ピリオド

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 頻度は多くはないものの、親交を深めるという名目で酒宴が開かれる。実際には、親交を深めるなんて名目とは名ばかりで、酒を飲みたい口実である。長い空の旅路のなかで娯楽は少ない。数少ない大人の娯楽だった。毎度、巻き込まれているサンダルフォンは、団員たちが酒に呑まれている様子に呆れながら、パチパチと弾ける琥珀色の麦酒を飲み干した。喉を流れる爽快感は嫌いではなかった。
 大部屋の片隅で、酒豪たちに巻き込まれまいとマイペースに飲んでいる。絡まれれば待っているのは地獄だ。呑み潰そうとしているのか単純な善意なのか測りかねるペースに巻き込まれてはたまらない。良い飲みっぷりと囃し立てられながら次々と注がれる終わりの無い酌はもう二度と付き合いたくない。向かい合って飲んでいるのはアルベールだ。人付き合いが得意ではないサンダルフォンだったが、依頼を通じて、顔を合わせる頻度の高い団員たちとはそれなりに付き合いが生じるようになっていた。アルベールは星晶獣を好ましく思わない。とりわけ、災厄を引き起こしたというサンダルフォンに対しては厳しく思っていた。自分勝手に人を傷付けるなんてことは許されたものではない。しかし、彼の境遇を知れば、同情の念を抱いてしまった。それに、サンダルフォンという青年は捻くれているものの、根は純粋であることを知っている。戦闘を通じて何度も助けられたということもあり、アルベールはサンダルフォンという個人に対しては友好的である。二千年以上生きていることを知っているものの、世間知らずな所があるサンダルフォンに対して弟がいればこのようなものなのだろうかと思っていた。
「向こうに行かなくていいのか?」
 向こうと示された場所を、振り向けば、ルシフェルがいる。団内でも取り分け酒豪といわれる面々に囲まれながら、黙々と注がれる酒を呷っている。会話や酒宴の喧騒を楽しんでいる様子は見られない。それどころか顔色一つ変わっていない。何故、彼が酒宴に参加をしているのか、誰に誘われたのか、サンダルフォンは分からないでいる。彼が、アルコールを好んでいるのかすら、知る由も無かった。それどころか、アルコールを口にした光景を目にするのも初めてだった。
「別に、俺が行ったところで何もないだろ」
 自分に言い聞かせるよう言った。自分には関係のない事。口にした言葉とは裏腹に、サンダルフォンの意識はルシフェルに向けられている。全く、素直じゃないなと呆れながら、肩を竦めた。



 復活を果たしたルシフェルに対して、サンダルフォンは上手に振る舞えない。かつてのように、無垢になんて到底出来はしないし、憎しみなんて微塵も湧かず、かといって、素直にもなれない。どうしたって躊躇ってしまう。負い目があった。ルシフェルもまた、距離を測りかねている。じりじりと、お互いを気に掛けているのに、お互いが気付かない。
 そんな折りに、呑んで気晴らしでもしないかと声を掛けたのは、気を利かせたつもりの団員だった。
 ルシフェルは「アルコール」というものを知識として得ている。空の民の嗜好品の一つ。エルーン族は酒造技術に長けており、ドラフ族が好んでいる。酒造技術の進化には目を見張るものがある。空の民の間に根付いた文化として、興味が無いわけではなかったものの、口にした事は無かった。サンダルフォンも顔を出すよ。渋る素振りを見せたルシフェルに、背中を押すように声が掛けられて、気が付けば首肯していた。
 そして、ルシフェルは造られて以来、初めて酒を口にした。

「いいのみっぷりにゃー!」「よっ! 天司長!」「ほらほらのんでのんで」
 にゃははと囃し立てる声。サンダルフォンはちびちびと飲み進めながら、その意識はルシフェルに向けていた。天司長に、何を言っているんだ。あの方も、なぜ何も言わないのか。不満がふつふつと湧き上がる。偶然を装いながら、ちらちらと視線を向ける。視線は交わらない。常と変わらない表情で黙々と酒を呷っている姿がある。
 ルシフェルの意図なんて、思考なんて、サンダルフォンには到底理解できない。
 なぜ、騎空挺に身を寄せているのか。自分を咎めることをしないのか。なぜ、何も言わないのか。湧き上がる疑問は尽きない。問いかけは積み重なる。なのに、投げかけることが出来ないでいる。暗澹とした気分で、いつまでも晴れない。

