ピリオド

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 即位して日は浅い。しかし、ルシフェルは王であることが当然のように、堂々としている。彼の容貌に、かつての王を知る官吏は息を呑むが、全くの別人であることを知れば胸を撫で下ろし、安堵をした。ルシフェルには人を惹きつける天性のものがある。魔物は着々と国内から排除をされ、国民は徐々にではあるが、戻ってきている。国として機能をしだしていた。
 政務に追われるなか、ルシフェルはひと時を、警備に就く兵もしめ出し、麒麟と二人だけで過ごしている。政務に関わることが話題に出る事は無い。蓬山でのように、他愛も無い話をするだけだった。場所は定まっていない。その日は、遡れば数世代前の王が作った離宮だった。寵姫のために作らせたという離宮は、かつての栄光の全てが剥がれ落ちたている。廃墟同然だった。荒れ果てた庭園を、使役するカーバンクルたちが飛び跳ねて遊びまわっている。
「サンダルフォン、ですか」
 王を見上げる。白銀の髪は陽に照らされ煌めき、眩しさに目を細める。彼が口にした言葉を繰り返す。聞き覚えの無い言葉だった。不思議な音だった。ルシフェルは諸国で護衛として雇われた経験を持つ。学び舎に通ったことがない、そのために基礎はでたらめであるが、稀有な事柄を数多く経験し、多様な文化に触れてきた。
「君の名前だ」
「……俺の、名前?」
「ああ。この国の王に仕えた麒麟は記録されている。けれど、私の麒麟は君だけだ」
 私の麒麟。そう言われて、喜ばない麒麟はいない。サンダルフォンと名を与えられた麒麟も、歓喜に、頬を薔薇色に染めていた。随喜に涙があふれ出しそうになる。サンダルフォンは幸福を噛みしめる。同時に思い出してしまう。サンダルフォンには忘れられない王がいる。忘れられない人がいる。決して、幸福になってはいけないと、戒める声が聞こえる。許さないと、咎める声が聞こえる。
「……気に入らなかっただろうか」
「そんなことは!」
 俺には勿体ないくらいです。サンダルフォンは、自分の浮かべている顔に気付かない。なんてことのないように、ただ喜びを伝えているつもりでも、その表情は泣き出しそうな笑みを浮かべていた。



 一人になると、深く、考え事をしてしまう。
(私は、サンダルフォンのことを守れているのだろうか)
 活気を取り戻しつつある城下。賑わいを見せる国民。魔物は殆ど姿を見せることはない。ルシフェルは、王として、采配は正しく、国を導いている。人々の活気あふれる声に、笑みに、ルシフェルは確かに喜びを覚える。
(この国は、彼の安らぎとなっているだろうか)
「麒麟に名前を付けるだなんて、優しい王様だなあ。あの人とは大違いだ!」
 酷薄な声に、ルシフェルは剣を手に取り、突きつける。闇夜の寝室、扉に開閉の形跡はない。あれば、警備のものが騒ぎ出す。この男は警備の目を掻い潜り、何等かの術で寝室に入り込んだ。ルシフェルの突きつけた剣を見て、ぱちくりと目を瞬かせると、降参だと言う様に男は両手を顔の横に上げた。
「忍び込んだのは悪かったよ。けど、敵意はない。本当さ」
「忍び込んだことを認めるんだな」
「まあね」
 首に付きつけた剣なんて気にした素振りはない。男は飄々と応える。危機感を抱いてない。この状況を、楽しんでいる素振りすら見せる。
「教えてやろうか? どうして君の麒麟が怯えているのか」
 君の麒麟。誰を示しているのか分かる。ルシフェルは眉をひそめれば、ケラケラと男が笑いだした。癇に障る、不愉快な笑い声が寝室に響いた。ルシフェルは不快になる。それは、ルシフェルにしては珍しい、嫌悪だった。
「その顔ファーさんにそっくりだな!」
「ファー、さん?」
「聞かされているだろう? 君の前の王様。ルシファーのことさ。そして君の麒麟の怯えの原因さ」
 ルシファーという前王について、ルシフェルも知っている。前王の、その前から仕えていたという古い官吏に聞かされた。残酷な王として、彼の名前は刻まれている。治世は僅か数年で、たった数年で国は荒れ果てた。今も、その傷跡は国中に残っている。彼が何をしようとしたのか、目的も思考もなにもかもが、謎だった。常人の理解を越えた男は、叛乱軍の手によりあっさりと王位を手放し、そして死を迎えたという。ルシファーという男の名前は、悪名として他国にも知れ渡っている。だからこそ、次代の王であるルシフェルに向けられる期待は大きく、そして諦めは重い。



