頂き・捧げもの | ナノ
prologueは音もなく
日差しは春の暖かさを伝え冬将軍が姿を消したことを伝えてくる。
新生活に逸る鼓動。反比例するのは歩む足。一歩一歩と踏みしめると言えは聞こえはいいが、進めば進むほどこれからの重責が肩に背に乗ってくる。可もなく不可もなく。流れに身を任せて、なるようになると生きてきたはずなのに。
「うらめしや、インテリ眼鏡……。」
どんなものだと待ち構えれば待ち構える程、訪れたそれは呆気ないモノだと知ってるのに、頭と心はそうも簡単に一致しない。
近づく距離、増えるため息。鼓動と足だけが変わらず。
もし、本当にため息で幸せが逃げるとするならば、多分一生分の幸せを吐き切ったと言っても過言ではない数のため息を吐き出している。
此処まで来てしまえば、諦めるしかないんだと音もなく開く自動ドアに諭された。
勝手に開いてくれる自動ドア
ボタンを押すと目的地に運んでくれるエレベータ
文明の利器は私の重い気持ちなど知る由もなく淡々と己の仕事をしてくれたが、目の前の扉はそうもいかない。。
勝手に開くことはなく、自分から開けないといけないその扉。
覚悟を決め、いざと、握り締めすぎて手に馴染んだドアノブは意志に反して開かれた。
「ようこそ、公安へミョウジナマエ殿?」
「お手柔らかに風見裕也殿。」
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
ムカつくほどに、的確な説明のお陰でまさかのお昼前には粗方の部署を周り終え。
ムカつくほどに、丁寧な資料のお陰でまさかの午後には事務作業を始める嵌めになり。
時計など気にする事もなく没頭していたからなのか、まさかの定時にはパソコンのディスプレイは暗く沈黙していた。こり固まった筋肉をほぐすように背伸びをすると上下逆さまのインテリ眼鏡。
「初日にしては上々かしら?」
「偶々だろう。」
「素直に褒めてくれてもいいんだよ?」
「偶々だろ」
「再ですか…。」
勢いよく起き上がりぐるりと体ごと向きを変えると、差し出されたマグカップ。
「心根は素直なのにどうして口に出すとそうも捻くれてしまうのかなー風見くんは。」
「お前のそういう唐突に不躾な所は未だに苦手だ。そして勝手に俺の性格を決めるな」
「ほらまた素直じゃない。」
偶々というには、少々条件が整い過ぎているこの状況。
仕事は可もなく不可もなく、現場よりならデスクワーク派の私にぴったりな書類たち。
やや乱雑に置かれていたそれは、纏めるのに苦労しそうだなと勝手に思っていたのに
「まぁ、そんなば風見の事は嫌いじゃない。かな?」
「褒めてるのか貶しているのかどっちだ。」
「結構な割合で褒めてる。」
深くため息をつく風見を見て、朝の私もあんなふうだったのかなと思いをはせる。
あんなに憂鬱でもやっぱり過ぎてみると呆気ない
ぼけっと今日一日を振り返るとふと浮かぶ疑問
「そういえばさ、私まだここの部署の人たちに挨拶してないんだけどさ、
第一印象最悪な女になってない?大丈夫??」
今日一日ずっと一緒に居たのは風見のみ。他の人たちは挨拶はしたが”お疲れ様です”などの軽い挨拶のみ
「問題はない。お前の挨拶は明日だとみんな知っているしな。」
「初日に挨拶じゃなくて明日?」
「降谷さんが来られるのが明日だからな。」
聞いたことがあるようで、しかしながら全く該当する人物が思い出せない。
そんな私の様子で色々と察したのか答えの代わりに吐き出されたのは深いため息。
「上司の名前くらい頭に入れておけ馬鹿者。」
「難しいこと言うね、ば風見のくせに。
元々ここってあんまり情報が回ってこないんだから仕方ないでしょ。そもそも、警察学校卒業してから連絡も寄こさなかったあんたが突然”デスクワーク得意だろ”って来たかと思ったら、次の日には転勤に名前が載ってるし……。」
朝のため息の原因を吐き出すべく一気にまくしたてたのにもかかわず、われ関せずと言わんばかりの表情で
「既読だけが付いて否定の返事もなかったからな。ミョウジなら大丈夫だろうという俺の判断だ。」
「未読だろうが変わらなかったでしょどうせ。」
「分かってるじゃないか。」
「分かってても溜まるのが鬱憤と不満というものだよ。」
消化しきれない気持ちをため息と一緒に吐き出してこの件は終わりにしようと思っていたのに
”ここで働くのなら、あの人の素晴らしさをしっかりと理解しておかないとな”といいだした奴のせいで
折角の定時は泡と消えた
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
「っておい聞いているのか!ミョウジ!!」
「はいはい。聴いてますよ。聴いてます。」
