る。ただ、そこにフィルターがかかるのだ。羞恥で悶え転がるサンダルフォンをルシフェルはきょとりとしながら見守っていた。
 ルシフェルにとっては幼い姿のサンダルフォンも、サンダルフォンであることに変わりはない。そして幼い精神性とはいえ、サンダルフォンに甘えられることは思いのほかルシフェルにとっての喜びとなった。そして神がサンダルフォンの適応変化を面白がってしまった。だからサンダルフォンがいくら「千年経ったのだからそろそろ耐性ができてもよいのでは!?」と嘆いたところで、地上にいる限りは日中は幼い姿なのだ。それこそ、神が飽きない限りは。

 もぞりと、サンダルフォンが身じろぎをしたからルシフェルはあやしていた手を止める。もぞもぞがさごそと位置を変えて、やがて、
「ぷはっ」
 顔を見せたサンダルフォンは、顔はぼんやり赤く、じんわりと汗をにじませ、それから髪が乱れていた。サンダルフォンは視線をさ迷わせてから、ううと唸って、ひんやりとしたシーツに顔を押し付けた。その姿にルシフェルは微笑ましさを感じたのだが、きっとまた機嫌を損ねてしまうだろうと長年の経験を思い出して、口にすることなく、そっと丸い後頭部を撫でるだけに押しとどめた。どうしても、サンダルフォンに触りたいのだ。
 サンダルフォンとてルシフェルに触れられることは恥ずかしいけれど、それ以上に、番として作られたのだからとか、でもそれだけではなく、サンダルフォン個人として嬉しくて、もっと求めてほしいのに、ルシフェルは未だにそれ以上の触れ合いを施すことはない。サンダルフォンは自分はそんなに女性としての魅力はないのだろうかと落ち込むこともしばしばある。番として作られ、ルシフェルの理想の天使であると言われてもならなぜ手を出さないのかと誰に聞いても答えてはくれない。ちなみに天使は実はあちこちにいたりするし顔なじみも多い。人間に溶け込み商いを営むものもいるのだ。人間が気づいていないだけで実は神秘と隣りあわせだったりする。
「ルシフェルさま、おれ、子どもじゃありません」
「うん」
「あなたに作られたけど、娘でもないし、後から作られたけど、妹でもありません」
「わかっているとも」
「あなたの番です」
「そうだ、きみは私の番だ」
「だったら、」
「サンダルフォン。明日は朝市に行くのだろう? もう寝よう」
「……誤魔化し方が下手」
 サンダルフォンはぷくっと頬を膨らませてしかたなく、ため息を吐き出した。ルシフェルは内心で、ごめんねと思いながら立ち上がり、後頭部に口づけを落とした。それからランプの灯りを絞る。サンダルフォンは膝を抱えて恨みがましそうな目でルシフェルを見上げるが、そっとベッドを横にずれる。一人分開いたスペースはルシフェルのためのものだ。
 一緒に眠るのに、これ以上のふれあいがないなんて。何度、夜中に話だけは聞いた悪戯をしかけようと思ったことかわからない。だけどルシフェルに抱きしめられとくとくと心臓の音を聞いているうちにサンダルフォンはうとうととまどろみ、深い眠りの世界についてしまう。いっそこちらから襲ってしまえばいいのではというルシフェルが聞けばちょっと渋い顔をする(けれど拒まない)行為は実行に移されずにいる。
 ルシフェルとて欲はある。天使とはいえ、番があてがわれた以上、そういった行為は可能であり、その行為を下品で罪とも思わない。いつかいつかと思っているうちに、気づけば千年以上が経っている。いくら命に限りがない天使といえどもさすがにと、知人からもぼやかれている。
「ん……」
 肌寒いのだろうすり寄ってきたサンダルフォンは、収まりのよい場所をみつけたようにルシフェルの腕のなかに収まる。
(小さい)
 すっぽりと包み込めてしまう小ささが、そこにあり、ルシフェルの傍らを安息に思っているというだけで、ルシフェルは何もかもがうやむやに、満足してしまう。
 腕の中の温もりと朝市で何を食べようかと考えているうちに、
「おはようございます、ルシフェルさま」
 幼子らしい、そして朝故にすこしだけ舌足らずな声とぺちぺちと小さな刺激にルシフェルは目を覚ました。くりくりとした目がルシフェルを見つめている。昨日着ていたシャツはすっかりずれおちている。元の姿でも大きいくらいだったのだ。今の姿ではすっぽり隠れてしまうだろう。
「きょうは朝市にいくんですから!」
 楽しみなのだろうキラキラと瞳を輝かせるからルシフェルは朝から胸がいっぱいになる。小鳥のちゅんちゅんという囀りが呆れたようにも聞こえるが、きっと思い込みである。

2019/10/19
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