D.C | ナノ

Origin.


口付けまでは程遠く


遠くで車が走る音が聞こえた。
だが車のライトは決してこちら側へは届かない。先ほどからずっと。
それほど道路から離れた路地にいるのだと思うと、早く迎えに来てと溜め息が零れた。

時計を見ると、既に約束時刻を20分程過ぎている。
遅くなるなら連絡が来るはずなのに何もない。
ナマエは足元にあった石ころを蹴り飛ばした。


「あ。」


するとその石にライトが当たる。
白い車がナマエのすぐそばで静かに停車した。
同時に開くドアウインドウ。


「遅ーい!」
「すみません。ちょっと仕事が手間取ってしまいましてね。」
「んもー!」


申し訳なさそうに微笑むバーボン。
今夜からおおよそ1週間一緒に仕事をするパートナーだ。
ナマエは助手席へと腰を下ろした。


「でも、バーボンが手間取るなんてよほどなのね。」
「ナマエは僕のことを買いかぶりすぎですよ。」
「そんなことないよ〜!」


バーボン。
コードネームを貰っている時点で、彼の腕の良さが分かる。
おまけに彼は、他の幹部と違って実に品が良い。


「(まあ、ベルモット様は別としてだけど!)」


常に冷静沈着で、洞察力もぴか一。銃の腕だっていい。
更に好感度が高いポイントとして、何よりもバーボンは温厚だ。
男女問わず穏やかな物腰、口調、柔らかい笑み。


「(バーボンは、まさに理想的な人!)」


残念ながらコードネームを貰っていないナマエだが、
バーボンはそれも気にせずに同等の立場で任務を共にしてくれる。
ナマエがそんなバーボンに落ちるのはあまりにも早かった。


「ねえ、バーボン。」
「なんです?」
「私、あんまり任務について詳しいこと聞いてないんだけど。」
「そうでしたね。これをどうぞ。」


バーボンから書類を手渡され、ナマエは目を通していく。


「簡単に言えば、お偉いさんの監視ですよ。
僕たちの情報を漏洩しているのではと、疑いがかけられている男のね。」
「ふぅん。で? 私は表で張り込んでいればいいの?」
「まさか! 僕たちも暫く、彼が宿泊しているホテルに滞在するんですよ。」
「……え!?」


ナマエはぎょっとした。
頭の中でバーボンの言葉が繰り返される。

……ホテルに、滞在。僕たち。僕たちってつまり、私とバーボン?

まるで夢のようなその中身に、思わずナマエは慌てたように口を開く。


「ば、バーボンと一緒に? ホテルで?」
「ええ、そうですけど。あ、もしかして僕とでは嫌ですか?」
「とっとんでもないです!!」
「フ、なら良かった。僕はパートナーが貴女と聞いて嬉しいんですよ。」
「えっ!?」


バーボンが、嬉しい!? 私と一緒で!?
ナマエの顔は次第に赤みを帯びていく。
想い人が美しい横顔を見せながら自分とホテルでの任務が嬉しいと言ったのだ。


「わ、わた、私も、嬉しい……バーボンと一緒なんて……!」
「それは光栄だ。」
「(バーボンと任務なだけでも嬉しいのに! ホテルで一緒だなんて!)」


大事な仕事だとは分かっていても、やはり好きな相手と一緒にいられるのは嬉しい。
ナマエは自身の昂る心を少しでも抑えるかのように、胸元にキツく手を当てた。
それをバーボンが横目で見る。


「どうしました?」
「えっ!?」
「いえ、胸元抑えているようですので。もしかして、具合が?」
「ううん、そうじゃないの! 大丈夫!」
「そうですか? なら、いいんですが。」


バーボンの瞳がこちらを向くだけでも胸が高鳴るのに。
こんな心配そうに声をかけられたら堪ったものじゃない。
ナマエはにやつく口元を誤魔化すように、キュッと力を入れた。


「と、ところで対象には接触を?」
「いえ。僕たちはただの客として監視するだけです。」
「でも、接触しないと本当のところ掴みづらくない?」
「そこはご心配なく。私がいるんだから。」
「!?」


突如として聞こえた第三者の声に、反射的にナマエは後ろを振り向いた。
そこには、暗闇の中でも一際美しく映える女性が――ベルモットが座していた。


「べ、ベルモット様!?」
「あらやだ。私がいたことに気付かなかったの?」
「と、とんでもない! ……です。」


気付かなかった、だなんて言えるわけがない。
先程までの恋に踊る高鳴りは何処へ。
今はドキドキと焦り、不安のせいで心臓が脈打つのが分かった。


「まあいいわ。どうせバーボンに夢中だったんでしょうから。」
「ベルモット様っ!」
「なによ、事実じゃない。」


同じ女だからか。それともナマエが分かりやすすぎるのか。
ほぼ後者であろうが――ナマエがバーボンに好意を示しているのをベルモットはよく知っていた。

彼女は後部座席で足を組み、爪を見つめて口元を挙げるだけだった。
これ以上、ナマエに対して何かを言うつもりはないようだ。

思わず恥ずかしくなりナマエは顔を俯けると、バーボンは苦笑する。
そしてミラー越しにベルモットへ声をかけた。


「ベルモット、あまりナマエを苛めないでくださいよ。」
「あら、そんなつもりなかったんだけど。」
「またまた。」
「そんなことより、きちんと前見て運転してちょうだい。」
「分かりましたよ。」


バーボンは、近頃ベルモットとの仕事が多い。
末端のナマエですら、2人が一緒のところを頻繁に見る。
もしかして、2人は……そう思ってしまうほどにだ。


「(任務に手間取っていたっていうのも、本当は嘘で、実は2人で……?)」


嫌な予感がぐるぐると頭の中に過ぎる。


「ナマエ? どうしました?」
「え、あ、いや、なんでもないです。」
「?」


ナマエとバーボンの2人だけならば先程同様に気軽に話ができる。
だが、ここにはもう1人の幹部であるベルモットがいるのだ。
下っ端の自分が幹部と同等の位置にいてはいけない。
ナマエは思わず顔を歪めた。


「あら、急に大人しくなっちゃって。」
「ベルモットが変なこと言うからですよ。」
「やだ。私のせいにしないでよね。」
「まったく。大丈夫ですか? ナマエ。気分悪くさせたならすみません。」


何故バーボンが謝るのか。やはりこの2人は……。
疑うと何もかもが怪しく思えて仕方がない。
だが、バーボンのこの気遣いが嬉しいのもまた事実。
ナマエは顔をあげてぎこちなく笑いながら首を振った。


「少しだけ酔ったみたいです。気分悪いとかではないので。」
「え、ナマエって車酔いしましたっけ。」
「た、たま〜に……。」
「気付かずすみません。窓を開けますから。」
「あ、ありがとうございます。」


後ろで、ベルモットが笑った気がした。

暫く車内が無言に包まれる。
ようやく言葉が発されたのは、豪華なホテルに到着してからだ。
車を降り、ベルモットが髪を纏めて帽子を被り、サングラスをかけた。
その姿がなんと美しく、そしてミステリアスなことか。


「じゃ、私は行くから。」
「ええ。上手くやってくださいね。」
「私を誰だと思ってるのよ。そっちこそ、撫で合ってないで仕事しなさいよ。」
「やだなぁ、分かってますよ。」
「あ、そう。……じゃあね。」


ちらりとベルモットはナマエを一瞥して先にホテルに入った。
遠くで彼女を歓迎する声が聞こえる。


「さて、僕たちも行きましょうか。」
「あ、はい。」
「…………。」
「? どうかしましたか?」
「……いえ、」


一瞬だがバーボンの眉が動く。
しかし本当に一瞬で、バーボンは歩き出した。

ナマエも着いていく形で足を進めながら、周囲をさりげなく見渡す。
だが人影はなく、気配も感じない。不審な車もない。

ならば先程のバーボンの妙な動きは何に対するものなのか。
ナマエは部屋に連れられるまで考え込んでいた。


「ナマエ、こちらの衣装を。」
「え、」
「さすがにその恰好では歩き回れませんからね。」
「あぁ、そうですね。」


バーボンの手には、美しくしなやかなドレスが。
これを自分が着るのかと少しだけ戸惑うも、事だと割り切るナマエ。
そっと手を伸ばすと、その腕を素早く褐色が掴み優しく引き寄せられた。


