貸切り
その張り紙に気付くと、リヴァイは触れかけていた扉から手を離しポケットへと戻すと、ふうと大きく溜息をついた。
ついた溜息は白く、寒さに紛れて徐々に消えていった。
行きつけの店。誕生日はこの店で過ごそうと思っていた。行きつけだから、という理由もあるが。それよりも、働く彼女と同じ空間の中で過ごしたかったというのが大きな理由。
けれど、そうか。そういう時期である事を忘れていた。飲み会が多くなるこの季節。リヴァイだけが特別な訳ではないのだ。
彼女は今日もクリーム色のエプロンと、赤いバンダナを付けて、店内を忙しく動き回っているのだろうか。酔っ払いに絡まれていないだろうか。疲れてはいないだろうか。
それとも、誰か特別な存在と聖夜を過ごしているのだろうか。
「…」
聞くことも出来ずこの日を迎えてしまった自分の愚かさにもう一度溜息をつくと、リヴァイは店に背を向け兵舎への道を戻り出した。
あと数時間で今日も終わる。
せめて一目、と思っていたが。どうもそれも叶いそうにない。この日に限って大量の書類を寄越した自団の団長に心で舌打ちをした。
会いたい等と、自分にまさかこんなに子供染みた感情があったことにも驚いたが。
はあ、と何度目になるか分からない溜息をついた時。
「ナマエちゃん、悪かったねこんな時間まで拘束して…!」
「いえ、いいんです!予想はしてましたし、聖夜ですから…それに時間はまだあるので大丈夫ですよ」
「もし向こうに用事があったら…」
「そうなったら、その時です」
「あっれー?ナマエちゃんもう帰っちゃうの?もうちょっと付き合ってよー」
「あはは、お相手したいのは山々ですが、ごめんなさいね」
「なになに!?いつの間に男でもできた!?」
「はい、酔っ払いは彼女に絡まず中にいてくださいね」
「え、ちょ、マスター!」
「はいはい、いいからいいから。じゃナマエちゃん行ってらっしゃ……おや?」
目が合う。
その瞬間、何やら意味あり気に笑みを浮かべたマスターの顔にリヴァイは眉間に皺を寄せる。マスターの視線を辿るようにリヴァイを見たナマエと目が合い、ぱっと顔ごとそらしてしまった。
そんなリヴァイの姿に笑みを濃くすると「じゃあね、ナマエちゃん」とのんびり言い、酔っ払い達の背を押して、パタンと閉めてしまった。
僅かな静寂。その後、ハッとして慌ててリヴァイへと駆け寄るナマエ。
「へ、兵長さん、どうしてここに…!」
「…貸切りだと知らずに来ただけだ」
嘘をつけ。
自分の言葉に、すぐに後悔をする。何故こうも言葉を選ぶのが下手なのか。いつもそうだ。今のだって上手く言うことが出来れば、もう少し彼女との距離が縮められると言うのに。
「…お前は、」
「はい?」
「今日はもう終わりなのか?」
「はい、今日は特別にマスターが早くあげてくれたので」
嬉しそうに笑むナマエ。よくよく見てみたら彼女の手には小さなカバンの他に紙袋が提げられており、髪も身なりも綺麗に整えてある。
彼女にこれから予定があることくらい聞かなくても分かる。
「…そうか、引き止めて悪かったな」
「あ、」
くるりとナマエに背を向けると再び兵舎への道を歩き始める。
会いたいと思ったのは事実。けれど会ったことでここまで自分が不快で、重たいような複雑な感情になるとは予想していなかった。
勝手だと思われてもいい。これからナマエが会いに行くのであろう、どこの誰か分からない相手に嫉妬をした。そんな顔を見せまいと自然と足は速くなった。
その時。
「あの、兵長さん…っ」
くん、と引っ張られたのはリヴァイの着ているコート。驚いて振り返れば、そこにはコートの裾を小さく握りしめ、うつむいてしまっているナマエ。
「何だ?」
「えっと…その…」
もごもごと言葉を濁すナマエを優しく促すように、彼女と正面から向き合ったリヴァイ。
すう、はあ。と小さく聞こえたのはナマエの深呼吸だろうか。気温のせいか白く彼女の周りを漂って消えていくそれをぼんやりと見ていたら、ぱっと顔を上げた彼女と目があった。
「兵長さんに会いに行く為に、早く上がったんです」
「は?」
唖然。
必死にそういうナマエにリヴァイは僅かに目を見開いて固まった。
まさかそんな事がある訳無い、という気持ちが大きく目の前の彼女の言葉を鵜呑みにすることができない。
