Zero the Enforcer | ナノ



毛利小五郎が逮捕された。

公にこそ未だされていないものの、警察内部は騒然としていた。元警視庁の人間であるのもあるだろう。しかしそれ以上に、私立探偵となった今でも数々の事件解決へ(経緯はどうであれ)貢献しているからだ。

警視庁捜査一課からの信頼も厚い。彼がそんなことをするわけがない、と何度も抗議を示していた。だが、証拠は彼の罪を指し示していた。


「なるほど。では、早急に毛利小五郎を送検すればよいのですね。」


検察庁、統括検事室――岩井紗世子はデスクに拡がる資料を見つめながら、スマホを片手に電話越しの相手へと相槌を打った。


『ええ、さようです。まさか日下部検事が道を外すとは思えませんが、しっかりと抑制をお願いしたいのですよ。』
「……抑制、ですか。」
『ふふ。誰も物理でとは言っていませんよ。』


岩井統括は資料を一枚を手に取った。大きな顔写真には、今騒がれている毛利小五郎のその人が映っている。今頃、自身の部下である日下部検事が取り調べをしている最中であろう。そして同時に、その後こちらへと足を運ぶことすら予知していた。


「少々、強引な気がしますが……。」
『理解しております。しかし、此処で不起訴にしてしまえば真相は闇の中へと消えゆくでしょう。我々としては最も避けねばならぬ事態です。』
「公安であれば、事故として処理されても対応はできるのではないでしょうか。」


今までもそう動いたことはある。だからこそ、なぜ今回執拗に拘るのか理解しがたい部分があった。従いはするが、気にはなる。逆らい難い、一度だけ会ったことのある女性相手に岩井統括は疑問をぶつける。


『岩井統括。我々は少数精鋭でしてね、ただでさえ亡くなりやすい命です。こんなことで絶やすわけにはいかないのですよ。』


通話越しでは『ふふ、』と笑ってはいたものの、電話越しの相手の口調の裏側には愚問だという蔑みを感じた。どくりとした心臓は正直で、岩井統括の脳裏にはとある事例が浮かんだ。つい先日のようにすら感じる、自らの行いを。まるでそれを贄に執られているような感触を。


「……失礼いたしました。」
『いえ。貴女には暫し……いえ、永久に悪役になっていただくかもしれません。しかしそれが、上の人間というもの。ご理解いただけますか?』
「もちろんです。毛利小五郎は必ずや起訴致します。」
『ご協力痛み入ります。』


またもや機器越しに聞こえた静かに笑う音に、岩井統括は顔を歪める。一年前、彼女に会った時もずっと同じように笑われていた気がする。一見、穏やかな微笑みであるはずなのに、瞳はあまりにも冷徹で、逆らうことを一切許さない佇まいが恐ろしかった。資料を手にした指先がぶるりと震えた。


『今後の詳細については後程連絡をいたします。』
「承知いたしました。」
『それまで耐え忍んでくださいね、岩井統括。』


返事を返すことなく、通話が途絶える。岩井統括は深々強い溜息を吐いた。椅子の背もたれに身体を預け、天井を見上げる。そして再度、大きな息を吐いた。


――同時刻。

スマホの受話器ボタンを押した冴は、じっとそのスマホを見つめた。画面は先ほどまでの通話相手との時間を指し示していた。


「もしかして、怖がられているのでしょうか。そんな声を震わせることもないでしょうに……。」


ショックだ。と冴はまたもや再支給されたスマホを懐にしまった。今度は真っ赤な色合いに、縦の白いストライプが入ったものだ。某男の某車を連想させるそれに、降谷が酷く顔を歪めたのが記憶に新しい。


「さて。風見は『彼女』を投入済みでしょうか。……いい加減、私も捜査に本腰を入れなければなりませんね。」


ふうぅう、と長々しいため息を共に、スマホをテーブルに置いた。テーブル上には数多の捜査資料が置いてあった。テロ当日、爆破された国際会議場の写真も事細かく載っている。さらにパソコン上には、複数のウインドウでまるで複雑怪奇な暗号の如く英数字が羅列していた。


「あー……どこから手を付けるべきか。まずは、」


パソコンに向き合い、キーボードに指を添えたところで部屋の扉が開かれた。冴はパソコン越しに入室者を確認して横目で視線を向けた。


「これから、という時にどうしました。」
「進捗が気になってな。」
「逐一、お互い報告をするようにしているはずでは?」
「おいおい、随分と棘があるじゃないか。」


コトン、と面積がすでに資料で狭くなっているスペースに缶コーヒーが置かれる。近くから椅子を引き寄せて降谷は勢いよく着席した。顔を向けると気づいたのが、彼の耳元にワイヤレスイヤホンが装着されていた。シッ、と彼は自身の口元に人差し指をあてる。