新生活に胸躍らせた大学生であろう集団が盛り上がっている声がBGMとなりつつある店内
目の前の男から語られるのは降谷さんとやらを称える言葉の数々。
「あの人は本当にいつも冷静で知的でかっこいいんだ」
「本当に凄い人なんだ」
「情熱を胸に秘めるっていうのはああいう事なんだ」
同じような内容が何度も何度も何度も
こいつはもしかして、その上司に恋でもしてるんじゃないかと思うほどの止まらない賛辞。
いつまで続くのだろうとなかなか進まない時計の針に問いかけても早まるなんてことはなく。
適当に相槌を打つ人形になっていた頃
ラストオーダーを求めるバイト君が天使に見えた。
「明日は遅刻するんじゃないぞ」などと偉そうに言ってくる恋するメガネ(仮)を無理矢理タクシーに乗せた達成感。
このまま、アイツに一日を振り回された感じで終わるのは非常に癪に触るなと、なんとなく目に入ったバー。
少しだけ開けずらい扉を開けると、来店を迎えてくれるベルの音
開かれたその先は、別世界
先程の喧騒など無かったかのような、シェイカーの音と聞こえるか聞こえないかのギリギリなラインで流れるBGM。お世辞にも広いとは言えない店内に居るのは私と老年のバーテンダーと先客が独り。仄暗い照明は、私の姿を隠してくれるようで偶々見つけた割には当たりだと少しだけ得をした気分になった。
なんとなく、目に入ったカウボーイをオーダーしスーパー風見DAYだった今日を振り返る。
幾度となく零したため息。
「何か楽しい事があったんですか?」
「……それは私に話しかけていますか?」
――そして、それは何をどう見てそうもったのですか
という疑問はなんとか噛み殺したものの
ぱっと顔を上げバーテンダーの方を見るも彼は微笑みながらガラスを磨くのみ
となるとやはりと、声が聞こえた方へ目を向けると、仄暗い店内の中でも少し目立つ髪色。顔だちも整っていることがなんとなく伝わってくる。春には変な奴が出てきやすいという統計があるらしい。がそのうちの一人だろと勝手にカテゴライズ。
渾名残念なイケメン君に決定
店主と思われるバーテンダーも特に何も言わずに、その無言が私に答えを促しているようで声の主はそこまで奇人と言う訳ではないだろうと勝手に仮説をたて
今日私に起こった出来事を話していく。
久々に学校の同期と会って変わらない性格に安心した事
だけど、仕事面ではすごい奴でそいつの足を引っ張らないか不安な事
軽く挨拶した感じ、職場の人たちはみんないい人そうで早く馴染めるようになりたいなと思った事
そんな彼が尊敬する上司の下で、求められる責務をこなせるか自信がない事
疲れと、アルコールと何よりも、
はじめましての初対面で、もう会う事はないだろうという後腐れのなさからかポロポロと言葉は落ちていく。
聞き上手な店主さんや残念なイケメン君のお陰で、ここまで言うつもりなんて全くなかったのに吐き出された言葉たちはため息なんかよりも心のモヤモヤを簡単に浄化してくれていた。
ふと、時計を見ると今日が昨日に変わりそうな時間帯。
話し過ぎたと思うも、明日もがんばれそうな気がするから案外口に出すのも大事なのかなと話し過ぎた事には後悔はない。
「ここまで話を聞いてくれたお礼にここの会計は全部私が持ちますよ。」
考えるよりのも先に出てきた言葉に、驚いたのは残念なイケメン君だけではなく私もで。
容易にこんな言葉が出てくる程度には救われたんだなと他人事のように自分を分析する。
頑なに拒む彼を、こっちも頑なに拒み
もう払っちゃいましたからと店長を味方につけ支払いを済ませる。
「なかなか強引な方の様ですね。先ほどの話の貴方はいじらしかったのに。」
「時と場合によりけりですよ。」
「なるほど、なら今回だけはその強引さに折れます。」
お手上げですと両手をあげ降参とする残念なイケメン君。
顔立ちがいいと何をしてもカッコいいんだなと内心思いつつ4分後から訪れる明日を迎えるべく重い腰を上げる。
「ではまたいつか。」
なんて全然思ってもいない言葉を残し、少しだけ開けずらい扉に手をかける。
「ではまた逢いましょう。シンデレラ?」
やっぱり彼は残念なイケメン君だなと思いつつゆっくりと扉を開け、現実世界へと歩み出した私は0時を告げる時の音にかき消され
「これからよろしく。ナマエさん。」
なんて彼が言っていたことを私は知る由もなかった。
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親愛なる友から頂きました。
正確には「書いて」と執拗に催促して書いて頂きました。
語彙力もその表現力も本当に脱帽。羨ましい。
是非、このまま気が向いたら書き続けて頂きたい。Thanks!