小説 | ナノ




「すんません、結局オゴってもらって……」
「これくらい良いってば、偶には先輩らしいことさせてよ」

ドリンクバーとアイスクリームが二人分。そんなに痛い出費ではない。
半ば強引に影山君にも食べさせたアイスは私の顔の熱をどうにかするためのものだったりするので、必要経費だと言っても良い。
レジでお財布を出そうとした影山君をどうにか制し、無事にお会計を済ませてからお店のドアを出ると、さすがに日は暮れて少し肌寒い風が吹いていた。

「――みょうじさん、今日チャリですか」
「あ……ううん。学校から電車で来たから……影山君は?」
「俺も歩きです。送って行きます」
「………ありがと」

影山くんの言葉に、思わず頬が緩みそうになって俯いた。
帰ろうと思えば一度部屋に帰って自転車で来ることもできた。けど、それをしなかったのはひとえに、今の影山君の一言を聞きたかったから。
たった一駅分でも、影山君と一緒に歩いて帰る口実がほしかったからだ。

(顔、合わせづらいとか、二人きりはまずいとか……思ってるくせにこれだもんなぁ……)

自分で自分がよくわからなくなってくる。
影山君と距離を置きたいのか、それとももっと一緒にいたいのか。
傍にいるとドキドキして、息苦しくて、どうすればいいのかわからなくなってしまうくせに、それでもいいから少しでも長く彼を見ていたいとも思う、なんて。

(――これが“恋”……なるほど、皆が夢中になるのもわかる)

いつだってキラキラとした表情で顔を寄せ合い、とっておきの秘密を打ち明けるように楽しげに、嬉しそうに恋バナに花を咲かせていた女の子たちの気持ちが、今になってやっとわかった。

まるでビックリ箱みたいに、いつ、何が飛び出してくるのか。ハラハラするのに、どこか待ち遠しい。
自分の中だけに隠しておくには弾けそうで、溢れそうで――だからきっと、誰かに打ち明けずにはいられなくなるのだろう。私が、冴子先輩にそうしたように。

「……そう言えば、影山君のお家って私の部屋から近いの?」
「あー……走って10分ちょい……?くらいです」

影山君の脚で走って10分ならそこそこ距離があるんじゃないだろうか。
考えながら、影山君と並んでお店の階段を降りた――丁度その時だった。

「――あれ、なまえ?」

聞きなれた声に名前を呼ばれて、ハッとして前を向く。
そこには数時間前に気落ちしている私を心配してくれたあの二人の友人が、きょとんとした顔で私と影山君を見て、いた。

「おー、ほんとだ。なんだ、ココで会うなんて珍しいじゃん」

(――あ、まず い)

悪い予感。
影山君と一緒のところを見られて気恥ずかしいとか、そういうのではなく。
第六感と言うか、とにかく、何となく悪いことが起こりそうな気がして、咄嗟に浮かべた笑みがぎこちなく引き攣るのを感じた。

「――さ、さっきぶり!二人はこれからご飯?」
「まぁね。で、あんたソッチは、」
「あっ!もしかして“用事”って彼と……?」

二人の興味深そうな視線が影山君に向けられる。
別に悪い子達ではない。二人と知り合ったのは大学に入ってからだけど、気兼ねせずに話せる数少ない友人でもある。
――ただ、ひとつ問題があるとすれば、彼氏持ちのこの二人は常日頃から私の浮いた話に飢えているという点だった。

「う、ん……えと、影山君。この二人は大学の友達で、」
「どーも。何、ずいぶんカワイイ子連れてるねなまえ」
「ねっ、ねっ、なまえとどーいう関係?」

貼りつけた笑みの裏で冷や汗を掻きつつ、どうにかこの場を切り抜けようと画策していた私をよそに、最も恐れていた質問をあろうことか影山君にぶつけてきた。
その瞬間、心臓がわかりやすく飛び跳ねる。
バクバクと鳴り響く鼓動の中で身体が凍りついたように固まって、影山君の顔、見られない。

「――……『どういう関係』って、」
「!」

少し考えるように間を置いた影山君の視線が、チラリと私を捉えたのがわかった。
ただそれだけのことなのに、瞬間的に沸点を越えてしまった身体が燃えるようにカッと熱を持って。
真っ白になった自分の口から飛び出した言葉を、止めることができなかった。


「かっ――げやまくん、は、親戚の子、で!!」


( あ、バカ )

「家、近いし……っテスト期間だから、勉強、見てあげてて!だっ、だから全然――二人が思ってるような、関係じゃ……!」

言いながら、バカなことをしていると、頭の片隅に冷静な自分がいた。
その場凌ぎのこんなを嘘ついて、どうするつもりだと。

「――っ、ね?影山 く、 」
「………っす」

隣にいる彼を仰いだ私から、影山君はふいと、目を逸らして小さく頷く。
その垣間に見えた眼差しの表情に一瞬、呼吸が止まった。

影山君が、傷ついたような目をしていたから。

「ッ――!」
「……すんません俺、先に失礼します」

喉の奥を、ぎゅっと締めつけられた。そんな感覚。
息を飲んだ私の視線を避けるように、影山君は私と友人二人の前を通り過ぎ、暗い夜道を一人歩き出す。
その背中が、どんどん遠退いて行く。

『やってしまった』

そんな言葉だけが今更頭の中をぐるぐると駆け巡って、体温を失った指先が僅かに震えた。
――それでも今、あの背中を追いかけなければ、もっと取り返しのつかないことになってしまいそうで。

「――ご めんっ!私ももう、行くね!!」

カラカラに乾いた喉がひりりと痛むのを、どこか他人事のように感じながら、気まずげな顔をした友人二人に手を振って、もつれそうな足で影山君を追いかけた。


* * *


「か げやま、くっ、ま……待っ、て!」

身長差も相まって、私を突き放すようにいつになく足早に歩く影山君に追いつくのにやたら時間がかかってしまった。こんな時に普段の運動不足を痛感するなんて情けない。息切れしながらやっとのことで影山君のジャージの裾を掴むと、影山君がようやく足を止めてくれた。
……けど、こっちを向いてはくれない。
沈黙が、未だに重く脈打つ心臓を突き刺すようで、一呼吸ごとにズキズキと胸が痛む。

(なに、か……何か、言わなきゃ……ッ)

「ッ あ、の!」
「――俺、知りませんでした」

息の整わない私の言葉を遮って、影山君がやっと口を開く。
ゆっくりと振り向いて私を見たその顔に、既視感と同時に背筋がぞくりと粟立った。


「いつの間に親戚になったんですか、俺ら」


(――あ、これ、)

いつか、見たことがある。
口元は笑っているのに、目が――目がちっとも、笑ってない。

影山君が、本気で怒っている時の顔だ。

「っご、め――ごめんっ!!でもっ、ご、誤解、されたら、いけないって、思って……!」
「“誤解”?」
「だ…だから……!」

影山君はやっぱり、あの時と同じように静かだ。
静かに怒ってる。
正面から私と向かい合い、眼差しの奥でチリチリと怒りを燃やしながら、それでもどこか冷静で。
その双眸に晒されると心の奥を見透かされてしまいそうな気がして、焦りが募った。

「影山君と、私の関係って……説明するの、難しいから……っ、でも、つ、『付きあってる』とか、思われたら……ッ、困るでしょ……!?」

後半はもう、声が、面白いほど上擦ってしまって。影山君の顔を見られなかった。
顔に昇った熱に目まで浸食され、ぎゅっと閉じた瞼の端に濡れた感触がある。
熱くてどうしようもない私の頬を冷たい夜風が撫でて、頭上の街路樹の葉がざわめいた。


「――俺は、困りません」


「ッ、!」

俯いた視界の中で影山君が一歩、こちらに近づく。

(い、ま――影山君、なんて、)

影山君の言葉の意味を、うまく処理できない。
それなのに私の心臓はバカ正直に、また一段と高鳴って悲鳴を上げる。
無意識に握りしめていた手のひらの中が、じっとりと湿っていた。

「『親戚』とか言われる方が、よっぽど困ります」
「、……影、山く、」
「みょうじさんにとって俺は、“そういう対象”にはならないですか」
「っ……それ、は、」

「――みょうじさん」

私を呼ぶ声に、『目を逸らさずに自分を見ろ』と、そう言われた気がした。
ぐちゃぐちゃになった胸の内を更に掻き乱されたようで、もう、どうすれば良いのかわからない。
肩があからさまにビクリと揺れて。心臓が、剥きだしになってしまったみたいに、痛くて。

「まどろっこしいの苦手なんで、この際ハッキリ言っときます」

さっきまでの怒りとは違う、乞うような、ジリジリとした熱っぽい瞳。
逃がさないとばかりにひたと私を捉えて、絡め取って離さない。
逸らせない。

( ――だ、め )


「俺、みょうじさんのことが、  」


影山君の言葉の先が、中途半端に途切れる。

背伸びして、伸ばした手で彼の口を塞いだ私を、影山君は一瞬、目を見開いて凝視して
――それからまた、あの傷ついた目をしていた。



(15.01.01)

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