Other | ナノ

Origin.


明智

促す自発

カタカタと音が聞こえるたびに目の前の画面に黒が浮かび上がる。
真っ白なページに流れていく黒いラインが既に文字と認識し難いほど、目は疲労を訴えていた。


「う〜終わらない……!」


それもこれも、提出期限を誤って記憶していた自分が悪いのだが。


「仕方がない。家に帰って徹夜で――。」


データがおじゃんする前にきちんと上書き保存をする。
フロッピーアイコンを3回、4回と押してしまうのは、一度保存できなかった過去があったからだ。

充分にボタンを押して1人満足すると、ワードを閉じようとマウスを動かした。
アイコンが赤い背景に浮かび上がる白いバツ印を指す。


「おや、もう終わったんですか。」
「げっ!」


指に力を入れた途端にイヤミ〜な声が聞こえた。
思わず口から濁った言葉が漏れてしまい、慌ててマウスを掴んでいた手で口元をおさえる。

そして、ゆっくり顔をあげると――


「夜遅くまでお疲れ様です。」


蛍光灯の下にいるわけでもないのに
ましてや廊下も、頭上の電気も消えている中で、何故かやたらキラキラと輝いている明智がそこにはいた。


「あ、明智警視……なぜここに……。」
「提出期限を忘れて明朝までに間に合わせようと慌てて手を動かしているであろう貴女の様子を見にね。」
「……あ、あり、ありがとう、ございます……。」


レンズ越しに目を細め、口角をやたらあげている明智に対して、ナマエの口元はピクピクと無理やりあげられていた。
見にきた、というよりもおちょくりにきた、の間違いだろうに。


「さて、終わりましたか?」


――終わりましたよね?

まるで、そうとでも言いたい雰囲気で明智が近づいてくる。
「家に帰宅してやろうと思い、今閉じる所です。」なんて到底言えない。
ナマエは慌ててポインターの位置を下にさげた。


「す、すみません! まだ…その……。」
「おや?」


口ごもっていると、明智はすぐにナマエの横から顔を覗かせた。
ふんわりと広がる上品な香りは、香水なのかそれともシャンプーのものなのか。
一瞬うっとりとしてしまった自分を叱咤し、ナマエは慌てて口を動かした。


「あ、あの、なんか途中でパソコンの調子が悪くなっちゃって全然進まなくてですね!」
「貴女がしなくてはいけない言い訳は、パソコンの不具合でもタイピングの低速度でもありませんよ。大事なことをいとも簡単に忘れていた自分の記憶力の低さです。」
「…………。」
「おや、違いましたか?」


美しいほど長い睫毛の下から覗く瞳が、ナマエへと移る。
思わずどきりとしてしまうほどの魅惑を秘めているが、素直にそう心が動かない。


「……明智警視、酷いです。」
「真実を告げたまでですよ。」


口から零れる――事実なのだがあまりにも痛い言葉の数々が、胸を締め付ける。


「まったく。予想通り全く進んでいませんね。」
「すみません……。」
「いえいえ。もし終わっていたとしたら、明日は雨ですから。」
「…………。」
「雨に打たれるのも嫌いではありませんが、清々しい朝を迎えたいものですね。」


ふっと前髪を整える明智。
ナマエの口からはもはや謝罪も言い訳も出ることはなく、ただただめんどくさい男だと脳が呆れていた。


「さてナマエさん。お訊ねしたいことがあるのですが。」
「はい、なんでしょうか。」
「その今にも帰りますと言わんばかりの鞄はなんでしょうか。」
「……どきっ。」
「口で言うものではありませんよ。そもそも帰れると本当にお思いですか。素晴らしい考えですね。帰ってもどうせ寝るだけでしょうに。」
「……おっしゃるとおりです。」


今日は厄日か。
今朝は寝坊してしまって走ったらヒールは折れるし。
乗り込もうとしたエレベーターは無情にも目の前で閉じて、結局遅刻したし。
昼食時に躓いて剣持警部のスーツにコーヒーを零してしまったし。
なによりこの書類の提出期限来週だと凄い勘違いをしてしまったし。
明智警視にビックリするぐらい集中砲火喰らうし。


「サイアク。」
「自分が蒔いた種でしょう。」
「うっ、」


思わず心の声が漏れてしまったらしく、呆れたように明智が溜め息を零した。


「頑張るのは結構ですが、夕食は済ませたのですか?」
「…いえ。まだ、終わってないので。」
「そうでしょうね。終わる頃には朝食か昼食の時間でしょうから。」
「……。」


この人はどこまで人の心を刃物で抉れば気がすむのだろうか。
ムカツク、とふつふつ湧き上がる怒りを拳を握ることで落ち着かせる。


「どんなに忙しくても、食事をしなければ脳みそは動きませんよ。」
「明智警視はそのようなことを言いにわざわざお戻りになったんですか。」
「言ったでしょう、貴女の様子を見にきたと。」


