ピリオド

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 差しこむ陽射しに目を細めながら、ベリアルは渡り廊下を歩いていた。こつり、と反響する足音。ベリアルの一挙一動を監視する視線。ひそひそと話しこむ声は耳障りだった。研究所に在籍する、限られた人物しか出入りを許されていない一室を目指している。星の民の研究者といえども、出入りは限られている。取り扱う全てが機密事項である部屋。研究所が管理をする最高機密である天司の製造室。その部屋の出入りを、制限されていないごく一部の中にベリアルは含まれている。どうしてお前が、獣如きがと言わんばかりの視線。嫌悪と憎しみ、嫉みを混ぜ込んだ視線は背筋をぞくぞくとさせる。ベリアルが一言、たった一言でも口にすれば、簡単に薄氷は割れてしまうだろう。それは、大変に面白い……。けれど、口を噤み、渡り廊下を抜ける。研究所でも奥まった、しんと静まり返った空間。此処まで来ると、流石に人の気配はない。
 ベリアルは詰めていた息を吐き出す。星の民の顔色をうかがう、なんて馬鹿げている。だが創造主たるルシファーの敵を無暗矢鱈と増やすつもりはない。ただでさえ、才能故に孤立して、敵が多いのだ。彼自身の性格もあるのだろうが。ベリアルが態々いらぬ反感を買うこともない。ベリアルが買わずともルシファーは勝手に、無自覚に売っているだろう。
 不定期に変更されるパスワード認証に虹彩認証、指紋認証と、厳重に、何重にも掛けられたロックを解除してやっと開く扉。踏み入れた瞬間、籠っていた熱が頬を撫でる。じんわりと汗ばむ室温設定に、首元のホックを外そうとした手を抑える。目当ての人物は直ぐに目についた。部屋の中央。出来上がった繭を前にして、信頼されているのだろうか、だとすれば笑ってしまうのだが、背中を向けている。どうせ、気付いているのなら無視をしないでほしいものだ。
「経過は順調かい?」
 声を掛ける。
 天司長ルシフェルが振り向いた。浮かべている表情はベリアルが見たことも無い、穏やかなものであった。心酔するルシファーと瓜二つの、同じ顔でありながら、緩んだ頬はどうにも、不気味に尽きる。気味が悪い。居心地が悪い。面白くない。苦々しく、視線を逸らしたくなるが、逸らすことは許されない。
 ベリアルを一瞥して、再び視線は繭に戻された。ルシフェルがぽつり、ぽつりと語りだす。
「一人でこういった作業をするのは初めてだったが、友が執心をする理由が分かった気がする」
「へえ……。きみが其処まで言うだなんて、余程のことじゃないか」
「自分の手で造る喜び、というものだろうか……。より良いもの与えたい、と。生まれる彼に期待をしてしまう。命を宿した彼に、願ってしまう。健やかであれ、幸福であれと」
「……ふぅん」
 鼻白む。なんて、つまらない理由だ。ちっとも、ルシファーの執心とは異なる。唯一と認められておきながら、対等であることを許されていながら、ルシファーの真意に気付いていない。ルシファーが天司を造っているのは、自分にとって都合が良いからに過ぎない。所詮は駒でしかない。その中で、ルシフェルのみが、ルシファーにとっての特別な存在である。期待をされているのは、ルシフェルだけだ。ルシファーが気付かせていないのもあるのだろうが、面白いものではなかった。ベリアルは当初の目的を口にする。これ以上、ルシフェルの妄言に付き合うつもりはなかった。
「それで、きみはこの天司にどんな素材を注ぎ込んだんだい? ファーさんからの命令でね、書類を作らなきゃならないんだ」
