10th Anniversary | ナノ

前日譚SS


1.

「まあ、ホテルのプレオープンに? 轟さんとお二人でデートですわね」
「初日は仕事だけどね。二日目はフリーだから……うん、デートになるのかなぁ」
「ふふ。顔が赤いですわよ」
「も〜揶揄わないでよ!」

 紅茶を優雅に嗜む百ちゃんが、上品に目を細めた。
 焦凍くんから誘われた、リゾートホテルのプレオープンイベントへの参加。当日の夕方に行われる披露会に出席すれば、翌日の公開日は自由に過ごすことができるらしい。ただ、そのイベントには勿論正装をしていかないといけないんだよねぇ。

「それで声を掛けてくださったのですね」
「うん。私だけのセンスだとちょっと自信ないし。今回は炎司さんの代理だから、多少気合い入れないとなって」
「選んでいただいたからには、轟さんが失神してしまうほどの素敵な姿へ仕上げて差し上げますわ!!」
「いや失神されると困るんだけど……あは」

 前々から思っていたけど、百ちゃんのテンションがたまに可笑しくなるのはなんでだろう。成長して美人度がぐんと増しても、ここは変わらないのね。そんな百ちゃんも大好きだけど。
 喫茶店を後にして百ちゃんに導かれたのは、世界的にも有名なブランドショップだった。自分ひとりだったら絶対に踏み入れられないような、お上品な雰囲気が醸し出されている。なんでも百ちゃん御用達店舗の一つらしい。なるほど、さすがレベルが違う。
 パーティ用のドレスはこの列がオススメだと、百ちゃんが案内をしてくれる。店員さんは穏やかな笑顔を浮かべたまま小さく頭を垂れた。これは……百ちゃんのハイテンションを察して身を引いているねぇ。さすがプロ。って違う?

「――あ」

 一歩、たった一歩踏み出して、足が止まった。落ち着いた色合いの照明に照らされるドレスは、どこも煌びやかに自らの魅力を放っている。私が一番きれいだと自信をもって主張してくる主役たちの中で、一際目を奪われた存在があった。

「どうかしまして?」
「あの……赤いドレス」
「あちらですわね?」

 シンプルなAラインのドレス。赤と簡易的に例えるには深い色彩を放っていて、濃い紅色といえば一番しっくりくるかな……。何となく、焦凍くんの髪色や彼が放つ輝かしい炎が思い起こされる。他にも色鮮やかなドレスなんて山ほどあるのに、何故か視線を外せない。

「試着してみましょう!」
「えっ、でも、私には合わないよ……」
「似合わないなんてとんでもありませんわ! もっと自信を持ってください!」
「う、うーん。着てみるだけならタダかな」
「ええ!」

 これまた一人だったら、気後れして絶対手に取れない。百ちゃんはわくわくした様子を隠せないまま、店員さんへ目配せをしてくれた。案内された試着室も、自分が今まで使ったことがない広さに綺麗さ。うーん、これがハイブランドショップなのね。
 恐る恐る触れると、またもや今まで感じたことのない肌触りに変な声が上がってしまう。これ、本当に着ていいのかな……。試着した後に購入求められたり、傷出来たとか賠償求められたりしないかな……。

「まぁ〜〜〜素敵ですわ!! お似合いです! とっても綺麗ですわ!!!」
「あ、ありがとう……」

 いざ試着して、何度も深呼吸をして試着室を出た途端に、大歓喜が降りかかってきた。頬を紅潮させた百ちゃんが、これ以上ないくらいの笑顔を花咲かせている。上から下までじっくり観察した後に恍惚とした表情を浮かべてくれていた。うん、私も自分で鏡見て吃驚したから気持ち分かるけど、ここまでの反応をされると恥ずかしい。

「貴女に会うために生まれたと言っても過言ではありません! 轟さんがご覧になったら反射的に襲ってしまいたくなると思いますわ!」
「いやそれはマズイよね」
「ふふ」

 でも、本当にこのドレス素敵。触り心地も良いし、着てみるとより一層色味が美麗に映る。自分が負けてしまうし、似合わないと完全に思い込んでいたこともあって試着すら恐れ多かったけど、いざ着てみるとしっくりきてしまった。

「如何でしょう? 他にも試着してみますか? 私は、こちらが魅力的だと思いますけれど」

 欲しい。正直、このドレスを購入したい。これでしっかりメイクして身を整えたら、焦凍くんはどんな反応を示してくれるんだろう。百ちゃんじゃないけど、私に女性としての魅力を感じて惹かれてくれるかな……。正装した焦凍の隣に立っても、変じゃないかな。

「……」
「大丈夫。きちんと似合っていますわ」
「百ちゃん……」
「お二人で過ごすのは久しぶりではないのですか? せっかく貴重な休暇が取れたのですから、お互い思い出に残る楽しい時間を送ってくださいね」
「……うん、ありがとう」

 きっと一瞬で目を奪われた感性は間違いない。自分の姿が映る鏡をじっと見つめて、そのまま口を開いた。
 焦凍くんが、喜んでくれたらいいな。



2.

