5周年記念 | ナノ

視えぬ娘の存在


――ああ、もうこんなに太陽が沈んできてやがる。

遠くに沈む陽を横目で捉えて、鬼龍は深々しくため息をついた。
果たしてこの男と向かい合ってからどれだけの時間が経ったのだろうか。
驚くべきことといえばこの数十分、いや1時間以上をも延々と止まない男の饒舌さだ。


「つまりコンティニュー画面から『いいえ』を選べばタイトル画面に戻って『はい』を選べば元の場所からやり直しできるってことと類似しているんだ!」
「そうかよ。」
「ああ♪ この流れ同様にこの曲は作られていてだなぁ〜! ホラ、ここ見てみろよクロ! ここで転調すれば今まで悪魔と対峙していた騎士が、妖精さんと休息の泉に身を沈められるんだぞ☆」
「ああ。」


はっきり言って、まったく意味が分からない。
夕日よりも鮮やかな橙色を持つ男、月永のその止まないテンポに狂わされそうになりながらも、鬼龍は机に頬杖をついたまま小さく頷いた。

アイドルとしての歌唱力や表現力、作曲の実力を兼ね備えていつつ、どこかでズレたのはいつからか。
それを明確に思い出せずとも、確かにこの月永は所謂『変人』でありつつも『天才』であることを鬼龍は知っていた。
だからこそ、そんな彼の話をどこか流しつつも聞いているのだ。


「んー、ダメだな。」
「ダメって何がだよ。」
「チャージ分が足りない! 何も降臨しないぞっ!? 天使の羽が視えないどころか、その毛先すらをも描写されていない!!」
「つまりなんだってんだ?」
「これじゃおれたちには合わない!!」


先ほどまで自慢げに見せつけてきた楽譜を唐突に月永は掌でくしゃくしゃに丸めだす。
それには思わず鬼龍もぎょっとした。
月永のその腕をよく知っているからこそ、力作であったはずの作品を無碍に扱ったからだ。


「考えろ〜頭使え〜もっと念飛ばせっ! わはははは☆」
「お、おい……。」
「わはは……☆ うんっ、なまえならなんていう?」
「は?」
「なまえならこんなの『つまらない』と言うに決まっている! 宇宙に地球があるのと同じ原理で確定していて揺らがない! そもそもこの転調のタイミングが気に食わないんだなっ☆ もっと奇抜で、神出鬼没で、襲い掛かる敵すらをも驚愕させて転倒させるようなタイミングがいいんだ!」


一度その思考に陥った月永を止められるものは一切ない。


「お、お、丸めすぎて五線が波打ってる!」


鬼龍は小さく息をついて、頬杖をついたそのままでボソリとつぶやいた。
一切ないはずの彼を止める『魔法の単語』を。


「また『なまえ』って誰だそいつ?」


その一言が、発した鬼龍本人を酷く驚愕させる。


「なまえは俺の骨だ。」
「……は?」
「なまえは俺の骨で、俺の耳だな!」
「……。」


『なまえ』という単語は今まででも聞いたことはあった。
不意にこの男が出してくる特定の人物を指しており、一日に一度は必ず耳にする名前だ。

この『なまえ』を提示した途端、普段停止しない月永が反応を示した。
鬼龍はそこで初めて悟った。『なまえ』が月永の暴走を止める唯一のカギに近しいのだと。


「骨って」
「俺の一部! アブダクションさせられないように、俺が守ってる存在だなっ☆」
「何から守るんだ?」
「外界!」
「わからね、」


今に始まったことではないが、やはり何を伝えたいのかがわからない。
あまりにも婉曲的表現を放ちすぎていて、到底月永の本来の意味を会得できないのだ。


「気に食わねぇなら、その『なまえ』っつー人に聞きゃいいだろ。」
「それはダメだ!」
「なんで。」
「なんでも!」
「頼むから分かるように言ってくれ……。」


普段は聞き流すものの、度々耳にしていては気になって仕方がない。


「『なまえ』サンってのはどんな奴なんだ?」


鬼龍がそう問うた刹那、月永の表情が一変した。


「渡さないからな。」


鋭い眼光は、こちらへの敵意を完全に示していた。


「……アホ、奪うつもりなんてねぇよ。」


少し、口の渇きを覚えながらそう返すと


「そっか☆ わははっ、だよな!」


そうコロリと再び八重歯を見せて笑顔を浮かべた


「うう〜なまえ……なまえ、」
「……。」
「やっぱり近くに居ないと受信が悪いんだよなぁ…。」


丸められた譜面を再び開き、そこにペンを走らせる。
いつものような疾走感を与える速さではなく、何かに引きずられるような重々しい動きだった。


「なら、会いに行けばいいだろ。別に聞かなくても、傍にいるだけならいいんじゃねえのか?」


簡単に言うと『らしくない』月永の様子に、鬼龍はついにそう伝える。
すると、彼の後ろ毛がぴくりと跳ねた気がした。


「! そうだな! どうしてそれをおれは思いつかなかったんだ! クロは天才か!? そうだったのか!?」
「分かったから、行けばいいだろ。」
「うっちゅ〜☆ 星の瞬くこの一瞬を無駄にしてはならないなっ! よし、おれは行ってくる! ありがとな、クロ♪」


ガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がり、再び譜面を丸めて月永は走り出した。
その後ろ姿を見て鬼龍は何度目かになるため息をついて、重い腰を上げる。


「ったく、すげぇ嬢ちゃんだぜ。」


どんな容姿なのか。名前からして女性だと確信すらしているが、それ以外は何も不明瞭。
そもそも自分より年上なのか下なのかすらも分からないが、一度会ってみたいものだ。

鬼龍は頭を一掻きして、自らの鞄を持ち、夕陽に染まる教室を立ち去った。


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希空様リクエスト月永連載「アイドル科の王さまと普通科の娘」でクロさんの「こいつがうわごとのように言っていたから、有名〜」についてどんな感じなのか。デシタ!
とりあえず一瞬敵意を向ける月永氏を書きたかっただけで、他がオマケ(笑)

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