D.C | ナノ

Origin.


感情のさざ波


カツン、カツンと落ち着きのない高音が長い廊下に響く。足元を照らす照明はどこか頼りなく、天井から降ってくる灯火は今は掻き消えている。電灯を交換していないのは誰だ、と理不尽な怒りを覚えながら、コードネームは髪を荒々しく掻き上げた。どこか余裕のないその表情のまま勢いよく目の前の扉を開ける。扉の厚みは十分あるが、それを感じさせない軽い動作だった。


「ちょっと、ジン!」
「ああ? うるせぇぞコードネーム。」
「アナタ、監視外したらしいじゃない。ええ?」
「うるせぇって言ってんだろ。」


黒革のソファに凭れ掛かっているジンの目の前にコードネームは仁王立ちになる。目の前に落ちた影を忌々しくジンは睨みつけて、吸っていたタバコの煙を遠慮することなく吐き出す。コードネームは掌で顔面に浮上してきた煙を振り払って、再度声を荒げた。


「普通に考えてあの男、怪しいと思わないわけ? 腕は認めるけど、どっからどう見ても都合よすぎじゃない! アンタ、目悪くなった?!」
「チッ、テメェ誰に口聞いてやがる……。」
「誰も何も無能なアンタに言ってやってんのよ!」
「ぁあ?」


深々しく被っている帽子、そこから流れる長髪。波打つ髪の合間から窺えるのは、人を殺められそうなほど鋭く、力強い眼光だった。だがコードネームは臆することなくそのジンを睨みつける。
それほどまでに彼女には許せないことがあった。話に上がっている「あの男」の存在だ。


「上の命令だ。俺たちがどうこうすることじゃねぇ。」
「なによ、ボスまであの男信じる気?」
「テメェは何に怒ってんだ。ライは昨日の仕事を果たした。テメェは1つミスをした。どっちがこの場所に相応しいのかよくよく考えてみろ。」
「っ……あれは!」


コードネームはジンの言葉に身体を震わせる。思わず両の掌に力が入り、いつの間にか拳が震えていた。ジンの言う通り、自分は昨日の仕事で1つだけミスをした。証拠を残してしまったのだ。勿論、気づいた後に即処理をしたが完璧に任務を遂行できたとは言えなかった。コードネーム自身、この失態を自覚していたが故に、いざ他者から突き付けられると心臓が凍えたように一瞬拍動を停止した。

だが同時に「ライ」というあの男と比較されたことへの異常な怒りが、再び込み上げてくる。それをジンも分かっているのだろう。再びその口から白煙を吐き出し、タバコを灰皿に押し付けて立ち上がる。必然的にコードネームは見上げる形になり、負けじとジンを睨んでいた。


「次に失態犯したら、テメェも屍の山に投げてやるぜ。」
「……。分かってるわよ。」


ジンはそれだけを告げて懐に手を入れ、取り出したタバコに火を灯す。そのまま長髪を揺らして、コードネームが荒々しく開けた扉から部屋を後にした。
一人取り残されたコードネームは唇をかみしめ、ジンの座っていたソファに勢いよく座り込む。同時に、はぁああと重々しいため息が溢れた。両膝に肘を置いて、手を合わせる。長い指先を絡めながら、まだ手に残っている銃器の感触に昨夜の不完全なミッションのことを思い出す。同時に、脳裏にはこの組織にぴったりなほど黒づくめのあの男の姿が浮かんだ。それが酷くコードネームのプライドを傷つける。

コードネームがライという男と出会ったのはそう過去のことではない。むしろ、最近のことのようにすら思える。ジンに呼ばれたと思えば、ライのことを紹介されたのだ。「新入りだ。コードネームはライ。テメェが面倒見てやれ。」とだけ告げ去られた。コードネームの第一印象はまさにこの黒の組織に合った男だ、ということだった。真っ黒な服装は勿論、長く、黒い長髪はジンよりもこの組織を彷彿とさせる。
最初は、新入りの幹部が入ったことへのある意味喜びが大きく占めていた。以前、コードネームは別の新入りを面倒見ていた。その新入りは組織に似つかわしくない程に穏やかだったが、その技量は褒められたものであった上に、コードネームにもよくよく懐いてくれていた。だからこそ、同様になるのではと喜んでいたのだ。

しかし、現実は理想を転覆させた。ライの技術には目を見張るものがあったのだ。知識は無論、体術、銃撃戦、地理にも富んでいるときた。その口から出る言葉は淡白で、ある意味ジン並みに愛想がないともいえる。コードネームは思わず自身の口元がひきつるのを感じていた。
同時に危惧した。「いつかこの男に立場を奪われるのでは。」と。自分も長いこと組織にいるが、ここまでの男を見たことがない。この男が組織にとって絶対的に必要な存在になるのを、どこか恐怖していた。

そしてそれは次第に近づいていく。組織が新入り幹部への監視を解くというのは、つまり幹部として正式に認めること。組織にとって、重要な要であると認めること。コードネームはこれを素直には認められない。あの男だけは、何でもそつなくこなすあの男だけには、負けるわけにはいかない。自分の居場所を奪われるわけにはいかない。


「おい、」
「!」
「……。」
「ライ……何の用かしら。今日は任務を与えていないはずよ。」


いつの間にか、その男が目の前にいた。今の今まで考えていたがために、嫌悪感が露わになる。だがライはそのコードネームの態度には何も言うことはなく、ニット帽の影が落とされているその瞳をただコードネームへと向けていた。


「要件だけ早く告げなさい。何の用?」
「昨日、怪我したと聞いた。」
「……。」


誰だ、漏らしたのは。コードネームの心は未だ荒んでいる。誰とも知れぬその密告者に堪えられない程の憎悪を覚えた。隠れることのないこの嫌悪が、舌打ちとなって表出る。これでもまだ、ライの表情は変わらない。この飄々さが尚更苛立ちを感じさせる。


「だったら何? アナタに心配される筋合いはないわ。それとも、簡単な任務でヘマをした私へ嫌味の贈り物かしら? だったらクーリングオフ。目の前に現れないでちょうだい。」


視線を合わせないままコードネームは言い放つ。これにはライもすぐに返答はできなかったようで、次の言葉が発せられるまでに暫し険悪な空気が漂っていた。無論、これを発しているのはコードネームただ1人である。


「……君は、随分と俺を嫌ってくれるな。」


嫌う? 当然だ。コードネームは苦虫を食い潰したように顔をしかめた。思わず合わせている指先に力がこもる。ライはそんな彼女の様子に気付きながらもあえて口を開かなかった。


「嫌われている自覚があるなら、必要以上に近付かないでくれる? 悪いけど、アナタの面倒を見るのはもう終わりよ。」
「なんだ、そうなのか? どおりで昨夜、君が傍にいなかったわけだ。」
「白々しい……。悪いけどもうアナタに用はないの。せいぜい組織に貢献してて。それかとっとと死んで。」
「随分と物騒なことを言うんだな。初めて会った時のあれが嘘のようだ。」
「誰だって初対面には皮被るの。ていうか本当に要件なに? 早く帰って。」


コードネームは自身の中で増幅する負の感情を抑えられずにいた。何とか大げさな動作で髪を掻き上げて、その爪先を頭皮に突き立てて堪える。早く消えてくれ、と心の中で吐きつつも、その音色は言葉に乗せられる。これだけ嫌悪感を露わにしているのに、まったく嫌な顔一つしないライにも腹が立つ上に、こうして彼に翻弄されている自分にもコードネームは苛立ちを感じていた。今までと違う、この男への劣等感が彼女をこうさせていた。


「これを、届けに来た。」
「は? ……なにこれ。」
「傷薬だ。よく効くから使うと良い。」


テーブルに置かれたことんという音に視線を向けると、掌に収まるサイズの小瓶が置いてあった。密閉されたその中には透明な液体が入っている。もしかしたらジェル状のものかもしれないが、一見しただけではよくわからない。
コードネームは訝しげにそれを見つめて何だと問えば、ライは傷薬だと答える。同情を受けているのかと思わず歯を食いしばった。ぎりっという音が耳に届く。