 協力を頼むよと言えば、ルシフェルはわかった、まとめようと二つ返事で首肯した。繭の前から移動して、デスクから書類を数枚手にとって確認をしている。ベリアルは横目で、繭を見る。きらきらと光り輝く繭はベリアルが此れまで見てきた天司の繭よりも、余程手が加えられていることが分かってしまう。もしかすると、四大天司を造りだしたときよりも、規模が大きいかもしれない。天司長お手製の、オリジナルの天司。ルシフェルの加護を一身に受けている。まさしく、執心という言葉が相応しい。ぞっとしない雁字搦めの加護だった。ルシファーがルシフェルに執心しているというのなら、ルシフェルは目覚めてもいない天司にその執心を向けている。公平無私な天司長からは、程遠い感情だ。果たして彼は気付いているのか。願うとは、欲望だ。目覚めてもいない天司に向けていることに、気付いているのか。考えても無意味だ。目覚めてもいないこの天司は所詮、役割を全うすることはないのだ。
 ベリアルは、昏い笑みを浮かべた。酷薄な、非情な笑みは、掛けられた声に掻き消える。
「待たせただろうか」
「いいや?」
「確認を頼む」
 用意をされた書類の確認をする。記入漏れや、誤字脱字なんて無いのだろう。端から訂正も、確認も不必要だと分かっている。形而上の作業でしかない。凡そは、ルシファーが予想をしていた通りの数値に材料だ。光の元素に四大元素の比率。容量が大きいのではないかと思ったが、まあ許容範囲であろう。それを判断するのはベリアルではない。
ただひとつ、引っ掛かりを覚える。
 素材について。どうにも、無視が出来ない。彼にしては珍しい、いっそ、初めてであろう、間違いを指摘する。天司を造るという作業に没頭をしていたようだった。これは確認をしておいてよかった。
「これは誤字かい? それとも、書き間違いか?」
「どれだろうか……いや、間違いではない」
 ベリアルが示す部分、引っ掛かりを、ルシフェルは事もなげに言った。
「彼には私の肋骨を一本、与えている」
 冗談をいう男ではないことを知っている。故に、正気を疑った。
 努めて、冷静に、振る舞う。
「ファーさんの指示かい? また素っ頓狂なものを素材にするものだ」
「いや、友からは何の指示も受けていない。天司を造れという命令以外は全て、私の意思だ」
「……なんでまたそんなものを素材にした?」
「友に倣ったに過ぎない」
「ファーさん……?」
「ああ。彼が言っていた。私を造るとき、肋骨を素材にしたのだと聞いている。それに倣ったに過ぎない。友からは、この子に……彼に与えられる役割も、何も聞かされていない。ただ、天司を造れと命じられただけだ。私は……彼に、私が出来る最善のことを尽くしたい。私のできる可能な限りの全てを、彼に与えたいのだ」
 ベリアルには、開示されていない情報だった。目を細め、ルシフェルを見る。ルシフェルの先に居る、彼の人を見つめる。相変わらず理解が出来ない御人である。何を考えているのだろうか。凡そ誰にも理解出来ず、想像の出来ない御人だ。もっとも、ベリアルの理解は不要なのだろう。彼にとっての理解者は、ルシフェルだけで良いのだ。彼にとってルシフェル以外は全て等しい。その意味も何もかもが、理解が出来た。感情が凪いでいく。
 ルシファーはルシフェルに、自分の一部を与えている。ルシファーにとって、ルシフェルは自身の一部なのだ。故に、平等であり、唯一である。
 ルシフェルは、話は終えたとばかりに、繭を見つめていた。
 目覚める気配は遠い。天司の揺り籠に触れる。じんわりと、陽だまりのような温もりが手を伝う。この中で、彼は育っている。早く会いたいと、はやる気持ちが芽生える。待ち遠しく、落ち着かない。今まで、抱いた事の無い感情だった。
「名前は決まっているのかい?」
 ベリアルの問いかけに、ルシフェルは迷うことはなかった。造る前から決めていたのか、造りながら決めていたのか、定かではない。ただ、呼びかけるとき、迷いはなかった。呼び掛けるたび、胸に暖かなものが込み上がる。呼びかけるたびに、彼を求める。まだ、目覚めてもいないというのに。
「サンダルフォンだ」
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