3周年記念 | ナノ

Origin.


桔梗に触れる


FBI捜査官としてかなりの切れ者である男、赤井秀一。
切り札とさえも称されているこの男は今、酷く弱った表情を浮かべていた。
それもこれも、原因はただ1人。この目の前で顔を真っ赤に染めている女性である。


「い、や! 絶対に嫌!!」
「そう我が儘を言うな。自分の状況が分かっているのか。」
「だから、こんなの大したことなッゴホ、ゴホッ!」
「それのどこが大したことないんだ……。」


事の発端は今朝。
赤井はいつものように、恋人であるナマエを抱きかかえながら目を覚ました。
だが、今朝だけはふとした異変によって意識が浮上した。熱いのだ。

抱いている体がやけに熱く、微かに開いている唇から漏れる吐息も同様。
表情はどこか苦しそうで、汗も尋常じゃない程かいている。
まさか――。


「おい、起きろ。ナマエ。」


慌てて赤井はナマエを起こして、熱があるのではないかと告げた。


「あぁ……かも。だるい、しゴホッ、あー……。」


昨夜までは普通だったのに。突然咳が出始め熱まで引き出す始末。
早速、体温計で熱を測らせてみれば、予想以上の高熱だった。
当然ここまでくればこの後とる選択は1つ。


「病院に行くぞ。」


赤井はごくごく自然にそう告げ、愛用のジャケットに腕を通した。
だがナマエが動く気配は見せない。
それほどまでに身体が重苦しいのだろうかと、自然と赤井の眉間にしわが寄る。


「……車を表に回してくる。その間に着替えられそうか?」
「…や、」
「?」


小さく掠れた声が耳に届く。
や?


「いや。」
「……なに?」


次にはっきりと聞こえる拒絶の言葉。


「……だから、いやだって言ってるの。」
「なにが嫌だと?」
「…………病院。」
「…………。」
「…………。」


今、この彼女は何と言ったのか。
赤井は一瞬自分の思考回路が停止するのを感じた。
だがすぐにそれは再起動する。


「……子どもか。」
「うっさいわよ。」
「とにかく行くぞ。着替えろ。」


赤井は適当にタンスの中から衣類を取り出し、ナマエの足元に放り投げた。
だがナマエは毛布の下で足を動かし、その衣類をベッドから落とす。
その行動に、思わず赤井の動きが止まる。


「……はあ。」


そして大きく溜め息を吐く。
小さく首を横に振りながら、赤井は布団の下に隠れたナマエの腕を掴んだ。
体を起こさせようと腕を引くが、ナマエは心底嫌そうに抵抗をする。


「い、や! 絶対に嫌!!」
「そう我が儘を言うな。自分の状況が分かっているのか。」
「だから、こんなの大したことなッゴホ、ゴホッ!」
「それのどこが大したことないんだ……。」


激しく咳き込むナマエの身体を起こし、赤井は優しくその背中を撫でた。
少しでも、気持ちが落ち着くように。


「いいか、ナマエ。寝起きであの体温だ。これからますます上がるのはお前でも分かるだろ。」
「別に、辛くなんてないわ。」
「そんな顔してよく言う。」


ナマエの顔は酷く辛そうだ。
汗によって前髪が額にぴったりとくっついている。
息だって先ほどよりも荒い。相当苦しいはず。
赤井は1つ溜め息を吐いた。


「とにかく、病院は嫌なの。寝てればすぐに、こんなの……。」
「医学は専門外なのだがね。寝て治るような状態でないのは見て取れる。」
「……、」
「あまり、心配をかけさせないでもらいたいがな。」


赤井の言葉に、ナマエは気まずように視線を逸らした。


「分かったら、早く着替えてくれ。車を回してくる。」
「い・や。」
「……ナマエ、いい加減にしてくれ。」
「絶対に嫌! 病院行くくらいなら東都タワーから飛び降りてやるわ!!」
「ナマエ……。」


また1つ、次は先ほどよりも大きなため息が零れる。
普段見せない駄々をこねている姿は可愛らしいものがある。
とは言え、今は現状が現状だ。このまま放置しておくわけにはいかない。
赤井は困ったように首を横に振った。


