想うだけで鼓動が速くなる。

声が聞こえると無意識に振り返って姿を探す。すれ違うだけで胸が高鳴る。目が合うと恥ずかしくてすぐに逸らしてしまうけど、それだけで一日中幸せ。嬉しくなったり、悲しくなったり、切なくなったり。私の毎日はあなたの一挙一動でどんな色にでもなる。ああ、これが恋なんだって心の底から感じる。‥けど、私はそんな自分にとって特別な人と一度も言葉を交わしたことがなくて。

所詮は、私一人の一目惚れ。







「ナマエー、あんた暇ならこの書類科学班の研究室まで持っていってよ」

「あ、うん‥わかった‥!」



友人から差し出された書類を受け取る。別に暇じゃないけれど友人の方が私より任されている仕事が多くて、今日も出社と同時にずっとデスクと向き合っている。お昼食べたのかな‥?心配になるけど多分いま口を出したら邪魔しないで、って怒られてしまうだろうから、黙ってフロアを出た。あ、そういえば私もお昼ご飯まだだった‥‥まあいっか。



「はあ‥」



エレベーターを待ちながら溜息を吐く。少しでも友人の手伝いをしたくて引き受けたことだけど‥苦手なんだよな、科学班って。特に研究室のような場所は独特な雰囲気があるから怖くてたまらない。研究サンプルの得体の知れない物体とか、よく分からない実験とか‥考えるだけで憂鬱になってしまう。

そんなやるせない感情が大きな溜息となって漏れた時エレベーターが止まった。まだ研究室の階じゃないはず。人が乗ってくることを想定して、開くボタンに手を伸ばした。



「お?」

「‥っ」



翠の瞳と目が合い身体が僅かに震えた。赤い髪、着崩されたスーツ。片手には何か書類を持っていて、私のことを確認するとエレベーターに乗り込みボタンへと手を伸ばした。私は対照的に慌ててボタンから手を離す。

もう乗ったんだから開くボタンを押しておく必要はないし、何より距離が恥ずかしくて後退りするように後ろへ下がれば、トンと背中にガラスの壁が当たった。何でここに‥いや、社内のエレベーターなんだから別に特別なことじゃない、か‥。



「ん?」

「‥」

「あんたも研究室に用事か?」

「!‥、」

「そうか。一緒だな、と」



コクンコクン、と繰り返し頷く私を見て少しだけ笑うと背を向けた。心臓の音がどんどん早くなっていく。

いま私、話し掛けられたんだ‥初めて、会話したんだ。いつも目で追いかけることしか出来なかった人に話し掛けられ、頬が熱くなっていくのを感じる。少しだけ顔を上げて半歩前に立つその人の背中を見つめる。

どうしよう。話すことが初めてなら、こんなに近いのも初めてだ。さっきまで遅く感じていたエレベーターの動きがすごく速いものに感じる。もっと遅くなればいいのに、なんて自分勝手なことを思いながら広い背中を見つめた。



「らぶらぶ光線か、と」

「え?」

「そう穴が開きそうなほど見つめられると照れるぞ、と」



チラリと私を見てニッと口角を上げる。しばらくの間、意味が分からず呆然としてしまったが次の瞬間ボンと音が鳴りそうなほど頬が熱を帯びた。

み、見てたのがバレてた、の‥!?どうしようどうしよう、らぶらぶ光線なんて、私、そんな‥っ!

手に持っていた書類を抱きしめ顔を俯かせる。言いようの無い恥ずかしさ。誤魔化すことができないから余計に恥ずかしくなる。ああ、なんだか耳まで熱くなってきた。一人羞恥心と戦っていればクククと喉を鳴らすような笑い声。



「冗談。少しからかいたくなっただけだぞ、と」

「え、あ、そうです、か‥っ」

「‥」



途切れ途切れになる言葉で返事をすれば返ってきたのは沈黙。伺い見るようにそっと顔を上げるとまた翠の瞳と目が合った。ふっ、と小さく笑われ慌てて目を逸らす。そろそろ心臓が壊れてしまうんじゃないだろうか。



「名前は?」

「え?」

「あんたの名前」

「あ、えっと、ナマエです‥」

「ナマエ、昼飯は?」

「まだ、です‥」

「じゃあこれ届けたら一緒に食いに行くぞ、と」

「は、はあ‥‥‥‥‥え」



ぼんやりと反応するように返事をしてしまったけど。いま何て。私と、お昼ご飯‥?

え、え、え、え。とまるで壊れたロボットのように繰り返し単音を漏らす。思考停止しかけている頭ではそれが精一杯で、それ以外何を言えばいいのか分からない。私じゃなくて他の誰かだろうか、とおろおろ周りを見渡すが狭いエレベーターにナマエという名前は私だけ。

あれ、え、あれ。と再び壊れたロボットのように声を漏らせば楽しそうに笑う彼の声がエレベーターいっぱいに響き、私はまた顔を俯かせた。








(心拍が速すぎて)
(本当に壊れてしまいそうです)




ツォンさーん、ちょっと聞きたいことがあるんですが、と

‥何だ

普段凄まじいらぶらぶ光線を送ってくるくせに、目が合うとこれまた凄い勢いで目を逸らす、ってどういう心理だと思いますか、と?

‥‥

そう睨まないでくださいよ、と。大事な部下の淡い片想いなんですから。おまけに珍しく俺の一目惚れ

お前がか?

そうですよ、と‥で、どう思います?

‥‥何故俺に聞く

ツォンさんも片思い中っしょ。ほらスラムの、

知らないな

即答すか

馬鹿なこと言ってる暇があるならこれを上の研究室まで届けて来い

‥はいはい、と





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実はお互いに一目惚れ、てきな。

20101024