 荒れ果てた国を見て回っていた。影の中から周囲を伺う使令と、女怪の気配に心強さを覚えながらも、守るべき民たちの様子を見れば、胸が絞め付けられた。陰鬱として、生きるのに精いっぱいな民は俯いてばかりいる。裏路地には、手足を失った物乞いや、骨と皮だけの子どもが虚ろな目で空をみつけている。手を差し伸べてはならない。分かっているからこそ、見て見ぬふりしか出来ないからこそ、心苦しい。
「おい、気をつけろ」
 余所見をしていたから、目の前に人がいることに気が付かなかった。よろめきながら、悪いと謝れば舌打ちが返される。恐怖に、身が竦んだ。青い眼が、見下ろしている。不快さと、苛立ちを隠す事が無い。視線を向けられてから、男は興味を無くしたようだった。去っていく。無意識に、その背中に、手を伸ばした。
「なんだ?」
 震える手で掴んだ袖。男には意図が不明で、不気味だったのだろう、見下ろす視線には嫌悪感が滲み出ていた。その視線を受け止めながら、本能が、体を動かした。足先に頭を垂れる。誓約の言葉を口にする。周囲がシン、と静まり返った。男が、主上が許すと答えれば歓声が湧き上がった。麒麟に目もくれず、男はそのまま歩き進める。その後姿を追いかけた。麒麟のまろやかな頬が興奮に、やっと見つけられた王の存在に、赤く染まった。やっと出会えた王に、全幅の信頼を寄せていた。稚い、無垢な心は彼の持つ、ルシファーという男の本質に気付くことは出来なかった。



 ルシファーという男は確かに王となるために産まれた。天命のまま、王となった。けれど、彼は王になりたいなんて思ったことなんて無かった。顔も知らない他人の人生を背負うなんて御免で、贅沢な暮らしだとかいう俗物的なものにも興味は無かった。運命とかいうものが嫌いだ。不確かに、誰かに決定されるなんて、屈辱以外の何物でもない。だというのに、彼は麒麟の誓約を許した。王となった。傅いた麒麟に、ルシファーは心を許せない。慕う姿を見せながら、ルシファーだから、傅いたのではない。ルシファーを求めたのではない。王、となる人物を求めたに過ぎない。麒麟は王に傅いても、そこに人はいない。ルシファーはいない。それが、許せないでいる。気付いてしまう。麒麟という、半身に求めるものに気付いてしまう。彼の特別になりたいのだ。彼の柔らかな心に、無垢な心にルシファーは刻みたい。ルシファーという存在を、刻み付けたい。
「相っ変わらず歪んでんなあ!」
 ベリアルは笑う。王となったという、昔馴染みの顔を見に来れば、彼は一段と歪んでいた。元々が常人離れをした思考回路とはいえ、愛されることがないなら憎まれて恐怖されることを選ぶとは! ルシファーはその果ての、結末を理解している。理解して、それでなお改めることはしない。別の手段を選ばない。どの方法が、効果的に、どの遣り方が効率的であるかを把握している。彼の筋道通りに、事は進む。後戻りは出来ず、ルシファーは戻らない。ただ前を見ている。
「愛のためなら無辜の民を犠牲に出来るっていうんだから!」



「王は何をしているんだ!」
 玉座に就いて半年。だというのに、未だ国中には魔物が蔓延り、災害は続き、民の疲弊はたまっていく。国外に亡命した民は数知れず、戻って来る気配はない。荒れ果てた国は変わらない。それどころか、王が不在であった時代よりも、酷くなっている。麒麟も、弱々しく、床に伏せるようになった。国内外で言われている。麒麟は、本当に王を選んだのか。あれは、王ではないのではないか。その言葉は麒麟の耳にも入った。間違えるはずがない。あの人は王だ。天命をもって、王となるために産まれた人を、間違えるはずがない。
「しゅ、じょう……」
 弱々しく呼びかける。王の背中を追いかける。まってください、と手を伸ばしても、その手は振り解かれる。はらはらと涙を流しながら蹲る。瑞々しかった手足に病の兆しが見えだしていた。その手足を、ルシファーは興味深そうに触れた。
「失道の病、だったか?……遅いくらいだな、何が天命だ。バカバカしい」
 ルシファーの詰る言葉に、零れる涙を止めることができない。
「主上、お願いです。どうか、正しき道を、どうか、民を、国を」
 再三ともいえる懇願に、ルシファーは重い息を吐き出す。
「……くだらん」
 それから間もなく、ルシファーは反乱軍に囚われ、目の前で斬首された。捕らわれても、その目は後悔の色に染まることなかった。ごろりと地に落ちた生首に触れる。血肉どころか殺生が不得手な麒麟が触れるには、それはあまりにも残酷な形をしている。彼の人の共に、せめて共に死をと願い差し出した首に、刀が落ちることはなかった。麒麟が死ねば、王は死ぬというのに、王が死んでも麒麟は死ねない。失われた半身を追いかけることも許されない。蓬山に戻される。新たな王が産まれるまで、会えるまで、そうして、生きてきた。



