ピリオド

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 朝の雑踏。社会人や学生たちが何食わぬ顔で改札口を通っていく。スムーズに、彼らにとってそれは敵ではない。日常に溶け込んでいる。対して、ルシファーは毎日の戦いに挑む。冷静を装いつつも内心では、今日こそは勝つのだと熱い闘志を抱き、意気込みながら、取り出したICカードを、汗ばむ手でかざす。
「っ」
 不愉快なアラートが鳴る。突き刺さる視線。ルシファーは舌打ちを零す。最早、困惑や戸惑いは一切無い。駅員が駆け寄ると、ルシファーを見てああまた貴方ですかみたいな顔をする。ルシファーは不快に、じとりと睨む。八つ当たりだと分かっている。ICチップの乗車カードの期限とチャージ残高、それから磁気の確認をすると、また不思議そうな顔でどうぞとゲートが開かれる。ルシファーは眉間に深い皺を刻んで、不貞腐れた顔をしたまま改札を通った。突き刺さっていた視線も朝の喧騒に消えていく。彼らのなかでルシファーという、朝の混雑する時間に改札を塞いだ迷惑な男は記憶の彼方に押し込まれる。しかしルシファーの中では消えない。
(これだから、嫌なのだ。自動改札だなんてもの)
 そして朝いちばんの電車は案の定、満員である。ドア付近に押しこめられたかと思えばジャケットがドアに挟まり、移動することもままならない。よりにもよって開くドアは悉く逆方向であり十数分間、ルシファーはドアにもたれ掛かりちらちらと、混雑とはいえ無遠慮に降り注ぐ視線に苛々と過ごすしかなかった。
 ルシファーは免許を取ることを固く決意する。何度目か分からない決意だが社会人となると易々と時間もとれず、決意して既に十年近く経っている。学生の頃に取っておけばよかったのにと部下に言われるが学生時代から研究に執心していたルシファーに、その時間は無かった。有給をもぎ取ってやる。もぎ取った有給で免許をとってやる。寝て過ごすだけの有給消化なんぞで終わらせるものかと考えながら、やっと着いた降車駅にルシファーは朝からさんざん疲れた体で改札を通ろうとして、けたたましいアラート。ハイライトの無い眼がさらに濁る。


「おはよう、ファーさん」
 掛けられた声にちらりと視線を向けてから、ルシファーはデスクに就く。声を掛けた張本人も端から挨拶が返ってくることを期待をしていない。ルシファーの他人が見れば眉をひそめてしまう態度にも慣れたものである。
 ルシファーのデスクは書類が山盛りに積まれて壁のようになっている。昨日よりも嵩が増している。莫迦でも分かる事態を想定出来るだろうに、どうして態々積み重ねるのか。朝の自動改札のこともあり苛々として、乱暴に椅子をひけば呆気なく雪崩れる。
「……片付けろ」
「はいはい」
 数少ない直属の部下であるベリアルはルシファーの扱いに長けている。ルシファーの苛々には種類がある。今のルシファーは、弄ってはいけないタイプの苛々だ。この苛々の時は言いなりになるしかない。もしくは一人にして時間が解決するのを祈るしかないのだが、就業時ばかりはそうはいってられない。
「うちの管轄じゃないものも混ざってるな、これ」
 ベリアルは雪崩れた書類を手際よく片付ける。期限を確認しつつ、重要事項か否かを選別しながら分類をする。その中からどうしたってルシファーが手を付けるまでもない案件や、部署違いである書類が紛れ込んでいる。部著違いに関しては、間違えられる理由は分かっている。ベリアルは重苦しく、息を吐き出す。何度目かと数えるのも飽きてしまった。


「失礼します」
 若々しい声にベリアルが顔を上げる。ルシファーもちらりと声の主を見る。新入社員のなかでも一際期待をされている青年だ。まだスーツに着られている、インターン生のような初々しさがある。そしてベリアルの従弟でもある。ベリアルの姿を見て嫌な顔をするのは相変わらずだった。サンダルフォンはベリアルのことを見なかったかのようにしてルシファーのデスクへと向かってしまう。ルシファーに用事があるのだから仕方がないとはいえ、血縁者に対しての反応としてはいかがなものかとベリアルはちょっとだけ口を尖らせる。あんなに可愛がってやったというのにと、幼いころはぴいぴい泣きながらベリアルの一挙一枚にリアクションを見せていた姿は失せてしまい、今では芥虫を見るような蔑む視線である。生憎とその視線も苦にならないポジティブさもベリアルは持ち合わせているので問題はないのだが。
「書類が紛れ込んでいたので」
「……ああ、わかった」
 ルシファーに書類を渡すなり、サンダルフォンがそれではと足早に去ろうとするのをベリアルが引き留める。鬱陶しそうな顔をするサンダルフォンをからかってやりたい気持ちをぐっと抑える。
「そんな顔をするなよ、サンディ」
「……」
「サンディ、待ってくれ。ついでにこれも」
 持っていきなと言いかけた言葉はサンダルフォンが閉じようとした扉に挟まれた指先の痛みで掻き消える。
「〜っ!」
「わ、悪い!」
「……フッ」
 痛みに悶絶するベリアルと、ベリアルが苦手とはいえ決して故意ではなかったために慌てふためくサンダルフォンの姿に、ルシファーは苛立ちがすっと晴れていく。他人の不幸は蜜の味。なんて歪んだ性分ではないものの、自分以上に憐れな姿を見ると気分がよくなる。自分と比較して、アレよりはマシであると思うのだ。傍からみれば五十歩百歩。どんぐりの背比べ。どっちもどっちである。

「どうかしたのか?」
 扉を開けた先、蹲るベリアルと驚きすぎて涙目のサンダルフォンの姿が飛び込む。サンダルフォンの上司であり、怪訝な顔を浮かべる弟にルシファーが声を掛ける。
「いつものことだ」
「……ああ」
 いつものことである。見慣れた光景である。
「ならきみも、何時ものように?」
 ルシファーは何も言わず、不機嫌に書類を捲る。それが何よりの答えである。ルシフェルは床に散乱していた書類を集める。ベリアルがサンダルフォンに渡そうとした書類であり、サンダルフォンが部署に持ち帰ろうとした、ルシフェル宛ての書類である。
「別に、運動神経が悪いわけでも鈍臭いわけでもないのに、どうしてでしょうか」
 挟まった指は赤くなっている。被虐趣味があるとはいえ、あまり気持ちの良い痛みではない。そんなベリアルの指先を、濡らしたハンカチで冷やしながらサンダルフォンは首を傾げる。
 サンダルフォンは年の近い従兄であるベリアルを、ルシフェルは兄弟としてルシファーを、間近に見てきた。ルシファーも、ベリアルも、どうしてだか挟まってしまう。人の開けた扉やら自動ドアにがっつりと挟まる。もしくは手足であったり指先であったりを挟んで地味に痛い眼にあっている。
 存在感が無いわけではない。むしろ視線を集めるタイプである。だというのに、入ろうとした矢先に扉が閉まって、そこに挟まることが毎日のように起こっている。幼い頃に、その場面に出くわしたサンダルフォンはビックリしすぎて泣いてしまったが今では慣れたものである。それでも咄嗟に驚いて涙目になってしまうのだが。ベリアルのそういった体質というしかないものを知っているからこそ、サンダルフォンも気をつけているつもりなのだが、先ほどのように事故が起きてしまう。誰も悪くないのだ。ただただ、タイミングが異常なまでに悪いに尽きるのだ。
 扉以外にも鬼門は多い。クリップを使えば指を挟み、ズボンのジッパーにアレを挟んだり。これは男性ならではの声にならない痛みであり思い浮かべたくもない。
「サンディ……あのな、そんなのこっちが知りたいくらいなんだ」
 ベリアルの切実な声に、彼の私生活でとばっちりをくらってきたサンダルフォンやルシフェルも、流石に同情した。
「っ」
 小さく呻く声とクリップが弾く音。振り向くと忌々しそうな顔をしたルシファー。どうやら、指を挟んだらしい。しまったとサンダルフォンは失態に気付いた。目玉クリップで書類を留めてしまったことを思い出す。恨みがましい視線が突き刺さる。冷たい汗が背筋を伝った。

2019/04/05
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