「ふざけいでよ……! 私はアンタと違う! ずっと前からボスのため組織のために働いてきているの! アンタみたいな素性のしれない新人如きの同情を食らうほど未熟じゃない!!」


ぷちり、と理性の糸が切れる。
勢いよく立ち上がって、コードネームは感情をむき出しにした。怒声が広いとは言えない個室に響き、ライに直撃する。彼は微かにその無表情を崩した。目を小さく見開いているではないか。これにはコードネームも驚いたが、感情のストッパーにはならなかった。


「悪いけど、アンタには負けない。アンタより私がここに必要だと証明して見せる! アンタと、仲良しごっこなんてする気はないから。」
「……。それが、君の本音か。」



どこか彼の表情が悲しげに映ったのは気のせいか。コードネームは一瞬、自身の発言を思い返して良心が痛んだ。だがすぐに今まで自分の中に渦巻いていた不快な感情が込み上げて、ライの表情もその音色も無視を決め込む。ただ、「ええそうよ。」とだけ淡々と告げた。ライは瞼を閉じたかと思えば、何も言わずに踵を返す。


「君の言い分は分かった。だが、それは使ってくれ。放置出来るほどの軽症でないことはニオイでもわかってしまうからな……。」
「……。」


ライはそのまま歩を進める。流れる長髪が、先ほどのジンを思い返した。ぼうっと見つめていると、扉が開けられる。そして、閉まる直前にライが微かにこちらを振り向いた。思わず視線を逸らすと、耳には小さな声が届いた。


「俺では、君にはまだ届かないんだな。」
「――は?」


到底、ライの言葉とは思えない弱弱しいその音色に咄嗟に視線を扉へと向けるが、それは既に閉ざされていて手は届かなかった。「なんなの……。」と個室の中でコードネームの声が一人でに歩く。


「……。」


右へ左へと揺らぐ感情の整理がつかないまま、コードネームは再びソファに身を沈めた。体の底から多量の二酸化炭素を一気に吐き出して、背もたれに凭れ掛かる。その手には既にあの小瓶が握られていた。小瓶を指先で摘まみ、左右へと揺らせば、ちゃぷんちゃぷんと小さな波がたつ。どうやらジェル状ではなく完全に液体のタイプらしい。


「……似合わない。」


このような薬を使っているところを一度も見たことがない。そもそも、ライはこのような小瓶自体持っていなかったはずだ。この薬はどこから入手したのかも知れたものではない。こちらを心配するふりをして、そういう薬品を混ぜているのかもしれない。安易に使うことは、勿論組織の人間としてはできないはずだ。


「……もう、なんなのよ……これ以上かき乱さないで……。」


くしゃりと再び髪をかきむしって、コードネームは小瓶を開けた。無色無臭のその不明確な存在を傾けて、指先に液体を少量つける。コードネームはそれを傷ついた足の脛へと撫でるように付けた。浸透してくる感触が同時に痛みを与える。声が咄嗟に洩れそうになるが、唇をかみしめてこれを我慢した。

同時に、脳裏には再びライの姿が浮かぶ。だが最初と違い、心が感じるのは憎たらしいという嫌悪ではなく、あの時の悲し気な音色だった。どうしてあのような声色を発したのか。あれはライの本当の感情なのか、それともこちらを油断させるための繕った偽りなのか。

コードネームにはその真意は到底理解できない。だが、この薬を確かに使った。それが、彼女の中の感情が微かながらも変化している証拠でもあることに、未だ気付くことはなかった。


.
バーボンと比較してライ夢が少ない。というTwiでのフォロワー様の呟きに確かにと同感した勢いで書いた。やっぱり私には赤井は敷居が高い。難しい。素直ではない子が出てくる上に、まったく甘さがない。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -