D.C | ナノ

Origin.


そして睡魔が手を引く


はぁ、と大きく溜め息を吐いてふかふかのソファに身を委ねる。
自分の家にあるソファとは何もかもが違うこれは、もはやベッドのような心地良さだ。
このまま目を瞑ってしまいたいが、それを抑えてナマエは預けていた背中を起こした。


「ね、いつまでパソコンと見つめ合ってるつもりー?」
「おや。構ってほしいんですか?」
「そーそー。だから早く終わらせてくださいな。」


このソファの持ち主ではない、この家の住人。
家主に許可を得て居住している沖矢昴というこの男は、先ほどからパソコン画面に夢中だ。
さすがに長時間そうされると来た意味がなくなってしまう。
ナマエは適当に同意して、再度身をソファに預けた。


「なんか、小腹すいたかも。」
「夕食を食べたばかりだと思いますが。」
「そうなんだけどさー。」


ふいに感じた自身の空腹。
ましてや今、沖矢が発した夕食という単語に、更にその気持ちは増加された。
彼の作る格別の味をまた思い出してしまったからだ。


「昴さん、作り置きとかしてない?」
「食べるんですか?」
「ちょっとくらいならいいじゃない。」


ようやく沖矢はパソコンとの対話を終えたらしい。
こちらに足音が近づいてきて、すぐ真後ろでそれは止まる。
沖矢は上体を倒して静かに顔をナマエに近づけた。鼻がぴくりと動く。


「ナマエさん、摘みましたね?」
「さーて。なんのことでしょうか。」
「誤魔化しても分かりますよ。人のお酒を勝手に飲むなんて、悪い子だ。」


口角をあげてそう放つ沖矢に、ナマエは目を閉じて肩をすくめた。


「味は最悪。なんであんなのロックで飲めるの。」
「そうですか? こちらはあれが好みなもので。」
「だからってがぶがぶ飲むものじゃないでしょー。」
「そこまで飲んでいるつもりはありませんが。」
「つもり、なだけ!」


夜、この家に訪れると、必ずと言っていいほど沖矢が愛飲しているお酒のボトルが目に付くところにある。
昔からタバコやらお酒やらを酷く好む彼の将来が不安だ。


「スープならありますよ。」
「ほんと!? 欲しい!」


優しい音色でそう言われれば嬉しくないはずがない。
ちょうどお腹も同意しているようで小さく音を鳴らした。
どこか話を逸らされたような気もするが、この際置いておくことにする。


「フッ、どうやら相当耐えきれなかったようですね。」
「どっかの誰かさんが可愛い彼女を放置してるからね。」
「それは悪いことをした。つまみもある、酒でも飲むか。」


先程と変わった口調、変わった雰囲気に、ナマエは何も言わない。
ただ表情にそれは出ていて、口元が緩んでいた。


「でも昴さんのしかないのでしょう?」
「いや、君が来た時を考えて用意はしてある。」
「あら。イケメーン!」
「お褒めにあずかり光栄です。」


にこり、と沖矢は丁寧な口調で返す。
そして近づけていた顔をここでようやく離して、ナマエの頭をくしゃりと撫でた。


「今持ってきます。」
「はーい!」


どんなに顔が違えど、声が違えど、撫でるその手つきは何1つ変わらない。
ナマエは子どものように手を挙げて素直に喜んだ。
足音が遠ざかり、ちょっとした沈黙を味わう。

遠ざかったそれが聞こえてきたのは、少しだけ経った後。
もしかしてお酒を捜すのに時間でも食ったのだろうか。
まずテーブルへ置かれた沖矢の愛酒にナマエは思わず苦笑した。


「昴さんは相変わらずそれね。」
「ええ。ナマエさんにはコレを。」
「……え、これ!?」


そして自分のお酒。
ナマエのために用意したと沖矢が先ほど言っていたもの。
何かと楽しみにしていたところに運ばれてきたのは、ただの牛乳。
強いて言うならばコーヒー牛乳。


「いや、これ、お酒じゃない……。」


予想外の登場に、思わず顔が引きつる。
ナマエはグラスを指さしながら、沖矢を睨むように見上げた。


「私の為に用意したんじゃなかったっけ?」
「ええ、用意しましたよ。」


だが沖矢は相変わらず柔らかに微笑んでみせた。
そしてナマエの隣に腰を下ろす。
沖矢分の体重でソファが形を崩し、ナマエの上体が微かではあるがそれに影響された。


「これのどこが、お酒なわけ。」
「誰が君の酒を。と言いましたか?」
「酒でも飲むかって言ったの、昴さんなんですけどー!」
「あくまでも僕が、の話ですよ。」


しれっとしたまま、氷の上からそれが注がれる。


「だってナマエさん、お酒弱いでしょう?」
「弱いからこそ楽しみたいの!」
「無理しないほうがいい。さっきコレを摘んでいるんですから、今夜は特にね。」
「私の上限はバーボン一滴か!」
「そんなところでしょう。」


