ピリオド

  • since 12/06/19
 社長に呼び出されることは珍しくはない。
 撮影スケジュールの確認であったり、あるいは持ち込まれた企画についての説明であったりと、サンダルフォンが違和感を抱かない程度には呼び出される。社長室にも臆することなく入る程度には慣れていた。
「適当に掛けてくれ」
 書類に目を通していた社長の言葉にわかったと返事をして、黒革のソファに腰を落とす。
 サンダルフォンは、業界では名の知れた女優である。
 傷が残ること、顔出しがアウトという二つ以外にNGはない。
 過激なプレイであっても、仕事と割り切っている。
 サンダルフォンは女優である。とはいえ、一般的な映像作品に出演するカテゴリの女優ではない。全て、年齢制限のかかる成人ものの映像作品である。
 サンダルフォン自身が自ら望んで業界に足を踏み入れたわけではない。むしろ、サンダルフォン自身は潔癖な性質である。不特定多数となんて、道徳に反することだと思っている。
「呼び出して悪いね」
 社長がデスクの引き出しからファイルを取り出した。ペラペラと、あまりにも薄い。まだ、練りこまれていない企画なのだろうかと受け取ったファイルからクリップで留められた数枚を目に通す。読み終えるなり、サンダルフォンは不快を露にしてファイルを社長のデスクに叩きつけた。社長が肩をすくめる。サンダルフォンの反応は予想通りだったのだろう。困惑や戸惑いはなかった。
「デリヘル嬢じゃない!!」
「カッカするなよ」
 社長が叩きつけられたファイルを手に取る。
「キミのことを指名しているんだ。会うだけでも、前の輪姦プレイの出演料の十倍を払うっていうんだぜ?」
「……胡散臭い」
 十倍。その言葉に思わず飛びつきそうになる。だが、甘い話には裏があるのが常であると、骨身に染みている。
「俺も明らかに危ないやつなら引き受けないよ。だけど知り合いでね。キミのファンらしい。サンディ、会うだけでいいんだ。それで、セックスをすればさらにその倍。別にいつもと変わらないだろう? 撮影スタッフがいないだけだ。相手は一人だけ。特殊なプレイもないんだぜ? これ以上ないってくらいに良い話じゃないか」  畳み掛けるような甘い囁きだった。  ぐらりと、心が揺れる。
「今回の報酬金額で、完済できるんじゃないか?」
 ぐっとサンダルフォンは言葉が出なくなる。視線をさ迷わせて、断る理由を探す。だが、完済の言葉は、あまりにも、魅力的だった。
「……わかった」
「そうか! 詳細はまた連絡をするよ」
 渋々と了承をしたサンダルフォンはご機嫌な様子の社長に苛立ちを覚える。それから、じわじわと後悔を覚えて、ため息を吐き出した。


 サンダルフォンは借金を抱えている。サンダルフォン自身が作ったものではなく、蒸発したろくでもない両親が残した負債である。
 潔癖な性格のサンダルフォンが否応なしに業界に踏み入れた原因であった。
 押しかけた屈強な取り立てやがサンダルフォンを前にして狼狽えていたのをよく、覚えている。まだ、下っ端だという彼は外見に反して紳士的で学生でありながら一人になったサンダルフォンを心底心配していた。
 幸い、ともいうべきか借金の取り立てはひどくはなかった。だからこそ、サンダルフォンは両親の所為で申し訳ないと、いやに生真面目な性質であったために、本来は法律違反をしているというのに、そもそもの原因であるというのに、金融業者相手に罪悪感を抱いてしまった。然るべき機関に通報をするなり助を求めべきだったというのに、何も、しなかった。ただ受け入れた。
 彼らが用意をしたという借金返済の方法は二つだった。迷いに迷って、サンダルフォンは業界に足を踏み入れることを選んだ。ちなみにもう一つ、提示されたものは愛人になる、というものだった。愛人なんて、飽きて捨てられる末路しか未来が見えない。
