ピリオド

  • since 12/06/19
 たまたま、見かけた二人はお似合いだった。すれ違いに、羨望の視線を一身に浴びている男女。柔らかく微笑んでいる彼に、女性は慈しむように微笑みを向けている。彼らは向けられる視線に気づいた素振りもなければ、気に掛けるような素振りもなく、颯爽と立ち去って行った。彼が手にしていた紙袋にはブランドに疎い自分ですら知っているような有名な女性ブランドのロゴが印刷されていた。彼女への、プレゼントだろうか。
 理想のカップルというのだろうと、納得をしてしまった。妬みや嫉みなんて感情を抱くことも無く、どうして自分ではないのだろうと悲哀に暮れることもなく、驚くこともなく、ただその光景を驚くほどあっさりと、受け入れてしまった。自分でも不思議なほどだった。「私」の恋はあっけなく終わった。自ら終わらせたのだ。
 縋り付くこともできず、想いを告げることも出来ないまま、結果を突き付けられた。惨めになりたくない。傷つきたくない。諦めてしまえば、傷つくこともなく、惨めにもならない。
 自分が傷つかないようにと、言い訳の理由を探している。
 惨めになることのないようにと、逃げる理由を探している。
 どうしようもなく、弱く、卑怯でしかない。
 強がることだけは得意な弱虫。
 そもそも、当然のことだ。彼は、誰からも愛される人で、誰にも優しい人で、誰よりも美しい人。そんな人に恋人がいるなんて、当然じゃないか。
 見かけた二人が、恋人ではなく、ただの友人であったとしても、きっと、隣に並ぶのに「私」は決してふさわしくはない。今更ながら思い知らされる。お似合いなんて言葉はお世辞にも言い難い。よくて、兄妹だ。それもきっと、烏滸がましいのだろうけれど。
 わかりきっていたことに、目をそらし続けてきた。あるいは、目を瞑り続けてきた。
 恋とは恐ろしい病だ。現実がみえなくなる。冷静になればわかることが、理解できることが、想像が出来ることが、わからなくなっていた。現実を捻じ曲げて都合の良い幻想を抱かせる。おそろしい。そんな病に十年以上疾患していたことに、失笑する。
 じゃきりと鋏を入れる。はらはらと床に敷き詰めたビニールの上に髪が散らばる。
 風呂場の鏡には情けない、迷子のような顔をした自分が、不格好な髪型で写っていた。片方だけが長く、歪で、不揃い。じゃきり。ばさりと、切りそろえる。
 癖のある髪質であるから、自分で切ったところで、プロの美容師には及ばないものの、違和感はそこまでに感じない。ただ、髪の短い自分の姿というのは新鮮どころか、見知らぬ他人のように思えた。

 同級生から寄せられる視線が鬱陶しい。無視を決め込んで、サンダルフォンは文庫本を広げる。集中力は高い方であると自負しているだけあって、数行文字を追いかけたところで、本の世界に没頭することができた。主人公である探偵と、そんな彼を支える相棒が難解な事件を解決する物語。犯人を追い詰めて、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。だというのに、
「……サンダルフォン!?」
「うるさい」
 流石に名前を呼ばれてしまえば、嫌でも反応をしてしまう。自分のことを指されていながら、聞こえていながら、無視をするほど、サンダルフォンは嫌味な性格をしてはいなかった。むっとしたサンダルフォンの口調に、申し訳なさそうな顔で謝罪を口にしながら、隣の席の友人は混乱をしているようだった。慌ただしく、騒々しい。通学用のリュックも背負ったままだ。
「ごめ……いや、え!? なに男の子だったの!?」
「なわけあるか」
「いやいやいや……だってさぁ……」
 てんやわんやと一人騒がしい友人に、サンダルフォンは長嘆しつつ、説明をするのも面倒くさくて、視線を窓に移した。窓に反射する自身の姿は、確かに、男に見えなくもない。
 腰まで伸ばしていたから間違われることなんてなかったとはいえ、顔は女性的とは言い難い。目じりは鋭く、柔らかな、可愛らしい女の子とは遠い。制服のスカートともちぐはぐで、セットで購入をしたズボンのほうが違和感を抱かなかった。胸も大きいとは言えないから、ブレザーを羽織ってしまうと、確かに、男に見えなくもないのだろう。
 友人の反応を見るに、ちらちらと窺う同級生の視線は、同じ思いであったらしい。他人を気に掛けるなんて暇人なことだと、サンダルフォンは呆れてしまう。
「でもどうしたの? そんなにばっさり切っちゃうなんて」
「疑問だらけだな。髪を切るのに特別な理由なんて必要か?」
「だって、あんなに長くて、綺麗だったのに」
 頭をがしがしと掻きながら、友人はなんてことのにないように口にする。綺麗、と評されたことが、思われていたことが、少しだけでも、一瞬だけでも、嬉しいと思ってしまったことに気づいてしまって、サンダルフォンは視線をさ迷わせた。
「惰性で伸ばしていただけだ」
 嘘。分かりやすくて、ありふれた理由の、法螺。
 可愛い女の子になりたかった。可愛くないとわかっていたから。あの人の横に並びたかった。追いかけてばかりだったのに。らしくもないと、我が事ながら呆れてしまうような執念深さで十年伸ばし続けていた。もはや無意味で空しいだけの想いに、鋏をいれることに躊躇いはなかった。
 ふうんと納得していないような相槌をうった友人に、サンダルフォンはこれ以上言葉を返すつもりはなかった。嘘だと断言されても、それを説明したところでどうしようもないのだ。
「短いのも似合ってるね」
「……その誰彼構わず誑し込むのをやめた方がいいんじゃないか?」
 誑し込むってなにさとからからと笑う友人は、向けられる恋愛感情に疎い。人が良くて誰からも好かれているし、決して友好的とは言えないサンダルフォンも、ついうっかりと、友人という位置づけとして、いつのまにか認識していた。
「きみ、いつか刺されるんじゃないか?」
「え、なんて!?」
「そういうところだ。せいぜい夜道に気をつけろ」
 予鈴がなる。名残惜しそうに会話を止めたクラスメイトが席に着く、しばらくは騒めきがあったものの、ややあって本鈴がなる前には静まり帰っていた。がらりと扉が開いて、学級担当が入室する。涼やかな蒼穹が、わずかに見開かれたように見えたのは、思い込みだろう。そうだったらいいのにという、今更、捨てきれない、願望でしかない。
 窓の外から陽気な日差しが降り注いでいた。ただ一人の恋が始まることもなく、誰にも知られずに終えたところで、世界は変わらない。

 こんな日に限って、ついていない。日頃であれば内心で浮かれてしまうような当番の日も、まだ心の整理ができていないと自覚してしまった今となっては憂鬱に尽きる。サンダルフォンは自身の運の無さを嘆きながら教諭補助の当番を投げ出すような不真面目さは持ち合わせていない。むしろ生真面目すぎる性質である。そして、今日に限って、雑務は多い。配布プリントをクラスメイトから回収し、とぼとぼと廊下を歩いていた。沼地を歩くようなずっしりとした重みが足に付きまとう。
 教科教室の前でサンダルフォンは意気込む。
「……失礼します」
 硬くなってしまった声に、失敗してしまったと焦りを覚えた。気づかれないことを願いつつ、扉に手を伸ばす。
 机に積まれた書類を視界から逸らしつつ、サンダルフォンは逆光を帯びてうっすらと輝く白銀に目を細めた。
「全員分あります」
「ありがとう」
 何も言われないことに、ほっとしながら、どこか寂しさを覚える。面倒くさいなと自覚済みであることは、きっと、幸いなことだ。だからといって、感情を抑制できるほどサンダルフォンは大人ではなく、器用でもない。
「髪を切ったのだね」
 咄嗟に返事を出来なかったのは、彼が口にするとは思いもしなかったからだ。気に留めてもらえてうれしいのに、残酷だと、感じてしまう。ぎいぎいと喉の奥が締め付けられるような不快感と息苦しさ。それから、瞼の奥がじんと熱を持つ。
「なにかあったのかい?」
「なんでもありませんよ、ただの、気分転換です」
 納得をしていない様子は、手に取るように分かった。
 だてに、十数年焦がれていない。
 参ったと逃げ道を探す。彼は、納得をするまで、サンダルフォンを開放するつもりはないだろう。それは、彼にとってサンダルフォンは一介の生徒ではないから。甘酸っぱい理由はない。生まれたときから知る存在であり、サンダルフォンの両親に不在の間を頼られているからだ。