「いったい、病院の何が嫌なんだ。」
「……。」
「都合が悪くなったら口を閉ざす、か。それじゃ何も進展はしないぞ。」
「……。」


いっこうに答える気がないナマエに、赤井の眉は遂に下がった。
一度瞼を伏せて息を吐くと、ベッドの端に腰を下ろす。
そして、俯くナマエの頭を優しく撫でた。


「恋人が苦しんでいる目の前で、何もできない男にはなりたくないのだがね。」
「……お母さんが、」
「ん?」
「お母さんが、死んだのよ。病院で。」


母親の死。初めて聞くその告白に、赤井は目を細めた。
だが病院で死ぬのは何もおかしなことではない。
何が、そこまで嫌悪感を生ませているのか。赤井は静かに紡がれる言葉に耳を傾ける。


「……がんで、病院で療養していたの。薬の副作用が酷くて、お母さんは毎日辛そうだった。
食欲もなくなって、体はやせ細っていくばかり……。」


その時のことを思い出しているのだろうか。
ナマエの身体が小さく小刻みに震えていることに気付く。
赤井は頭を撫でていた手を下ろし、彼女の小さな手を握った。


「始めは小さいから薬で対処できるって言っていたのに、そんな気配見せない。
毎日励ましの言葉をかけてくれた医師や看護師も、次第に口を閉ざしていく始末。」


ナマエの首が小さく横に振られる。


「結局お母さんは、病院で息を引き取ったわ。
何もしてくれない病院で。ろくな治療を受けられなかった、病院でね。」
「だから嫌なのか。」
「……そうよ。……怖いの、病院は。」


繋がれた手に、力が籠められる。
赤井は瞼を閉じて、ナマエの熱い体を優しく引き寄せた。
そして、背中をゆっくりと撫でる。


「だがな、ナマエ。俺はこのままお前を放置するなんてこと、できないぞ。」
「……ごめんなさい。でも、私、」


事情は分かるが、それとこれとは別だ。
赤井にとって一番大事なのはナマエのその身。
いくら病院にトラウマがあったとしてもこのまま「分かった。ベッドで大人しく寝ていろ。」とは言えなかった。


「俺の知り合いに、医者がいる。」
「秀一、でも私は、」
「落ちつけ。そいつはある大学病院に勤務していたんだが、前に辞めたと言っていた。
今はただの愛妻家で通っている主夫をやっているそうでな、いつも暇らしい。」
「秀一?」


撫でる手を止め、赤井はナマエの頭にそっと顎を乗せた。


「病院が嫌でも、ただの主夫になら、診せるくらいいいだろ?」
「…………。」
「変なことをしでかせば、俺が脳天ぶち抜いてやるさ。」
「…………。」
「頼む、ナマエ。」
「秀一……。」


珍しく耳に届く赤井の声が弱弱しい。
ナマエは思わず顔を顰めた。
自分のわがままのせいで彼を酷く困らせている。悩ませている。
一番いいのは病院へ行くことなのだろうが、過去を思い出せば思い出すほど体が拒絶をする。

そんな自分を気遣って、赤井は選択肢をくれた。
怖くないと言えば嘘になるが、これを断れば更に彼を困らせることになる。
こんなに自分のことを想ってくれている彼を。


「……い、く。」
「ナマエ、」
「行くわ。……ただの主夫、なんでしょ?」
「ああ、そうだ。」
「……怖がることなんて、ないんだよね?」
「ああ、もちろん。」


赤井がナマエの額に自分のを合わせる。
ぐっと近くなる距離に、ナマエはくらりと眩暈した。


「秀一、」
「ん?」
「……ごめんなさい。」
「それは治してからだ。」
「ええ……。」


寝起きよりも身体はだるく、重くなっている。
だが心はどこか、少しだけ軽くなっているのを感じた。



.
氷月紫様へ
赤井夢「病院嫌いの夢主が夏風邪を引き、なんとかして病院に連れて行きたい赤井」でした。

桔梗の花言葉は「優しい愛情」。困りきっている赤井さんが表現できていたら嬉しいです。
リクエストありがとうございました!



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -