クラン社に着くと、受付担当のお姉さんがヴェルからの伝言を預かっていた。
どうやらルドガーたちは先に社長室に向かったようだ。
何にも変なこと言われてなければいいけど――そう考えながら社長室の扉を叩く。
「はいりたまえ。」
「失礼します。」
「……ナマエ!」
「ご無事でしたか。」
そこにはエリーゼとローエンを抜かした皆が揃っていた。
心配そうな表情を浮かべているジュード君と目が合って、微笑む。
良かったと、そんな呟きが聞こえてくる。
「どうやらユリウスの捕獲には失敗したようだな。」
「逃げ足早くて見たのは後ろ姿だけです。」
「ほう、接触はしていないと?」
「接触してたら私、こんなピンピンしていませんよ。」
「……面白い。」
いや、バリバリ接触してたけど。捕まえる気なんてさらさらなかったけど。
そんなことは、全部この男にはお見通しなのだろう。
余裕そうに腕を組んでいるのが、些か腹立たしい。
「さて、ルドガー君。君にいい知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたい?」
「悪い知らせって……?」
これ以上、何かルドガーの身に起こるというのか。
どきりとする胸元を抑えると、ヴェルが代わりに口を開く。
「警察が、ルドガー様を公開手配するようです。」
「!」
「どういうことですか! あなたが抑えてくれるというから、ルドガーは!」
「あぁ、そう尽力してきた。だが、警察もなかなか強硬でね。」
「ルドガー、捕まっちゃうの……?」
ッ……事実なのか。
どうしても疑ってしまう。
「いい知らせも、あるんですよね?」
空気を変えるように、レイアがそう訊ねる。
「ああ。君を、我が社のエージェントとして迎えたい。」
――!?
「驚くことはない。君の行動を観察させてもらった結果だ。君は現状に立ち向かう意志、そして、なにより力がある。」
「観察って……あなたがそう仕向けたんでしょう!?」
「ルドガーを試したんだな。」
「筆記試験や口先だけでは、器は量れないからな。」
バカだ、私……。
この人、ルドガーを試すために私を利用してたんだ。
「君もルドガー君に才があることは認めるだろう? ナマエ君。」
「ッ、」
「ナマエ……?」
私はただルドガーのためと、そう思って……やっていたのに。
「聞いていなかったのか? ルドガー君の保護を彼女に頼んだんだ。」
「ナマエが、俺を保護……?」
「そうだ。君は彼女に戦いを教えてもらったことがあるだろう。」
「……。」
ルドガーたちの視線がやけに痛く感じる。
もう、バカ、なんでこんな。
「それも彼女に頼んだ仕事だ。きちんと報酬も、渡してある。」
「じゃー、あのお金って……!」
「そう、君の借金返済のために彼女が頑張ってくれた成果だ。」
「別に借金のためじゃない。私はただっ……!」
ルドガーに良かれと、そう思って……。
仕事とか関係なくただルドガーを守ってあげたくて……。
ゆるりと、ビズリー(社長)の目が細まる。
何も間違ったことは言っていないだろう? そう言いたげだ。
「自分の仕事をこなしながら、ユリウスの代わりにルドガー君を育ててくれた。さすが、我が社に乗り込んできただけのことはある。自慢のエージェントだ、君は。」
「乗り込んだって……、」
「てかナマエもエージェントだったの……!?」
ルドガーを守るつもりが、逆にルドガーを差し出す形になってしまう。
これじゃあ、ユリウスさんとの約束も、果たせない。
「確かにルドガーにはエージェントとしての才能は十分に有ります。しかし、考え直していただけませんか。」
「ほう?」
「ナマエ、どうして……。」
この社内にどんな謎があるか分からない。
ユリウスさんが今も逃げているには、この会社が原因しているのかもしれない。
こんなところに、ルドガーは置けない。
それに……意図は分からないけど、ユリウスさんとの約束を違えるわけにはいかない。
「…………。」
「何か、ユリウスにでも言われたのかな?」
「……関係ありません。」
「……そうか。だが、忘れたわけではないだろう、警察の存在を。」
っ、選択肢が、ないじゃない。
「ルドガー君。君がエージェントになるなら、警察は無理にでも抑えこもう。」
「ルドガーに選択の余地はないじゃないですか!」
「一石二鳥と考えてはどうかね。エージェントには十分な報酬を出す。逮捕を免れ、結果を出せば、莫大な借金もすぐに返せる。」
やっぱり、この人が、借金つくらせたんじゃないでしょうね!?
