※トリップ設定


まるで道に迷うようにわたしは突然、見知らぬ場所へとやってきてかれこれ一週間は経つ。平成を生きていたわたしは、感覚的に昔へとタイムスリップしたような現代とはかけ離れた生活をしているような、そんな不思議な世界へとやってきたのはいささか不思議なものだった。

一週間を過ごしてもなおこの世界の生活にはあまり馴れていない。今までを生きてきた中とは違う風景の中に、静けさすら漂うこの小さな村でのどかに暮らしている人達に、わたしも混ぜてもらえたのはこの村の人々が稀にみるようないい人達ばかりであって。きっと現代にこの人達が居ようものなら、悪徳商法の人間の格好の獲物であろう善良な人達。

緑に囲まれ自然と共に生きている。この世界の人々はわたしと違う姿をさせていた。瞳の色から髪の色、はたまた耳の形状なんてわたしにしてみればまるで絵本に出てくるような妖精さんのそれで、そして今居るこの舞台になっているトアル村(発音をきちんとしなければとある村になって結局何て名前なの?と言われかねない複雑な名前である)もまた聞き覚えの無い名前。わたしが迷い込んで困り果てていたところで救いの手を差し伸べてくれたのはこの村の村長さんだった。

「困っている子を放り投げるような真似はしないわよね」

厳密に言えば村長さんが手を差し伸べてくれたというよりも、村長さんの娘さんであるイリアちゃんの鶴の一声で受け入れてくれたようなもの。どの世界にもお父さんというものは娘には弱いのだと、そう感じざるを得ないような状況に救われたのだ。そうして別の世界から飛んできてしまったわたしは、手を差し伸べてくれたまま村長さんとイリアちゃんのお家に住まわせていただくものになるのだろうと思っていた。村長さんとイリアちゃんのお仕事を手伝わせていただいて恩返しをしよう。もちろんわたしを受け入れてくれた村の人達の手伝いをしなければと躍起になったのだが、わたしが住まわせていただくお家は思わない場所に決定してしまったのだった。







「少しはこの村に馴れてきた?」
「うーん、何となく生活リズムに乗れてきた。そんなところ」

この村の名産であるカボチャを添えた、新鮮な野菜にウーリさん特製のドレッシングをかけたサラダを貪りながら答えたわたしに、わたしの答えにそれならよかったと笑う青年は住処を提供して下さっているリンク君である。彼はこの小さな村で牧童をして生活をしているようで、わたしよりも年が下であれしっかりと一人暮らしをしているそこにお邪魔させていただいているのだ。何故一人暮らしをしているのかは、何だか触れられなかったが(きっと言いにくい事情があるのだろう)さすが一人暮らしの主、若干大雑把さはあるが料理だってきちんとこなして、何度も手料理を振舞っていただいた。わたしも恩を返そうと、手料理の腕を見せようと頑張るかと思ったのだが、調味料の勝手がよくわからず謎の料理を生み出したのも数知れない。

ところで何故わたしが男の一人暮らしの家に転がるような展開を迎えてしまったのか、答えは空いている部屋らしい部屋が無かったからだった。村長のボウさんのお家はボウさんとイリアちゃんのお部屋しか無く、一緒のお部屋でもいいかとイリアちゃんに言われたのだがそこで違う提案をしたのがこのリンク君だった。自分の家にはもう一つ空いている部屋があるから(だがそこは暗い地下のようなものらしい)そこには自分が行くからもう一つのお部屋にどうぞ、とお誘いをしてくれたのである。わたしの立場からすればもう眠れるのなら何処だってありがたいお誘い、ゆっくり出来る環境があった方がいいだろうと気遣っていただいて村で部屋が唯一空いているこのお家に住まわせていただくのが決定したのだった。しかし家の主を暗い部屋に追いやって、明るい部屋を陣取るのはいかがなものかとわたしはその地下のお部屋で十分ですと穴倉生活を満喫しているのだが。

「あのさ」
「?何か?」
「なまえさん、ちゃんと眠れている?」
「・・・うん、大丈夫」

とか威勢を張って全然眠れていますよと言ったが、説得力の無いわたしの瞼は今にも重力に逆らって落ちていこうとしている。指摘されたように、実のところわたしはあまりよく眠れていないのだ。寝床が暗闇で暗すぎて怖い、そんな理由で眠れていない訳では無い。逆に光が遮られた暗闇の中なら、ぐっすり眠れるはず。だけどどうも、わたしは寝付けなかったのである。この一週間、あまり安眠出来ていない。




「やっぱり部屋を交換しようか?」
「いやいや別に暗いから怖くてとかじゃなくて・・・」

夕日も随分と前にお休みになってからわたし達のお休みの時間は先になってしまってすっかりいい時間になってしまった。明日も仕事があるリンク君に合わせて、仕事の無いわたしも同じ時間に眠るそんな日課になる時間帯である。実は眠れなくてこっそりと外に出た事もあったのだが内緒だ。今日もそうしようかな、と思ったのだが今回はそうもいかない様子にわたしは今日こそよく眠れるよう努力しようと思う。だってわたしがちゃんと眠れるようにリンク君が様子を見にこの暗いお部屋に来ているんだもの。見張り役が居るのではさすがに外には行けない。

「今日はちゃんと寝てね、お休みなまえさん」
「うん、お休み」

明かりが消えて、辺りはすっかり真っ暗闇に包まれる。わたしとて今日こそはしっかりと眠りたいと目を閉じて一切余計な物事を捨て切ってさぁ寝よう、さっさと夢の中へと旅立つのだと言い聞かせるのだけれど。それもまた毎度考えているのだけどもやっぱりわたしは眠れない。

どうしてなんだよ。瞼はこんなにも重たくて閉じてしまってから目を開けたいとも思わないのに、体は早く休まりたいと思っているはずなのにどうしてわたしは。こんなにも眠れない。

暗闇が怖いんじゃなくて、あまりにも音の無さすぎるこの環境が怖く感じる。無の空間に取り残されたような、いつもだったら小さな時計の音や普段じゃ感じない、電気の通る音に深夜に関わらず走り続ける車の音。朝方に近づけば漁が始まる、船の音なんかも聞こえたり朝からお疲れ様です、と言いたくなる速さで駆け抜ける電車の音。

わたしが眠る時には必ず何かしらの音が聞こえていたのがもう、染みこんでいて音が消えただけで否応ない不安が押し寄せるのだ。



この静かな場所に一人、たった一人で生きているような気分になる。

そして実際、誰も知らない場所で一人。この世界で過ごしている毎日に一体いつになったら終わりが来るのか。

一生このままなんじゃないかって考えると、余計に不安になって眠るのが怖い。


この世界に迷い込んだようにわたしはこのまま一人で寂しく、誰にも気付かれないまま消えちゃうのかな、そんな錯覚に見舞われるのだ。




「なまえさん、眠れないんでしょ」
「・・・寝てるよ」
「寝てないじゃないか。ちゃんと寝てもらわないと心配で俺が眠れない」

一向に自分の部屋に戻ろうとしなかったリンク君はやっぱりわたしが眠るのを見守っていたらしい。この暗闇でもわたしが眠れていないのを見破った様子。あれれ、わたしがちゃんと眠るまでここに居続けるのだろうか。そう考えると益々眠れないって感じていないのかと余計意識は覚醒されたままになりそうになっていると床が少し揺れる。暗闇でわからないけれど、わたしには感じた。隣に人の気配。わたしと同じような体制になって、わたしの隣に横になっているのを感じる。まさかと思うが、一緒に寝ようとしているのではなかろうか。おいおい待ってよご親切にしていただいているが、わたしはリンク君とそこまで親密な関係とは思っていない。相手だってわたしを保護対象にしか思っていないだろうと考えていたのにどうした距離感。

「(・・・ね、寝た?)」

慌てるわたしに対して慌てないリンク君からあっさりと聞こえてきたのは静かな寝息だった。あれ、心配で眠れないって言ったのはどこのどいつだっただろうか。まるでどこかのあやとりが得意な小学生の如く素早い寝つきに、己は何がしたかったんだと暗闇の向こうに居るであろうリンク君を見る。姿は見えなくても、規則正しい寝息はあれだろう、眠れないわたしに当てつけているに違いないと若干腹が立ちながらも、わたしは静かにその寝息に耳を立てる。

・・・何て、安らかな寝息だろうか。

一人で寝るのが怖かった。ただそれだけの理由で一週間不眠に悩まされ続けていた。そして感じる、この寝息を聞いていると。

わたしは、一人なんかじゃない。知らない世界で孤独を感じていたわたしを、助けてくれる人がこんなに近くに居る。わたしに救いの手を差し伸べてくれた人は、この村に沢山居るのに。頭でわかっていても心は、救われていなかった。

どうしてこの寝息を聞くと、安心出来るのだろう。どうしてやっと、一人じゃないって感じられるのだろう。

穏やかな寝息が、わたしを眠りに誘う。

・・・欲しかったのだ、わたしはこの世界でも。

わたしの心をしっかりと安定させてくれるような、そんな存在を。誰かが傍に居るのがこんなにも安心できるものだと、久しぶりに感じるこの感覚が妙にしっくりこないはずなのに。どうして君の寝息は落ち着くのか。


・・・この世界に馴れていないなんて、嘘だろう。

わたしは、彼の隣に居るのに馴れ始めてしまっていたのだ。




(夢の中でも君を思い浮かべては、また安心をする)




「おはようなまえさん、よく眠れた?」
「おはよう、おかげさまでぐっすり」

朝日に照らされる笑顔に、ぐっすりと眠れてすっきりした顔で挨拶を返す。君のおかげでよく眠れたんだよ、と感謝を言おうと思ったけれど恥ずかしいからやめておこうかなぁと思っていると。

「アトついているけど。よく眠れた証かな?」
「え、布団かな」
「いやよだれ?」
「あーもうやだデリカシーない奴はさっさと牧童の仕事してきたらどう!!」

思いっきり茶化されて恥ずかしさに反発する。睡眠に協力してくれたのに追い出したわたしに対して、リンク君は何一つ嫌な顔をせずに牧場へと向かっていく。わたしは怒りながらも彼を見送った。手を振って走るリンク君に、手を控えめに振り返すわたしにまた一つ、悩みが増えたのである。

馴れちゃいけないのに、馴れてしまったわたしは一人で眠ろうとしても、また眠れない夜を過ごす羽目になるのだろう。そしてまた心配になってわたしの横に眠るようになって、いつの間にか二人肩を並べて寝るのが当たり前になって。とか、そんな展開があったりしたらどうしよう、なんて。


ああきっと、今日も眠れない夜を迎えそうだ。


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