普段だったら二人だけの話し声や笑い声、それに乗ってテレビやコンポから流れる音楽だけがいつもの日常の我が家に、もう一つの声が入り混じる。声、と言うよりももっと別の生き物のけたたましいような愛らしいようなそんな声の主を、わたしは抱き上げてはデレデレした顔をしてよしよしと頭を撫でてやった。撫でられているその主は嬉しそうに尾をブンブンと振ってわたしの首元に顔をすり寄せてくる。独特の匂いをさせているのに、この可愛らしい目に見つめられてしまうと、動物特有の獣の匂いなど微塵も感じない。

「許してくれてありがとう」
「まぁ、仕方が無いよ。これもご近所さんとのお付き合いなんだから」

今日から我が家に新しい家族がやって来た。

と言うのは嘘っぱちである。何でも近所のご家族が実家に用事があるそうで、家を空けてしまう為にその数日間ご近所の家族であるペットの犬をわたし達のお家で預かる事になったのだ。今じゃペットだって飛行機に乗れるご時世ではあるものの、そのご家庭は国際結婚をしている為にはるばる海外までご帰省しなければいけないらしい。旦那さんがイギリス人だからイギリスまで・・・さすがに犬を連れてはいけない。申し訳ないけれど数日預かってくれないかと、お嫁さんからお願いをされたのだった。わたしは元々動物が好きだし、その奥さんとは仲も悪くない。更にイギリスでお土産を買ってくるからお願いしますとまんまと餌付け・・・いやお土産をいただけるならお世話張り切って頑張りますと手を打ったのだった。とは、リンクには言えないが。

わたしに頼みやすいのは専業主婦(それらしい行動がきちんと出来ているかはいささか不安ではある肩書きである)で、共働きをしている家庭の多いこのマンションで唯一常に家に居る人間だった為だ。更に言うと共働きをしているイコール養う人間が多いという訳であって、お子さん持ちの家庭が多い。子どもに犬が悪戯をされる危険もあながち否定出来ないからこそわたしに頼んだのだろうかと思ったが、奥様曰く情が移ってお別れする時可哀想でしょう?との事だった。たとえ近所でいつでも会えると言っても、ずっと傍に居られない期間限定なんだって子どもはわかっていても、辛いものじゃないって。出来た人間の発想は素晴らしい。そしてわたしが情が移ろうともいずれの別れを理解出来る出来た人間なんだって、奥様に思われているといいように解釈をしておく。

そしてさすがに行き先が海外で、まだ小さな体の犬を一匹自宅に放置するなんぞ薄情な事は選択しないだろうと思いながら、家主のお許しも無ければ預かる術も無いだろうとわたしはリンクに数日犬を預かっていいかと尋ねたのはつい昨夜の事だった。突然のお願いに対しても、犬を飼った事も無くお世話もしたのだって一度たりとも互いに無いのに、あっさりといいよの言葉が返ってきた。時期も時期で犬は子犬でこれから本格的にしつけが施される大事な場面であるものの、基本的なしつけはされている為に思ったよりも手のかからなそうないい犬だった。まぁ、今現在のように人懐っこさ全開でわたしに甘えている犬は時折主人を探すようにきゃんきゃんけたたましく吠えているけれど。成犬よりもずっと小さな声には、やかましさよりも可愛さのがぐっと押し寄せる。よってわたしもリンクもこの犬にまんまと心がコロリ落ちてしまった訳で。

「いいな、ペット」
「いいね、ペット」

同時に動物の居る生活っていいものだなと感じたのであった。いやペットがいいなって言うよりもこの犬が、あまりにもわたし達に対して心を許しすぎている為にペットよりもこの犬がいいなって思ったのだ。犬は腹を見せて転がっていて、リンクの大きな手のひらが犬の腹を撫でてやると甘い声を出して気持ちよさそうだった。わたしはその犬の仕草を見てまるで自分の夜の姿を垣間見た気がして複雑な気分になってしまったが。わ、わたしも夜はこうやって仰向けになって撫でられて甘ったるい声を漏らして・・・この犬のように喜んでいるような顔をさせているのかと思っていると、頭に浮かぶのは前回行った行為の事であって。昼間からわたしは何を考えているんだと自身に呆れていると、自然と眉間に皺が寄ってしまったようでリンクにすかさず指摘されてしまった。

「何、そんなに犬ばっか構ってて寂しくなっちゃった?」

嬉しそうに、しかし何処となくいじめっ子みたいな顔をさせてわたしの皺だらけの眉間をちょん、とリンクの人差し指が触れる。リンクから見ると一変したわたしの表情は、ずっと犬ばかりを構っているリンクに対してわたしも構ってほしいと捉えられてしまったらしい。昔の自分だったらリンクのその言葉を肯定して、そうだよ犬ばかりじゃなくてわたしも構ってよと言うだろうけれど今のわたしは昔に比べて随分と大人になったのだよ。いやちょっとその言葉にぐらついたけど本音は。しかしわたしのやせ我慢は、どうやらわたしの本当に考えていた事を見透かしてあげるチャンスを与えていただけだったようだ。

「それとも自分の夜の姿でも考えた?」
「・・・」
「あ、図星でしょ」

ニタニタ、という副音がぴったりないやらしい笑みを浮かべてわたしを見やる。その手のひらは未だ犬の腹を撫で回していたけれど、可愛がるように触れているはずなのにわたしにはとてもいやらしい手つきに見えてきてしまった。段々と高揚していく頬を、いや見ないでと声にしたくてもリンクの言うように図星をつかれてしまった為に言葉には出来なくて、自分の中だけでも見られていないと思わなければと必死で視線をそらす。しかしその、痛いぐらいに突き刺さる熱い眼差しは瞳が交じり合わなくたってしっかりとわたしに届いている為に、顔の火照りなんていつまで経っても治まらない。

「・・・違う、もん」

長く間が空いて、否定を弱々しい言葉で今更呟いたって結局はそれを認めていると思われるような態度。こんな事なら黙っていたほうが賢明だっただろうに、わたしは何故言葉を発してしまったのだろう。

それはそうなんだよ、と察してほしいが為だったのか。無垢な犬に対しても情事を考えさせるほどにわたしは、不埒な人間なんだってオープンにしてしまえば今からでもわたしを可愛がってくれますか?って、そんな気持ちを見抜いてほしいのか。察しのいいリンクなんだから、さっきみたいに今のわたしの考えに気付いてって遠まわしに訴えたいのかもしれない。・・・いいやわたしは今そんなに盛ってない、断じてまだ平常精神を保っているはずなのだけれど、あああもう犬。いいからその場所を今すぐ変われ!とか考えてはいないよ、とは言えない。だって考えてるから。

「ペットもいいけど、お世話はちょっと大変かもしれないなぁ」

さっきはそこで察するのか?と思われるような言葉に俊敏に反応したくせして、さっきよりもわかりやすい態度だったわたしの心理は今回ばかりはリンクに全然伝わらなかったようだった。わたしをじっと見ていた視線はぱっと愛撫に甘んじている犬に注がれてしまって、ペットを飼ったら色々と大変そうだなぁと想像上の自分のペットを考えて遠まわしにペットを飼育するのを諦めなさい、と言われているようだった。わたしはその言葉にかなりがっかりして、ああ・・・そう。と未だわたしじゃなくて愛情を注がれている犬を見やれば犬はそれはそれは楽しそうに、笑っているが目はとろんとしていた。息が荒い、興奮しているかのようにも見える。動物に人間で言うように感じる、という概念があるのかはわからないけれどこの犬はまるで人間の手のひらで愛撫されるのを、どこか性的な意味で感じているように見えるから恐ろしい。そんな目で見ているわたしが一番恐ろしい存在ではあるけれど、しかしわたしは冷静に「この子は確かオスじゃなかっただろうか」と、それじゃあ男の愛撫に感じているこの子は一体・・・とか、どうでもいい事を考えてしまう。まぁ、動物にとっては人間の男も女も関係なく、信頼や情を求めるだろうしわたしとは立場が違うんだと割り切れてしまえばいいのだが、完全に犬に嫉妬しているわたしには割り切れない状況。

「ああそうだ、その大変なお世話のついでにお風呂に入れてほしいって頼まれたんだ」

お世話、と言えばそうだ奥さんにこの犬をきちんとお風呂に入れてほしいんだと頼まれたのを思い出す。愛用しているシャンプーまで託されて、ところで犬ってどうやってお風呂に入れるべきなんだろうと疑問も浮かぶ。一緒にどぼん、湯船に浸かっていいものなのか、でもそれは衛生的によろしくないだろう。それだったら犬を先にシャワーなりでシャンプーしてあげて、それからお風呂を掃除してからお風呂を沸かせばいいのか?そこんとこちゃんと聞いておけばよかったと今になって後悔したって、肝心の飼い主は海を飛び越えてしまったんだった。国際電話をかける勇気はわたしには無い。そもそもそのお家の電話番号なんて聞いていない。ネットで調べてみようかなぁと、携帯に手を伸ばしたところでふとリンクを見ればとても冷ややかな目でわたしを見ていた。え、何でこんな目で見つめられなきゃいけないの。

「・・・なまえがこの子をお風呂に入れるの?」
「だって頼まれたし」
「いや、この犬は男の子だよ」
「知っているけど」

犬の腹を撫でていたリンクはようやく犬の性別がわかったらしく(どうやら今更雄特有のアレの存在を認識したらしい)わたしの話題がお風呂云々の話になっていた為にあからさまに嫌そうな顔をさせてきた。それはつまりの所、たとえ動物であろうとも別の男とのお風呂に入るわたしが気に入らないという態度だ。何て肝の小さい奴め、相手は話も出来なければ人間の女の体に興味も無い動物だってのに。まさかそんな動物と人間の愛のパラレルな発想はさすがのリンクもしていないだろうと思っていたが、念のため確認してみる事にする。

「ダメなの?」
「ダメに決まってるだろ」
「どうして」
「欲情したらどうするんだ」
「え、わたしが?犬が?大丈夫?ちょっと仕事のし過ぎで疲れてるんじゃないの」

恐れていた事態だ。本気でリンクは犬が人間に欲情をするかもしれないって危惧しているとは思わなかった。これは純粋って言っていいものなのか、ただのお馬鹿だって言ってしまっていいものなのか話題が話題なだけに何も言えずに乾いた笑いを出すだけで精一杯だ。わたしが笑えば「笑い事じゃない」と至って真面目な顔をするもんだから、いやいやこんな場面でそんな真面目にならんでもいいじゃない。仕事で真面目だった分こんなくだらない場面でもその真面目さを発揮せんでもいいだろうと、やっぱりわたしは笑うしか出来なかった。そもそもこんな小さな犬とどうやってわたしがいやらしい事が出来るんだっての・・・おおぅちょっと想像してみると動物とのって。エロさを感じるとかどうでもいいわ、わたし。

「笑うな」
「(いや笑うしかないだろ)」

わたしは思った。さっきリンクはペットのお世話は大変そうだと言っていたけれど、こんなんじゃペットとの生活など夢に終わるなぁと。こんな無実な犬に対して末恐ろしい考えをしているのだ、もし万が一わたしが例えば妊娠をしてしまって、そこに雄犬が居ればお前らそんな関係だったのかよ!とかとんでもない妄想を具現化させてしまいかねない。わたしがお世話すべきなのは仕事や生活、人格には申し分無いはずの、一部残念なオツムを抱えてしまったリンクのお世話に徹底するべきだと悟った。随分大きなペットを、と大変失礼な事を考えられるほどにその考えに乗っかっちゃうわたしもまた、残念な思考を携えてしまっているような存在だと自分が笑えてしまう。

「じゃ、その子はリンクがお風呂入れてね」
「・・・え」

わたしがお風呂に入れるのを嫌がったのだったら、そう言うリンクが入れるなら文句は無いでしょうとさぁその子と一緒にお風呂に入っておいでと提案してみたが、腑に落ちない顔をされてしまう。それはわたしが散々リンクの反応をからかったからで、反抗したい気持ちが滲み出ているのが手に取るようにわかった。小馬鹿にされたままほいほいとわたしの提案に乗っかるのが嫌なんだろう、本当に随分と大きな手のかかるペット・・・んん旦那さんだと思った。しかし愛らしいとも感じてしまうのだ、そのわかりやすい反応も。懸命に反抗しているその姿も。

わかりやすいリンクの思考を、操作するのはわたしにとってはペットを飼育するよりもとても安易なものである。

「まぁまぁ、未来の子どもをお風呂を入れる予行練習だと思って」

その言葉の中にはその犬も介入出来ない、わたしとリンクだけに対してのキーワードを含ませてみれば。まんまと惑わされてしまったリンクは「そっか、そうだそうしたほうがいい」と意気揚々と犬を抱えてお風呂場へと直行してしまった。思い通りの答えに行動にわたしはいよいよ腹を抱えて笑ってしまったが、都合よくお風呂場に消えたリンクには聞こえていなかったようだった。そもそも犬を未来のわたし達の子どもに見立てるのを咎められるだろうとも考えたけれど、犬もまた家族同然の存在なのだと考えているリンクの思考が伺えるような、そんな考えを気にも留めない大らかさにわたしもいよいよ本格的に犬のように甘えたくなっちゃったなと、考えていると自然とお風呂場に足を進めてしまっていたようだ。

わたしも一緒に入っていい?と許しを得る前に服は脱ぎ散らかしていて、一緒になってその犬の体を綺麗に洗って満足げになる。しかしいじくり倒され赤ん坊のように仰向けにされて良い様に扱われた犬は至極迷惑そうな顔をさせて、この馬鹿夫婦に構ってられない早く帰ってきてご主人!とけたたましく鳴き続けるのであった。

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