The Darkest Nightmare | ナノ



「で、こっちの姉ちゃんは誰なんだ?」
「鈴宮菜摘です。コナンくんと哀ちゃんが、彼女のお友達を探しているとのことで、お手伝い出来たらなと思って。」
「へえ、この姉ちゃん、記憶喪失なんだよ! だから早く友達見つけてやりてぇよな!」


――記憶喪失。
受けたであろう衝撃を考えれば、理解できない話ではない。だが、こちらを『知らないふり』している可能性は決して否定できない。


「あら、そうだったのですか?! いやだ、つゆ知らず簡単にご友人を探すだなんて言ってしまって……すみません。」
「あの大丈夫です……見ず知らない私のためにありがとう。」


薄く微笑む女に、あの時の殺意は一ミリとも窺えない。
どういうことだ。冴は表面には出さないまでにも、心の中では様々な憶測が飛び交っていた。事実なのか、偽っているのか。偽っているのならその理由は何なのか。自分を目の前にしても顔色を変えないことは幹部であれば可能であろうが、果たして少年の命を自らの身を捨てて助けに行く必要があったのか。信用を得ようとして動いたのか、ならばなぜ信用を得る必要があるのか。女と灰原哀との関係は。どうしてここにいる。どうしてその身が昨夜と全く同じなのか。疑問は何一つ尽きない。


「ご自身のお名前も……?」
「ええ、何も、覚えていなくて……でも、」
「でも?」
「不思議。貴女のこと、知っている気がするの……。」
「……私のことをですか?」
「ええ。どうしてかしら……。」


冴と女の視線が絡み合う。その青の瞳には確かに冴の姿が映っていた。冴は笑みを浮かべながら手を差し出す。女は不思議そうにその掌を見つめて、視線を冴へと向ける。


「あの……。」
「握手ですよ。意外と人の熱に触れたら何か思いだすかもしれませんよ! さ、どうぞ。」
「え、ええ……。」


ゆっくりと、彼女の腕が動く。冴はその掌と自らのを重ねると、指先で彼女の脈に触れた。とくん、とくんと規則正しい音伝わってくる。


「私は貴女のこと本当に分からないですが、もしかして貴方と私、どこかで会ったことがあるのでしょうか……?」
「どうなのかしら……本当に、何も覚えてないの……どうしてここに居たのかも分からなくって……。」
「そうでしたか。災難でしたね……。」


ゆっくりと手を放す。隣からはコナンの視線を強く感じた。


「実は鈴宮さんにそっくりな人が、お姉さんの知り合いだったりしてね!」
「それは考えられますね。世には自分と同じ顔が3人はいると言いますから。」


ふにゃりと冴は笑みを浮かべたまま、答える。
一同はのんびりとした足取りではあるものの、スタッフに誘導されて医務室へと向かっていた。道中では少年探偵団と称する少年少女とのコンタクトをとり、冴は鈴宮菜摘という人物像を維持したまま、彼らと会話を楽しんでいた。

彼らが医務室を離れたのは、数十分後だった。一番重症なのは、落ちた元太でもそれを支えた女でもない、元太から災難にも足蹴りを食らった老男性であった。『はかせ』と呼ばれる彼の簡易的処置も終わり、光彦、歩美、元太の3人は待ちくたびれたとでもいうように声を上げる。


「博士も大丈夫みたいですし、観覧車に乗りに行きましょー!」
「うん!」
「さっ、行こうぜ!!」


この発言に驚いたのは2人。1人は女だ。目を丸くして、まさに純粋そうなその瞳で「でも、迷惑じゃないかしら!?」と答えた。勿論これには少年探偵団たちが即座に反応して、女の同行をむしろ歓迎した。けれどその一方で、もう1人、哀が険しい顔つきをしている。冴はそれを横目で見るが、少女はこの視線に気づくことはなかった。これはコナンも同様で、哀の様子に気付かないままただ少年たちを宥めるように同意する。


「んじゃ、乗りに行くか。」
「待って! 江戸川くん、ちょっと話が……。」
「それじゃあ、我々だけでも先に」
「ダメよ!! 待ってて! 博士!!」


哀のその切迫した声色にコナンも博士も、皆が動揺を隠しきれずにいた。いったい何が彼女をそうさせたのか、冴は薄々その原因が女であり、同様に自分にも多少なりとも向けられているのだろうと察する。


「それじゃ、外の広場で休憩しましょう! コナンくんと哀ちゃんがお話している間に、少年探偵団みんなの活躍話が聞きたいですしね。」
「なんだよーしょうがねぇな。」
「では菜摘さんに先週あった事件のお話をしましょう!」
「賛成! 私たち頑張ったんだよ! ね、お姉さんも聞いて聞いて?」
「え、ええ……。」


冴は彼らを誘導し来る途中にあった公園で腰を落ち着かせた。花壇を挟んでコナンと哀は話し込む。普段は冷静な哀の顔色が驚くほどに変化し、余裕のない口調になる原因をコナンは薄々ながらも感じ取っていた。そしてそれは、彼女の口から直接語られる。


「間違いないのか!? 彼女が奴らの仲間っていうのは……!?」
「絶対にそうとは言えないけど、でも貴方も感じたでしょ? あの右目……今思えばまるで作り物のよう。」
「作り物のようって、まさか!?」
「そう、貴方が言う……黒ずくめの組織の2――ラム。」


はっとコナンは息をのむ。自らをこのようにした謎の組織。いつからか彼らの容姿から黒ずくめの組織と称してはいるものの、実際の組織像はまだまだ不明確。そんな組織の一員であった灰原哀もとい宮野志保の言葉は、信憑性が高かった。組織への恐怖心か、組織にいたからこそ分かる、相手の持つ独特の威圧感を彼女は感じ取れていた。


「彼女がラムだったとしたら、本当に記憶喪失なのかすら怪しいわ、」
「確かにラムは性別、年齢共に不明だったな……。」
「ええ。組織にいたころ噂で耳にした人物像は、屈強な大男、女のような男、年老いた老人など十人十色。そして、何かの事故で目を負傷し、左右どちらかの眼球が義眼……あの女の眼がオッドアイではなく、義眼だったとしたら……。」


哀の手は震えていた。隠すように、小さな両の手を握りしめ合いながら、ゆるりゆるりと考えていることを口にする。そうすることで初めて違和感を感じたあの時からの恐怖心が少しではあるが和らいだ。これを受けたコナンは、哀の言葉に確かにと納得をする。


「だが、なぜオレたちに近づくのにそんな芝居をする必要がある? 確かに彼女の身体能力を見れば、組織の人間として警戒すべきだけど……もし本当に記憶喪失だったとしたらそいつは逆に――」
「まさかあなたっ、あの女の記憶が戻ったら組織の情報が手に入る――そんなことを考えているんじゃないでしょうね!? そんなことをしたら、私や貴方たちだけじゃなくあの子たちまで消されてしまうかもしれないのよ!?」


哀は声を荒げて座っていたベンチから立ち上がった。その勢いのままに言葉は続く。


「それに、分かっているんでしょう!? あの女だけじゃない、怪しい人間は他にいるわ!」
「ああ、分かってるよ。鈴宮菜摘さんだろう?」
「探偵の見習いだなんて信じられない。まるで事故のことを実際に見たかのように話したあの口調、もしかしたらあの女がラムかもしれない――……ううん、例えラムでなくても、もしあの女がラムだったとしたら始末しに来た組織の人間かもしれないわ!!」
「お、おい、落ち着けよ灰原……。」


恐怖が彼女を駆り立てるのか。再び震えだすその幼い体を抑えるように、哀は自身の身体を抱きしめた。


「確かに鈴宮さんで気になる点はオレにもある。あの洞察力もそうだが、彼女と話をしていた時に、鈴宮さんは彼女の手をわざわざ握った。」
「それが、なによ。」
「気付かなかったか? 手を握るのはただの建前だ。その指先は手首の脈に触れていたし、鈴宮さんはじっと彼女の表情を窺っていた。確信はないが、彼女が嘘を言っていないか試していたように見えるんだ。」


いつだか自分も経験した嘘を見破る術。受けたことがあるからこそコナンは冴のあの時の言動に疑問を頂いていた。コナンのこの言葉に哀は顔色を一層悪くさせる。


「やっぱり、怪しいわ……。」
「もちろん、確証はない。ただ鈴宮さんにしろ彼女にしろ、気を付けた方がいいのは確かかもしれないな。灰原、お前鈴宮さんからこう、……組織の人間のような雰囲気は感じないのか?」
「――……分からない。女の方に意識を取られてて……。」
「そうか。ま、とにかく今は2人とも要観察でいいだろ。少しずつ奴らの情報を得ていけばいい。どっちが組織の人間だとしても、近くに居れば都合がいい……。」
「ッ貴方、まだそんなこと言ってるの!? 仮に2人とも連中の仲間なら私たちは100%逃げ切れやしないわ! あの子たちは勿論、私たちだって簡単に殺されてしまうのよ!? 貴方にも私にもあの子たちを守れる力はないの、今だって博士が見てなかったら何されているか――ッ!?」


向かいにいる少年探偵団や博士に向けて哀が指をさした途端、彼女とコナンの顔色はより一層悪化した。今まさに、謎の女性2人への警戒を一層高めたはずなのにもかかわらず、指をさしたその方角には目的の人物はいなかったのだ。――ハトに囲まれている博士を除いて。


「博士!!」
「!? あぁ……ハトぽっぽがー……。」
「それどころじゃないわ、博士!!」
「子供たちはどこ行ったんだ!?」
「えっ、あれ!?」


ハトに意識を取られていた博士は、少年探偵団の姿も、冴の姿も、そして記憶喪失の女性の姿すらも跡形もなくなっていることに気が付く。くそっ、とコナンが悪態をつきながら焦燥に満ちた言動でスマホを取り出す。何度か鳴るコールは突然切られ、それは相手からの拒絶であることを察した。


「くっそーアイツら……。」
「たぶん観覧車よ……あの子たち、すごく乗りたがっていたから。」
「ああ、行こう!」


小さな少年少女は追う。もし仮に、と何度も最悪な事態が脳裏によぎりながら、現実にならないようにと懸命に足を動かした。





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