平然とした様子で沖矢はロックグラスに口付けた。
からんという氷の音が、ナマエにはやけに憎たらしく聞こえる。


「だからってこんな、カルーアミルクを模したようにしなくたって……。」
「雰囲気は楽しめますよ。」
「逆にもっと欲しくなるんですけどー。」


要らない気遣いだとどこか心がもやもやしつつ、ナマエはそれを誤魔化すように荒い手つきでグラスを手にする。
そしてそのまま口元に近づけると、明らかに主張してくるコーヒーの香りに顔が歪んだ。
自然と渋った表情のまま、ナマエは試すように飲む。


「……ほんとにコーヒー牛乳。」
「どっきりだとでも、期待したんですか?」
「昴さんに限ってそれはない。けど、やっぱりお酒飲みたい……。」
「どこのアル中の発言ですか、止めてください。」
「だってー!」


好きな人がお酒好き。
けれど自分は得意ではないお酒。

好きな人が横にいる時くらい、同じものを飲みたいと思うのは自然ではないだろうか。
ナマエは1つ息を吐いてグラスをテーブルに置き、ソファの背もたれに寄り掛かる。


「そういえばスープは?」
「ああ、忘れていました。」
「ちょっと……、」


そもそも事の始まりは、ナマエが小腹がすいたと言ったことだ。
これに対して沖矢がスープがあると言って、その後に酒の話が進んだ。
肝心の目的物がないことにナマエは再度息を吐いた。


「私、自分でとってくる。」
「いえ。忘れていたのは僕ですから。どれほど要りますか?」
「そんななくても……ちょっと飲んで寝るし。」
「分かりました。」


立ち上がろうとまずは上体を起こしたが、それを沖矢に制される。
細い体をしているが、やはり彼の力は強い。
また足音が遠ざかった。


「……ふぁあ、」


沖矢がキッチンへ向かい、姿がこの場から消えた途端に大きな欠伸が漏れる。
ナマエは次第に瞼が重くなるのを感じた。
お腹はすいているが睡魔も来襲してきたのだ。


「ん……ねむ。」


普段ならばこのまま睡魔が差し出す手を握るところだが、今夜は違う。
隣には沖矢が。目の前にはスープがやってくる。
こんな中で寝てたまるか、とナマエは上体を起こして大きく反らした。
同じように首を大きく回した後に、差し出されていたコーヒー牛乳を飲み干す。

当然、こんなことでは睡魔は諦めてはくれない。
早く沖矢が戻ってこないかと思うが、今頃スープを温めているに違いない。
ナマエの口からはまたしても大きな欠伸が漏れた。


「…………。」


最終手段だ。
空になったグラスの隣で、一際煌めく琥珀色に手を伸ばす。


「こら。」
「あ、」


だが手がグラスを握る前に、手首を掴まれた。
掴んだ相手は当然、知れている。


「好きじゃなかったのでは?」
「ねむくて、」
「眠気覚ましに飲むものではありませんよ。」


到底見えているようには思えない細目が、ナマエを咎める。
片手にはスープが入っているのであろう白い皿が。ふわりと湯気がたっている。


「スープ……、」
「ああ。」
「飲みます。」
「どうぞ。」


未だに睡魔が消え去らない中で、ナマエはグラスを掴むはずだった手をスプーンに伸ばした。
今度は確かに握ることに成功し、一口、温かなそれを口に含む。
途端に、口内いっぱいに程良い酸味が広がった。


「トマト……美味しい。」
「一晩寝かすつもりだったんですけど、特別ですよ。」
「ほんと? 嬉しい。」


この家に暮らすようになってから、沖矢の料理の腕は見違えるほど上がっている。
以前のようにできないよりはいいが、その成長ぶりには目を見張るものがあった。
これでは自分の立場がないとナマエは内心危惧していたが、それも始めだけ。
今では沖矢の作る料理にすっかり夢中だ。


「ナマエさん、眠いのなら無理しないほうがいい。」
「そうなんだけど……今夜は特別です。」
「理由を訊いても?」


夕食後に摘んだアルコールのせいか。今襲ってきている睡魔のせいか。
ナマエの瞼は次第に重くなり、頭がぼーっとするのを感じていた。


「ほら、昴さんいるし……。」
「僕ならいつだっていますよ。明日にだって。」
「でも、いつ居なくなるか分かんないし。」
「……珍しいな。」
「会えないと思ってたら消えて。消えたと思ってたら会えてるんだもの。」
「ああ。」


ナマエは遂に瞼を閉じた。
スプーンを握るのも疲れて、思わず力が抜けてしまう。
するりと手から零れ落ちたそれが落ちる前に、素早く沖矢に拾われた。


「だから、もう……なるべく、一緒に、……。」
「……ナマエさん?」
「…………。」
「……おい。」


沖矢が声をかけてももう反応はない、
なんとか起きていようとした恋人は幼い顔で小さな寝息を立てていた。


「…………。」
「……まったく。」


言うならば最後まで言葉を紡いでもらいたいところだ。


「嫌でも一緒にいてやるさ。」


沖矢は口角を上げながら、グラスを傾けた。


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沖矢としての普段口調に、ふいに混じるあの言葉遣いが好き。
MIX.verって美味しいな。上手く書けんが。

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