「何を、ルドガーに何をさせる気ですか。」
「分史世界の破壊。」
ユリウスさんが言っていた世界が、本当に……!
「心当たりがあるだろう。本来の歴史が流れる正史世界から分かれたパラレルワールド――それが分史世界だ。」
「分史世界が生まれると、正史世界に存在すべき魂のエネルギーが拡散していきます。」
「拡散って……まずくない?」
「放置するとどうなるんですか?」
「この正史世界から、魂が消滅するだろう。当然、人間も死に絶える。」
「おいおい。」
「そんな話、いきなりされても……。」
規模が、大きすぎる……。
「エレンピオスの荒廃、源霊匣の実用化失敗。それが、魂のエネルギーが消失している影響だとしたら?」
「まさか……!」
「実際に起こっているだろう。クランスピア社は、世界を守るため、密かに分史世界を消し続けてきたのだ。」
世界を、消す……?
「でも、世界を消すなんてどうやって……っ!」
「そう、ルドガーはすでになしている。ルドガーの変身――骸殻こそ分史世界に進入し、破壊する力なのだ。」
「世界を壊す力……。」
……私たちは既に世界を壊してきた? ルドガーの手によって……。
ああ、だからルドガーを強くしろだなんて。
力量を量ってみせたのも、全部、これをさせるため?
「もー、子どもにもわかるように言ってよー!」
エルが痺れを切らしたように声を上げる。
正直、私も頭の中が整理しきれていない。
でも分かるのは――
「ルドガー。世界のため、君の力を貸してほしい。」
この手をを握らないとルドガーは警察に捕まり。
この手を握れば世界を壊して回らなければならないということ。
完全に、してやられている結果だ。
でも世界を壊さなければ、私たちのいる正史世界が、消える。
「兄さんも関わっているのか?」
「最強のエージェントだった。ユリウスが壊した世界は、百以上になるだろう。」
「ユリウス前室長が、分史世界に逃げ込んでいる可能性も高いと思われます。」
「奴を見つければ、一石三鳥だ。」
「ルドガー……。」
ちらりと、彼と目が合う。
迷っていた瞳は私から逸らされて、ルドガーは手を伸ばす。
「そうこなくては。」
ヴェルがルドガーの襟に、バッチをつけるのを横目でしか見られない。
結局私には、止めることはできなかった。
ごめんなさい、ユリウスさん。
「これでお前は、我が社の分史対策エージェントだ。」
「…………。」
「…………。」
願ってた会社に、願ってもいない形で入社――。
なんてこと……。
「なぜ分史世界は、生まれるんですか?」
「あるものが糸を引いているのです。」
「カナンの地に棲む大精霊――クロノス。」
カナンの地に棲む、大精霊クロノス。
初めて聞く精霊。そしてエルが必死で目指している地に棲む者。
こんな偶然が……。
「恐れることはない。我々には、奴に対抗する力がある。地下訓練場に来い。骸殻の使い方を、教えてやろう。」
ルドガーの肩に手を置き、そうビズリー(社長)が扉まで歩き出す。
だが、その足はふと扉に手をかけて止った。
「そうだ、ナマエ君。」
「……はい。」
「君にも分子対策室のエージェントとして動いてもらおう。なに、今まで通りルドガー君の傍で、力を貸してやるだけだ。」
「……承知しました。」
きっと奴は、口角をあげているのだろう。
くそったれが。
「ユリウスを捕まえられなかったんだ、アレはお預けだな。」
「アレ……?」
「結構です。元の契約通りで、頂きますので。」
「ほう? ……期待しているぞ。」
そして、扉が閉じる。
重々しい空気が流れた。
(ごめんなさい、ユリウスさん……。)
(ごめんなさい、お母さん……。)