ピリオド

  • since 12/06/19
 常にマナーモードに設定されている買い『与えられた』携帯電話が振動する。ポケットの中で無機質に通知する端末に、黒子は不快感を覚える。自分に連絡する人間なんて、東京に住む家族と今現在共に暮らしている某主将しかいない。取らないでいようかと一瞬魔が差すも、どうせそれを理由にねちねちとしつこく咎められることは目に見えている。
「もしもし」
『遅い』
「すいません」
 舌打ちを堪える。
『何処にいるの』
「図書館です」
『ふーん』
「何か用事ですか」
『別に。4時迄には帰ってこい』
「は?」
 黒子が返事をする前にぶつりと切られてしまう。そして携帯電話のディスプレイに表示されている時計を見れば3時半。図書館から下宿先であり、共に暮らしているマンションまでは何事も無く、走れば25分程度だ。黒子は手にしていた本を棚に戻すと図書館を飛び出し、走りだした。



 全中を終えて直ぐに、黒子は顧問へ退部届を提出した。顧問はどうせ直ぐに引退なのだから辞めることはないとかレギュラーなのだから推薦の話しも来るのではないかと引きとめようとはしたけれど、黒子の意思は変わらない。そもそも影が極端に薄い黒子を、レギュラーとして認識して、且つ戦力になると考え付く人間なんているとは思えない。
(そう考えれば赤司くんは酷くおかしなひとだ)
 出会って直ぐに赤司は黒子の能力に目を付けた。最大限に伸ばし、コートで活躍できるようにしてくれた。尤も、ついこの間の試合で必要無くなってしまったけれども。
(これから、どうしようか)
 今まではただバスケがしたいだけだった。ちょっと前までは、きっとこのメンバーで何時までもバスケが出来る、だなんて馬鹿げたことを考えていた。けれども今ではもう、出来やしない。
(バスケをつづけ、る?)
 思い出すのはコートでの孤独感。
 誰にもボールを回す必要も無く、誰も自分を必要とせず、ただ其処にいるのかと自分でも分からなくなる恐怖。好きの反対は無関心だなんて、言い得て妙な表現だ。まさに「無関心」だった。存在を否定されたのだ。
(とりあえずは、進路資料室にでも行こうか)
 提出期限が明日に迫った用紙は未だに白紙のままだ。



 赤司は何処に居ても自分を保っていた。それは見知らぬ土地で1年ながらに主将となっても変わらない。自分がするべきこと、しなければならないことを理解し、人を従えさせる方法を駆使している。一方で黒子はどうして自分がここにいるのか分からない。
 チャイムが鳴り、部活の終了を告げる。帰宅するものが疎らに出てくる。
 黒子は体育館からほど近いベンチに座り、読書に勤しんでいた。
 夏であるため夕方といえどもまだ明るい。しかしあとひと月程度もすればすっかり暗くなってしまうだろう。そんな時期には、何処で時間をつぶすのが良いのだろうかと黒子は此処暫くの悩みを思い出す。
(そろそろ鍵をくれませんかね・・・)
 黒子はマンションの鍵を赤司から貰っていなかった。だから登校も下校も何もかも、赤司がいなければ出来ない。しかしマンションの部屋自体は赤司の名義で借りられているため黒子も強くは言えない。それこそ黒子は赤司に無理矢理京都へと連れてこられたのだから強く言える権利もあるのだけれど、赤司に負い目を感じる黒子には出来なかった。
 よくよく耳をすませば、換気のためにとうっすらと扉の開かれた体育館からはダムダムとボールの弾む音がした。
 黒子は閉じようとしていた本のしおりを抜いて、もう一度視線をもどした。



 実渕は此処最近になって、ベンチに座る薄水色の生徒に気付いた。じっと見つめても霞になって消えてしまうのではないかと思うほどに儚く、存在感が希薄な生徒だ。1年生のようで真新しい制服は少し大きめに作られているようだった。少しダボ付いた袖は、実渕の母性心を擽った(男なのに、なんて思ってはいけない)
「ねえ、あなた」
「・・・」
 その後輩は本を読んでいた。よほど集中しているのか実渕の声に気付いた様子は無い。それでも実渕にすればその姿すらも愛らしく思えるのだ。
「ねえ」
 トントン、と今度は肩を叩く。その小さいながらも、集中を途切れさすには十分な衝撃に後輩は肩を揺らして振り向く。髪と同じく薄水色の目が大きく見開かれる。
「驚かせてごめんなさいね。でももう暗くなるでしょう?」
「あ、いえ。人を待っているので」
「ならもう少し明るいところで」
 そう言いかけた実渕の声は遮られる。
「玲央、何をしている」
「あら征ちゃん」
 その呼び方に驚くのは黒子だった。『征ちゃん』という可愛らしい呼び方と、その呼び掛けられた人物がどうにも結びつかない。彼らにとっては当たり前らしく、然したる過剰な反応も無く、会話を進めている。黒子はその会話をあまり耳に入れないようにしながらぼんやりと今日の夕飯について考えた。



 進路資料室には膨大なパンフレットや過去問集がロッカーに押し入られている。ガラスのはめ込まれた戸の上からその背表紙をなぞる。私学だけあって県外への受験や部活動が盛んであるため、今まで推薦が来た高校からのパンフレットも偏りはあるがまとめられている。そのコーナーをなぞる手が止まる。
(彼らと、彼らにずっとパスを出し続けると思っていた)
 あんなに煩くも夏を主張していた蝉はもう、鳴いていない。
 伏せた目を再びロッカーに向ける。
 ロッカーから抜き出したのは今年出来たばかりの新設校のパンフレットだ。IHの試合を見て、今黒子は求めているバスケが出来ると思ったのだ。
「黒子は誠凛に行くのか」
 突然掛けられた声に、ヒィと上がりそうになった悲鳴を喉奥で殺す。
「何か用ですか」
「そうだな、あれだけ毎日、熱心に練習に来ていたのにどうして来なくなったのか聞きに来た。とかどうだ」
 おちょくるような言い回しに悪意は感じられない。けれども嫌味はたっぷりと詰められている。
 黒子は、迷いながらも自分で考えて決めたことに後悔はしていない。間違ったとも、思ってはいない。だから赤司に対して申し訳なさを感じてはいけない。
「退部届けを提出しました」
「そうか」
 赤司の、何時もは黒子を見つけてくれていた唯一の目が、初めて怖いと思った。



 不機嫌そうな赤司の後ろで、黒子は献立を考える。
(昨日は鶏肉でしたし、魚にしましょうか)
「寄らなくて良いのか」
 帰り道にあるスーパーに差し掛かって、赤司は振り向いてやっと口を開いた。
 赤司と暮らして約3ヶ月が経ち、黒子は自分なりに居心地を改善しようと食事の用意をしていた。当初は調理実習で何度か作ったことのある肉じゃがや味噌汁それからゆでたまごなんて栄養バランスも無いものを出していた。赤司は何も言わずに完食しただけだった。
 それが今ではレパートリーも随分と増えているし冷蔵庫の中身も把握している。ついでに言えば赤司の舌の好みも理解できてきた。
(蒸し焼き・・・ならほうれん草と椎茸くらいはいりますか)
「少し寄ってもいいですか」
「わかった」
 振り向いた赤司の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。機嫌は直ったらしい。



 青峰が黒子を見つけたのなら、赤司は黒子を導いてくれた。だからこそ、2人は黒子にとって一際、特別だった。ただ、彼ら、2人にとって黒子は特別ではないだけ。
「赤司くん、今までありがとうございました」
 パンフレットを戻して、頭を下げる。今の黒子に出来る最大のお礼だった。カタリと机の揺れる音に赤司はいなくなったのかと頭を上げれば、黒子が持っていた進路調査書を手にする赤司がいる。鉛筆ではあるけれど、第一志望には誠凛と書かれていた。
 何の感情も写さない目は虚ろに用紙を見ている。
「     」
「赤司くん?」
 うっすらと唇が動いたのが見えたけれど、その音は拾えなかった。何を言ったのか聞きなおそうとするも、赤司の行動に黒子は目を見開くしかなかった。
 ハラリハラリと舞う紙くず。
「なに、を」
 何が起こったのか分からずただぼうっと見ているしかった黒子を見て赤司は無邪気に笑った。
「すまない、黒子。手が滑ったんだ」
「・・・手が、滑った? こんなこと、」
 恐怖に直面すると人間は笑いがこみ上げるのだろうか。
 赤司の以前触れたときはひやりとして冷たかったと記憶してる手が、頬に触れる。その手は熱を持っていた。あるいは、黒子が冷たかっただけなのかもしれない。



 赤司は黒子を愛していた。愛していたからこそ、見守ろうと思っていた。それは他のチームメイトにだって同じ思いだ。確かに黒子の望むチームプレイはもうできないだろう。今のチームは個人の自己主張が激しすぎる。しかしだからこその「キセキ」であると赤司は考えていた。
 赤司は黒子を愛している。だからこそ、許せないのだ。
「お前は僕たちがいないと何も出来ないのに」
 黒子の目から溢れる涙を指先ですくう。




 ベンチに座る黒子を眺める赤司の目が優しいことを、誰も知らない。

2012/12/27
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