Zero the Enforcer | ナノ



とく、とく

都内にある高層マンションの一室に、二人はいた。薄茶のふわふわした絨毯はアルパカの毛を思わせる。ガラスのローテーブルには、二つのグラスが置かれていた。うち一つに琥珀色のビール瓶が傾けられる。


とく、とく


そんな、夏に聞いたら心地良いであろう音が奏でられた。黒革のソファに身を寄せ合っていた冴が、空になったビール瓶をテーブルに置く。その手はグラスに添えられた。


「じゃ、お疲れ様でした。」
「ああ。お疲れさま。」


隣に腰を下ろしている降谷も注がれたばかりのグラスを傾けて、一気に飲み干す。ごくりごくりと、それだけで美味しさが届けられる。冴も同様にグラスを傾けた。決して、一気に彼のように含んだわけではないが、そうしたかのような満足感に満たされる。


「――はぁ、……まったく、今回も酷い目に遭った。」
「まるで、私というとそうなるかのような言い方ですねぇ。」
「実際にそうだろ? 前も爆発騒ぎに遭っただろ。カーレースも腕がしびれた。」


腰を曲げて、膝に肘をつきながらため息を繰り返す彼の背中を、優しく撫でる。その意図を汲んでいるのかは分からないが、降谷は薄く微笑んだ。早速空になったグラスをテーブルに置くと、続けて足元に置いていたビール瓶を慣れた手つきで開ける。


「国土交通省がお怒りでしたよ。ゆりかもめの走行路に侵入したそうですね。」
「仕方ないだろ、高速道路が渋滞していたんだ。とてもじゃないが、間に合わない。」
「ボウヤの悲鳴は聞こえてきましたよ。だいぶ、無理をしたようで。」


自分のグラスが琥珀色に染まると、冴の方に瓶口を向ける。冴はまだ半分は入ったいるグラスを彼に傾けた。何も言わずに、そこに注ぎ足される。


「目の前からゆりかもめが迫ってくる恐怖を感じたことがあるか?」
「まさか。誰が走行路に侵入するんですか。」


思わず苦笑が零れた。「だろうな。」と乾いた反応をする彼は、きっとその時のことを思い出しているのだろう。自身の手元を見つめている。


「さすがに、心臓に悪かったよ。もう二度と御免だな。」
「ボウヤも、きっと貴方の車には同乗したくないと願ってるでしょうねぇ。」
「はは、まったくだ。」


手をぐっと握りしめ、降谷は背もたれに身体を預けて天を見上げる。酷く疲れ切った様子を露わにしている彼に、冴は目を閉じた。まさか、一年前の事件がきっかけで、こんなテロが起きるだなんて想像もしていなかったのだ。自らの手で片すことはできたものの、犠牲は大きい。


「今回も、相変わらず被害は大きかったですね。」
「サミットは無論、『エッジ・オブ・オーシャン』の建設も無期限延期だ。俺たちが使ったビル近辺も一年をかけて復興作業に入るらしい。」
「貴方の車も茫々と燃え盛りましたからね。」
「あいつにも毎度苦労させるよ。」


次の相棒――同じ、RX-7であろうが――を探さなければと、降谷はまたもや息を吐く。金銭的心配よりも目当ての車種を探し、且つカスタマイズすることへの億劫さが露わにされていた。どれも時間がかかるが、彼にはその時間が圧倒的に不足している。

今この瞬間、電話やメールが届けば、送り主によって、自分自身を変えなければならないのだ。まったく、大変な組織に潜入してしまったものだと、冴は静かに同情する。


「例の組織の一員であること、『ゼロ』の人間であること、すべてボウヤは知っているようですね。」
「ああ、風見のことも今回の件で確実に割れたよ。」
「末恐ろしいですね。ちょっと、興味が湧いてきました。」
「……。」
「なんでしょう?」
「いや、冴のことだから前回の件で既に調査済みだと思ってな。」


それは、最高の誉め言葉だった。


「前回は、明らかに『敵』ではないと判断をしてのことです。それに、もう関わることもないと思っていましたから。」


グラスを傾ける。喉がゆっくりと動く様子を降谷はじっと見つめた。


「貴方が『協力者』として即決した人間について、調べてみるのも一興です。」
「さぞ、愉快な結果が出てくることだろうさ。」
「ふふ、鈴宮菜摘として仲良くしてみるのも面白いかもしれません。ボウヤといれば、飽きることもなさそうです。」
「はは……、だろうな。彼はいつも、事件に巻き込まれている。いや、彼が引き寄せているのかもしれない。」


安室透として身近にいた短い期間でさえ、身の回りで何十件もの事件が起きている。そして、その傍にはいつも江戸川コナンがいるのだ。愉しいことが好きな冴には、もってこいの相手であろう。


「そういえばお前、コナンくんに完全に目をつけられているぞ。」
「ふふ、初対面の時からそうでしたから。」
「俺と同じだと、彼は思っている。」
「事実、そうですからね。彼を混乱させるために、他組織と動いてみようかしら。」