そもそもリヴァイとナマエの関係は、そこまで進んだものでは無いのだ。
そんなリヴァイの気持ちを表情で察知したのか、ナマエは掴んでいたコートを離すと慌てて口を開いた。
「あの、この前いらっしゃった時、マスターと話していたのが聞こえて…!」
この前。ふと思い出したのはつい先日の出来事。
「聖夜が誕生日とは、また中々趣きを感じますね」
「おい…誰から聞いた?」
「誰からも何も、街中が知っています。女性達はあなたに贈り物をする為、ここに来て私に兵長殿の好みを聞いてくる始末」
「…」
「そんなに嫌な顔をする事はないでしょう。祝われるというのは喜ぶべき事です」
「ガキじゃねえんだ、祝われて嬉しいなんて年齢はとうに越してる」
「この年齢になったからこそ、貰える贈り物というのはまた格別ですよ」
「はっ、どうだかな」
「それにしても聖なる夜に生まれた人類最強の男とは…」
「その腹の立つ笑いをやめたらどうだ?」
「これは元々の顔立ちですので」
その会話を耳にしてからナマエは気が気ではなかった。
何かしたい、何か贈り物をしたい、出来ることならお祝いをしたい。
調査兵団の兵舎には入れなくても、言伝と贈り物を預けておこう。もしかしたら会えるかもしれないから、身なりだけはしっかりとしておこう。話せなくても、遠目だとしても、せめて、一目だけでも、と。
その気持ちが伝わらないほどリヴァイも鈍くはない。
少し、優しい表情を見せたリヴァイにナマエの心臓は面白いくらいに跳ね上がる。
そうだ、いつもカウンターに腰掛けるリヴァイとこんなに向き合って、こんなに言葉を交わすのは初めてなんだ。意識すると余計に心臓は高鳴り、顔は熱くなった。
赤くなる頬を誤魔化すように、ガサガサと手に持っていた紙袋を漁った。
「あの、これ、兵長さんに…私とマスターからです…!」
マスターという名前に複雑な気持ちが募るが、今こうして彼女が目の前にいるのは早上がりを許可してくれたマスターのお陰。
いつも人の心を見透かしたような目をするあの初老の男に少しばかり感謝をした。
ナマエが手渡してきたのはワインボトル。年代物なのか見たことのないラベル。そのラベルの近くに括り付けられていた小さなメッセージカードに自然と目を落とした。
この年齢で貰える贈り者も、悪くはないでしょう。
「……」
贈り物が、
贈り者、
となっているのが実に腹立たしい。
こうも見透かされるとは。眉間にシワを寄せ難しい顔をするリヴァイ。そんな彼を不思議に思ったのか、メッセージカードを覗き込もうとしたが、リヴァイの手がそれを阻止した。
「あの、それから…」
「まだあるのか?」
「えと、これは…私からなんですが…」
そう言って次に取り出したのは小さな白い箱。
「マスターに習って…味見もしたので大丈夫だと思うのですが…」
その言葉で察する。手作りのものだと。おずおずと差し出された箱を受け取り、中を見るとふんわりチーズとバジルの香りがした。
「赤ならチーズかな、と思って…チーズのマフィンとチーズとバジルのクッキーなんですが…」
何を想って作ったのかなんて聞かずとも分かる。自分に向けられた好意。好意を抱いていた相手から、好意を向けられ、嫌な気分になどなるはずがない。
ふ、と笑うと吐き出した息は白かった。
ああ、本当に言うとおりだ。
「悪いもんじゃねえな、この年齢で祝って貰えるのは」
独り言のように呟いたその言葉は、当然目の前のナマエにしっかりと届く。
少し目を合わせた後。まるで溢れるように、嬉しそうに微笑む彼女。
初めて、向き合えた今日に少しだけ感謝をした。
聖なる夜に
(近付いたのは)
(心の距離)
「ナマエよ、どこか行くか?」
「え?」
「仕事はもう上がったならいいだろ」
「それは、はい…」
「行きたいところがあるなら連れて行く」
「それは、その…」
頬を染め、照れ臭そうに首を傾げる彼女の動作一つ一つに心が和まされる。
「それでは、そうですね…兵長さんと一緒ならどこでも」
客と従業員。その関係は変わらないけれど。聖夜の夜、確かな変化を互いに実感した。
2014.12.25 Levi BD
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