ピリオド

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※シオ=ルシ



 珈琲を淹れようとしたサンダルフォンに団長は、砂糖とミルクをとぽとぽと入れるというのに、自分の分も淹れてくれなんてお願いをして、サンダルフォンを呆れさせた。呆れながらも、嫌だ、淹れない、なんて選択はサンダルフォンの中で浮かばない。渡したカップの中身が、最早珈琲本来の味もかすみ、砂糖とミルクの塊になっていても、だ。
「意外だったな」
 げんなりとしたサンダルフォンを余所に、呑気にそう言ったのは団長だった。言葉を掛けられたサンダルフォンは胡乱に、そちらを見る。団長はへらりと笑うだけで、いよいよ、サンダルフォンは真意を掴めない。団長自身に深い思惟があるわけではないが、真面目すぎるサンダルフォンは言葉をそのままに受け止めてしまう。だから、意外、と思われる行動をしたのだろうかと考え込んでしまった。その様子に、団長は少し慌てて言葉を付け足した。
「■■■と上手く付き合えてるみたいだから」
「……?」
 何を言っているのだろうと、訝しむサンダルフォンに、団長はごめんと笑いながら謝罪を口にする。ちっとも謝っていないだろうと、呆れる以上に団長が口にした言葉がサンダルフォンには気掛かりだった。
「サンダルフォンが大人げないとかそういう心配してたとかじゃなくて、■■■にショックを受けるんじゃないかなって心配だっただけだから! まあ、何もないみたいだから良かったけど」
「きみは、」
「怒らないでよ!? じゃ、じゃあ、ちょっと依頼の確認してくるから!」
 サンダルフォンの言葉を遮り、ごちそうさまと、カップを置くと、団長は逃げるようにその場を走って行った。こらと、年上の団員が窘める声にごめん!と謝る声が響いた。ぽつりと残されたサンダルフォンは珈琲を淹れたカップを手に取ったまま、不快に、言葉を続ける。
「なんて、言っていたんだ」
 団員たちの声で掻き消えたわけではない、団長も別にひそひそと話していたわけではない。だというのに、サンダルフォンの耳には団長の口にした一部が聞き取れなかった。ノイズが走った、あるいはその音だけが抜け落ちていた。おそらくは、人名だ。サンダルフォンにはますます理解が出来なくなる。共闘と称して、騎空団に身を寄せるようになってから、決して短くはない時間を過ごしてきた。癖の強い団員たちとも、拗れた関係ではない。人が良すぎる団長の下に募った団員だ。かつて災厄を引き起こしたサンダルフォンに対して、その処遇と過去に憐れみを向けられることはあっても、正面から憎悪を向けられたことはない。彼らも人だから、思うことはあるだろうと、サンダルフォンも理解はしている。内心で憎まれても仕方ないと理解をしている。しかし、サンダルフォンが接してきた団員たちからは憎悪を向けられた記憶もなければ、経験もない。
「誰のことを指している?」
 むくむくと疑問が湧き上がる。その人物と接してきたことがあるようだ。サンダルフォンには、団内で敵意を向けるような人物に心当たりはない。団長の口ぶりからすれば、サンダルフォンとその人物の相性は、あまりよくないようだった。だから、ますます不思議に思ってしまう。
 らしくないなと自分でも思う。他人を気に掛ける余裕なんてないというのに。落ち着かせるように、温くなった珈琲を口にした。

「■■■■■■■」

 声を掛けられたように思った。カップから唇を離して顔を上げても、きょろりと周囲を見渡しても、誰もいない。気の所為、だろうかと珈琲を一口含み、温さに顔をしかめる。決して、短い時間ではないが、長くはない。数千年を生きてきたなかで、騎空団に身を寄せている時間なんて極僅かだった。その長い時間のなかで、他人と共同生活をした記憶は無い。知らず、気を張っていたのだろう。
 幸いなこと、といえば嫌味になるが、今日は団長とは顔を合わせていない。いつもは忙しない珈琲を飲む時間が珍しいことに、平穏だった。たまには、こんな日も良いだろうと、サンダルフォンは温い珈琲を口にしてほっと一息を付いた。同時に、罪悪感が湧き上がる。天司長としての力は回復しきってない、遺産に関する手がかりも掴めていない。何を悠長にしているのだと声が聞こえた。
(はやく、取り戻さなければ。約束を果たさなければ、俺に、こんな時間は、)
 サンダルフォンは、味気なくなった珈琲を、飲み干した。



 空の民であれば、忘却が備えられているが、造られた存在である天司にとって、忘却とは不要な機能だ。天司の記憶は消えない。情報は蓄積される。記憶の改竄は、負荷がかかる。それでも、サンダルフォンの記憶を封じる。■■■としての存在を、悟られるわけにはいかない。■■■を、認識されてはならない。天司長として稼働しているサンダルフォンに、これ以上の負荷を掛けるわけにはいかない。■■■は、切り捨てるべき存在であり、不要な情報である。
 悪夢に魘される姿に寄り添いたい。悪夢を除きたい。傷つく姿に手を差し伸べたい。傷付けるものが許せない。けれど、■■■にその資格はない。■■■が手を差し伸べることはできない。どれだけ、恨まれても、憎まれても、サンダルフォンに向ける感情は変わらない。安寧、と慈しんだ存在に変わりはない。そして、そのサンダルフォンを苦しめているものが自分であることを、許せない。
「……ままならない、ものだな」
 落ち着いたように、すうすうと寝息を立てる姿を見おろし、懺悔を繰り返す。汗ばんだ髪を払おうと、伸ばしかけた手を、押しとどめた。今は、出来ない。触れることは、許されない。だって今は■■■なのだから。サンダルフォンにとって見知らぬ存在であり、認知されない存在。それが、自身に課せた役割だ。
 傍に居る。私はここだ、ここにいる。何度、口にしようと思ったことだろうか。天司長であったルシフェルとの約束のために、遺志を継いで、傷つく姿に、胸が傷んだ。仇討ちを託したわけではなかった。決して、サンダルフォンを傷付けるために言葉を残したわけではなかった。この空の世界に、絶望をした彼の生きる標となり、この世界の美しさを知り、そして、空の世界を守ってほしいと願った。自分の代わりに、なんて言うのは烏滸がましくも、けれど、サンダルフォン以上に、託せる存在は無い。結果として、ルシフェルの残した言葉は、サンダルフォンの生きる理由となり、心を縛る呪いとなった。
「だめだな、君に関することを、いつも、私は……間違えてしまう」
 そのくせ、執着をして、妬みを覚えるのだから、性質が悪い。
 得意点に感謝をしている。特異点の存在により、サンダルフォンの心は救われている。孤独であったサンダルフォンに手を差し伸べる存在。それが、許せないでいる自身を、恥じた。浅ましくも、その資格を失っているというのに、サンダルフォンを守る唯一の存在でありたかったと、今更になって思うのだ。サンダルフォンが淹れる珈琲を飲む、唯一でありたかったのだ。名前を呼び掛けられる唯一でありたかった。生命の輝きを帯びた瞳に映る、唯一でありたかった。
 名前を呼びかけた口を噤み、■■■として、何も知らないように振る舞う。交わらない視線に焦がれる。カーテン越しの薄明りが、夜明けを告げる。

2019/01/16
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