「……ん?」
 サンダルフォンは不意に差した影に、怪訝に振り返った。ぬっと、立っていたのはルシフェルだった。相変わらず表情の変化が乏しく、何を考えているのか分からない。無表情で、黙り込んでじっとサンダルフォンを見下ろしている。何を言われるのか、怯えていたサンダルフォンも、酒を飲んで気が大きく出ていた。
「何か御用で?」
 口にし掛けた言葉は、伸ばされた手で噤んでしまった。くしゃりと、髪を掻き撫でられた衝撃で、呑みこんでしまった。きょとりと、幼い顔を晒して、ルシフェルを見上げる。先ほどまでの無表情が嘘のように、慈愛があふれ出さんばかりの笑みを浮かべて、
「大きくなったね、サンダルフォン」
「……造られたときから、変わっていませんが」
 サンダルフォンは胡乱に、麦酒の入ったグラスを片手にルシフェルを見上げた。稚けない表情は一点して、訝しげに揶揄されているのかと不快に色付く。しかしルシフェルはお構いなしに優しい手つきではあるものの、大胆に触れていく。
「可愛い…… 可愛い……」
「はっ!?」
 髪を撫でていた手がするすると降りて頬に触れる。すりすりと滑らかさを楽しんでいたのが、やがてふにふにと感触を確かめるような手つきになる。サンダルフォンは戸惑い、されるがままになっていた。突拍子のない言動に、戸惑いを隠せないのはサンダルフォンだけではない。酔いも覚めたと言わんばかりに、団員たちの視線が突き刺さる。ルシフェルに只管酒を振る舞っていた面々に至っては全員が素面のように、真顔で見守っていた。

「私のサンダルフォンは可愛いだろう?」
「ん!?」
 サンダルフォンのすぐ傍で飲んでいたアルベールに矛先が向けられた。まさか、自分に声を掛けられるとは思いもしていなかった。サンダルフォン以外を視界に入れていないと言わんばかりの言動だったのに、なぜ自分に。傍観に徹していたアルベールは吹き出しかけた葡萄酒を呑みこんで、
「あ、ああ……まあ可愛いんじゃないか」
 男相手に可愛いという表現はどうなんだろうか、とかそのサンダルフォンは麦酒を片手にくだを巻いていたのだがとか、思うことはあった。だがまあ、気分のよさそうなルシフェルに水を差すことも悪いし下手に刺激をしない方が良いだろうと、同意をした。
「きみにサンダルフォンの何が分かる」
 ルシフェルは不満げに切り捨てた。アルベールは頬をひくりと、ひきつかせる。周囲が同情の視線を注いだ。そんなこと、しったこっちゃないと言わんばかりにルシフェルが明朗に語りだす。

「サンダルフォンは私が唯一造った天司だ。友に命じられて造ったとはいえ、彼を造るにして私は心血を注いだと言ってもいい。髪の色、瞳の色、肉体の比重、声帯、翼の色、形状……髪の一本から足の爪先に至るまで全てをデザインした。既存パーツを組み合わせるだけで良いと言われたがどうしても、全てを私が造りだしたかった。髪の色は光の加減で赤み掛かる色合いにした。この配合には少々悩んだものだ。黒色だけでは寂しいように思えたのだが赤みを加えすぎると派手すぎる。それでいて優しい色合いにしようと試みた。加減で、赤褐色に色合いが落ち着いたとき、髪質も、この髪色にあうようにと考えてゆるりとした癖のある質にした。瞳の色は既に決めていた。赤色、取り分け、深い赤色だ。朝焼けの色、夕焼けの色、命の色、炎の色。命の輝きを宿す色。稼働前のサンダルフォンを前にして、その瞳が映す世界が美しいものであれと願った。私の愛しいと思ったものが、祝福になるならばと願った。肉体は戦闘にでても支障がなく、不利にならないようにとしなやかな四肢とした。肉薄を想定しているとはいえ腕力で立ち回るよりも、敏捷性を優先した。少しでも傷つくことが無いようにと願いを込めた。彼の声は何処に居ても、耳に馴染む。耳の構造、音の周波から好ましい音域となっている。天司の象徴である羽なのだが、私と同じ白にしようかと思った。それ以上の色合いを思い浮かべることが出来なかった。既に稼働している天司たちと同じ羽を与えるのは憚れた。けれど、悠々と空を舞い、力強いはばたきをみたときに此れ以上のものはないと思った。野鳥と同じにするのかと友には笑われたが、大空を舞う姿を、まだ稼働前のサンダルフォンに重ねて、此れいじょうのものはないと確信をしたのだ。……サンダルフォンを形作るすべては祝福に満ち、彼の幸福を願うもので出来ている。私が愛しいと思い恋しいと焦がれたもので形作られているサンダルフォンなのだから、だから」

 あなたの可愛いサンダルフォン、羞恥で死にそうになっているぞ。制止の声は誰にも掛けられなかった。流暢に語っているルシフェルはとけるようなまなざしで、唇をわなわなと震えさせ視線を彷徨わせているサンダルフォンを見つめている。全て、サンダルフォンに語っている。普段の言葉の少なさが嘘のように語り続けていたルシフェルだったが、ガクリと、突然、体が傾く。力が抜け落ちたように、サンダルフォンは慌てて支えようとしたが、体格差もあってか押しつぶされ、ぐしゃりと共に倒れ込んでしまった。
 サンダルフォンは押しつぶされながら、青褪めた顔で、ルシフェルの様子を伺う。ルシフェルさま? 恐る恐ると呼びかける。何が起こったのか、状況が理解できないでいた。脳の処理が追いつかないでいた。突拍子もない言動に気を取られていた。なにか、不具合があったのだろうか。そもそも、不具合でなければ、なんだというのだろうか。
「ルシフェルさま!」
「大丈夫だ、サンダルフォン」
 悲愴な声を上げたサンダルフォンに声を掛けたのはアザゼルだった。事の成り行きを見守り、息を潜めて巻き込まれまいと見守っていた一員である。ほらと、アザゼルが示す通りに耳をすませれば規則正しい寝息が耳を擽った。
「寝てる、だけ?」
 不安が拭われ、安堵をして力が抜ける。力が抜ければ、すぐ傍にある熱を思い出せて、間近にかかると壱岐が、胸がそわそわとさせて落ち着かない。
「な、なんだったんだ……」
 もぞもぞと、サンダルフォンはルシフェルの下から逃れようとするも、抱きしめるように回されていた腕は眠っているというのに力強く、どうにも解けない。困り果てて、助けを求めるように様子をうかがっていた面々を見上げるが、彼らはささっと視線を逸らして「今日はお開きにしましょうか!」なんて言いだして、片付けを始めている。薄情者……。低い声が非難をする。サンダルフォンは首筋に掛かる息を意識して、酔いも眠気も、何もない。


 周囲の団員たちは元より、ルシフェル本人も知らぬことではある。ルシフェルには酒精を分解する機能がない。創造主であるルシファーは、まさかルシフェルが酒を口にするなんて想定していない。だって、どうしたら酒を口にするなんて展開が起こり得るというのか。天司長だぞ。最高傑作だぞ。態々、リソースの一部を割くことも無い。それよりも向上させたい機能がある、備え付けたい能力がある。基より飲食とて不要な星晶獣である。珈琲を好んでいると知らされたとき何を言ってるんだと報告を鼻で笑ったほどである。即ち、ルシファーの誤算である。


 殴りつけられたような、ズキズキとした頭部の痛みに、ルシフェルはくぐもった声を漏らした。せり上がる不快感に、顔を顰めてから、ふと、何か暖かなものを抱きしめていることに気付いた。不快感が和らぐ。ほっと息を吐き出せば、抱きしめていたものが身動ぎ、柔らかなものが頬をくすぐり、まどろみから、浮上する。抱きしめていたのは、
「サンダルフォン?」
 茹で上がったような顔色で、じんわりと膜が張った瞳。何故、サンダルフォンが? 驚いて、抱きしめていた腕の力が抜けた。その瞬間に、サンダルフォンはルシフェルの腕を振り解いて部屋を飛び出していた。俊敏な動きで、ルシフェルが声を掛ける隙も与えない。ルシフェルは一人、何があったのか、さっぱり分からないまま、雑に片付けられた、酒宴の名残がある大部屋に取り残された。

2019/02/21
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