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Origin.


天祥院

春の訪れ

――近頃の英智様は変わられた。
そう、天祥院家に仕える者は言う。


「来月中旬には、嘉納家にて社交界が御座います。英智様にも是非出席して頂きたいと先方より言伝を預かって参りました。」
「うん、分かったよ。確かあそこには中学3年のお嬢さんがいたね。」


そう、まさにナマエ自身も同様に感じているうちの1人だ。
幼少の頃より英智の傍で仕えてきた存在として、誰よりも感じているに違いない。

昔ならばここまでにこやかに返事は来なかった。
いや返答があってもここまで爽やかに、そして積極的ではなかった。
「そう、分かった。嘉納家といえばうちと昔から縁ある家だったね、出席せざるを得ないな。」
きっと、こう返ってきたに違いない。

仕えるべき主君の良き成長にナマエは心の内で静かにほくそ笑んだ。


「はい。来年には高校生だと、今から張り切っているご様子とのことです。」
「そう。せっかくだからウチに来ればいい。」
「是非、会場で仰られてみれば如何でしょう?」
「考えとこうかな。」


ナマエは手にしていたスケジュール手帳を閉じる。


「それよりダンスパーティか、ウチでもやろうかなあ。」
「先月行ったではありませんか。」
「あれほど堅苦しいのはちょっとね。息が詰まってしまう。」


困ったように眉を下げる姿も、ここ最近よく窺える表情だった。
昔であれば中々表に出さないもので、違和感を感じる笑みを零すだけだっただろう。
ナマエは英智に訪れていた心境の変化を喜ばしく感じていた。

何のパーティを開こうか、誰を呼んで、どんな曲を奏でようか。
そんなことを英智が呟くのをただただじっと耳に入れる。
すると、


「良いこと思いついた!」


どこか、わくわくした表情を輝かせた。


「君、明日も同じ時間に来るんだろう?」
「申し訳ありません。明日は休みを頂いていて、」
「休み?」
「はい……。」


せっかくの楽しげな顔色を曇らせてしまう。
ナマエが申し訳なさそうに告げる。

しかし、返ってきたのは予想に反する輝きだった。


「ちょうどいい!」
「え?」


そして尚且つ、今までで一番輝いていたように、その時ナマエは思ったという。


――……


「あ、あ、あのう、英智様、あのこれは……。」


翌日。
ナマエは戸惑いを隠せず、もじもじと身を捩った。
日頃の勤務時態度とは異なり、酷く落ち着かない様子で視線を泳がせる。

そんな彼女の目の前には満面の笑みを浮かべて満足気な英智がいた。
この表情に強く物申すこともできず、ナマエは控えめに訊ねる。
足元が普段よりも冷えて、反射的に手がスカートへと伸びた。
その時、腕が大きめのリボンにかすめたのは言わずもがなだ。


「ウチの学院の新しい制服だよ。」
「あの、それを何故私目が……。」
「制服を着る理由は1つしかないじゃないか。」


まさに「にっこり」な笑顔。
この持ち主の背後には、全国に誇るべき有名な学院が聳え立っていた。


「あのあの、英智様、さすがにこれは、」
「いいから。おいで、迷子になっちゃいけないからね?」
「は、はい、畏まりました。が、ですが英智様……!」
「ほら、こっち。」
「あ、はい。」


そして現在、堂々と廊下を闊歩する英智の後ろで、おどおどとしたナマエの姿がある。
常に首を動かし視線が右往左往。


「こんなところ職員の方に見つかりでもしたら……!」
「大丈夫だよ、この時間帯に人は滅多に通らない。」
「ですが、」
「ナマエが静かにしてくれてさえいれば、ね?」


そう目を細めて言われては、ナマエは口を閉ざすしかなかった。

これが普通科のある校舎であれば誤魔化しはいくらでもきくであろう。
しかしナマエが現在いるのは英智の属するアイドル科の校舎だ。
まさに「関係者以外立ち入り禁止」に足を踏み込んでしまっている。
おまけに学院自体にすら属していない人間が、学院の制服を着てだ。

見つかれば、ナマエ自身はおろか英智にまで被害が及ぶ。
ナマエはそのことに心をビクつかせていた。


「ふふっ、そこまで身がまえなくてもいいよ。もっと気楽にしてごらん?」
「は、はい……ああ! ですが、やはりこれは、」
「ナマエ。ほら、肩の力を抜いて。」


立ち止まって、やはり悪い事だと告げる前に。
ナマエの肩に英智の儚げな手が置かれる。


「ううっ……!」
「ナマエはいつも身体に力を入れ過ぎだよ。もっと気を楽にして、僕に付き合ってほしいな。」
「そ、そうは言われましても……。」


自らの主君とも呼ぶべき相手に、そんなことを出来るメイドがいるなら見てみたい。
いるとすれば、天祥院家に代々仕えているというメイド長のおばさまくらいだろう。
ナマエは心の中で小さく息を吐いた。


「ふふっ、もっと見て回ろう。楽しくなってきた♪」
「わ、私はもう帰りたいです……。」
「せっかくだから敬人に会ってみるかい?」
「おおおおお止め下さいまし!!!」
「あはは。」


子どもさながらの笑顔が飛ぶ。


「蓮巳様にこのような姿を見られては、何と言われるか。いえ、それ以前に私も英智様も叱られてしまいます。」
「そうだね、敬人は規則には厳しいから。」
「ですので、すぐさま帰宅いたしましょう、ね?」


いますぐにでも構外へ飛び出て制服を脱ぎ捨てたいくらいだ。
ナマエは懇願するようにそう提案するも、


「いやだ。」


楽しげな表情で下される判決は、厳しかった。


「英智様ぁ!」
「ふふ。」


天祥院家の子として幼少期より厳しい教育下にあったからこそ、無邪気な年相応の様子を見せてくれることは本来喜ぶべきことだ。
ナマエ自身が、このような格好でこのような場所に居なければ。


「あのね、」
「は、はい……。」


前を歩くミルクティーの髪色を見上げる。


「僕、変わったと思うんだ。きっと皆そう思っていると思うよ。」
「英智様?」


決して後ろを振り返ることの無い、華奢な身体。
ナマエはふと不安を覚え、自然と眉が下がった。


「前も楽しかったけど、今はそれ以上に楽しい気分なんだ。見るものすべてが、今までと変わって見えるとでも言うのかな。」
「それは、良きことではないでしょうか。」
「うん。僕もそう思う。とっても新鮮でね、だからきっと、今までより我が儘になってると思う。」


そこで初めて、英智は足を止めた。
釣られるように数歩後ろでナマエも立ち止まる。

彼の視線は、前から大きな窓の外へと向いていて、同様に視線を動かした。


「わ……!」


透明な窓越しに、美しい緑園が映る。
外では風が弱くふいているのだろう。小さな葉がゆらゆらと気持ち良さ気に揺れていた。


「ナマエ、」
「はい。」
「僕の我が儘を聞いてくれて、ありがとう。」


やっと絡み合った視線に、ナマエはとくりと胸の高鳴りを感じた。
今までの羞恥心や焦燥感は跡形もなく消え去り、ほんのりとした温もりだけを残す。


「……とんでもございません、英智様。」
「きっと、君はそう言ってくれると思ってた。だからこそ、僕はお礼を言いたいんだ。」


そうしてもう一度、優しく「ありがとう」が伝搬される。


「……こちらこそ、連れて来てくださってありがとうございます。」
「うん。」


同じ温かさを共有できたなら、きっと幸せなのだろう。
ナマエは胸元のリボンに手を当てて瞼を閉じた。


.
某企画へ提出予定だった5月を題材とした英智様夢。
英智様よりもちょっとだけ年上のメイドヒロインでした。

あんスタ一周年祝企画-2_天祥院

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