ピリオド

  • since 12/06/19
 天井にはめられたガラス越しの陽ざしが、木目のテーブルをきらめかせている。顔を上げる。吊るされた鉢植えが目についた。鮮やかな花が咲き誇っている。壁を飾る額縁に入れられた蝶の標本に覚えがある。胸の中で吹き荒れる感情が、呼吸を塞ぐ。
 ああ、夢だ。
 サンダルフォンは息を吐き出した。過去を、再生しているのだ。時間間隔の無い世界には昼も夜も無かった。優しく寂しいだけの時間が過ぎていく。終わりの無い永遠の世界だった。
 サンダルフォンの意思に反して、肉体が立ち上がる。ただサンダルフォンに焦りは無い。驚きは無い。目的はわかっている。珈琲の木に、水をやるのだ。部屋をでて、歩く。緑が香る。豊かな緑を通り過ぎて、何もない土を前にする。芽は出ていないのに、そこに埋めたのだと、分かっている。
──珈琲の木々を、育てている。
 まだ芽は出ていない。時間は経っていないのだ。エーテルを操作すれば一瞬で育つことが出来るのに、自らの手で育てている。自分の手で、育てなければならないのだ。
 彼は何を思っていたのか、少しだけ、触れることが出来たように思えた。
 水をやり終えると、また部屋に戻った。戸棚から珈琲豆を取り出す。慣れた手つきで、量り、ミルにセットをして挽く。挽いたものドリッパーにセットをして、湯を注ぐ。立ち込める珈琲の香りが部屋を満たす。
──珈琲を淹れる。
 嫌いではない。好ましいものだ。けれど、珈琲を飲むたびに、寂しいと思う。同時に、彼を思い出す。思い出の中の彼は美味しいと言っていた。彼の淹れた珈琲の方が、好ましく思った。
 カップをソーサーに置く。かちゃり、と鳴る音は小さいのに、無音の部屋では大きく聞こえた。
──思いを馳せる。
 彼の言葉一つで世界が色付いていく。世界の美しさに気付いた。名前を呼ばれるたびに胸が高鳴った。待つことしか出来ないのが、もどかしい。けれど、彼は言ったのだ。
「行ってきます」
 無垢な笑顔は、希望で溢れていた。初めて彼が口にした言葉。いってらっしゃい、と言っていた彼が自分の意思で踏み出した。駆けだした。羽ばたいていく。だから「私」は待たなければならない。この場所で、彼が戻ってくるまで。「おかえり」と言うために。「ただいま」と、彼の帰る場所になるために。喜ばしいことだと分かっている。彼が空の世界で生きる選択をしたことを、応援しなければならない。応援をしているのに、ここにいてほしかったと、傲慢な自分が顔を覗かせる。彼の気持ちを初めて知れた。笑顔で見送っていた彼は、笑顔の下で孤独を、寂しさを、隠し続けていたのだろうか。それを知らずにいた自分に、知ろうともしなかった自分に、嫌気がさす。
「……サンダルフォン」
 名前を呼ぶ。返ってくる言葉は無い。当然だ。この世界に、彼はいない。彼が生きているのは、空の世界だ。
 なんでしょうか? どうかしましたか?
 思い出の中の彼の言葉が再生されるだけだった。
「待つ、というのは、こんなにも苦しいのだな」
──違う。これは。サンダルフォンの経験したことではない。サンダルフォンの過去ではない。思い出ではない。この記憶は、この光景は……



 瞼がひくついた。茫洋とした赤い眼が木目の天井を見上げている。何か、夢を見ていた気がする。寂しくて暖かな気持ちに包まれていた。目覚めたくないような名残惜しさを覚えた。そういえばと、サンダルフォンは自分がなぜ眠らされていたのかを思い出す。腹部に触れる。引き攣っていた皮膚が再生しつつある。肋骨が抜かれたのだということは分かっているが、実感は無い。サンダルフォンの意識が覚醒したことに気付いたカリオストロが声を掛ける。
「起きたか。無いとは思うが、変化は?」
「……問題はないな」
 サンダルフォンはカリオストロに視線を向ける。
「何に使うつもりだ」
「別に悪いことには使わねえよ」
 訝しむサンダルフォンにカリオストロは多くを語らない。語って、期待をさせて、出来ませんでしたでは格好が悪い。期待をしたばかりに、その期待が外れれば、絶望は深く、底がない。ならば、何も言わない方が良い。全ては舞台が整ってからだ。役者が揃っていないどころかシナリオも何もない段階では何も言えない。
 しかし、カリオストロには確信があった。これで、きっと、最高のハッピーエンドになるに違いない。
「オレ様の直感が正しければ、な」
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