「えっ!?」


ぽすん、といい香りと共にナマエの身がバーボンの腕の中におさまる。
これはいったいどういうことなのだろうか。
ナマエは暫し思考回路が停止するが、すぐに慌てたように身を引こうとする。
だが、バーボンはそれを許さないとばかりに、ナマエの背中に腕を回した。


「ちょ、バーボンっ!?」
「寂しいじゃないですか。」
「さっ? え? な、なにが……?」


耳元で小さく囁かれると、ナマエの身体はそれを感じぴくりと震える。


「ベルモットがいると分かってからナマエ、余所余所し過ぎますよ。」
「そ、そんなこと……。」
「まさかないとでも?」
「うっ!」


背中を撫でるバーボンの手つきが、妙に優しい。
ナマエは高鳴る心臓の鼓動を抑えることができないまま、そっと身を預けた。
瞼を閉じると、落ち着いた彼の鼓動が伝わるように感じる。


「だって、バーボンも幹部様だもの。」
「僕はそう言うの気にしてませんよ。それはナマエが知っているでしょう?」
「そうだけど、やっぱり他の幹部様の前で普段通りなんてできないよ。」
「でもナマエ、ベルモットが先行ってからも敬語でしたよ。」
「な、流れ?」
「どんな流れですか。」


もう一度、バーボンが寂しかったと囁いてくる。
ナマエは今この現状が夢なのではないかと疑い始めた。

バーボンに抱きしめられているだけでも心臓が破裂しそうなのに、だ。
今の彼はまるで恋人に告げるかのような甘い声色を発している。
それも、ナマエの耳元で囁くように。

これが夢以外の何だというのか。


「ば、バーボンっ!」
「なんです?」
「そ、そろそろ私、着替えなくちゃ……!」
「着替えさせて差し上げましょうか。」
「!?!?」


ぼすんっ、とまるでそんな音がたったかのように一気にナマエの顔が赤くなる。
バーボンはくすりと笑って、唇を微かに耳に触れさせながら


「冗談ですよ。」


身体をようやく離した。


「〜〜バーボン!!」
「あははっ、ナマエ顔真っ赤ですよ!」
「んもー!!」


からかわれた!!

ナマエはこれ以上ないほどに顔を真っ赤に染め、睨みあげるが勿論効果はない。
爽やかな笑顔を浮かべた普段通りのバーボンが憎たらしい。


「(でも、こんな表情のバーボンもかっこいい……!!)」


どうしようもない自分の心にナマエは呆れながら、ドレスを受け取った。


「それじゃ着替えてくる。ついでにメイクも合わせるから、長くなるけど。」
「もちろん、お待ちしていますよ。」
「そう? 分かった。」


1人になってから、ナマエは大きく息を吐いた。
何も始まっていないのに今からこんなに疲れてはもつ気がしない。


「ただでさえ一緒の空間にいるだけでもドキドキするのに。」


あんなことされると、どこか期待してしまう自分がいる。
そんなわけないのにとナマエは首を激しく横に振った。


「(バーボンは、ダメ。好きだけど、ダメなの。)」


きっと、これはしてはいけない恋だから。


「ナマエ。」
「!、な、なに?」
「少しだけ出てきます。すぐ戻りますので。」
「分かった!」


バーボンの退室する音が聞こえる。
どっと、また別の疲労が押し寄せた。


「――……バーボンが、バーボンなら良かったのに。」


それでも叶いはしない恋だけれど。


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バーボンがスパイであることを察しつつある組織末端員

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