 顔出しすればもっと売れる、ということはサンダルフォンもわかっていた。返済に至るまで、もっと早まった可能性もある。だけど、どうしても、応じることができなかった。
 担保と変わらぬ境遇でありながら顔出しNGという強気な方針が通っているのは、サンダルフォンがよっぽどの過激な、例えば死傷する危険性が高いプレイ以外ならば応じることが業界では重宝されている。マニアックな、それこそ虫や汚物など、ごくごく一部のフェティシズムを刺激する内容であっても出演する、業界では数少ない女優であるからだ。そのため、顔出しをしていないながら作品出演数は業界でもトップであり、またファンも多い。
 サンダルフォンは私生活での性経験はない。
 処女は法規定に従った日、初めての作品で、それなりの値段で売れた。
 サンダルフォンとて、夢を見ていた。
 初めては好きな人とがいい、と少女らしい幻想を描いていた。だけど、自分は夢を見れないのだと両親が蒸発して一人きりになったときに確信をした。
 悲しいことだと、寂しいことだと、つらいことだと、思ったことはなく、そして、思われたくもない。強がりだと言われても、否定をされたくはない。
 だけど、それも、これで終わる。
 枕営業と言われても、これっきりだ。
 サンダルフォンは業界から、足を洗うことができる。
(……これっきりだ)
 言い聞かせる。
 白いワンピースに身を包んだサンダルフォンは、寡黙な運転手と二人きりで、乗りなれない高級車のフカフカとしたシートに居心地悪さを感じながら、窓越しに流れる景色を追いかける。閑静な住宅街、というのだろう。結局は金持ちの道楽かと白々しく思いながら、こみ上がる酸っぱいものを感じて、目をつむった。


「初めまして」
 目の前にいるのは、サンダルフォンの予想とは全く異なる。紳士的な青年だった。抑々、サンダルフォンが籍を置いている事務所の胡散臭い社長との繋がりが不可解なほどに清廉潔白で、世の中の汚いものを何も知らないのでは思うほど、どこか、浮世離れしている。
 月明りで染め上げような白銀の髪がさらりと揺れた。
 青空を切り取った青い瞳に、自分が映ることが、申し訳なく感じてしまう。
 こんなはずじゃなかったのに。
 思い描いていたのはでっぷりとした中年の男だった。でなくとも、嫌みな男を想像していた。金に物を言わせるような、そんな、不愉快な男だろうとレッテルを張っていた。だから、性のにおいを感じさせない青年が豪邸の家主であり、そして、サンダルフォンを指名した人物だとは到底、思えなかった。
「私のことは、ベリアルから聞いているのだろうか」
「いえ、なにも」
「そうか……」
 彼の口から社長の名前が飛び出て、やはり、知り合いなのかと残念がるような気持ちになった自分に内心で首をかしげながら、サンダルフォンはこたえた。サンダルフォンの言葉に、考え込むような素振りを見せたから不安を覚える。知らず、身を縮めたサンダルフォンの様子には気づいたようだった。
「コーヒーは飲めるかい?」
 突拍子もない話題転換にまごつきながら、サンダルフォンが首肯するとほっと穏やかな顔をして招かれる。サンダルフォンは少しだけ、躊躇してから、報酬を思い出して踏ん切りをつけるように、用意をされたスリッパに履き替えて、あとを追いかけた。
 きょろりと、不躾だと思いながらも部屋を見渡してしまう。通されたリビングは高い天井でファンが回っている。色とりどりの花が、ガラス越しに、庭で咲き誇っていた。室内はソファセットとガラステーブルなどの、最低限の家具が置かれているだけだった。人が住んでいる気配は感じられない、モデルハウスのようだった。
 日中だけあって、電気は付けていないが日当たりはよく、明るい。
 対面式のカウンターキッチンで手際よくコーヒーの用意をしている彼を見ていると、どうして彼が自分を知っているのかもわからない。
 住む世界が、何もかも違うのだ。
 なぜ、ここにいるのだろと、所在なく、途方に暮れてしまう。
「座ってくれて、構わないよ」
 伺うような声にサンダルフォンは曖昧に頷く。コーヒーを淹れたカップを二つ手にした彼が、手本を見せるようにソファに座ったから、サンダルフォンもやっと、ならうように、彼の横に座った。びくりと肩を跳ねさせたから、コーヒーが手にかかったのだろうかと心配になる。目がぱちりと合う。気まずそうに、視線がさ迷っていた。
 逡巡してから、降参だというように口が開かれた。
「私は女性に対する免疫がなくてね。いや、免疫、というたいそれたものでもない。この年にして、付き合いというものをしたことがないんだ」
「……そう、か」
 どのような反応をするのが正しいのか判断が出来ず、曖昧に頷いた。
「だから、その、どうしたら、いいのかわからないんだ」
 すまない。と心底、困り果てた姿の男の姿に、ちょっとだけ、からかってやりたくなった。
「あんたの好きにしたらいい」
 ごくりと、喉が上下した。サンダルフォンは、おそるおそると、伸ばされた手を拒むことなく、受け止めた。汗ばんだ手に、作り物めいてみえた彼も生きていることを、人間の、男であることを、雄であるのだと、思い知る。思い、知らされた。

 腫れぼったい、重い瞼を上げる。視界に時計は入らないため、時間はわからない。しかし、カーテン越しに燦燦と室内を照らしている太陽の昇り具合から、正午に近いことがわかった。素っ裸でシーツに包まって、気絶していたらしい。とりあえず、下着をつけようと、起き上がろうとしたが力が入らず、清潔に整えられていたシーツに横たわる。
 下半身の感覚が、まったくと言っていいほどに無い。
(何回、ヤったんだっけ)
 リビングのソファに押し倒されてから、それからと記憶を辿る。
 こほりと、咳をこぼす。
 喉がイガイガ、チクチクとする。さんざんに啼かされた。それから何度も名前を呼んでほしいと懇願されて、震える声で何度も呼び掛けた。
 サンダルフォンは、その職業故に、そして自身は誇らしいとは思えないものの、性経験は同世代の中でも豊富であると自負している。他人に体を触れられるのは、正直なところ好きではない。とはいえ、仕事と割り切ると案外、どうとでもなる。求められる反応も、理解できたから、演じることもある。だというのに、演技でもなく、翻弄されてしまった。
(……童貞とか、嘘だろう)
 お前のような童貞がいてたまるかと、サンダルフォンはシーツに包まりながら悪態をついた。初めての撮影の時でも、複数人とのプレイのときでも、ここまで乱されることはなかった。撮影ということもあって、出演者の体調への配慮があったとはいえ、ここまで体力を削られたことはない。
 最初に触れられたとき、拙い愛撫で、サンダルフォンはやや大げさなほど、感じているようにと演じた。報酬をいただく以上、サービスをしてやろうと、それから初めてだというからと、気を使ったのだ。だけど、意識を失うほど求められていると、演技なんてとてもではないができる状態ではなくなった。
 からかってやろうなんて思った自分が情けないったらない。
 余裕なんて皆無でただ揺さぶられて、縋って、懇願していた。
 枕に顔をおしつけ、羞恥に項垂れる。
 撮影ではない。演技ではないからこそ、恥ずかしくて仕方ない。
 さてと、脱童貞をした男はどこにいったのだろうかと、やっと立ち直ったところで静かに扉が開いた。
「……無理を、させただろうか」
 水の入っているであろうペットボトルを手にしたルシフェルの問いかけにサンダルフォンは誤魔化すみたいに
「まあ」
 といって、なんだか顔を見合わせるのが気恥ずかしく、抱えていた枕に顔を押しつけた。
 ベッドが軋んだ。
 ルシフェルが、ベッドの淵に座ったようだった。
 もう少しだけ、一人にさせてほしかったと思いながら、ここは彼の家であることを思い出すと、何も言えなくなる。
「すまない」
「頼まれたことだし、べつに、かまわない」
 くぐもった声ながらルシフェルには伝わったようだった。
「現実のきみは、愛らしくて、加減がわからなくなってしまった」
「……現実の?」
 思わず、枕から顔をあげてルシフェルに視線を向けた。ルシフェルは申し訳ないような、それから照れているような顔をしている。
「………………不能というわけではないんだが、私は性的なものに興味をいだいたことがなく、それを面白がったベリアルが自分の会社の作品を渡されるんだ。それで、きみが出ているもので興奮したことを、どういう経由か、知られてしまって」
 なんだその理由はと、サンダルフォンは不可解な話に眉を寄せた。
「顔出しNGの女優を好むなら指名なんて夢が壊れただろう」
「そんなことはない」
 即座に否定をされる。
「脚が、」
「あし?」
「とても、魅力的だと、思ったんだ」
 思えば昨日も、足にやたらと執着をしていたことを思い出す。ルシフェルが裸身のサンダルフォンを見ないようにとしているらしいが、ちらちらと、下半身に注がれているのは、サンダルフォンが気づいていた。視線を不愉快だとか気持ち悪いとは思わないが、それでも居心地の悪さは感じる。身をよじろうとするが鉛のような下半身に、諦めて投げ出す。
「きみが出演している作品を何度も見て、きみに、あこがれていた」
 純粋に嬉しいと、喜べず、複雑だった。
 自分の出演している作品の用途がわからないほど、純情ぶるつもりもなければ無垢を装うつもりもない。サンダルフォンも、理解をしている。だが、面と向かって言われると、どうにも反応に困り果てる。
 ただ、まあ、別に言ってもいいかと、どうせ、これっきりなのだと、強気であった。
「引退をするつもりなんだ」
 ルシフェルはあまり、驚いた素振りは見せなかった。
「作品を見てくれたっていう、あんたには悪いが、もともと、自分の意志で入った業界じゃないからな」
 自分の意志ではないというだけで、ルシフェルには伝わったのだろう。昔に比べて業界全体がオープンになりつつある傾向とはいえ、サンダルフォンはとどまるつもりはない。そのための、顔出しNGである。さっぱりと、足を洗うつもりである。
「なら、私は、きみを好きになっても、良いだろうか」
「……それは、あんたの自由だと思う」
 実のところ、サンダルフォンはルシフェルに触れられるのが「気持ちよかった」のだ。だから、身を任せて、意識を失うまで行為に及んでしまった。撮影ではありえない姿をさらすほど、自制ができないほどに、夢中に、なってしまった。
「…………べつに、肉体関係から始まっても、いいんじゃないか」
 そうかと得心をしたルシフェルが浮かべた微笑にサンダルフォンは目を細める。ぽかぽかと差し込む日差しに、たまらず、小さなあくびをしてしまった。猫のような姿にルシフェルがきゅん、と胸をときめかせたなんてつゆとも思わず、サンダルフォンは、住む世界が異なるのだからこれっきりだろうと、行為の疲れが色濃い肉体が休息を求めるものだから、まどろみに身を任せる。
 うとうととしているサンダルフォンに、ルシフェルはすっかりだめにしてしまった彼女が身に纏っていた白いワンピースを思い出して、彼女に似合う服を贈ろうと考える。どのような服が似合うだろかと想像を膨らませる。スカートは彼女の愛らしさを際立てるのに似合っていたが、パンツルックも彼女のしなやかな手足が映えるだろうと、思い浮かべた彼女の隣には、自分がいたから気の早い自分に苦く笑った。
 すやすやと寝息を立てているサンダルフォンをみつめて、ルシフェルは年甲斐もなく、浮かれている自分がおかしくて、恋とはこんなにも、楽しいものなのかと、世界が輝いて思えるのか、初めて知った。

2019/07/20
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