彼女の口元は弧を描いていた。きっと、海外の組織と共闘する様子をあえてコナンに目撃させ、彼の思考回路を錯乱させる目的であろう。そして、その様子を面白おかしく彼女は楽しむのだ。悪戯が好きなそれは、昔から変わっていない。


「厄介な人間に目をつけられたものだな。」
「あら、それをあなたが言うのですか?」
「お前よりはマシだろう。」


気付けば、二人のグラスは空っぽになっていた。寂しそうに透明のグラスは奥の景色を映す。普段は多彩な映像を映す画面が今は真っ黒で、薄っすらと肩を寄せ合う二人が描かれていた。


「……今回の事件。」
「ああ、俺たち警察の重要性がよくわかる事件だったな。」
「一年前の事件の時、実は私、一度日本に戻っていたんです。」
「何となく察していたさ。お前が『自分のせいかもしれない』と言ってた時から。」


そんなこと、言いましたっけ。
冴は嬉しそうにほほ笑む。


「我々は、昨年の事件で初めて公安刑事が『協力者』を使っていることが分かった。俺はそれを牽制するために動き、」
「私は当人が暴走しないように操れる上層部を作った――はず、だったんですけどねぇ。」


表情は一変し、嬉しそうな笑みから眉を下げて小さく、くすりと笑った。どこか、自嘲しているようにもうかがえるそれに、冴は彼女の小さな手に頭を乗せる。


「言っただろう、お前のせいじゃないと。俺も同罪だ。」
「零……。とはいえ、ボウヤや風見のお陰で回収出来ました。貴方の導きの元で。ありがとう。」
「なんだ、突然。当然のことしたまでだ。」


それに、と降谷は続ける。


「お前は別のところで戦っていた。お前が主要テロ組織を壊滅しなければ、今頃この狭い日本で二つのテロが暴走していただろうさ。……お前のお陰だ、冴。」


そっと、額に口付けが落とされた。
恥ずかしそうに、それでいてくすぐったそうに冴は身を捩る。


「ふふ、私たち、何してるんでしょうね。」
「大人も、褒められないとダメになるんだろう?」
「……そうですね。」


冴は降谷の肩に自らの身を寄せる。逞しい肩にこてん、と頭を預ければ、肩に腕を回された。そのまま、大きな手はの冴頭を撫で、時折愛おしそうに髪を持ち上げては口付けを落とす。


「ふふ」
「どうした。」
「いえ、思い出し笑いを。」
「思い出し笑い?」


急にくすくすと上品に笑みを浮かべる冴の返答に、降谷は怪訝そうな表情を見せる。せっかく甘い雰囲気になり始めたのに、とどこか残念に感じたのは秘密だ。


「いえ、ボウヤが貴方に恋人の有無を聞いたときのの返しがね。」
「ああ……。」


コナンに「恋人はいるのか」と問われたとき、降谷の脳裏に浮かんだのは冴という存在だった。だが、それが直接返答にならなかったのには訳がある。


「お前が言ったんだろう?」
「え?」
「『自身の信念すらをも貫けない軟弱であったことに、軽蔑をします。』」
「ああ……。」


そうだった。その瞬間、お互いの情報は常に分かるように通信機をONにしていたんだった。降谷の声を聴いていたから理解はしていたのに、自分の言葉が届いているという事実に、いま改めて気づく。思わず、降谷と同じ反応を示してしまった。


「お前からの愛の告白には、不覚にも悩殺されそうになったよ。」
「……事実ですから。」


羞恥の表情を浮かべると想定していたために、素直な反応に降谷は目を見開く。ゆるりその瞳は熱を持ち始め、薄く細められた。


「お前だけは手離せそうにないぞ、冴。」
「私は、元より離れるつもりはありませんよ。」


零――そう呼ばれると同時に、艶やかな桃色の唇に口付けた。吸い込まれるように軽く触れ、そっと上唇を自身のソレで挟む。


「ん……。」


漏れる吐息と共に奏でられた色に降谷の熱は上がる。肩に回していた腕に少し力を込めて彼女を抱き寄せると、頬を掌で包み込む。


「冴、」


そっと囁き、次は厚みのある下唇を包み込む。時々、力を加えて吸い、時々ざらついた舌でゆっくりと、焦らすように舐める。


「っ零……!」
「なんだ?」
「こんなところで、盛らないでくださいよ。」
「家だろ。問題ない。」
「ぁ、でもソファで……シャワーもまだ……。」
「静かに。」


掠れる声で会話をしながら、降谷はいよいよ冴と向き合う。数多の戦場をも諸ともせず突っ切る、華奢な身体を持ち上げて、自身の膝の上に置いた。驚く高い音色にほくそ笑みながら、背中に片腕を回し、後頭部にもそれを移す。


「ご褒美、必要なんだろ?」


ああーー余計なことは言わなければよかった。
冴は内心で後悔しつつ、それでいて酷く期待していることへ胸を高ぶらせた。


そっと、目を閉じて、全てを受け入れる。





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