 彼の責務である。
 期待をしてはいけない。
 彼にとっては、年の離れた妹のようなポジションなのだ。納得をした事実だというのに、理解をした現実だというのに、彼を前にして、彼の言葉を聞いて、昏い気持ちを覚える。悲しくて、苦しくて、寂しい。街中で並ぶ二人の姿を目の当たりにして、湧き上がらなかった感情が、今になって、腹の奥から生まれ、ぐるぐると体の中を駆け巡っていく。
 自分の立ち位置を自覚してしまった。
 好転することもない。悪転に掛ける勝負師のような気質もない。その他大勢よりは近くを許されている。だけど、決定的な、自分が願う、彼の唯一になれない。

「本当に、何でもありませんよ」
 嘘を、ついている。つかれている。何かがあった。だというのに、それを、打ち明けられない。
「私では頼りないだろうか」
 口に出掛けた言葉を、はっと、飲み込んだ。
 お節介が、過ぎる。
 彼女とは幼馴染だ。だが今は教師と、生徒という立場がある。私生活に介入をするにしては、髪を切った程度の、ことでしかない。サンダルフォンは学業優秀であり、生活面でも模範的だ。友人関係は狭いようだが、特筆して問題点があるわけではない。生徒の自主性を重んじるため、校則は厳しいものではないとはいえ、校則違反は何一つとして犯していない。服装だって、規定のものだ。
 昔からの付き合いがあるとはいえ、彼女の両親から任されているとはいえ、年ごろの少女なのだから、大人である自分があれこれと過保護になるのは良いことではない。
 失礼しましたと留める隙も与えられることはなく、退室されてしまう。ルシフェルもまた待ってくれと留めることも出来ずに、その姿を見送ることしかできなかった。留めてもきっと、サンダルフォンは口を割らないだろうということが、十年来の付き合いで、わかってしまった。
 ルシフェルはちくちくと小骨が刺さったような気持ちで、サンダルフォンが回収をしたプリントを手に取る。クラス名簿順に並び替えられているのは、彼女の気遣いなのだろうということはすぐさま察した。気遣いができる優しい子なのだ。
「……無駄になってしまったな」
 女性の持ち物に関して造詣が深いとは言えない自分が、数少ない、知り合いの女性に頼み付き合ってもらい購入をしたヘアアクセサリー。自室に厳重に保管しているものを、思い出す。学生で普段からあまりアクセサリーを身に着けないのでしたら、高級すぎるものは気が引けてしまうでしょうからという助言に従い、シンプルなものに絞り、彼女に似合うものをと、自分で選んだ。鳶色の髪に、映えるだろうと購入をした。
 けれど、彼女は腰まで伸ばしていたロングヘアを切ってしまった。
 自分に、彼女の選択を非難する権利もなければ咎める立場でもない。
 彼女の言動を束縛するつもりも毛頭にない。
 ヘアアクセサリーにしたって、彼女に強請られたものではない。彼女はちらりとも欲しいなんて言ったことはない。すべて、ルシフェル自身が勝手にしたことでしかない。喜んでくれるだろうかと、考えたのも、喜んでほしかったのも、ルシフェルがその姿が見たかっただけだ。
 ロングヘアばかり見慣れていたから最初は違和感があったものの、ショートヘアの彼女も愛らしく、似合っていた。ただ、誰かのために切ったのだろうかと考えると、ルシフェルは少し、冷静さというものを欠いてしまう。何かがなければ、切りはしないだろう。だって、あんなにも丁寧に伸ばし続けていたのだ。
 元々彼女に関しては冷静でなくなる嫌いがあるというのは兄の言ったことだ。十年以上、懸想しているのだ。仕方のないことだろう。ならば口にすればいいだろうと兄に発破をかけられても、言い訳をして口を噤んだのはルシフェル自身に他ならない。彼女にとっての兄のような立場を甘んじて受け入れたのは、自分自身に他ならない。
「兄に恋はしないだろう」
 呆れた兄の言葉を思い出し、その通りだったと自身の愚かさを嘆いたところで、既に、遅いのだろう。

 髪を切って良かったこと。頭を洗う時間と、乾かす時間が短くなった。朝起きて、セットする時間も短縮された。良いことづくめだ。困ったことなんて何もない。辛うじて言えば、結ぶほどの長さでもないために、耳に掛けることが多くなり、その分顔に髪がかかることが増えたうっとうしさがある。その程度のことだ。たった、その程度。
 スーパーの袋を片手に鍵を探す。背後に人の気配を感じ取る。珍しいことだった。玄関には管理人が常駐している。警備は万全なマンションで、警戒心はあまりなかった。これは、あまり、良いことではないのだろうけれど。
「なんだ髪を切ったのか」
 げっと口にしなかった自分を褒めてやりたい。久しぶりに顔を合わせた隣人であり、もう一人の幼馴染である男は、彼とよく似た姿と声で、彼とは全く違う人格だ。別人なのだから当たり前である。しかし、兄弟だというのにどうしてこうも正反対なのだろうかとサンダルフォンは不思議でならない。幼馴染、というよりも、隣人という括りで距離感は遠い。
「そうしていると男みたいだな」
 どうしてこの男は言葉を包む、ということを知らないのだろか。サンダルフォンは苦々しさを覚えながら、だけどこの男に口で勝てた試しはない。それに男のようだと思ったのはサンダルフォン自身であるし、他人に言われたって、気にすることはない。
「まあ似合ってるんじゃないか」
「は?」
 思わず奇妙な返事をしてしまった。サンダルフォンは男がまさか熱でもあるのか、体調でも悪いのだろうかと疑ってしまう。サンダルフォンの返答なんて気に掛けていない男は、それだけで何のフォローも入れることはなかった。ぽつりとマンションの廊下でサンダルフォンは、もしやどこか体調が悪かったのではないかと心配になる。
 苦手意識があるとはいえ、嫌悪しているわけではない。

 カーテンから差し込んでいた目に痛いほどの夕焼けは塗りつぶされ薄暗くなっていた。電気をつける。空腹を感じたが、料理をするなんて考えには至らず、冷凍庫からアイスクリームを見つけて手に取る。買った覚えはないが、くよくよねちねちとした性格でもない実弟のことだ。買ったことすら、忘れたのではないだろうかと思うほどにカチコチであった。ガツガツとスプーンで掘る。とても、食事風景には思えない、掘削作業である。
「体調が悪いのか?」
「帰ってきて早々にどうした」
 弟の突拍子もない言葉にルシファーは全く、理解が追い付かなかった。天才と言われる明晰な思考回路を以てしてもなぜその言葉が掛けられたのか意味不明だった。ルシファーはリビングのソファに、アイスクリームを片手に行儀悪く寝そべっていた。体調はすこぶる健康である。
「サンダルフォンから、様子が変だと、連絡があった」
「あのクソガキ……」
 悪態をつきながらアイスクリームを頬張る。弟が不快感を顕わにしたの感じ取り愈々面倒くささを感じる。駄々洩れの懸想をなぜあの隣人は気づかないのか不思議でならない。同時にあれの思慕を、これはどうして察することができないのか。
 手のかかる弟たちである。最も、彼らを導くような優しさをルシファーは持ち合わせてはいない。さっさとくっつくなり、諦めるなりをしろと思うだけだ。なんせ見ているだけでじれったくて鬱陶しい。
「食欲はあるだろうか、胃に優しいものを用意するべきか?」
「いらん気を使うな。俺は健康そのものだ」
「だが」
「俺の言葉とアレの言葉どちらを信頼しているんだ」
「……」
 即答をしないどころか言葉も発しない実弟に苛立つ。そこは即答するべき部分であろう。
「褒めた程度でなぜ不調を疑われねばならん」
 ぐちぐちと不満とともにアイスクリームを頬張る。金属スプーンの表面と、怒りで熱を持った手によって、アイスクリームはどろりと溶け始めていた。
「褒めた?」
「ああ、髪を切っていただろう。褒めた」
「きみが?」
「なんだ文句でもあるのか?」
 当たりが強くなっても弟は気にした素振りはない。それどころか、何かを考えている。ルシファーは肩透かしを食らう。
 ショックを受けたような、ふらふらとした実弟の様子にさすがにルシファーも気にしないなんてできない。なんせルシファーにとってルシフェルは弟である。それなりに可愛がっているつもりだ。その可愛がり方がゆがんでいると言われても否定はできないが。
「あれは短い方が似合っているだろ」
「……ああ」
 苦い虫を噛んだみたいな顔で同意をされたところで弟は器用なんだか、不器用なんだかわからないと投げ出してしまう。
 大方──
「なんだ似合っているの一言も伝えていないのか」
「……驚きのほうが勝ってしまった」
 どうしていざというとき、この弟は行動に移せないのかと言葉を失う。胸中に抱え込むくせそれを伝えることはない。自らの胸の内を明かさない。さっさと口にしてしまえと散々に言ったところで動くことはない。諦めているのではない、臆病なのだ。否定されること拒絶されることを考えて動けない。それは、アレにも言えたことかとルシファーが甘酸っぱいを通り越して、熟れるどころか、腐りかけた恋愛模様にうんざりするのも、仕方のないことである。

 髪を切ってから告白をされることが増えた。
 男のような見た目だというのに、そういう性的嗜好を揶揄うつもりはないとはいえ、戸惑いを覚える。
「付き合ってるヤツはいないんだろ?」
「……確かにいないが、だからといってキミと付き合う理由にはならない」
 しつこく食い下がる上級生にサンダルフォンは苛々としつつも、無碍に出来ない。自分の想いを告げることもなく、そっとふたをしたサンダルフォンにとっては、想いを告げるという手段にでた彼らは勇気があり、真摯に答えねばならないと、これまた真面目に応えてしまう。
「付き合ったら変わるかもしれないじゃないか」
 しつこいなと、サンダルフォンはもどかしさに、突き放したくなる。言葉としては既に突き放しており、断っている。サンダルフォンは好意を持てない相手に付き合うような軽薄な性格ではない。むしろ、同情心を抱いてしまう。決して、同情心は好意にはならない。憐みでしかない。同情と、好意をはき違えることはない。好意を抱かれて悪い気持ちではないにしても、それでもすべてを受け入れることはできない。
「なにか、揉め事か」
 ひやりとした冷たい声音は大きいものではない。だが、自身の行動が決して褒められたことではないと自覚をしていたのだろう上級生が慌てた様子で立ち去っていった。がさりと踏みしめた音にサンダルフォンは気まずさを覚える。
「怪我はないかい?」
「はい、助かりました」
 そうかと言いながら、立ち去る様子はない。グラウンドで部活動をしている声がかろうじて聞こえる。校舎裏のもの寂しい、忘れ去られたような空間は、だれが世話をしているのか、雑草ではないだろう花が植えられていた。風にあおられてゆらゆらと頭を揺らす姿を、なんとなしに、見つめる。
「よくある、ことなのか?」
 なにを指しているのか一瞬だけ、わからなかった。
「告白、ですか? そうですね。頻度に関しては、最近は、よくある、ことですね。さっきみたいな人は多くないですけど」
「あまり? 今までもあったのか」
「あまり、いないんですよ」
 声を曇らせたことを感じ取り慌てて念を押すも、逆効果であることにサンダルフォンは気づかない。
「ほとんどの人は言って満足、みたいに、返事を期待してないみたいだから」
 稀なのだ、ああいって付き合いたいと言う相手は。最初から諦めた様子で、けれど言っておきたいのだと前置きをするものがほとんどだ。もしかしたら自分の恋心というのは周知されているのだろうかと思うほど、だれもが最初から断られることを想定している。
「すごい、ですよね。自分の気持ちを伝えるのって、すごく勇気がいると思うんです」
 それもわかっていた、やっぱりなと言った彼らは苦く笑っていた。知っていてほしかっただけなのだという彼らは、ごめんなと謝罪を口にする。
 思い出作りの一環に巻き込まれたのだろうかと思わず勘繰ってしまったサンダルフォンは自身の邪さを恥じた。想いに応えることはできないが、せめて真摯に応えねばならない。結果としては稀に自分の気持ちを押し付けてサンダルフォンの気持ちを無視する輩が調子に乗ってしまうのだが。
 サンダルフォンは彼の恋愛関係についてあまり知らない。彼が大っぴらにすることもなく隠していたこともあるし、サンダルフォンが目をそらしていたこともある。だけど麗しいだけでなく優しさにあふれた人なのだから告白をされた数だって決して少なくはないだろう。
「今付き合ってる人って、居ますか?」
 上ずりそうな声で口にした。
「いや、いないよ」
「意外です」