 仙籍に身を置く男は、ベリアルと名乗り、サンダルフォンと前王のことを昔語りのようにルシフェルに聞かせた。
「まあ俺としてはアレが生きていようがどんな王が就こうがどうだって良かったけれど、流石に君の見た目には驚いた。まるでファーさんが生き返ったみたいだ」
 前王であるルシファーと、男の関係は話を聞いた限りでは把握できない。しかし、ベリアルがサンダルフォンに対して負の感情を抱いていることは分かる。それだけで、警戒に値する。
「アレは君に、ファーさんを写しているんじゃないか?」
「黙れ」
 ベリアルは肩を竦めた。
 思い当たる節が、無いわけではなかった。彼は、サンダルフォンはルシフェルを恐れている。王であるから、恐れているだけではない。初めて会ったときから、ルシフェルに対して委縮して、怯えている。気付いていた。
 治める国は、民たちは、サンダルフォンを恨んでいる。王を止めなかった。愚かな男を王にした。サンダルフォンを責め立てる。
 麒麟は仁の生き物だ。サンダルフォンも、憎まれ口を叩きながらも、性質は何処までも優しい。あまりにも優しい心は、傷つきやすい。彼がこの国で休まることは出来ているのか。長く仕えている官吏の厳しい眼は、恐れ敬いながらも、前王を止めることの出来なかった仁の生き物に、失望している。ルシフェルはそれを止めることが出来ない。人の感情を、止めることは誰にもできない。
 ベリアルが話を終えれば、静寂が訪れる。その静寂を裂くようにグルルルと獣の鳴声が響いた。
「おっと、これまでか」
 ルシフェルの影からサンダルフォンの使令が姿を現す。サンダルフォンが使役するなかでも酷く凶悪な魔獣。仙籍に入っているとはいえ、負わされる傷に違いはない。死ねないからこその苦しみがうまれるだけに過ぎない。尤も、ベリアルにとってはその苦しみも快感に違いなく、無意味であるが。
「じゃあな。オウサマ」
 ベリアルはするりと姿を消した。最初から、其処には何もなかったように。



「主上!」
 扉を蹴破るように姿を見せたサンダルフォンに、ルシフェルはきょとりと目を丸くさせた。ルシフェルの姿を視界に収めたサンダルフォンは、ほっと胸を撫で下ろし、使令を下がらせる。吊り上った眦がルシフェルを責めている。同時に、瞳は泣き出す間際のように潤んでいた。
「……異常が見受けられたので」
「そうか。けれど、何もないよ」
 じとりと見上げる瞳に、ルシフェルはベリアルのことを口に出来なかった。サンダルフォンの過去を蒸し返すことは出来なかった。サンダルフォンが、傷つくから。ルシフェルは、サンダルフォンが穏やかであることを望んでいた。蓬山で出会った「エリヤ」が見せた笑みを、ルシフェルは「サンダルフォン」から向けられたことがない。サンダルフォンは
「俺は、信用できませんか」
「違う。そうではない」
「なら、どうして仰ってくれないのですか」
 何かがあったことは間違いない。けれど、ルシフェルが何を隠そうとしているのか、サンダルフォンには分からない。
「サンダルフォン、君は何も心配をすることはない」
「主上? それは」
 どういう意味ですか。紡ごうとした言葉を飲みこむ。言おうとした言葉を、口にすることが出来ない。開きかけた口を閉じた。
「今日はもう遅い」
 ルシフェルに言われてしまえば、サンダルフォンは何も言えなくなる。しんと静まりかえった廊下を、ぺたりと歩いた。
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