5周年記念 | ナノ

残酷は時として残酷である


もう、心が疲れた。
何も考えたくなくて、何も感じたくなくて、何も見たくない。
もう、どうなったっていいや……。
だって、全部悪いのは私なんだから。


「あーあ。どうして戻ってきたんですか?」


目の前には、あの人が綺麗な笑顔を浮かべて立っていた。
耳に届く声は残念そうなものではなく、酷く嬉しそうなものだ。


「あのまま、あの男と一緒に居ればよかったのに。」
「……。」


何も答えられない。何も答えたくない。
もう、嫌だ。どうして諸星くんはいないの?
私が求めているのは諸星大なんだ。赤井秀一ではない。
それなのに私は、確かに赤井秀一に対して安堵と好意を抱いた。
裏切りだ――明美への、諸星くんへの。


「ねえ、どうでした? 赤井秀一に会った感想は。あんなに会いたかったんでしょう? 諸星大。」
「……諸星くんは、もう、いない。赤井秀一は、私には関係ない……。」
「そうですか。……なら、僕と一緒に来ますか?」


彼は相変わらずの笑みを浮かべたままだ。
彼は何を考えているんだろう。何を感じているんだろう。
そのままの表情でそっと手をさし伸ばしてきた。

分かっている。彼が、明美を殺した組織の仲間なのは。
そう、分かっているんだ。分かってはいても――


「!、……いいんですか。」
「……連れてって、どこへでも……。」
「……。」
「もう、疲れちゃった。私は、諸星くんにはもう会えないの。」
「……。」


彼は大きく目を丸めた。
その表情はなんだか悲しそうで、どうしてそんな表情を浮かべるのか分からなかった。
だってそうでしょう? 私がこうなるのを、彼は望んでいるはずなのに。
だからこうして、私に手を差し伸べてくれたんでしょう。


「逃げますか、赤井秀一から。」
「……うん……。」
「……逃げ切れる確証はありませんよ。」
「いいの。」
「分かりました……貴女にその覚悟があるというなら、僕はどこへだって連れ出しますよ。」


これでいいんだ。
もっと嬉しそうな顔をしてくれても良いのに、彼は眉を下げたまま私の手を握り返した。
その手の温もりは、赤井秀一のそれとは異なるものだった。

一歩。
足を踏み出した途端に、目の前に駐車していた白い車が音を立てて崩れる。


「!?」
「ちっ、」


タイヤがパンクしたのだ。
みるみる傾く白い車体を見つめていると、背後から足音が聞こえた。
咄嗟に振り向けばそこには――


「逃がさんぞ。」


――黒い悪魔がいた。


「これ以上、馬鹿げたレースを続けるつもりはない。」
「始めたのは僕じゃない。彼女だ。」
「エンジンをかけたのは君だろう、安室くん。」


安室、それがこの彼の名前らしい。
赤井秀一は銃口を彼に向けたまま元より鋭いその目を尖らせた。


「その手を放してもらおうか。悪いが、もう譲る気はないぞ。」
「譲るも何もはじめから貴方のモノではありませんよ。そうでしょう、赤井。」


安室さんは繋いでいた手を放して懐へと忍ばせた。
取り出されたそれは、いつだか差し出された小型の拳銃。
ぶるりと身体が震えた。


「アメリカの犬に成り下がった貴方に、日本の言葉を教えて差し上げましょうか。」
「……。」
「『二兎追う者は一兎をも得ず』――ご存知ですよねぇ? 貴方のことですよ、赤井秀一。」
「……。」
「宮野明美と疑似恋愛を始めたと思えば、親友であり自分に好意を抱いている彼女に手を出し、その結果が――宮野明美の死。挙句、もう一兎である彼女は今こうして貴方からの逃亡を選択した。お判りでしょう、結局貴方は何を得ることも、何を与えることもできず、ただ人から奪うだけだ。他人の大切なものを根こそぎね!」


安室さんの言葉が心を凍てつかせる。
高圧的な笑みを浮かべたまま口を閉ざさないその単語一つひとつが突き刺さる。
赤井秀一はなんて返すのだろう。男に視線を向けると、彼はこちらを向いていた。
真意を問うようなその真っすぐな瞳が、心臓に悲鳴を与えた。


「なまえ、戻ってこい。」
「っ、」
「ほぉー、彼女に直談判でもするつもりですか。残念だが彼女は今、最善の選択をしたところなのですから、邪魔はしないでいただきたい。」
「なまえ。今、お前に返事を返していいか。」


え、返事……?
なんの……?


「忘れたのか、あの時、お前が俺に言ってくれた言葉への。」
「……。」
「フ、確かに俺は耳にしたぞ。俺を、好いているという言葉を。」
「――!?」


な、なにを……!?
返事? 諸星大へ向けた想いの丈を、赤井秀一の口から返すのか。
分かり切っている、答えを。私を絶望させるだけの答えを。


「やめて、」
「俺は、」
「やめて!」
「俺は、お前のことを」
「やめてって言ってるの!!」
「好いている。」


――……え


「確かに俺の想いは、お前に向いている。なまえ、好きなんだ。勝手だとは分かっていても、俺はお前のことを、」
「も、諸星……くん……。」


ああ、
なんで
どうしてそんな
そんなことを言うの?


「愛している……。」


頭の中がぐらりと一回転した。
一瞬、足元がおぼつかなくなって体勢が崩れる。
ああ、今目の前にいるのは赤井秀一で、諸星くんではないはずなのに。
なのに、どうして私のこの胸はこんなにも激しく高鳴って、嬉しくなって。
私のこの瞼は熱くなって、涙が溢れ出そうなの――?


「もろぼし、くん……。」
「だからなまえ、戻ってきてくれ。」
「……。」


嬉しい。
悲しい。
明美、明美、私、私どうすればいいの。

この言葉は私を繋ぎとめるだけの上辺なの?
それとも本当に明美をも裏切った覚悟の言葉なの?
私がこんなに苦しいの分かってて言っているの?

ねえ、諸星くん。明美。
私はどうしたらいいの。
私は、私は……私……


「わたし……」
「なまえさん?」


わたしのその手は、隣にいる安室さんのそれに被さっていた。
彼はもとより大きな瞳を更に開かせて、怪訝そうな表情を向けてくる。
対峙する愛すべき彼は、眉間のしわを深くした。


「かして。」
「え、」
「安室さん、かしてくれるでしょう?」


するりと彼の手からそれを取ることができた。
ああ――あの時と同じ恐怖がわたしを駆り立てる。
この黒い塊をまさかわたしが持つなんて、あの時は思いもしなかったよ……。


「諸星くんは、明美を愛してたの。」
「……。」
「明美も諸星くんを愛しててね……わたし、見るの辛かったよ。」
「……。」
「明美を殺したのは、だあれ?」
「なまえ、」
「明美を殺したの――貴方だよ……。」
「……。」


ああ、意外と重いんだね。
こんな小さな穴から人を殺めるソレが出てくるんだ。

はは、あはは、


「許せないよ……。」
「なまえさん、」


肩に、安室さんの手が乗った。
耳元に唇を寄せられて、吐息が囁かれる。


「肩の力を抜いて。当たりますよ、貴女の悲しみは。」


そうして離れていくぬくもり。
震える手の向こうには、悲壮感を漂わせた赤井秀一その人がいた。


「――アリガトウ」


そんな顔しないで。
そんな風に目を閉じないで。
ねえ、バカ。目を、閉じないでよ……!


「サヨウナラ」


大好きだったよ――諸星くん。


「ッなまえ!!」


――そこからワタシの、なまえという哀れな女の記憶はない……。
すべては自らの保身のために道化を演じきれなかった女の、悲惨な物語なのだ。

世界は白になった――。
耳元では鳴りやむことを知らない、煩わしい機械音がワタシを侵食をしてくる。
それしか聞こえない世界で、時折彩りが訪れる。


「……なまえ、今日はコイツも一緒だ。来たいと強請りがしつこくてな。」
「ナァァア!!」


黒と、白銀が世界に混じる。
けれど姿は見えない。そこにいるのだけしかわからない。


「まったく、院内に動物を連れ込むなんてどうかしてる。言っておくが、俺はきちんと反対したからな!」


続いて金色が混和される。
姿は見えないけれど、色は黒とは決して交わらない。


「安心しろ。問題ない。」
「ありまくりだ! まったく、この男といると疲れる……。」
「ナァ!」


常に刺激を与えてくる機械音を隠すように、安らぎの鈴の音が鳴る。
形状は分からないけれど、常に黒と共に世界に入り込む存在。


「……感謝する。」
「はぁ?」
「毎日、来てくれているんだろう。」
「……。」


どうして。何もわからない。何も見えない。
でも、たしかに疑問だけは感じた。
どうして。


「君が負い目を感じる必要はない。すべては君の言った通り、俺が招いた事態なのだからな。」
「……貴方だけに任せておけるか。……助長させたのは、まぎれもなく俺だ。」
「……そうか。」
「にゃ、にゃぁあ……ナァアッ!」
「……。」
「……。」


ワタシは確かに、誰かと共に在ったのかもしれない。
誰かと笑い合っていたかもしれない。
誰かを心の奥底から愛したかもしれない。
誰かを強く守りたかったかもしれない。
誰かから逃げたくて、逃げられなくて、走ったかもしれない。


「あの時、」
「……。」
「銃を渡した俺が悪かった。……貴方に向けると、思ったのにな。」


ワタシは確かに、選択したのかもしれない。
誰かが伸ばしてくれた手を弾き飛ばして。
誰かが見つめてくれた目から背けて。
誰かが出してくれた答えにだけ縋って。


「ああ。俺も、俺に撃ってくれると思ったのだがね……。」
「なんてことを俺はしてしまったんだ……。彼女が追い詰められているのを知っていたのに。」


金色が崩れ落ちた。


「銃口を自分へ向けた時に、間に合えば!」
「……。」
「そうすれば彼女は今だって苦しみながらも居たはずなのにっ……!」
「にゃ?」


黒色が揺れた。


「――……。」
「ナァア!」


白銀が鳴いた。


分からない。
この白い世界の中で現れる彩り3色だけが、確かにワタシがワタシとして存在していることを証明している。

ねえ、貴方たちはだあれ?
この胸の苦しみはなあに?
ねえ、ワタシって


.
如月紫様より、赤井連載「いつか終わる恋」のIFver.
最終話を軸に……一言では書けませんが、つまり、切ない。
夢主が自害し、運良く助かるも植物状態のオハナシ。
頂いた希望にどれだけ応えられたか分かりませんが、どうぞ……。
書いてて楽しかった。安室の赤井煽りが楽しかった。ゴメンナサイ。

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