「……予定通り、検事は日下部。弁護は橘に決まったか。」
「『盗聴』の具合は如何ですか?」
「いい感じだ。自由に動けない以上、助けが必要だからな。」
「手がかりは?」
「今のところはさすがに、な。」


冴はパソコンに向き合って、ようやくキーボードをたたき始めた。それを同じ缶コーヒーを口にしながら降谷が見つめる。


「そちらはどうだ。」
「今始めたところです。ガス栓へのアクセス履歴を割り出さなくてはなりません。」
「サイバー犯罪対策課も洗っているそうだ。」
「それは承知ですが、己の手で掴んだものが最も信頼できます。」


ひたすらカタカタカタとキーボードを叩く無機質な音が響く。降谷は瞼を伏せて、更にコーヒーを口に含んだ。彼女の言葉からは、逆に言えば他人の情報は信憑性に欠けるという本音が窺える。確かに、失敗が許されない立場ではあるが、そこまで信用を傾けないとなると、もしや自分にも……と情けない不安が過るのも事実だ。


「………。」
「………。」
「……違いますからね。」
「何がだ。」


画面を見つめながらぼそりと呟く冴呟く。降谷は飲み終わったコーヒー缶を隣の空いたデスクに置いた。


「貴方のことはきちんと信用しています。」
「……。」
「でなければ、こんなこと言うものですか。」
「……当たり前だろ。」
「不安そうな顔をしておいて、よく強気になれるものですねぇ。」
「誰が不安そうな顔だ。正面から見て言え。」
「あいにく、そんな余裕はございませんね。」
「ふん。……冴、」


椅子同士がぶつかる音が介入する。冴のキーボードを打つ手は一瞬止まるが、すぐに目の前の文字が羅列を開始した。


「仕事中に名前を呼ばないよう、以前も申し上げたかと。」
「……勘弁してくれ。あっちもこっちも積極的過ぎて、モテるのは辛いんだ。」


彼女の華奢な肩に、綺麗な絹糸が流れる。額を押し当てられた冴はきょとんと目を丸めた。体重を掛け過ぎないようにと配慮されたその愛おしい重みに、ふっと笑みが零れる。左手をそっとキーボードから離し、その手を絹糸に通しては優しく撫でる。


「……子ども扱いか。」
「大人だって褒められないとダメになる生き物ですよ。」
「……はぁあああ。」


深々しい。あまりにも深々強い溜息が零れる。彼は彼で、さぞや大変な思いをしているのだろうと冴は苦笑した。ここに風見がいたらきっと酷く狼狽えるであろう。それだけ、降谷がこうなるのは珍しいのだ。


「例の組織に、アポロでしたっけ? そこの従業員に、このお仕事に。いやまぁ、大変ですね。」
「他人事のように言ってくれるな……結構しんどいんだぞ。」
「例の組織から、早急な命令は下っているのですか?」
「いや、幸いなことに今は落ち着いている。だがいつ通達がくるか分からんからな。」
「そうなったら私が頑張るとしましょっか。」


ぽんぽん、と赤ん坊をあやす様に彼を扱いながら、冴はくすりと笑った。それを降谷は身を捩ることもなく素直に受け止めている。これが更に彼への愛おしさを増幅させ、冴は笑みを深めた。


「そういえば、お前の大好きなボスはどうしたんだ?」
「今は別行動です。シチリア辺りにいるんじゃないですかねぇ。」
「……。」
「なんですか?」
「大好きな、を否定しないんだな。」
「……。」
「……。」


肩に、重みがかかる。


「零って、結構子どもっぽいところありますよね。」
「うるさい。」
「ふふ、幼少期はさぞやお転婆だったでしょうね。」
「……。」
「ああ、失礼。」


悪びれもない謝罪を受け取った降谷は、くすりと微笑む。自分の過去に同情することもなく、淡々と流してくれた彼女に救われた。だからこそ、愛おしいのだ。この女性が。


「冴。」
「はい。なんでしょうか。」
「……いや。やはり『そういう』人間がいると、人は強くなれるのだろうな。」
「……はい?」
「こちらの話だ。」





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