カツン、カツンと小さな音を立てて降谷は公園へと足を進めた。目当てはもうすぐそこだ。警視庁が臨める、橋の近くにある休憩所。そこに小さな影がいた。影は耳元に手を当てながら、警視庁を睨みつけていく。
「捜査会議の盗聴かな?」
「ッな、なんでここが……。」
振り向いた影、コナンは体を震わせて目の前に立ちふさがる降谷に驚愕していた。降谷は表情を変えないまま、ふぅと息を吐く。手は未だにズボンのポケットに入ったままだ。
「毛利小五郎のことになると、君は一生懸命だね。それとも、蘭姉ちゃんのためかな?」
その言葉に、コナンの視線は鋭くなる。対峙する2人の間を割り込むように、茂みがガサッと音を立てた。決して自然のそれではない音に、コナンの注意は向く。当然降谷も気づいていたが、気にすることなく口を開いた。
「構わない、出てこい。」
許可と共に、スーツ姿の風見が姿を現す。はっと、コナンはイヤホンへ注意を向けたが、先ほどまで聞こえていたはずの風見の声は聞こえず、捜査会議は進展されていた。
「なぜ、私を呼んだんです? 降谷さん。」
風見が捜査会議を抜け出してきたのは、まぎれもなく降谷からの招集だ。確かに、風見が会議中にそう言っていたような……コナンが思い出していると、降谷はいきなり風見に近付き、その腕をつかんだ途端に捻りあげた。
「ッ!」
思わずその場に膝を付き、何をするのだろうと驚愕の眼差しを降谷に向ける。だがその身体は硬直することになる。降谷の、あまりにも恐ろしい瞳が自分を見下していたのだ。降谷はそのまま、風見の袖裏についていた小さな機器を外した。
まぎれもなく――盗聴発信器だ。
それを認知すると同時に、自らが何者かに、いつからか盗聴されていたことに風見は気づく。失態だ。あらゆる情報が何者かに盛れていたのだ。
「これでよく公安が務まるな。」
冷ややかな降谷の言葉に、思わず顔を伏せる。「す……すみません。」それしか口に出せなかった。頭上では、盗聴発信器が指で潰される微かな音が聞こえた。そして捩じりあげられていた腕が解放され、降谷の足音が遠ざかる。
「待って!」
姿を消した降谷を追うようにコナンは駆け出す。橋まで追いかけるも、姿をすっかり失ったコナンは足を止めた。風見もすぐに立ち上がり、その小さな強者に声をかけた。
「盗聴器は君が仕掛けたのか? ……いや、こんな子どもが……。」
袖裏に付けられる隙があったのは、この少年が被害者毛利小五郎の証拠品であるパソコンを返せと飛びついてきたときだろう。そうなれば、必然的にこの子どもがやったと考えるのが筋が通る。
しかしながら、さすがに小学生がそんなことができるだろうか、いやできまい。自嘲気味に失笑した風見の頭を叩いたのは、まぎれもなくコナン本人だった。
「安室さんは、全国公安警察を操る警察庁の『ゼロ』。」
「ッ!?」
「そんな安室さんに接触できるのは、公安警察の中でも限られた刑事だけ。それが風見さんだったんだね。」
『ゼロ』――それすらをも存在を知らない人が多い中で、まさか降谷がそこに所属している人間だと把握できる人間はあまりに限られている。なぜ、こんなあまりにも小さな小学生が知っているのだ。風見は素直に驚かざるを得なかった。
「……君は、いったい何者だ。」
「江戸川コナン。探偵さ。」
向き合ったときに絡むその視線の鋭さに、風見は思わず息をのんだ。こんな目をする小学生がいるものか。あまりにも真剣で、使命感を抱えた子どもが。けれど、上司のそれに似た眼に見つめられ、風見の乾燥した唇は微かに開いてしまう。
「……君の言う安室透は、人殺しだ。」
ぽつり、ぽつりと曇天から雨のしずくが落ち始める。
「去年、拘置所で取り調べ相手を自殺に追い込んだ。」
「自殺って……。」
「悪い。子どもに言うことじゃなかった。だが、なぜか君にはこんな話ができてしまう。変わった子だ。」
緩やかに口元を緩めた風見に、コナンは口を閉ざした。降谷の所業を知り、何も言えなかったのだ。だが、ぽつりと次の言葉が紡がれた。
「……鈴宮さんは?」
「鈴宮? 誰だ、それは。」
「本当の名前じゃないのは確かだよ。黒髪の長い女性さ。」
「……さあ、知らないな。」
「……そう。」
雨足が強くなる中、2人は互いに踵を返して歩み始めた。
――場所が変わって日本橋近く。
雨を受けて重みを増した長い川から、水分が重力に従って落ちていく。先ほど話題に上がった黒髪の長い女性、冴がそこにはいた。雨の当たらない高架下でつくと、ふぅと重々しく息を吐く。そこに一人の男が、これまた雨に濡れた姿で近づいてきた。
「随分と反骨芯の強い『協力者』を手に入れたのですね、零。」
「まったく、困ったものだ。」
2人は恋人同士のように肩を寄せ合い、息を吐いた。
「いつ気付きました?」
「スーパーで風見と接触した時だ。あの時、コナンくんの盗聴が俺に漏れていた。お前の声もな。」
「ふふ、可愛らしい声でしたでしょう?」
降谷は顔に張り付く前髪を鬱陶しそうに掻き上げた。
「勘弁してくれ。お前からの忠告、響いたよ。」
「ふふふ。本当は風見にも聞かせたかったですね。」
スーパー内で秘密裏に接触していた風見と降谷の会話を盗聴していたコナン同様に、コナンと冴の会話を降谷もまた聴いていたのだ。
「『悪戯はほどほどにしなければ、自らへ降りかかってくる』……か。」
「致し方ないと言っても、あの子どもの前で風見との接諸は避けるべきでしたね。」
『警戒を怠ってはなりません。一瞬の躊躇が自らの、そして他者の首を刎ねることになるのです。』
その言葉は、コナンとの会話を盗聴していた降谷に向けたものだった。降谷は肩をすくめる。
「俺はお前に灸を添えられ、俺は風見に添えるわけか。」
「ふふふ、仰る通りです。しっかり風見の腕を捻りあげたの、拝見しておりましたよ。」
「……。」
「どこから見てたのか、は内緒です。」
口元に手を当ててほほ笑む冴に、降谷は瞼を伏せる。柱に添えられていた彼女の手に、そっと自らのを合わせようとしたときだった――。
「きゃあぁっ!」
「なっ、なんだぁ?!」
一般人の悲鳴と共に、大なり小なり爆発音が響いたのは。
「何事だ!?」
「……燃えてる?」
高架下から駆け出して周囲を見回すと、転がるスマホから白煙が流れていたり、サラリーマンの手に持つパソコンが爆発したり、マンションの室外機からの煙が上がったりと散々な事態になっていた。思わぬ騒動に冴と降谷は口を閉ざした。
「……おいおい、次はなんだ。」
「爆発テロ、でしょうか。」
辺りは騒然としている。いたるところで電化製品が火花を上げているのだ。先日の国際会議場の爆発もあり、またもや同様の爆発なのかと人々が逃げまどっている。
「っ、どうなってるんだ。」
「とりあえず現状把握がベストですね。……メディアの情報では電化製品が被害を受けているようですが……ん?」
「お前の携帯か。」
「ええ、ちょっと失礼。」
大型の設置型テレビからは速報で今回の不可解な事件について報道している。テロップにかかれた電化製品の文字を冴が復唱すると、同時に支給された携帯が音を立てた。懐から取り出しその機器を耳に当てると、聞きなじみのある声が聞こえてきた。
「ああ、よかった。どうでした、調査の結果は。……ええ、ええ。……はい? IOT圧力ポットですか。」
##NAME1#が電話越しの相手に依頼していたのは、かの不詳とされたガラス片の調査だった。結果は、一般に販売しているIOT圧力ポットだという。その説明を聞きながら、なぜそれが証拠品として挙げられているのかを冴は思案していた。
「つまり、スマホから時間や圧を遠隔操作できる、というわけですか? また、なぜそのようなものが検事側の証拠品として提出されていたのですか?」
「……。」
「! ……さようですか。ご協力、感謝いたします。」
スマホでの通話を斬ると、降谷は耳元に精神を集中させていた。どうやら、コナンの盗聴をしているようだ。何か情報が得られるかもしれない……。冴はその間に諸々情報の整理をすることにした。
なぜ、検事側の証拠品としてIOT圧力ポットの欠片が提出されていたのか。電話口の相手は確かに言った『発火元はこのポット』だと。まさか、そうだとしたら。おちおち、降谷の盗聴での情報収集が終わるのを待ってはいられない。
周囲は未だに騒然としている。何故、忽然として家電製品が次々に火花を散らしているのか。何故、発火元が圧力ポットだと分かる前に証拠品扱いで提出されているのか。考えれば考えるほど、真実はたった1つの影を指し示した。
「IOTテロか……。」
降谷が呟くように今回の事件について漏らす。互いの視線が絡み合うと、小さく頷きあった。冴はその場で踵を返す、その際に、黒いインカムを降谷に投げつけた。降谷はそれをもう一方の耳に当てて歩みだす。
「聞こえますね。」
『ああ、ばっちりな。』
「犯人の目処がつきました。」
『なんだと?』
「私の判断ミスかもしれません。」
『どういうことだ。』
「動機が分からない以上、何も申し上げられません。」
『風見に合流した後、すぐにコナンくんに接触する。』
「最善策、ですね。」
『無茶はするなよ。』
「貴方に一番送りたい言葉ですよ。」
冴は雨に打たれながら駆けだした。被害を受けている一般人の悲鳴に、顔が歪む。よく利用する駐車場に置いてあるバイクに跨り、ヘルメットを被った。そのまま音を立ててその車体は発進する。