ちょっとだけ対抗しようと強い口調で言った言葉も、簡単に流される。


「ミョウジさん。」
「はい。」
「お茶を淹れてください。」
「……はい?」
「夕食を食べましょう。お腹がすきました。」


ご飯を食べていない自分へのあてつけなのか。
明智の思考をいつも通り読み取れずにナマエは顔を顰めた。


「……食事なら、ご自宅か外でどうぞ。」


思わず、不機嫌丸出しでそう返してしまう。
すぐに何か言われる、そうハッとしたのは数秒後だ。
ナマエは自分自身の失態に眉を寄せた。

だが、


「……人の話を聞いていてくださいね、ミョウジさん。」
「え、」


帰ってきた言葉は、いや、声色はあまりにも優しく穏やかなものだった。
先程まではねちょっこかった言い方がさっぱり消えて。


「さ、早く。」
「は、はい……。」


思わず優しいそれに頷いてナマエはお茶を淹れ始めた。
ちらりと後ろを気にしてみると、明智の鞄からどうにも似つかわしくないコンビニの袋が。
その袋の中からは、野菜の盛り合わせに、ありがちなのり弁当が出てくる。


「あの、それは……。」
「見て分かるでしょう。」
「はぁ……。」


いつも豪華な食事をとっています。
と言わんばかりの明智の目の前にあるのはありふれたコンビニに売っているもの。
やはり似合わない。ナマエは変なの、と思いながらお茶を目の前に置いた。


「……。」
「……。」
「……え。」


何故だか、明智が無言でナマエを見つめている。
それもどこか呆れたような表情で。


「あの、警視……?」
「貴女は本当にお馬鹿さんですね。」
「はっ?」
「何故、私のだけ出しているんですか。早く自分のも用意しなさい。」
「はい?」
「貴女は水分を一滴も含まずに食事するつもりですか。」
「え?」


一体何がどういうことなのか。
次第にナマエの頭は混乱して、首を傾げてみせた。
その様子に明智はやれやれとズレた眼鏡を中指であげて、息を吐く。


「これは貴女の夕食ですよ、私は既に食べてきました。」
「えっ!?」
「だから夕食をとったのか、と聞いたでしょう。」
「だ、だって明智警視お腹すいたって……私にさ、差し入れ……!?」


果たして、これを一課の皆に告げたらどんな反応をするのか。
ナマエ同様に驚き、嘘だと疑うに違いない。


「はぁ、」


驚きすぎて硬直状態のナマエに、明智が大げさに溜め息を吐いた。
手は未だにメガネのブリッジにて位置している。


「食べるんですか、食べないんですか。」
「たっ、食べます!!」


昼食のロールパン以降何も口にしていなかったために、お腹は限界だった。
食べていいというのなら遠慮なく頂くことにしよう。
ナマエは目の前の食事に嬉々と食い付いた。


「慌てて、のどに詰まらせないで下さいね。」
「分かっています!」


ナマエが箸でご飯を口に運ぶ姿を見て、明智は目を細めた。
その表情は先程の意味深なものとは違い、酷く柔らかいもので。


「な、なんですか……?」


始めは食事にがっつり食い付いていたため気にしていなかったが、じっと見られているとそのうち気になるもので。
ナマエは気まずように明智に問うた。


「いえ、なんでもありませんよ。」


だが明智は微笑みながらそう言うだけで、これ以上何も口にするつもりはないらしい。
ナマエはやはり気まずそうに視線を動かすものの、それでも空腹に耐えかねて食事を続けた。


「ミョウジさん。」
「ふぁい?」


明智が口を開いたのは、ナマエが最後の一口を口にした時だった。
慌てて口のものを飲み込んで、姿勢を正す。


「はい?」


そしてもう一度首を傾げて応える。


「明日、聞き込みに行くのでついてきてください。」
「はあ……それは、構いませんけど。」


警視である明智が自ら足を動かすのは、もはや一課内では珍しいことではない。
ナマエは何故自分なのかと疑問を抱きながらもそれを承諾した。


「良かった。」


すると、明智は酷く安堵した様子でそう呟く。
え? と目を瞬かせると「なんでもないですよ。」と柔らかい言葉が返ってきた。

今夜の明智は変だ。
嫌味を連発したと思ったら、まるで別人のように優しい声色に変化する。
ましては自分に夕食の差し入れまでもするだなんて。


「さ、そろそろ開始しないと終わりませんよ。」
「あっはい!」


差し入れありがとうございました。
そう告げると、明智は静かに微笑むだけだった。


「では私はこれで。決して無理はしないようにしてくださいね。」
「は、はい……。」
「貴女は女性なんですから。むさ苦しくやる必要なんてありません。」
「はぁ、……。」
「間に合わなかったら、指導不足ということで剣持くんに責任もってもらうので。」
「だっ、ダメですよそれ!!」


不吉な言葉がふいに飛んできてナマエは慌てて首を横に振った。
その反応に、明智は冗談だというようにくすりと笑う。


「なら、後1時間で仕上げてくださいね。」
「1時間!?」
「下で待っていますので。」
「え!?」
「車内で寝るのは好きではないので早く来てくださいよ。」
「ちょ、え? あ、明智警視……!?」
「では、お待ちしています。」


一体全体、どういうことなのか。

1人になった部屋でナマエはただ呆然と突っ立っていた。


「…………はっ!」


明智は待っていると言っていた。
「1時間で仕上げろ。車内で寝る前に早く下におりて来い。」と。


「や、や、やるしかない!!」


何かに取りつかれたように、ナマエは慌ててパソコンの前に座りキーボードを止めどなくたたき続けた。

徹夜覚悟だと思っていた作業が、本当に1時間きっかりに終わるだなんて、ナマエ自身まったく想像にもしていなかった。
それが彼の言葉1つで現実にできたのだから、信じがたいものだ。



.
10月から再びアニメ化するだなんてどういう偶然だろうか

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -