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凡そ理解っていれば問題無い(自論)

男と女が私に笑いかける。これは誰だ?…両親だ。
父親の手が頭に伸びてきて、撫ぜる。母親に、抱きしめられる。
幼い私は満足そうに笑うのだ。これが幸せな家族像と言うものだろう。

お父さん、お母さん。呼びかけようとするが声が出ない。
よくよく見れば両親の顔には靄がかかっていて、顔が分からない。
両親の顔が思い出せない。そもそも私には両親が居たのだろうか?
両親って、なんだろうか。

ふと自覚した途端に世界には歪みが生まれた。
壁が床が、ぐにゃりと歪み、歪み、割れる。

そして、崩壊した。


遠くで女性の声が聞こえる。


「やばい!講義遅刻するー!!」



――そう、私の朝は寝坊から始まる。




コンマ1秒で飛び起きた。窓から入る光は明るい。お天道様おはよう。
部屋を見渡せばベッドは全てもぬけの殻。こんにちは寝坊。
どうやら先ほど聞こえた声は、同じく寝坊しかけてギリギリだった同室の子の声のようだ。さようなら朝食。

もはや手馴れてきた早着替えで団服に着替える。これは特技と言っても最早過言ではないだろう。
勉学道具を片手に抱え、廊下を駆け抜けながら髪を整える。

下手をすると講義がもう始まっているかもしれない講義室にスライディングで滑り込む。教官の姿は無い。運が良いことにまだ講義は始まっていないらしい。


私の姿を視認したライナーが当たり前のようにケツを一つ横にずらしてくれるので、有難く思いながらそこに着席した。

「相変わらずだな、名前」
「席を取っていてくれて助かるよ、ライナー」

呆れながらこちらを見遣るライナーに、額の汗を拭き取りながら返事をする。息も途切れ途切れだ。飛び起きて全力疾走をしたので、元から低血圧の私でもビックリの血圧急上昇加減だろう。血管切れないといいな…。


息を吐くのも束の間、私とタッチの差で教官が教室に入ってくる。喋っていた同期たちは途端に黙り込み、少し賑やかだった教室を静寂が包み込む。
そのまま講義は開始され、教官の声とノートに書き込む音が響き始める。



いつもの如く教官の書く文字は何を書いているのか全く分からない。
いや、これには語弊がある。決して教官の書く文字が汚すぎると言う意味でない、断じて。
言葉は通じているが、文字に起こされると全く読めないのだ。文字文化が違うのだろう。

もう講義を受けるのは数回と言う単位では収まっていないので慣れたことだと思い、ノートには母国語である日本語で教官が話したことをつらつらと書き綴っていく。



「これで本日の座学は終了とする」

教官の終礼と共に同期達は席を立ち始める。
本日の座学は午前中のみである。この後は昼食が挟まった後立体起動訓練へ移る。
朝食の分も昼食で取り返そうと思った私は席を立とうとするが、隣のライナーに止められそれは叶わなかった。


「名前」
「?なに、ライナー」

中腰になった腰を今一度椅子へ下ろす。
ライナーは酷く深刻そうな表情で口を開いた。

「お前、文字が読めないのか?」


ウーン、この。
当たってはいるがその言い方だと大変響きが悪い。まるで私が学の無い馬鹿みたいだ(頭が良いとは言っていない)。


「まあ…。私の住んでいた文化圏と文字が違うからなあ…」

こんな狭い壁の中で、果たして文化がそこまで違うことがありえるのだろうか?とでも言うように彼は瞠目した。残念ながら私はこの狭い壁の中出身ではないのである。勿論言わない…言えないが。
しかし純東洋人でもあれば違うものなのだろうかと納得したらしい。

「そうなのか。俺が教えてやろうか」


なんとも有難い我らが兄貴の申し出に、二つ返事で文字講師をお願いした。
流石に言葉が通じていても文字での情報が欲しい時もあるものなのだ。


「マジですか…助かります…。ありがとうライナー先生」
「そんなに畏まるほどのことでも無いけどな」



この日から所謂放課後と言うに図書室でライナー先生の補習授業が始まったのであった。

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