ピリオド

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 テツナは元より白い顔を殊更、青白くしていた。念入りに整えられ、品の良い香の焚かれた寝室の寝具に浅く腰かけ、早鐘を打つ心臓を抑えるように胸元に手を当てた。直前まで、他人事のように思っていた。心配そうにする婚約者よりも落ち着いていた程で、婚約者は少し引いていた。なのに、湯を浴び、薄く化粧を施されて寝室へと通され、一人になると、途端に、不安に襲われた。落ち着かず、意味も無く、真っ白い絹の服を弄っていた。
 体感としては、何時間にも思えた。このまま、夜が明けてしまえばいいのに。けれど、とうとう、部屋の扉が開かれる。
 薄暗闇の中でも暗闇にすっかり目が慣れたテツナには、幼馴染であり夫となった彼とよく似た色合いの髪色が見えた。大丈夫。自分に言い聞かせる。
「きみがテツナ?」
「はい」
 落ち着きを取り戻しつつあるとはいえ、未だ緊張が濃く残り、上擦った声だった。領主はその様子に、くすりと笑った。失笑や、嘲笑なんて小馬鹿にしたものではない。緊張を解すために、落ち着かせる笑いだった。
 何時の間に近づいていたのか。隣に腰掛けていた領主は、緊張でぎゅっと拳を作って冷たくなった黒子の手を包み込んだ。
「怖い?」
「……いえ」
 恐怖は、なかった。仕来たりだから、納得している。
 生まれながらの気質なのか、育った環境からか、テツナは物怖じない性格だった。誰からも女子であることを不思議に思われ、男児でないことを惜しまれた。決して、ガサツだとかいう訳ではない。物怖じないだけだ。そんな、テツナでも、流石に緊張する。それから、
「なら、不安か」
「…………はい」
 漠然とした不安があった。
 手元を見れば、拳は開かれて、指は絡め取るように繋がっている。テツナの手は、家の手伝いで荒れておりろくに手当もケアもしないからガサガサだった。
 農作業も水仕事もしないのだから、それは美しいのだろうと思っていた領主の手もまた、荒れていた。中指にはペンを使うから癖のようにタコがあり、剣を振るう手の平には豆が出来ていた。テツナの良く知る、働き者の手だった。
 テツナは、遠く、雲の上の人のように思っていた領主が、意外にも自分たちと変わらない、只の人であったことに気付いた。
「どうかしたのか」
「いえ、領主さまも人なのだなと思いまして」
「当たり前だろう」
「そうですよね」
 ふふふ。思わず笑ってしまったテツナに、領主は目を奪われる。何の意図も無く、ただ可笑しいから笑ったテツナは無邪気そのものだった。そんな彼女の純潔をこれから奪うのかと思うと、自然と喉が鳴った。
 黙り込んだ領主に、粗相をしてしまったのかと不安に感じたテツナが窺う。
「領主さま? どうか、しましたか?」
「征十郎と、」
「……?」
「征十郎と、呼んでくれないか」
 それまでの上から目線の口調とは異なる口調に、少しばかりの疑問を抱きながらも、言われるがままにする。
「征十郎さま?」
 これで良いのだろうかと窺おうとすると、視界がぐるりと反転し、体が寝具に沈んでいた。一瞬ばかりの出来事に目を見開き、思わず抵抗しようと突き出した手を征十郎は拘束する。そしてテツナははっと、本来の目的を思い出し、気まずく、目を泳がせる。その様子に征十郎は首元に顔を埋めて笑いを噛み殺す。けれども、噛み殺せなかった振動はテツナにも伝わっていた。
 やっと笑いの引いた征十郎は顔をあげて、テツナの頬を撫でる。気まずげだった視線も合わせられた。状況をすっかり忘れたテツナは自分とは正反対の目だなとぼんやりと思った。その目は妙に熱っぽさを孕んでいてどきりとしてしまう。

〇 〇 〇


 目を覚ました時、誰もいなかった。そういうものなのだろうと思いながらも何処か残念なような、ほっとしたような複雑な心境でテツナは起き上ろうとするも、ズキリとした腰の重みに再び寝具に戻ってしまう。その重みがどうにも気恥ずかしい。その姿勢のままにやけに家の中がざわついているのを感じ取る。確かに今日は外向けの婚礼の日であるのだけど、それにしては当人である自身を放置するのもおかしい。それに、幾ら影が薄いと散々に言われて、あらゆる時に忘れ去られるとはいえ、今日ばかりは主役の一人でもあるのだから、忘れられるはずがない。
 テツナはゆっくりと起き上ると、落とされていた服を持ちあげる。柔らかな生地であるため皴がつくことは無かった。緩慢な動作で着ると部屋を出て、見知った侍女に声を掛ける。
「どうかしました?」
「お、お嬢様!? すいません、今すぐ湯浴みを」
「ああ、それは後でも良いですよ。それより、どうかしましたか」
 テツナの言葉に侍女は眉を下げて視線を彷徨わせる。そんな侍女に助け舟を差し出したのは父だった。普段は穏やかな顔で、人当たりも良いテツナにとっても自慢の父だった。なのに、今は険しい顔をしている。何か、あったのは間違いがない。テツナの顔も、知らず険しくなる。
「部屋にいなさい」
 頷いたテツナに父は申し訳なさそうな顔をして、後で説明すると言って、使用人に指示を出していた。
(大我くんはどうしたんだろう。婚礼の儀は?)
 自分1人を置いて、何が起こっているのか分からない不気味さにテツナは目を瞑り寝具にごろりと寝転んだ。ああ、こんなことなら先に湯浴みをさせて貰えばよかっただろうか。今更になって気持ち悪さが残る。頭の中には様々な疑問が駆け巡っていき、テツナはため息を吐いた。
 暫くしてから入ってきた父の顔は疲れが見える。父もまた、というよりもテツナが父に似たからなのか顔色が滅多に変わらないのでこんなにもころころと変わるのは珍しい。
「どうか、したんですか」
「婚礼が中止になった」
「どうして」
「おまえ、領主さまに何かしたのか」
 震えるテツナの声を遮った父の声もまた、困惑を隠し切れていない。その言葉に、テツナは中止にさせたのは領主なのだと気付く。
「なにも」
「そうか」
 それから暫くの沈黙のあと、口が開かれる。
「領主さまがお前を妻にと」
「は?」
 訳の分からない言葉にテツナは間抜けな顔を晒す。それもそうだろう。一度きりの、儀礼で出会って、どうしてそのような展開になるというのか。何が領主の──征十郎の琴線に触れたのか知れない。何より、テツナには誰もが目を見張る程の美貌だとか、高い教養だとか知識だとかも持ち合わせていない。ありきたりで、どこにでもいる平平凡凡な領民だ。
 きっとその申し出(などではなく、最早領主の言葉は絶対の命令)を断ることなんぞ出来ない。テツナは家の中の騒がしい理由を理解できた。
「わかりました」
 納得はいかずとも、理解は出来る。
「すまない」
「いえ」
 現実味の無いまま話は進んで行って、急ごしらえながらも三日後に嫁ぐことが決まっていた。幼馴染で(たった1日限りでも)夫でもあった大我と会話どころか碌に顔を合わせることなく、テツナは征十郎の元へと連れて行かれた。
 果たしてテツナと大我との関係に恋愛感情に纏わるものがあったのかは疑問だった。しかし、テツナにとっては恋心以上に家族同然の兄のような、弟のような存在だった。
 自己犠牲なんぞの精神はテツナには全くない。度胸だけは人一倍だからこそ、平然と受け容れているように見えるテツナは申し訳無さそうな顔をする父と心配そうな顔をする母に見送られて、馬車へと乗り込んだ。馬車には何度も乗ったことはあったけれど今までに乗ったものとは比べ物にもならない乗り心地に感動をする。窓から不安そうな、何かやらかすんじゃないかと顔に書いてる大我が映ったので、テツナは心配するなと言う様に親指を立てた。

〇 〇 〇


「何にも染まらない『黒』に慈しむの『子』で、『黒子』かあ」
 にまにまと笑うさつきにテツナは目をそらしながら、猫舌には未だ熱い紅茶を飲みこむ。
「良いなあ、愛されてるじゃない」
 只の領民であったテツナの家は少しばかり裕福であっても貴族ですらなく、名字を持たない。けれども領主である赤司征十郎の妻となってからは家にも名字が与えられた。それが『黒子』である。
 どうなる事かと思った婚礼とその後もテツナが危惧したような骨肉の争いだとか修羅場だとかは無かった。実のところは征十郎がこっそりと片付けていただけで、テツナの知らぬ所であっただけの話だった。
 飲みこんだ紅茶の熱さを誤魔化すようにクッキーに手を出す。
「あ、此れね。ウチのお抱えの子が是非どうぞーって」
「桜井くん、でしたっけ」
「そ! 前にゼリー作ってくれた子。テツナちゃんが前に褒めてくれたのが嬉しかったみたい」
「それは、」
 顔を綻ばせるテツナにさつきも気を良くする。さつきもまた貴族であり領地を有する名家の生まれだ。だからこそ征十郎同様、家柄だけで判断せずにただ個人としての「桃井さつき」を見てくれるテツナに好意を持てた。生憎と関わりのある全ての人間がそのように思えないのがさつきには辛いのだけれど、彼女の夫である征十郎曰く「テツナの魅力も分からないのはただの木偶坊」らしい。その言葉に残念だとか勿体ないなあと思いながらも何処か納得できた。
(赤司くんってばテツナちゃんにベタ惚れなんだもの)
 クッキーを食べて顔を綻ばせるテツナは、とても人妻には見えない。まあ自分たちよりも年下で夫である征十郎とも年齢差もあるのだから仕方ないことだろう。
「さつきさん?」
「ううん、なんでもないの」
「お疲れですか?」
「そうねー。赤司くんが結婚してから私たちにも随分とそういう話が来るんだもん」
 むくれたさつきにテツナはクスクスと笑う。

〇 〇 〇


 昔馴染みの男5人が集まれば、自然と酒が進んでいく。客間では、それぞれが持ち寄った名産の酒と、征十郎の秘蔵の貯蔵庫から、さらに選りすぐった酒がテーブルに所せましと並んでいた。どれもこれも、値が張るものばかりで、マニアが見れば卒倒sるうようなものばかりだった。しかし、5人はそんなことしったこっちゃあない。美味い酒だから、飲んでいる。
 真っ先に潰れたのは涼太だった。テーブルに突っ伏している姿に、飲み比べで潰した大輝がにやにやと笑っている。
「テツナっちはどうして俺らのことは名字呼びなんすかー!?」
 管を巻く涼太にその場にいた大輝、真太郎、敦はぴしりと固まる。3人はぎぎぎと首を動かして、1人にっこりと笑いながら冷気を発する征十郎を見る。手にしているワイングラスの中身が、これから鉄臭くなるのだろうか。こんなことなら、早々に意識が朦朧とするほどに呑まれてしまったら良かったと、呑気な涼太と自制した自身を恨んだ。
「そもそもが、赤司の妻だ。俺たちのことを名前で呼ぶなんぞ、体裁が悪いだろう」
 ずり落ちていない眼鏡を直しながら真太郎は場を取り直すように言えば征十郎は「赤司じゃなくて、僕の妻だ」と冷静に訂正した。

title:joy
2012/10/20
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