(番外)そして、飛躍していく | ナノ

昼時の逢瀬

「惚れさせれば良いってことだろ。いやじゃねーなら覚悟しとけ」

流川が発した言葉は、ただの文字の羅列に非ず。

ざわつく教室、廊下の音声は肥大していき、膨大な単語が耳には全て雑音と化す。ナマエは諦めたように瞼を閉じて、席を立った。きゃっきゃと集まっていた友人たちが黄色い声を上げて、「後で話を聞かせてね!」なんて言ってくる。
席を立ったナマエは、机のサイドに提げていた巾着袋を手にして、騒音の原因へと向かう。苦笑している木暮に肩をすくめると、それさえ許さないとばかりに前方から名前を呼ばれた。

「おせぇ」
「突然やってきて何を言うのかしら」
「ねみぃ」
「ご飯じゃないならお断りしても?」
「腹も減ってる」
「はいはい」

突如として3年のフロアに現れた流川は、欠伸を遠慮なく零しながら歩き出す。ナマエは数多の視線を浴びながら後をついていった。あまりの観衆の多さにぎょっとしながら、恥ずかしさを噛み締めて階段へと進んでいく。

流川へ好意を持つ後輩たちからの真っ向勝負を見事に制覇し、流川からの実直な想いを受け止めてから、視線を浴びることは今まで以上に増えていった。好奇や羨望、妬みに恐れなどさまざまな色が含まれていたが、ナマエは深く気にすることはなく過ごしている。のだが、こればかりは慣れなかった。

「早く開けて」
「敬語は」
「……開けてクダサイ」
「もう。私の部屋じゃないんだからね? 特別に許可もらえた場所なんだから」

慣れた手つきで開けた扉の奥には、綺麗にデスクが並べられている。壁際にはファイルがぎっしりと詰まった棚から、トロフィーが飾られている栄誉ある空間まで設けられていた。そして何よりも、部活動に奮闘する彼らの公式試合結果がつらりと書かれた巨大な組み合わせ表が、何枚も画鋲で止められている。

生徒会室。日頃からナマエが活動する場所を、この時間だけ貸し切らせてもらった。というのも、生徒会長である同期と担当の教師から、何を頼むこともなく許可が出されたのだ。節度あるように、時間は守るようにという言葉のもと、流川によって注目を浴びるナマエの心労を配慮してのことだった。

「あれ、パンだけ?」
「ん。母さんが寝坊した」
「足りるの?」
「……寝るから」
「私呼んどいて?」
「む」

ナマエはくすくすと笑って、自分の弁当箱の蓋を開ける。今朝作ったばかりの卵焼きを見せた。

「良かったら、少し食べる?」
「……いーんスか」
「もちろん」
「……」
「……」

あ。
口を開ける流川に、ナマエは口を噤んだ。食べさせろということらしい。こんなことをしている自分たちの関係を考えると、決して恋人同士ではないのだとまず出てくる。けれど、流川からの好意を確かに知ってはいるし、自分も嫌ではないと答えている以上は許される……のだろうか。

「…うめぇ」
「良かった」
「手作り?」
「おめでとう。今日は私の手作りよ」
「すげぇ、うまい」
「……うん、ありがとう」

道端の動物にえさをあげて、気付いたら懐かれていた。
そんな感じだ。本人に言えば不服そうにするのが目に見えているので伝えないが、どこか餌付けをしているような気分になる。

「部活あるんだから、しっかり食べないとダメよ」
「センパイが食わせて」
「私は家政婦かしら」
「俺の好きなヒト」
「……」

流川がこんな言葉を吐くようになっただなんて、誰が信じよう。
ナマエは恥ずかしさを抱えたまま、小さなオムレツに手を付けた。冷凍食品ながら舌を喜ばせる味に幸せが込み上げる。

「前に貰ったクッキー」
「アイシングクッキーのこと?」
「それも、美味かった」
「ありがとう。初めて作ったけど、さすがに授業でやれば上手くできるものね」

もはや、懐かしくすら感じる。二人の関係に、大きなざわめきを起こした出来事だったはずなのに。

「また食いてぇっす」
「……それは、作ってきてってこと?」
「ん」

小さく頷く姿から、バスケットコートでの雄姿が想像できない。小さな子どもがおねだりしてくるような、胸がくすぐったくなる感触だった。

「材料集めからしないといけないかな。家でやるのと授業でやるのじゃあ、家電製品の勝手も違うだろうし」
「なら、買いに行く」
「流川って分かるの?」
「ワカランからセンパイも」
「……」

本当に流川楓なのだろうか。思わず凝視してしまうと、当の本人は何だと目を瞬かせる。その動作は重く、遅い。もう睡魔が襲い掛かってきて、瞼へ圧し掛かっているのだろう。

「調べておくわ」
「ん」

思わず、綺麗な黒髪に手を伸ばす。瞼を閉じた流川はまるで猫のように身を縮めた。上体をデスクに伏せ、いつものように寝る体制へと入るのだろう。手を引っ込めようとすると、離れる感触を敏感に感じ取ったのか、デスクに置かれたはずの手が伸びてきて、手首が掴まれた。

「……えぇっと?」
「もう少し」
「あっ!」

掴まれた手は流川の眼前へと引き寄せられ、あろうことか唇が甲に触れた。変な声が唇から飛び出すが、流川はただ眠そうな瞳でこちらを見上げてくるだけだった。

「あ、あの……」
「もう少し、やって」
「……はい……」

どちらが年上なのか、分かりやしない。
触れた手首の熱が、手の甲の感触が、胸をざわめかせる。どこでこんな手段を覚えてきたのだろうと聞きたくなったナマエだったが、きっと首を傾げられるだけに終わることは知っていた。

言われるがままに流川の頭を撫で始めると、数分も経たないうちに規則正しい寝息が届いた。上下に揺れる丸い身体に、思わず笑みが零れる。

昼時、校庭からは昼食を食べ終えて身体を動かしている声が聞こえてくる。サッカーをしているのだろうか、それともドッチボール? どちらにしても、楽しそうな活気のある声だ。ナマエは流川の頭を撫でながら、穏やかな時に瞼を閉じた。



「――っと、もうこんな時間!」

生徒会室を提供しようか、という言葉と共に出された条件に、時間厳守がある。こういわれているのはナマエへの信頼のなさではなく、流川への信頼のなさなのだが……本人はまだぐーすかと心地良さそうに眠っていた。

授業が始まるまで10分はあるが、流川を起こすには些か心もとない。

「流川、起きて!」
「ん……」
「こら、起きなさい!」

遠慮なく頭を叩く。初めこそ優しく声を掛け、遠慮しながら肩を叩いていたのだが、これでは覚醒しないと学んだ。腕から落ちた顎がデスクへとぶつかり、流川の身体が大きく跳ねる。

「何人たりとも……」
「怒られたくなかったら覚醒してちょうだい」
「…………む?」

ぼそりと唇から漏れる低い声にも臆せずに、ナマエは改めてぺちんと流川の頭を叩いた。それには流川も目を瞬かせて、ナマエを見上げる。何分も見つめ合っているような感覚に陥るほど黒い瞳を受けて、ナマエはそっと視線を逸らした。

「時間よ。もう戻りましょう」
「……ナマエセンパイ」
「なあに?」
「…はよっす」
「ええ、おはよう」

椅子から立ち上がった流川の身長は高い。それを見上げて、ナマエは微笑んだ。今日は大分楽に起こせたことに安堵しながら、巾着袋を手にして生徒会室から出ようと扉に手を掛けた時、後ろから温かな熱に包まれて手が止まる。

「る、流川……」
「やっぱセンパイといると、落ち着く」
「あ、ありがとう……でも、時間だから」

離れて。そう告げようと上げた頬筋が硬直した。

「……ん」
「……」
「センパイ?」
「……っそういうのも禁止です!」

頬に落とされた熱が、吐息が、一気に身体をざわつかせる。ナマエは恥ずかしさを大声に出して、生徒会の扉を開けた。幸い廊下に人はいなく、紅潮した頬を見られることはない。ナマエは短い別れの言葉を述べて、早々に教室へと足を進めた。

残された流川は、生徒会室から一歩出て振り向く。

「……カギ……」

閉じられることなく放たれた生徒会室が、寂しそうにしていた。


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