小説 | ナノ




初めて彼を見た瞬間から感じていた。
眩しさと、胸の疼痛。行き場のない焦燥感。
自分の中にぽっかりと穴があいているような心許なさ。
喉を塞ぐその感覚は、彼を知れば知るほど、近づけば近づくほどに膨れ上がって
強すぎる光に暴かれた空虚な自分の姿に、失望せずにはいられなかった。




「今日はありがとう。それじゃあ、」
「――みょうじさん」

彼と目を合わせないまま、声色だけ明るく取り繕って逃げようとした私を見透かしたように、階段の一段目に足をかけたところで呼び止められた。

「シフトと連絡先、まだ聞いてないです」

………影山君はもしや、なかなかのKYか。
それともこれは、わかった上で敢えてやっているのか。

彼の真意が読めず、視線だけで様子を窺う私に影山君は悪びれた風もなく小首を傾げる。
そんな姿を見る限り、おそらく前者なのだろう。けども。

(すごいな影山君……私、結構露骨に感傷的な雰囲気出してたと思うんだけど)

割と恥ずかしめな独白とかもしちゃったんだけど、全くお察し頂けなかったのだろうか。
……だとしたらなんだか、独り相撲をとっていたようで余計に虚しい。
けれど、『自分がそうしたいから』――なんて理由で私の意見を聞いてくれなかった影山君だ。
この子には初めから、私の意思だとか気持ちなんてものは関係ないのかもしれない。

そんな “些末” なものは、その目に映らないのかもしれない。

「………今日は遅くなっちゃったし、連絡先は今度紙に書いて渡すね。それから、」





『バイトは週2回だけなの。だから、次はまた来週かな』


――なんて、嘘をつきました。
本当は基本週5で入ってます。試験期間でもない限り一日お休みを挟んだらまた出勤。
もちろん今日も通常出勤です。昨日は予定通りにお休みを頂いたので。
そして私は、一昨日の別れ際に彼についたその嘘を今になって激しく後悔している次第なのです。

(どうしよう……影山君昨日、受け取りに来てない……!?)

レジ担当の時間、注文品を入れておく棚を何気なくチェックして慄いた。
だってそこに、あのバレー雑誌の増刊号が残っていたのだ。

(なんで!?絶対昨日のうちに取りに来ると思ったのに……!!)

あんなに楽しみにしていたのだから、当然そうするだろうと思っていた。だからこそついた嘘だ。
そうすれば、最低でも来週までは影山君に会わずに済むと思った。
もしかしたらその間に彼の気が変わって、もう私を送りになんて来なくなるかもしれない。
そんな希望的観測もあった、のに。

(と、取りに来てない、とか……バカな!)

――いや、でももしかしたら、まったくの別人が偶然同じものを注文していたという可能性だってある。
そんな僅かな期待に縋り、恐る恐る商品を手に取って伝票を確認してみた。
が、そんな私を嘲笑うかのように、お客様氏名の欄に並ぶ『影山飛雄』の文字。
百歩譲ってこれが私の筆跡によく似た他人の字であったとしても、『飛雄』なんて名前の持ち主はそうそう転がっていない。

(これは……非常にマズイ……)

人知れずごくりと喉を鳴らし、壁にかけられたアナログ時計を確認する。
閉店時間までゆうに2時間。こうなったらできるだけレジから離れた隅の方で、目立たないように作業するしかない。
幸い今日は私の他にももう一人、一つ年下のバイトの男の子がいる日だったので、少し調子が悪いからと理由をつけてレジを代わってもらうことに成功した(彼には今度ジュースでもおごらせてもらおう)

(どこなら目立たないかな……少女マンガとか、この辺りなら絶対来ない?)

なるべく影山君が寄りつかないような場所が良い。
そう思って、一番縁がなさそうな少女マンガの近くにある作業机を陣取り、時間が早く過ぎ去ってくれるようにと願いながら黙々と作業を進めた。
取りあえずの今日のところはこの作戦で乗り切るしかない。明日以降のことは、またその時に考えよう。

(――よし、これで最後!)

閉店時間まであと15分。
店長から指示された返品商品を箱に詰め、ガムテープで封をしてから返品用のラベルを貼りつける。
その最後の一箱が終わり、ささやかな達成感から気を抜いた――瞬間だった。


「すみません」


「――あ、はい!なんでしょう、 か」

背後から声をかけられ、その持ち主を考えるよりも早く、反射的に振り向いた先。
急ごしらえの営業スマイルが一瞬で崩れ落ち、中途半端に語尾が掠れる。
一際強く脈打った心臓が、危険信号を発していた。


「……注文した本を取りに来ました。影山です」


自分の喉が、ひっと短く喘ぐのをどこか他人事のように感じた。

妙に落ち着いたその声は、だけどその奥に隠しきれない物騒な感情が覗いている。
同時に、初めて目にした彼の笑顔は、口元だけは確かに笑っているものの纏うオーラが禍々しすぎて。
瞳孔の開いた黒い目は、かけらも笑ってなんかいなかった。



(14.10.17)

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