「なぜだろうね、よく言われる」
 嘘ではないのだろう。嘘をつく人ではない。嘘をつく理由はない。
 ほっとした自分は、まだ、未練がましい。
「勇気があったらなあ」
「きみも、だれかに?」
「……まあ」
 つい零してしまった願望をやさしく引っ掛かれる。

「勇気がなかったんです。だから終わってしまいました」
 へらりと笑って見せた顔は強がっていた。
 誰を想っているのだろか、終わったとはどうして。言いたいことはある。聞きたいことはある。なのに、言ってほしくない。聞きたくない。
 私なら、きみをと思ったところで、私もまた彼女と同じだった。
「私も、勇気がないな」
「あなたが?」
 ぱちぱちと瞳を瞬かせる姿は稚く、ルシフェルは少しだけ笑みをこぼした。隣で成長を見守り続けてきた。美しく成長している彼女が見せる稚い仕草は懐かしいものでもあった。
「私も告げることが出来なかった」
 夕闇が迫っている。下校の時間だ。グラウンドから聞こえていた威勢の良い声も聞こえない。
「初めて、聞きました」
「私の初恋だからね」
「初恋」
「十年の恋だったのだが、叶わなかったようだ」
 不意に強張った顔で微笑を浮かべた。
「そう、ですか。一緒ですね。思えば、初恋だったんだと思います」
「一緒だね」
 笑いあいながら、自分は自虐的なところでもあったのだろうかと思ってしまうほどに、自分で傷口を広げるような会話だった。
 もういいか。勇気に駆られた行動ではないけれど、諦めるためだけど、それでも。
「ずっと、好きだった」
 びくりと肩を震わせた彼女に、懺悔をする。
「いつから好きだったのかわからない。だけど君のまえでは、ただのルシフェルでいられた。純真に私のことをを兄のように慕う姿を、私は裏切り続けていた」
 静かに聞いていた彼女ははっとした様子だった。気づいたのだろう。察しのよい子だった。けれどそんな彼女に十年間、私は本音を隠し続けてきたのだ。隠し事が、秘密に関しては得意なのかもしれないと妙な自信をつける。
「すまない、つけ込むようなことを言うよ。サンダルフォン。私は、きみが好きだよ」
 終わらせることができない自分は、女々しいのだろう。
 サンダルフォンは目を見開いて、口をわなわなと震わせている。
 軽蔑をされるだろう。兄のようにと振舞いながら、その内心では劣情を抱いていた。サンダルフォンが口にする同級生の名前に悋気したことも数えることができない。だが兄という立ち位置を失うことが恐ろしかった。その立ち位置すら失っては、他人でしかない。幼馴染といっても年は離れている。気持ちが悪いと言われても仕方のないことだ。
 わなわなと震えるサンダルフォンからの断罪を待つ。永遠のように思う。
「どうして、今更、そんなことを言うんですか」
 どうにか吐き出したであろう言葉が切実に憂いている。
「諦められなくなってしまった、終わらせることができなくなってしまった!」
 ああ、そんな。彼女の言葉を疑うつもりはないけれど、その口ぶりではまるで。
「諦めないでほしいと、言う資格はない。だが、私は、きみが好きだよ。好きでいる」
「期待をさせるな! 希望をちらつかせるな!」
「期待をしてほしい、ただ言葉を受け止めていてほしい。愚かな男の哀れな初恋を、笑ってくれ」
「笑えるもんか! どうして、だって、」
 あなたのことが好きなのに。
 極まったように怒り、泣き、嘆く彼女の眩さに手を伸ばす。ぐしゃぐしゃと見せるものかと言わんばかりに乱雑に拭われている手をやんわりと取る。
「見るな」
「可愛いよ」
「可愛くなんてない」
「いつも、きみは可愛いよ」
 サンダルフォンは信じられないと言わんばかりの顔だ。思っていたのだ。だけど口に出来なかった。薄氷を踏みだす勇気はなかった。かと思えば、海に放り投げだされたとなればなんでもできるのだから、自分は潔いのだか悪いのだか。
「何度でもいうよ。私は、キミが好きだ」
 サンダルフォンはくっと私を見上げた。睨み上げているようだが、涙目でくやしさをにじませた顔は、愛らしい。

2019/09/18
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