一切やる気が起きなかった為に、本日の食事は冷凍食品のオンパレードという手抜きどころか最低なラインナップになってしまった我が家の食卓。冷凍炒飯、冷凍餃子、冷凍フライを炒める、焼く、レンジでチン。簡単すぎる料理は合計して十分もかからなかった。並べられる皿からはまるで出来たてのように湯気が立ち込めているが、毎度同じ味付けが施されている冷凍食品に、どちらも美味しいねなんて言えず黙々と静かな部屋でそれを平らげていく。かちゃん、と炒飯をすくうスプーンが食器に触れて高い音が鳴り響いた。わたしはひたすら皿を見つめながら、次々と無心のまま食事を済ませていく。最後にお茶を流し込んで、小さくご馳走様と呟いて空になった食器をキッチンへと運んでいった。わたしよりも随分ゆっくりご飯を食べているリンクは、キッチンへと向かっていくわたしに何か言いたげな顔を向けていたが、声をかけようとしない。

じゃぶじゃぶと食器を洗いながら悶々とわたしはリンクの言っていた「転勤」の話が気になって仕方が無かった。会社に勤めていれば、本社以外にも支店があれば転勤なんて社会人にはある話であるもの。だから今回それがリンクの番になったんだってのも、わからなくは無い話ではあるが、とにかくわたしは不安だったのだ。

「(転勤先って、一体何処なんだろう)」

不安があるのはどうしても引越し関係だ。やっとご近所の人と親しくなれてきたというのに、まだ結婚をしてから一年とも経たずして転勤なんて。しかもこんな急にそんな話を振られて気持ちが追いつけていなかった。何より重要なのはその転勤先である。もしこれが近場だったとすればいいのだが、何だかこの無言の空気が続きすぎてしまっているのがもう、もしや私の予想以上に遠い場所にお引越しするのだろうかって。例えば出張でも出向いたような、北の大地だったとすればあれだけ話が盛り上がったのだから、リンクはこうも言いづらそうにはしないと思う。じゃあ何処なのだろう、全然予測出来なくて、どんどん不安が押し寄せる。流れる水道に、わたしはもう泡が流れきった皿を執拗に洗い続けているとわたしの様子を見ていたリンクは椅子から立ち上がり、わたしの元へと歩み寄る。

「なまえ、洗い物は後にしてちょっと話しよう」

背後に立ったと思いきや手にしていたスポンジと皿を奪い取られ、タオルで丹念に手の水滴をふき取られてそのまま手を引っ張られた。スリッパが脱げ落ちてキッチンマットの上に置き去りにしながらも、ソファーまで連行されて無理矢理その場に座らされる。わたしが座った隣にリンクも座って、先ほどわたしが離婚届だと勘違いしていたその紙を手にしながらゆっくりと話をし始めた。

「今日、お弁当届けてくれてありがとう」
「・・・うん、大丈夫・・・ごめん、カレー作ってあげられなくて」
「いや、不安にさせちゃった俺が悪いんだ」

そう言えば、今日はカレーにするからねって言ってリンクに期待させちゃったのに、冷凍食品で終わってしまって本当に申し訳ない事をしてしまったと謝れば気にしていないよとわたしを安心させるように微笑む。けど、その微笑みはいつもと全く違う。安心なんて得やしない。どんどん不安になっていれば、リンクは話をし始めた。

「実はお昼休みに上司に呼び出されて、転勤の話を持ちかけられたんだ」
「・・・」
「転勤先はまだ会社が立ち上がったばかりみたいで、上手く軌道に乗り切れていないからって話を貰ったんだけど・・・」

その言葉に、あの時は嘘を言ったのかと責めるよりもあの場で言われたわたしの気持ちを考えてくれたからなんだと感じた。リンク自身も突然の転勤の話に、わたしにどう話を振っていいのか悩んだ上で家でゆっくりと説明しようと考えて、あの場を誤魔化したのかもしれないけれど(でもあの意味深な発言はよくなかったと思う)まさかそんな転勤の話になっていたなんて、誰が想像出来たって言うの。わたしはただ、黙ったままでしかいられなくなってせわしなく指を動かす両手をじっと見つめて相槌を打つだけ。動揺し続けるわたしに見かねて、テーブルに置いてあるチョコレートを口元に運んで食べさせようとしてくれるが、わたしは無言のままいらない、と首を振る。

「・・・あの、さ」

その優しさが、わたしを気遣うその態度がいつもと変わらないものだってのにこの違和感を感じるのは。

「その、転勤先って・・・ドコなの」
「・・・」

とても、悪い予感がするの。その不自然な笑顔は、わたしに告げづらいような場所に転勤になったって意味付けられている気がして。怖くて問い詰めたくなかったけれど、それでもわたしは聞かなければいけない立場なのだから、いつまでも逃げてばかりじゃいられない。わたしの問いかけた言葉が、部屋に静かに響いてからリンクの口からは答えは戻ってこない。その沈黙が、余計に不安を煽るだけだってわかっているのだろうか、と思いながらも、わたしには答えを待つだけしか出来ないのだ。暫く沈黙が続いた。答えが聞けない、しかしわたしの目にはその転勤先がドコなのかはもう、わかってしまっているのだ。わたしに言いづらそうにしているリンクが、手にしているその通知にはっきりと書き出されているその地名が。

わたしが考えていたように北の大地や南の地方とは違う、日本のどこでもないその地名は未だかつてわたしが踏み出した試しのないはるか遠く、海の向こうの世界の地名。

「イギリス、なんだ」
「・・・どれぐらいの期間?」
「最低でも一年ぐらいか・・・仕事が上手くいけば、もう少し早いぐらい」

わたしはその転勤先を見て、咄嗟に思いついたのはその転勤が一体どれだけの期間を要するものなのかという事だった。それがもし、一生をかけてイギリスの会社に勤めるとなれば話はもっと変わってくるというものである。それはわたしが一生を共にしようとリンクと結婚をしたのだから、イギリスに住むとなればわたしも一緒に住むという選択肢だって生まれるというものだ。しかし今回は短期の転勤という話に、もう一つの話が浮かび上がる。そうだ、今回一番濃厚になるべき選択肢はわたしはこの家に、リンクはイギリスに単身赴任をするという可能性。となれば、わたしとリンクは最低一年は離れ離れになる訳である。転勤は仕方が無いものだってわかっているものの、いくらなんでも急すぎるし、遠すぎる。

「そう、なんだ」
「まだ返事は保留にしているんだけど」
「でも、行きたいんじゃない?」

物分りのいいように装う、不自然なわたしの言葉に先ほどまで荒れ果てていたはずの部屋を見回してリンクは困った顔になっている。勘違いの離婚騒動にしろ、離れてしまうのに対して大暴れしていたわたしの、思ってもいない言葉に何て答えていいのかわからない様子だった。

「行って・・・みたらいいんじゃない」

本当は、離れるなんて考えたくなかった。ずっとこの家で一緒に暮らしていけるものだと思っていたのに。わたしの言葉は、永遠の別れを言うものじゃないのにわたしにはとても重たく感じるのだ。そして少しは、期待をしているのだろうわたしは。わたしのこの暴れようを序章に、もしここで転勤をしてしまえばわたしがどうなってしまうのかと思わせるような醜態さらしておいても、重荷にならないようにといい妻を演じきっているわたしを置いていけないよ、とかわたしを一番に考えてくれるような言葉を心の底で待っている。わたしを一人、残して不安にさせたい。酷い女だと思うけど、正直な気持ちとにかくわたしを優先させてほしかったの。

でも、わたしはもう。諦めてしまっている。困っている人を見過ごせない姿をわたしは結ばれる前から見てきたから。

だって、わたしも助けられたその一人だもの。

話を持ちかけられて、わたしを優先させるのならきっとすぐに断っていたであろうその話を保留にした時点で、リンクの中ではもう転勤を決断しているって事だって。わかっているの。だけど、ちょっとだけでもわたしを置いて行くのに躊躇してほしかった。ただそれだけのワガママを言いたいだけだった。

「ただし、毎日メールぐらいは・・・してほしい」

最後に、ワガママなお願いをしてやった。慣れない土地で、慣れない生活をするリンクに対していつもながらの生活をするわたしにせめて毎日メールをしろなど。立場が違いすぎるってのにねだるなんて究極のワガママだろうと思う。でも、せめてメールでいいから。遠く離れてしまう貴方と繋がりを持ち続けたかったから。

そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、貴方は静かに答える。

「・・・わかった、電話する」

どうしてわかってくれないの。電話なんてしてしまったら、会いたくなるって思わないの。とは、わたしには言えなかった。女心に気付いてよ、と言うよりもわたしはリンクの気持ちを尊重する。わたしを寂しくさせないように声を届けよう。そう言ってくれているようにも感じるけれど、わたしにはそう聞こえなかったのだ。寂しさよりも、リンク自身の転勤の不安があるんだと気付いてしまったから。わたしをなだめるように頭に添えられた手が、僅かながら震えていた。

異国の、会社の軌道を自分の異動によってかかっているそのプレッシャーに押しつぶされないように、僅かな変化に気付けるように小さな電話のスピーカーから拾い上げる為に小さくそうして。と言葉を返す。だから、今からそんな心配してくれているような顔で、見ないで。寂しさに泣きそうになるって見透かさないで。

「なまえ・・・ありがとう」

わたしは、誰かの為に頑張れるような技量は持っていない。

けれど。誰かの為に頑張ろうとしている人の勇気を後押しするぐらいは出来ると思うから。

だから、いってらっしゃい。

仕事で成功して、貴方の勇気に繋がるように願って待っているからね。

「辛い事があったらいつでも電話してね」
「はは、そうする」
「わたしもそうするから」
「・・・うん、我慢はしないで」

寂しさに我慢し続けていた泣き出したい気持ちの糸など、その言葉であっさりと千切れてしまった。

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