D.C | ナノ

Origin.


休日の夜、ワンルームの部屋でナマエは虚ろな瞳をしていた。傍に誰かいれば、彼女が飲みの帰りであることを察するであろう、アルコール臭が漂っている。しかし、彼女は決して酔っているわけではなかった。先ほどまでは何となく楽しい時間を過ごしていたのだと思い返すが、今となってはそれもただの「過去」に過ぎない。大事なのはその楽しい記憶ではなく、現在の感情だった。

なんとなく、だ。なんとなく、つらい。

ナマエが感じているのはそれだった。身体が疲れているのかもしれない、それは否定はできない。だが、ただ単純に体力的につらいわけではない。心が疲弊していた。何とも言えない感情に苛まれ、言葉では言い表せないような重荷が全身に纏わりついている。まるで、帰路に見えない何かに取り付かれたような感覚だ。その何かが、ただひたすらに彼女を蝕んでいた。


「……。」


何かを口に出す気力もない。ただ一言「つらい」と言霊として吐き出せば、この感覚が払拭されるのかもしれない。それでも、そのたった一言を出すことさえも億劫な他ならない。普段なら、どこか期待しながらスマートフォンの画面を逐一確認するのだが、そんな余力も残っていない。兎にも角にも、今のナマエにはあらゆることが大儀であり、明確にできない謎の倦怠感に襲われていた。

そんな時だ。テーブルに置いていたスマートフォンが振動したのは。ナマエはその長方形の最新端末を虚ろな瞳で見つめる。その間にも端末は目に捉えられるほどの振動を続行している。画面は伏せられているために誰からの連絡かは定かではないが、ナマエはそれを確認することもできなかった。すると、端末はピタリと制止した。どうやら先方は諦めたらしい。ナマエはただ静かに息を吐いた。

やはり、なんとなく、つらい。


ネットで購入したビーズクッションを腕に抱く。柔軟に形状を変えるそれに顔を埋めて、大きな溜息をついた。クッションはこれを吸収してくれる。少し力を加えると、敏感に反応をしてまた形を変えた。そうして瞼を閉じていると、耳に音が聞こえた。そう、まるで扉が開くような音が。


「やはり起きてたか。」
「……れいくん……。」


音の正体はまさにそれだったらしい。鍵が開けられ、扉から入室し、奥までやってきた男は呆れたようにため息を吐いた。耳に届いた愛おしいその声に、帰宅後初めてナマエは口を開く。思いのほか喉が乾燥していたらしく、零れた言葉は少し掠れていた。

零はため息を小さくついて、手に持っていた灰色のスーツジャケットを無造作に床に投げ捨てる。あ、とナマエはそのスーツを見つめた。すぐにハンガーにかけなければ、皴だけではなく埃もついてしまうだろう。クッションを抱いていた腕をそっと伸ばすと、その腕を褐色の手に掴まれた。


「無理するな。」
「…していない。」
「してるだろ。家にいるのが分かっているのに電話に出ないお前は、大抵無理している。」
「むちゃくちゃだよ。」


零は掴んでいたナマエの腕から手を離し、彼女の隣に座った。そして彼女の頭にぽん、と手を置く。


「れいくん、」
「なんだ。」
「……なんでもない。」
「そうか。」


頭を撫でていた手でナマエの頭を自分の方へと引き寄せた。抵抗もなく動いた頭上に、自分のも軽く乗せる。暫くお互い口を開かずにいると、零のシャツに微かに力が加えられた。ナマエが、指先で軽く彼のシャツを掴んでいたのだ。零は微かに口角を上げて、瞼を閉じた。


「あのね、れいくん。」
「ん?」
「……なんとなく、つらいかも。」
「そうか。……頑張ったな、一人で。」
「……うん。……ありがと、来てくれて。」
「本当はお前から連絡欲しかったといったら、どうする。」
「……次から、気を付ける……。」

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