朝の目覚めは、太陽の光でも春風の香りでもない。
ましてや心地良い愛おしいその声でもなくて――
「ナッ!」
「うぐっ……!?」
可愛らしい、白猫からのタックルである。
「お、おはよ……う……。」
「ナァ!」
愛らしい顔をして、この子のタックルは意外と強い。
猫パンチよりもたぶんこのタックルがこの子の最強攻撃だと思う。
昨日は耳にやられたけど、今日は顔面にやられた……痛い。
「フッ、酷い顔だな。」
「うっ……。」
部屋を出ると、ちょうど赤井くんに出くわした。
しかも笑われた……! は、恥ずかしい……!
思わず腕に抱いた白猫で顔を隠すと、ヤメロと言わんばかりに猫が暴れた。
するりと私の掌から抜け出して、赤井くんの足元で顔を見上げながら一鳴き。
「ああ、おはよう。」
「にゃっ!」
どうやらこの子、赤井くんにもよく懐いているようだ。
私が居ない間ずっと面倒を見てくれていたから、彼のことを主だと思っているのかもしれない。
……え、なんか悲しいかもしれない。
「朝食ならできている。先に顔でも洗ってこい。」
「ん、ありがとう。」
赤井くんに対して、気まずさがないわけではない。
けれど正直に言えば、この胸の高鳴りを抑える方が精いっぱいだ。
「今日は出かけないの……?」
「毎日働いているわけではないからな。」
「そう……。」
赤井くんはやはり忙しいみたいで、目が覚めた時にはいないことも多い。
早朝だったり、深夜だったり、時間問わずに何かしらしている。
でもそっか。今日はお休みなのかな。……ちょっとだけ、嬉しい。
「ナァ?」
「ううん、なんでもないよ。ホラ、お前はこっち。」
「なぁッ!」
いつものご飯を用意してあげれば、嬉しそうに飛びついていく。
その姿にほのぼのとした気持ちになると、テーブルにカップが置かれた。
「あ、ごめん。」
「いや。」
「ありがとう。」
「ああ。」
互いに席に座る。
向かい合って座るのは本当に心臓に悪い。
偶に視線が合わさったときなんかは、たぶん脈も速くなっていると思う。
「どうした?」
「ううん……赤井くんと一緒に昼食とるの、久々だから。」
「ああ、確かにそうだな。空けてて悪い。」
家を、ってことだよね。
私が居候しているんだし、謝ることは何もないのに。
むしろ何もしないで家にポツンといる私の方が申し訳ない。
「せっかくだし、どこか行くか?」
「え?」
「ずっと家に居ても気が滅入るだろ。」
「そんなことないよ。この子もいるし。ね?」
「にゃぁあ……。」
すでにご飯は食べ終えているみたい。
小さなあくびを押し殺しながら、真ん丸な瞳をこちらへ向けた。
こてん、と首をかしげる仕草は一度別れた時と何一つ変わらない。
「……そうか。」
あ。
もしかしなくても、悪いことしちゃったかな。
赤井くん、きっと気遣ってくれたんだよね。
「あ、あー……。」
「ん?」
「……散歩? する?」
……。
なに、言ってんだろ。
「…フ、散歩な。了解。」
「ええ!?」
「しないのか? 散歩。」
「うっ、い、意地悪……!」
不敵なその笑みもまた、何も変わらない。
ああ――諸星くんだ……。
「せっかくだから、買い物付き合ってくれる?」
「……ああ。」
あ。絶対今、乗り気ではない反応だった。
「あまり長居はしないぞ。」
「分かってる。」
「にゃ、」
「お前は留守番。」
「……ナァア!」
「ダメ。留守番!」
「……にゃ。」
前々から思っていたけれど、この子は本当に人の言葉が分かっているかのような反応をする。
今だって、さっきまで純粋無垢な真ん丸の視線を向けていたのに、断ったら不貞腐れたようにそっぽ向いて。
可愛いけれど、ここまで素直に反応されると自分が悪いみたいな感覚になってしまう。
「そういえば、」
「どうかしたの?」
「冷蔵庫の中見たか。」
「え、見てない。」
冷蔵庫の中がどうかしたのだろうか。
ちょうどいい、と言わんばかりに赤井くんが立ち上がってそれを取ってきた。
白い箱に入れられたそれは「デザート」が入っているのだろうと思わせる。
勿論、私自身もそう思って箱の中を覗いてみた。
「可愛い……!」
そこには、小さなロールケーキが。
しかも上部には小さな猫の砂糖菓子付きだ。白くて、まるでこの猫みたい。
「これどうしたの?」
まさか赤井くんが買ってきたわけではないだろう。
ハッキリ言ってまったく想像できない。想像しようとすると不思議な規制が入る。
「もらいものだ。毒見は済んでいるから安心しろ。」
「いやごめん、その発想はなかった……。」
やっぱり、赤井くんみたいな人たちって、初めてのものには手を付けないのかな。
私の料理も、細心の注意とか払ってから食べてるのかな。
「食べるか?」
「買い物から帰ってから食べようかな。」
「散歩じゃなかったのか。」
「もう! その話はいいの!」
「フッ……。」
ああ……困った。
本当に私、この人のことが好きなんだ。
「なまえ。」
「な、なに?」
彼の瞳はまるで優しくて。当然、正直者なこの心臓がとくんと高鳴った。
毎日こんなんじゃ寿命も短くなっちゃうよ……。
「散歩ならおすすめのルートがあるぞ。」
「もうっ、赤井くん!!」
彼の口角は珍しくずっと上がっている。
そして私のそれも同じくして――ずっと白猫に見られていただろう。
赤井くん……。
意外と、散歩とか好きだったりするのかな。
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慧子様より「いつか終わる恋」後日談にて甘めの話でした。
連載ではヒロインが今まで辛すぎたので……とのことで、甘めのフレーバーです。
企画への参加、ありがとうございます。