 目の前に広がる食卓に、ごくりと唾を呑み込んだ。白い食器に並べられた数々の料理が輝いて見える。むしろここだけ、照明を光度上げて照らしているようにしか見えない。

「美味しそう!」
「でしょ? お母さんと夏と一緒に腕振るっちゃったんだから!」
「贅沢過ぎる……。私ここに居ていいのかなぁ」
「あら。貴女のために作ったのよ。お口にあえばいいのだけれど」
「冷さんの手料理は、いつも間違いなく美味しいです!」
「ふふ、ありがとう」

 今日は轟家にお招きいただいた。と言っても、よく焦凍くんと二人で行っては食事を摂らせてもらっているんだけど。こうして単独で来ることも珍しくない。

「やっぱり、焦凍来れなさそう?」
「はい。結構仕事が立て込んでいるみたいで」

 スマホには「悪い、やっぱ行けねえ」と焦凍くんからのメッセージが入っていた。返信をしても既読が付かない。任務には守秘義務もあるからお互いに全てを熟知しているわけではないけど、今回のは大分大変そうなんだよね。

「忙しいのはそっちも同じだったんだろ? 目にクマ出来てる」
「分かってたけど言われるとショックです……」
「わぁ、ごめんごめん!!」

 落ち込んだふりをすると、夏雄さんが慌てて頭を撫でてくれた。
 うーん、お兄ちゃん! 夏雄さんに頭を撫でられると、いつだって心がほくほくする。これが兄なんだって、兄弟がいない自分には優しい存在だ。

「お父さんも遅くなるって。このまま食べちゃおっか」

 パンと叩かれて冬美さんの花が咲く。皆で手を合わせて、目の前の輝きへ手を伸ばした。
 話は毎回尽きることを知らない。冷さんは有休をとった冬美さんと箱根でのんびりしてきたらしい。夏雄さんは授業があって同行できず。そもそも女子会をしたかったらしいので夏雄さんは不在だ。

「来週だったわね、焦凍との旅行」
「二泊三日でしょ? 早めに向かうの?」
「いえ、仕事の関係もあるので発つのは午後からなんです。最終日も、昼には向こうを出立する予定で」
「ゆっくり出来んの二日目だけじゃん! 初日にパーティあるんだろ?」

 夏雄さんの言葉に頷く。

「本当は、もっと時間を取れたら良いのに……身体が心配だわ」
「あは、大丈夫ですよ〜。焦凍くん適宜休んでるみたいですし、家に帰ってからでものんびりできますもの!」

 まあ、今はこの有休を勝ち取るために仕事が押せ押せで大分辛いけど。私も焦凍くんもぐったりだけど。いざ飛行機に乗ったら多少仮眠は取れるだろうし、日頃の疲れでぐっすり眠れると思う。向こうでも休める……はず。

「貴女の心配もしてるのよ。こうして顔見せに来てくれるのは嬉しいけれど、今日だって途中で事件に巻き込まれたんでしょう?」
「冷さん……」
「いくら強くたって女の子なんだから、自分を大切にしてちょうだいね」
「あ、ありがとうございます」

 冬美さんとの買い出しの最中で敵の襲撃を受けた。襲撃と言っても即座鎮圧出来たけれど、最後の最後に頬に切り傷を許しちゃったんだよねぇ。不覚。消毒をしてくれた冬美さんにも同じことを言われたし、娘でもないのに親身に心配してくれる冷さんや夏雄さんに対して、胸が擽ったくなる。

「でも今日の格好良かったなぁ! 悲鳴が上がる前に駆け出して、すーぐ捕まえちゃうんだもん!!」
「学生時代から炎司さんに鍛えてもらいましたからね」
「最近よくメディアにも出てるよな。俺、職場でもエアロプレスとショートについてよく聞かれる」
「え! ご、ご迷惑かけていませんか!?」
「ヘーキヘーキ! むしろ二人はいつ結婚するのか、が専らだし!」

 けッ……!? ま、まあ、それは今に始まったことじゃないけど……。そっかぁ、身内に直接聞く人もいるのかぁ。恥ずかしいやら申し訳ないやらだよ。

「あ、私も皆から聞かれる。特に子どもたちは興味津々みたいよ?」
「ふふ、私はもう娘のように接してしまっているけれどね」
「冷さんっ……!」
「駄目だった?」
「ま、まさか! 嬉しいです! 凄く、嬉しい……」

 直接言われると何てむず痒いんだろう……。お母さんとおじいちゃんも、私の大事な家族。でも、この轟家の皆も私にとっては家族になってる。籍も入れていないのに傲慢だと非難されるかもしれないけど、それだけ大切な人たちなの。

「お土産、皆さんに買って帰るので楽しみにしていてくださいね!!」



3.

「無理。疲れた。眠い」
「生きてるか?」
「生きてない」
「お、喋った」
「さっきから喋ってますぅ!」

 ソファへ身を投げ出して一時間弱。一向に疲れが取れない。明日から楽しみにしていた二泊三日の旅行なのに、前日までとことん仕事が積もり積もって疲労が半端ない。焦凍くんも同じように忙しかったようで、こうしてどちらかの家で落ち合うのは、久しぶりな気がする。

「飯食えそうか」
「何を買ってきてくれたの?」
「ラーメン。蕎麦なかった」
「夜にラーメン……。いいねぇ、食べたぁい」
「寝たままだとソファ汚れるぞ」
「……分かってはいるんだけど……」

 動けない……。
 荷造りもまだ終わっていないのに、どうしよう。明日の朝に回してしまおうかな。いやいや、でも絶対に明日の私が後悔するのが目に見えている。
「まずは茶でも飲め」
「うん」

 お互いの家には頻回に泊まるから、日用品や趣向品はある程度揃っている。ほぼ同居していると言っても良い状況だねぇ。
 腕を引っ張られて上体を何とか起こす。ソファの背凭れへ身を委ねて、渡された湯呑に口を付ける。ああ、温かいだけで幸せだ。テーブルにはコンビニで買ってきてくれたラーメンがちょこんと二つ。味噌と醤油でそれぞれ違うらしい。有難く味噌を頂いた。

「荷物は纏まったか?」
「後ちょっと。焦凍くんは……終わってるからここにいるんだもんね」
「ああ」

 部屋の隅に置かれたスーツケースは、落ち着いた紺色をしている。前にも見たことあるけど、気のせいでなければ傷が増えてる気がする。出張がここのところ多かったみたいだし、出番も増えたのかなぁ。

「朝はまだ余裕がある。必要なら早めに起こすか?」
「ううん、今から準備しちゃう。先にお風呂どうぞ」

 ご飯食べて話している間に、何とか動くだけの体力は戻ってきた。寝室へ足を進めて、必要な衣類を詰め込む。
向こうの天気はいる間ずっと晴れみたい。日頃の行いが良いからかなぁ。ネットで事前に情報は調べて写真も見たけど、早く生で味わいたい。海も、実際に目にしたらさぞかし綺麗なんだろうなぁ。
 焦凍くんの後に続いてお風呂に入ってさっぱりする。後はしっかりと明日に備えて寝るだけだ。使い終わったメイク落としを、スーツケースに入れているポーチへとしまった。こうして旅行へ行くのも久しぶりで、ちょっとウキウキしてきた。

「電気消すね」

 朝、多少の余裕があるとはいえ夜更かしは出来ない。何よりめちゃくちゃ眠い。明日からを楽しむためにも体力を全力で回復しないと。
 ――と、瞼を閉じた矢先だった。

「こら焦凍くん」
「だめか?」
「駄目に決まってるでしょ」

 焦凍の手が滑り込んできた。
 そわそわしていたし、これでもかと凝視されていたから覚悟はしていたけど、本当に伸びてきた。少しひんやりとした分厚い掌に重ねて、やんわりと拒絶をする。明日の事を忘れないでほしい。

「寝坊しちゃったら、大変」
「最近、お前に触れてねえ」
「それは……そうだけど」

 期待はしていた。今日求めてくれるという期待。
 でも、受け入れて万が一にでも支障が出たらどうするのだろう。もし、大事なプレオープンのお披露目会に間に合わなかったら、炎司さんの面目を潰すことになってしまう。何より、焦凍くんとの貴重な時間を後悔で始めたくない。分かってほしいと、焦凍くんの双玉をじっと見つめて説得を試みる。

「……分かった……。もう少しの我慢だな」
「…うん…」

 もう少し。ひと仕事を終えたら、私たちのプライベートな時間がやってくる。
 誰にも邪魔されることのないリゾート地での旅に、今から胸が酷く高鳴った。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -