毎週木曜日、放課後の秘密

 毎週木曜日の放課後の、普段使われていない隅っこの教室。
 一週間の内で唯一、塾やら習い事やら家庭教師やらといった煩わしいものが何もないこの曜日は、週に一度の楽しみの日でもある。
 サブバッグの奥底から引っ張り出したメイク道具一式が入っているポーチたちを取り出せば、斜め前から目の前の席にやって来た級友は勝手にその中身を漁り出す。
 勝手に見ていいと言い出したのは他でもない自分なので、気にもしないのだけれど。

「あ、これ出たばっかの新色じゃん。今日使ってんのこれ?」
「うん、そう。前のオレンジより発色良いのに派手にならなくて、いい感じじゃない?」

 問い掛けに顔を上げて首肯しながら、件の新色のアイシャドウを載せている瞼を見せるよう、片目を瞑った。
 燐葉石のような瞳がマジマジと色を載せた瞼を眺めて、にっ、と薄いくちびるが持ち上がる。
 つられるようにして、自分の口角も上がるのがわかった。そして、このあとに薄いくちびるが紡ぐ言葉も。

「いいんじゃね。グラデすげーキレイにできてんな」
「でしょ。日曜に買ってから今日までにいろいろ試してみたんだけど、これ、こっちのとすごい相性いいっぽいんだよね。他の色も試してみたいなぁ」

 褒められて満足した瞼に躊躇いもなくメイク落としシートを押し当てながら、空いている手でメイクポーチを探り別のアイシャドウを取り出す。
 プチプラコスメでも、中学生のお小遣いでは買える量なんてたかが知れている。今回も欲しかったけれど諦めた数種の別色を思い返して、つい嘆息が零れた。

「秋本が買ったのって、この二色だけ?」
「うん、レッドとピンクで迷ったんだけどね」

 今回の新色は、大人しめのオレンジとレッド、やわらかいピンクとライトグリーンの四色。
 暖色のみっつでどれにしようか悩んだのだが、ピンクはお気に入りの物とあまり色味が変わらなそうだったことと、ちょっと大人っぽい色が欲しかったこともあって、オレンジとレッドを選んだのだ。ちなみにライトグリーンは、自分の肌色と合わないトーンだったのでテスターすら手に取らなかった。

「こっちで間違いなかったんじゃね。もう一色とも相性良さげだし、秋本が持ってる他の色とも合わせ易そうだし」

 それとか。
 ちょうど手にしたアイシャドウが、長身に見合った長い指先にひょいと攫われた。
 くすんだ桜色をしたそれの蓋を開けると、薬指がするりとひと撫で、きらめきをすくい上げる。

「ちょっと待って、ベース塗り直してない」

 慌てて下地やらファンデやらを取り出して、色を拭ったばかりの瞼に大急ぎで、けれどしっかり丁寧に塗り直す。
 そうして塗り終わった途端、待ってましたとばかりに間髪入れず温度の低い指先が瞼に触れた。

 毎週木曜日の放課後の、普段使われていない隅っこの教室。
 彼――クラスメイトの泉田莇くんとの、週に一度の秘密の会合。
 愛だとか恋だとか、そんな俗物的な感情なんて介在しない。

 ふたりは、志しを同じくする秘密の仲間なのだ。


 ***


「そう言えばさ」
「ん?」

 泉田くんに好き勝手顔を弄り倒され、今度はわたしの番と泉田くんの顔を好き勝手弄り倒しながら、ふとなんの脈絡もなく思い出した今日の出来事を告げようと口を開く。

「昼休みにゆっちゃん達と話してたら、泉田くんと付き合ってるの? って訊かれてさ」
「っはぁ!?」

 途端、閉じていた瞼をカッと見開き、ほっぺたどころか耳まで真っ赤にして、泉田くんが後ずさる。がたん、と大きく椅子が鳴った。
 動かないでくれる、と離れた頬をがっと掴んで再び元の位置に引き寄せれば、悪りぃ、とバツが悪そうにしながら泉田くんは再び瞼を閉じる。

 泉田くんとこうして秘密の放課後を過ごすようになってからしばらく経つけれど、彼がこういった――所謂恋バナというものが頗る苦手だというのは、割と早い段階で知ったことだ。

 彼が極道の家の子息であることは全校生徒……とまでは行かなくとも殆どの生徒が知っている。
 けれど、整った顔立ちにスラリとした長身に加え、ぶっきらぼうではあるけれど女子には存外紳士的――教材を運ぶのを手伝ってくれたりとか、掃除の時にゴミ捨てを黙ってやってくれたりとか――だったりといった一面があるが故に、実はひっそりと女子の人気を集めていたりする。
 当時、泉田くんが誰かと付き合っているなんて噂を耳にしたことはなかったけれど、もしもみんなには内緒でお付き合いをしている彼女がいるなら、いくらお互いに同志以上の感情がなくともふたりきりで会うのは気が引けたので、単刀直入に訊ねてみたのだ。
 結果、今みたいに耳まで真っ赤にして、そういうのはまだ早いだろ! とかなんとか叫ばれたわけだけど。

 つまるところ、泉田くんは存外硬派というか、むしろそれを通り越して、恋愛に関して初心がすぎるということを、わたしは知っている。
 そしてわたしたちはお互いに、恋愛感情を抱いたりはしていない。

「そんなんじゃないって、ちゃんと否定しておいたよ」

 友人達は納得していなかったようだけれど、とは敢えて言わないでおく。
 当たり前だろ、とちょっぴり裏返った声で言い放った泉田くんの耳は、未だにうっすら赤みを帯びている。


 ***


 最終下校ぎりぎりまで残ってお互いの顔を弄り倒すのは毎回のことで、今日も今日とて校門を出る頃にはすっかり夕暮れ時。何なら夕陽は半分くらい沈みかけていた。
 泉田くんは、夜道を女がひとりで歩くのは危ないだろ、と毎回家のすぐ近くまで送り届けてくれる。

「今日もありがとう、泉田くん。また明日ね」
「おー、じゃあな」

 私の家からひとブロック手前の、信号も何もない住宅街の十字路。ここがいつもの別れ道だ。
 じゃあねと手を振って、家の前に辿り着くのはあっという間。門をくぐる間際に振り返ると、泉田くんはまだ別れ道に立っている。ちゃんとわたしが家の敷地内に入るまで、待っていてくれるのだ。
 もう一度手を振れば、泉田くんも軽く手を挙げて、そうしてようやく踵を返した。
 いつものことだけど、いつものことだからこそ、優しいなぁとしみじみ思う。
 帰る間際にメイク落としシートで拭い去ってしまったけれど、彼が施してくれたメイクとささやかな優しさは、わたしにとってなにより心強い味方だ。
 ほとんどしていないのと変わらないような薄いメイクの頬を両手でむにりと挟み、深呼吸をひとつ。

 掴んだ玄関のドアノブは、まるでわたしを拒んでいるかのようにひんやりと凍えている。

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