「私あの人が嫌いなんです」



たまたま聞いてしまったその言葉に衝撃は無かった。そういう奴もいるだろうと思っていたから。自分が万人から好かれるような奴じゃねえことくらい己が一番理解している。

ただ…この部屋に用があるというのに、こうも敵意全開な人間がいるのは少し厄介だ。



「ナマエはさ、どうしてリヴァイが嫌い?」



ハンジと話している女は、ナマエという名前か。

盗み聞きの趣味はないがこれは不可抗力とでも言っておこうか。先程まで壁外に出ていた身体を早く休ませてやりたいが仕方が無い。腕を組み、トンと壁に背を付けると中の会話が終わるのを待った。



「私たちが調査兵団だから?」

「…もし私が調査兵団自体が嫌いなのであれば、私は門を開けません」

「はは、確かに!おっかないこと言うね!」

「……あの人が嫌いなだけです」

「んー、だからそれはどうして?」



繰り返されるハンジの質問に、ナマエという女が気まずそうに息を飲む。

「それは…」と言葉を淀ませるその声音に耳を澄ました。

そういえばいつも壁外から凱旋した時に門の鐘を叩いて合図する女がいた。あの女もナマエという名前だと、風の噂で聞いたが。そうかこの中にいる人間がその人物か。声を聞くのは初めてだ。

目が合ったのは偶然だったが、まさかこうも敵意を向けられているとは。



「それは?」

「嫌いに理由はありません…っ」

「そりゃ確かに、もっともだね。好きに理由が無いのと一緒だ」

「…」

「でもあなたは違う、あなたは何をリヴァイのせいにしているの?」

「…!」

「嫌い嫌い、と繰り返し言って何を保ってるの?」

「失礼、します…っ」



タンタンと力強い足音が扉に向かってくる。

まずいな、このままじゃ鉢合わせるじゃねえか。

そう思っているのに自分の身体は動かず。開いた扉。中から出てきた女とはすぐに目が合った。



「お前は俺が嫌いらしいな」

「…っ!」

「…ふん、まあいい」



女の目は真っ赤だ。

本来ならばもう少し皮肉や嫌味で精神的に追い詰めてやってるところだが、何故だか言葉が続かない。

黒い瞳が涙で赤く充血する。その様が異様に印象的だった。



「私は……っ」

「何だ?」

「私にはあなたが、死神に見える…」



そう言って、逃げるように去っていく女の背を黙って見送る。

床に出来た染みを見て、大きな溜息を一つ吐く。



「やあ、リヴァイ!盗み聞きとはいい趣味だね!」

「うるせえ、どのタイミングでここに来るかは俺の自由だ」

「確かに!まあ、せっかく来たんだから座りなよ、お茶くらい出すよー」



言われるがままソファに腰掛ける。目の前に紅茶が出されるまでそう時間はかからなかった。



「聞いてた?」

「聞こえた」

「だろうねー!っていうか、死神って!ぶっはは!その発想は無かったなあー!でもあなたの顔ってそんな雰囲気だよね!陰鬱っていうか!」

「おい、」

「削がれたくありません」



削ぐぞ、と言う前に両手を上げて「ごめん、ごめん」と謝罪するハンジに再び大きな溜息をついた。

カップを手に取り紅茶を啜ると、ハンジは普段からは考えられない諭すような声で呟いた。



「あの子…ナマエはさ、少し可哀想な子なんだよ」

「そうか」

「元々捨て子で入団した時からあんな感じ」

「…」

「不器用ながらにようやく出来た友達も、調査兵団に入団して最初の遠征で亡くなってしまった」

「…ほう」

「おまけに、その子がリヴァイに憧れて入団したものだから、逆恨みしてしまうのかもしれないね」



ハンジはおもむろに皿の上にあった菓子を手に取り、パキリとかじった。

今まで、いや今もそれなりに回りからは恨まれているのは理解している。けれどそのほとんどが兵団同士のやり取りに関してで、その点に関して言えばエルヴィンの方が俺以上に恨まれている。

感情的には、壁外調査で家族を亡くした街の連中が調査兵団を恨むのと同等なんだろうか。



「家族、友人、恋人、そんな間柄を失った奴は五万といるだろ」

「確かにそうだ、ナマエだけが特別な訳じゃない。まあ、あの子の場合もう拠り所が無いから、リヴァイを悪者にすることで寂しさを紛らわせてるんだよ。そして本人が一番その気持ちを理解していて、一番自分を責めてる」



寂しい奴だ、と思った。寂しさを紛らわせるどころか、本人自身が寂しい奴になっている。それこそ陰鬱としたものだろう。人の事を言えるほどでは無いが。日々そんな状態でいることの何が楽しいのか。



「まあさ、リヴァイからしたらとんでもないとばっちりだし、煩わしいかもしれないけど!少しだけ憎まれ役になってあげてよ、あの子のことは私が説得するから」

「…あれは説得しようとして、出来るものか?」

「根は悪い子じゃ無いことを私は知っているからね、任せて欲しい」



どこか自信に満ちた目で訴えかける同僚を、鼻で笑って一蹴した。



「はっ、悪いが俺は言われっぱなし、やられっぱなしが好きじゃねえ」

「え、えぇ!ちょっと待ってよ!」

「好きにさせてもらう」



椅子から立ち上がり、必要な書類を置いて立ち去ろうとする俺の後ろをハンジが焦って追いかける。



「リヴァイ!面と向かって罵られて苛立つのは分かるけど!」

「…」

「リヴァイってば!」

「うるせえ」



壁外から凱旋する時、いつも感じていた嫌悪の視線。その主が鐘を鳴らすあの女だと知ったのはつい先程のこと。関わる前から嫌われていて、今日初めて会話をし、そして泣かれた。それ自体がどうという訳では無いが。

恨みの目、嫌悪する目。

そんなもの日常的だ。けれど虚勢を張る為に、弱々しい人間が自分に噛み付いてくるその様に、僅かに感情が動いたのは事実。

泣きそうな顔で、死神だと罵った女の顔を思い出すと。

どうしようも無いほど構ってやりたくなる。



「…リヴァイ、悪い顔してる」

「気のせいだ」

「…ナマエに何する気?」



その問いかけには答えること無く。バタンと扉を閉めた。



「…」







自然と上がる自分の口角を、片手で押さえ込むように隠した。



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デアナルに目を付けた死神

2014.10.05