スラブ | ナノ

スレイプは瞠目した。目の前には黒い筒口が突き付けられているのだ。これは夢か現実か、という表現がよく小説で使われるが、まさに今、この状況だった。


「お、おい……篠河。」
「……。」
「冗談はキツイぜ……。」


篠河に冗談は中々通用しない。いつも冗談を言ってはこうやって銃を向けられていた。けれど、それも笑って両手を上げれば、興味無さそうに鼻を鳴らして銃を下ろしていたのだ。


「こんなこと、してる場合じゃねェだろ? カシラになにかあったのかもしれねェ。」
「……。」
「兼田のヤローだけじゃ心配だ。篠河、おろせよ……。」
「……。」
「篠河!」


スレイプの声が廊下に響く。すると、背後から足音が近付いてきた。ぴちゃん、ぴちゃんと血の海を渡る音は、まるで死神の訪れを表しているようだった。後ろを振り向きたくても、目の前のそれが許さない。

だが、声は耳に届いた。


「ホッホー、無駄ですよ、スレイプクン。」
「兼田……!」


この非常事態に普段通りの声色で、兼田が笑う。それは只一つの真実を示していた。スレイプはぐっとこぶしを握り締める。


「裏切りやがったな、テメェ……!」


目の前の銃口から弾が放たれる恐怖も忘れて、兼田は振り向きざまに懐から取り出したナイフを投げつけた。だが、人間離れした篠河の反射神経と正確な射撃技術がこれを跳ね飛ばす。耳を塞ぎたくなるような爆音と、ナイフがコンクリートの壁に叩きつけられる金属音が敗北を示す。


「裏切るとは心外な。……篠河クン、2人はどうしたのです?」
「アタシに失敗はない。」
「ホッホー、結構、結構。やはり貴女に任せて正解でした。」


スレイプがいくら睨みを利かせても、兼田は悠然と構えていた。


「篠河クン、彼を始末しなさい。報告は不要です。」
「……進め。」
「篠河ッ、カシラからの恩義を忘れたのか! 俺たちをだましたのか!!」
「黙れ。進めと言っている。コイツらと同じになりたくなければな。」
「ッ……!」


後頭部にカチャリとあてられる。それが何かを理解しているスレイプは口を閉ざすほかなかった。銃口に押されるように、歩を進める。


「絶対にテメェを殺してやる、裏切者が!」


兼田とのすれ違いざまに言葉を吐き捨てるが、兼田はただ前を見据えているだけだった。そうして2人の姿は奥へと消える。


「裏切ったのは、私ではない……!」


眼鏡越しに、兼田の視線が鋭く尖る。

ここまでが長かった。ただ『元に戻った』だけなのだ。
兼田は脳裏にこびり付く忌々しい過去に大きく舌打ちをする。瞼を閉じた今ですら、あの時の情景が全て鮮明に流れた。


『――今、なんと仰ったのですか?』
『悪ィな、兼田。オレは金輪際、足を洗うぜ。』
『バカな……! 一体、なぜ!』


兼田にとってツェンダーは最高のパートナーだった。いついかなる時も離れずに、戦時中でも唯一背中を預けられる相手であったのだ。兼田はその頭を武器とし、ツェンダーはその腕を武器として、互いを誰よりも信頼していた。

最愛のパートナーだったのに。


『つばきと、一緒に居ることにした。』
『!』
『ココぁいい国だよ、兼田。つばきだけじゃねェ、この国の連中はこんなオレにすら優しく接してくれる。オレの知らない世界が広がってんだ。』
『だからって……。今まで私たちは2人で生きてきたじゃないか! ずっと、変わらないと!』
『兼田。オメェ、日本とアメリカのハーフだったろ? 故郷の1つに腰を落ち着かせるのも一興だと思わねェか?』


愕然とした。昔から2人でいたのに。これからもそうだと思っていたのに。
ツェンダーは、到達したここ日本で一人の女と出会った。名前は若槻つばき。日本人特有の清楚でお淑やかなその女が現れてから、ツェンダーは人が変わってしまったのだ。


『冗談はやめてくれ、ツェンダー。考え直すんだ。どうせいつか見放される。私たちは何度も苦しんできたじゃないか!』
『疑ってばかりじゃ進めねェ。……ようやく、オレにも守りたい存在ができたんだ。』
『……。』


眉間に寄っていた皴は、目尻へと移った。銃器や葉煙草だけを好んで触れていた手は、女を愛でるようになった。鋭かった目つきは、まるで世界中を愛でるかのように穏やかになっていったのだ。

許せない。


『暫く、オレたちと一緒に暮らさねェか? つばきのヤツも了承してくれている。』
『……もう少し、考えさせてください。』
『あァ。……悪ィな、兼田。』


どうにかしてツェンダーを元に戻そうと何度も掛け合ったが、ツェンダーは柔らかな笑顔を浮かべて首を横に振るだけだった。それが、兼田の心をどん底へと落とす。

そして、さらに追い打ちをかける出来事が起きた。


『ガキが産まれたんだ。』
『え……。』
『これからは、つばきと冴を守って生きていくよオレのーーいや、ボクの大事な家族だ。』
『…………。』
『へへっ。信じられるか? このオレが、父親になるんだぜ。』
『……。』
『オメェも、早くそういう人と出会えればいいな。』


裏切られた気分だった。自分を認め、自分が認めた男が、今はうつつを抜かしている。女と子どもに意識をとられ、そこには今まで自分と数々の罪を犯した巨漢はいなかった。

許せなかった。許すことなど、できなかった。
最愛の男を取り戻さなければならない。目を覚まさなければならない。兼田は唇を震わせ、そして口元を大きく吊り上げた。


『やめてっ、やめてくださいっ、助けて!!』
『おぎゃぁ、ぎゃあっ…!』


性に飢えた男を雇うのは、容易いことだった。ツェンダーが不在の夜、女子どもを連れ出して人気のいない公園へと投げ込んだ。暗闇の中で、女の叫びがただ響く。


『いやっ、やっツェンダー! ツェンダー助けてぇ!!』


顔を左右へ振って抵抗する女の頬を叩き黙らせる。そうこうしているうちに、上から下からと野蛮な男どもに身包みを剥がされていった。


『おぎゃあ、おぎゃぁあ!』
『……。』
『っあう、おぎゃあ!』


ああ、うるさいですねぇ。
地面に転がった泥まみれな赤子を踏みつける。女が悲痛な叫びをあげて手を伸ばすが、男たちにその手は乱暴に捕まれる。


『ぁあ……ゃぁ、…。』


暫く経てば、女の瞳は虚ろになり微かな鳴き声をあげるだけになった。近くで転がっている赤子からは声も吐息も何も漏れなくなる。

兼田は目元を緩めた。これで、いい。




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